キス・イン・ザ・ダーク
久方ぶりに足を踏み入れた城の中は、驚くほどに張りつめた空気で満たされていた。
戦でもあるのかと思ったが、まさかそんわけもない。
戦をまじかに控えた当主が、よかったら遊びに来いよなどと誘うはずがないからだ。
戦なら同盟国の当主である自分に書状の一つも寄越すだろう。
驚かせようと、文も書かずに奥州へやってきた。
城の様子にどうしたのかと内心で首をひねった元親を出迎えたのは、奥州筆頭の右腕である小十郎だった。
「毒？」
そこで聞かされた言葉に、元親は耳を疑った。
この城の主である政宗は、毒をもられたのだと。
何かの冗談かと思うほどに、それはあってはならぬことであったし、ありえぬことであった。
あの男は己を取り巻く情勢をきっちりと把握している。
それにだいたい、政宗が口にするものは、この右腕殿が目を光らせているではないか。
それをかいくぐって毒をもることなど、事実上不可能だった。
不可能であるはずであった。
「・・・まさか」
その不可能を可能にするかもしれぬ一つの考えを思いついた元親が顔を強ばらせれば、小十郎は目を伏せた。
その顔は歪んでいる。
政宗を取り巻く情勢は、元親も知っていた。
母親との関係も。
頭のいい虎のような男だ。
おかしな食べ物なんぞに口を付けるはずなどないと、元親は言い切れる。
「腹を痛めた母が、子に毒を盛るのか」
喉の奥が掠れた。
「何喰ったんだ」
「菓子でございました」
「あいつが」
あの男はそれほど甘いものを好む質ではない。
元親は目を閉じた。
菓子を差し入れたのが母であるというのなら、あの男は好みでない菓子でも食べるだろう。
食べざるをえない。
食べないわけにはいかなかった。
そう、たとえ本能が警報を鳴らしていたとしても、耳を塞ぎ、目を閉じ、あの男は口にいれるだろう。
そのことを、元親は知っていた。
「目は覚めているのか？」
命に別状はないのだろう。
命まで危うくなっていれば、もっと大きな動きが城にはあるはずだ。
城は緊張感で満ちてはいたが、驚くほど静かだった。
目は覚めていると、小十郎は言った。
その言い方が琴線に触れ、元親は目を上げた。
視線で先を促せば、男は拳を握っていた。
＊＊＊
目が、見えぬ？
廊下を先導されながら、元親の頭にあったのは、その短い言葉だけだった。
目が、見えぬ？
政宗の命に別状はないという。
意識もはっきりしているし、内腑にもこれといって問題はないのだそうだ。
代わりに。
目が、見えぬのだ、と。
独眼竜の右目と言われた男は言った。
ちょっと待てとこみ上げた叫びを飲み込むのにどれほど力を要しただろう。
嘘だろう、と、そう叫びたくなるのを抑えるのに、どれほど力を要しただろう。
この男がそのようなつまらぬ嘘をつくことはあり得ない。
「あいつにゃ、左目しかねえんだぞ？」
返せた言葉は我ながら乾いていてどうしようもなかった。
残された左目が見えぬということは、それはつまり。
目から、光が、奪われたということ。
ああ、そんなの、死ぬより質が悪いじゃねえか。
政宗は武将だ。
兵士ではなく、当主なのだ。
光がなくとも、剣を振るうことはできるかもしれぬ。
けれど、軍を指揮することと、剣で死合うことは違う。
あの男は、奥州筆頭伊達政宗だ。
光をうつさぬ目で、どうして軍を率えよう？
治らないのか、とそう問えば。
分からないと小十郎は答えた。
明日にも治るかもしれぬ、けれど治らぬかもしれぬと。
ああ、本当に、ひどい話だ。
案内された障子をあけるのに、数秒かかった。
部屋の中に、光を奪われた竜がいる。
からりと、障子をひらければ、布団のうえに体を起こしている姿があった。
