翠緑



天下を統一した竜は、隻眼、そして隻腕の男だった。
鬼の一太刀を受けた左腕の傷が深かったことと、何より、鬼がさいごに突き立てた牙が、左腕を繋ぐ筋を傷つけていたのだった。
未練はそれほど感じなかった。


「鬼の首と引き替えなら悪くねえ」


落とされた己の左腕と、鬼の首を持って、その男は奥州の山の中にいた。
一人だった。
川のせせらぎが聞こえる、緑の濃い場所に、首と腕を共に埋めた。
この男のことを想うのならば、海にかえしてやるのが一番だと知りながら。


「悪いが、海にかえるのはもうちょっと待っててくれや」


天下をとるのにかかった歳月十数年。
まとめた天下を整えるためにまた歳月を費やし。
地を駆けたあの頃が思い出すのも遠くなった頃。
独眼竜と呼ばれた男は病に伏した。
慣れた奥州の地で男がいたのは、城ではなかった。
己が育った奥州の山の中。
衰えた体力と萎えた足腰に苦笑しながら、道をたどる。
ああ、ここは変わらない。
世の中は光のように駆け抜けて変わっていったというのに。
男はいつか来たときと同じように、一人だった。
弱った足はそれでも止まることはなく。
遠い日に落ちた左腕の付け根が甘く疼いた。


「ああ・・・」


川のせせらぎが聞こえる。
より緑の深いその場所。
緑に埋まるように突き立てられているのは、いつか鬼に奪われた爪。
鬼が倒れてからあっさりと奥州に下った四国の兵。
城に招かれたとき、竜の爪を差し出しながら鬼の息子は言った。
遺言だったと。
自分が負けたら、貴方に素直に従うようにと。
あの竜は、きっといつか、奪われた爪を取り返しに来るだろうから、と。
ひさしぶりに手にした刀は、丁寧に手入れされており。
胸が痛むことはなかった。
ただ、強い酒を流し込んだときのよう、体の内が焼かれたように熱かった。
その爪は墓標だ。
今はもう、すっかりと緑の一部になっているそれを目にして、男はじんわりと笑った。
その前に腰を下ろして、もってきていた素焼きの瓶の蓋を開ける。
中に入っているのは酒だ。
懐から杯を二つ取り出して、己の前と、塚の前に置いた。
香る芳香。
長い人生の道行きで、相対したのは僅かに二度。
それでも、この体の中に刻みつけられているものがある。
透明な滴で満ちた杯を呷って、男は笑った。


「これでもう、思い残すことは何もねえ」


ざあと風が渡り、梢が揺れる音がした。
男は瞬いた。
破顔する。


「迎えに来てくれたのかい?」


白銀の髪。
己よりも高い体躯。
対をなす目。


三度目の逢瀬。
男を見下ろし、鬼は苦笑したようだった。
「お前なあ」
「An?」
鬼は目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「おれはべつに、お前の左腕が欲しかったわけじゃねえぞ?」
「何を今更。あれだけ盛大に食いついてきたくせしやがって」
「別に左腕を食いちぎろうと思ったわけじゃねえよ」
「じゃあ何だよ?首でも食いちぎる気だったか?」
「できたらよかったが、何分お前の首は固そうだったからなあ」
「What do you want to say?」
男の言葉が分かったわけではないだろうが、鬼は頬を緩めた。
「別に、お前の左腕をもらおうとも、首をかみ切ってやろうとも思ってなかったよ。
ただ、代わりに、テメエの体に傷を残したかっただけさ」
「・・・」


「竜の体に、鬼と戦った証を、このおれが生きた証を、刻みつけてやりたかっただけよ」


男は右手で己のまぶたを覆い隠した。
久しぶりの感覚だった。
血がざわついている。
ああ、子どもみたいに、浮かれているらしい。
古傷の疼きすら、甘やかで。
いつのまにやら身につけてきた体面だとか、落ち着きだとか。
そんなものはいとも簡単に剥がされて。
「・・・So, I know. I know but you are the best」
鬼はへにゃりと眉を寄せて男を見た。
「お前のその、異国語だよな?おれにはわからねえよ」
男は答えることはせずに、唇で笑った。
「海が恋しくはなかったか?」
「まあ、恋しかったけどよ、ここの山も嫌いじゃなかったぜ」
「そうか・・・」
鬼は立ち上がった。
左手を差し出して笑う。
「今まで黙って待っててやったんだからよ、今度はおれにつきあえや」
男は苦笑した。
右手ではその手は取れない。
その想いが顔に出ていたのか、鬼は小さく笑う。
「預かっていた左腕、のしつけてかえしてやるよ」
気づけば、久方ぶりにみる己の左手が衣の袖から覗いていて。
「血の通わない腕なんかじゃ鬼には物足りねえ」
男は声を上げて笑った。
腹の底から、楽しそうに。
「あんたやっぱ、最高にcoolだぜ」
掴んだ手。
握りかえされるその温度。
ああ、何て熱い。
鬼は地を蹴りふわりと浮かぶ。
「今度は四国の酒を馳走してやる」
口笛を吹いて、男も地を蹴った。
「そりゃ楽しみだ」
体は軽く。
縛るものも、縛られるものも、もうこの身には何