ぼんやりと空をみている。
空を、見ていた。
元親は一瞬、時が凍っているような錯覚に陥った。
自分は本当に、この部屋に足を踏み入れていいのだろうか？
許されるのだろうか？
「小十郎か？」
顔がゆるりと向けられたとき、元親は息を止めていた。
顔は確かに、この自分に向けられている。
瞳は自分を捕らえているはずで。
なのに。
「・・・」
「おい？」
いぶかしげな声に。
吐き気にも似た何かがこみ上げて、元親は口元に手をやった。
こぼれたのは、嗚咽にも似た声。
この身を映しているというのにこの名を呼んでくれぬということ。
「まさむね」
その掠れた小さな呟きともいえる声に。
一瞬動きを止めた政宗は、ゆっくりと唇を動かした。
「元、親？」
名を呼ばれた瞬間、根が生えていた足は部屋の中へと駆け込んで。
元親は布団の上にある体躯の前で膝を折った。
瞼のうえにゆっくりと手を伸ばした。
政宗は目を閉じぬ。
手のひらで目を覆い隠すようにして手を伸ばす。
政宗は、目を閉じなかった。
唇が緩んだ。
元親は息を吐いた。
瞼にふれようかというところでとまった指は、そのまま、男の頬にその手のひらを沿わせた。
「遊びに来たぜ、政宗」
まるで泣いているみたいな声で元親は笑んだ。
「そうか」
返されたその声はどこまでも柔らかく。
ああ、全くひどい話だと元親はその頬をゆっくりと撫でた。
＊＊＊
もともとそこは闇に包まれていた。
月もなく、明かりもない。
夜目が利いたとしても、捕らえられるのは影ぐらいであろう。
そんなことは百も承知だった。
百も承知で、己を捕らえているくせに、己を映さぬその瞳を見たくなくて、その目に布を巻き付けた。
政宗は文句も言わず、元親の好きにさせていた。
元親から触れなければ、政宗は元親に触れようとはしなかった。
手を伸ばして何も触れられるものがなかったら寂しいからなと政宗はいった。
雨の夜に抱き合うのと同じじゃねえかと元親は返した。
今日は月は出ていないが、雨は降ってはいない。
雨で気配が紛れることもあるまいに。
ああそうだなと政宗は唇を弧にして頷いた。
「気配があるのに、もし触れられなかったら、泣きたくなるじゃねえか」
喉で笑いながらそう言った。
手探りで探ろうともせぬ政宗の手を取って、元親は己の体のうえへ、その手のひらを導いた。
「触れただろ」
「ああ。温いな」
「人肌なんだ、当たり前だろうが」
手のひらで輪郭を確かめるようにゆっくりと腹からなで上げられた。
熱の混じった吐息がこぼれた。
心臓の上で止めていた手のひらを動かして、政宗は思いだしたように笑った。
「そういや、テメエに触んのは久方ぶりだな」
「気づくのが遅えんだよ」
足のうえに乗った元親の体に唇を寄せて、政宗は目を伏せ喉の奥で一度だけ笑った。
動けねえからお前が動け、と言った政宗の言葉にしたがって、腰を進めた。
触れている手の体温も、体の奥に感じる快楽も、いつもと同じだ。
いつもとおなじ。
抱いた頭。
布の感触。
喘ぎながら、自らで結んだその布をはぎ取った。
髪に指をいれてかき乱す。
「お前が、抱いてるのは誰だ？」
「自分で腰振っててそれを聞くのか？」
「テメエが誰を見て体を熱くさせてんのか言えよ」
熱く掠れた低い声も。
手のひらの温みも。
体を貫く痛みも同じ。
「お前の瞼の裏に映っているのは誰だ？」
ただ、その目が自分を見ていないだけ。
その目に、自分が映っていないだけ。
「潤んだ目して、真っ赤な舌覗かせて、顔を綺麗に歪ませてるテメエが映ってる」
両手を滑らせて、男の頬を包んだ。
「なあ、お前はどうしたい？」
「どう？」
「お前は竜だ」
「・・・」
「今さら、人にもどれるか？」
「・・・」
「それとも、竜のまま、いっそ死にたいか？」
「・・・」
「なあ、お前はどうしたい？」
互いの鼻がふれるほどの距離で目を合わせた。
そこにあるのは虚ろだ。
「お前は？」
返された言葉は、密やかに囁くように耳にふれた。
「お前はおれにどうして欲しい？」
「・・・」
「ただの人に戻ってほしいか？それとも、竜のまま死んで欲しいか？」
元親は息を吸った。
両の手のひらで己の目を覆った。
「テメエのことじゃねえかよ。おれに、聞くな」
ああ、どうしてほしいか、なんて。
己の眼窩にはまっているこの鬼の目をくれてやってもいい。
だから。
おれを、みてくれよ。
喉の奥でみっともなく懇願した。
ああ、目の奥が痛い。
「ただ人にもどると言ったら？」
「四国の山奥ででも二人で暮らしゃあいい」
「竜のまま死にたいと言ったら？」
「お前を腕に抱いて一緒に刀に貫かれてやるよ」
政宗は元親の体を柔らかく抱きしめた。
ああ、こんなにも合わせた肌は暖かいのに、どうしてこんなにも胸が痛いのだろう。
「もし、このままおれが今まで被った血の臭いも、手にした刀の重みも忘れちまって、使いものにならないでくの坊になったなら、
四国にさらっていってくれ」
「ああ」
「そのまま竜であったことを忘れたら、一緒に刀を抱いてくれ」
「ああ」
「お前の目なんざいらねえぜ？」
元親は顔を歪めた。
くれといったらやるものを。
盲いた竜はいらぬという。
「Kiss me, darling」
顔を覆った手を取られた。
政宗は、目を閉じていた。
己の意志で、瞼を閉ざしていた。
元親は無意識に顔を歪めた。
政宗は取った手の平に唇を寄せて。
「テメエのおかげで思い出した。まだおれの目の中にや、光がある。瞼の裏に焼き付いてる。手を伸ばせば触れられる。
だから、おれはまだ足掻けるぜ？」
お前の目なんざいらねえよと、もう一度唇に乗せた。
「Kiss me , darling. その唇で、触れてくれ」
閉じられたその瞼を、元親は人差し指でたどった。
「お前は、結構しつこいもんなあ」
元親は唇で笑った。
ああ、何故だかどうしようもなく泣きそうだ。
「その光はどんな色をしてるんだ？」
「テメエの髪みたいな銀色だ」
元親はあっはと声を上げ瞬いた。
目から滴が少しこぼれ落ちたが、それ以上涙があふれることはなかった。
静かに顔を寄せる。
引き上げられた政宗の唇をついばみ。
「気の済むまで足掻けばいいさ。テメエのしつこさにや慣れてんだ」
伏せられたその目に口付けを。
「テメエの目からその光が消える最後まで、きっちりつき合ってやるよ」
政宗はかすかに笑った。
「You are my brightness」
その言葉が何を意味しているのか、元親には分からなかったけれど。
闇の中で、ちかりと光が瞬いた。
それは瞳に灯る美しき光。
＝あとがき＝
頭にふってきた話は初めはちょいと違いました。
何時のまにやら道がなくなっていたんです・・・。
ええもう、筆頭と同じように何も見えない。
明日も見えない。
どこで道を見失ったかは分かっている。
夜になってからだ・・・。
とりあえず、筆頭の目隠しプレイと自分から動く兄貴が書きたかったんだけど・・・。
アタイにエロは無理★（超笑顔）
もっとこう本当はこう、さあ！！！（察して下さい）
むしろ誰か代わりに書いてくれませんか・・・（敗北）
この後はたぶん筆頭の目は開眼します（たぶんておまえ）
ええ、兄貴のチューで見えるようになるんではないかと思われ。
愛の力です★（・・・）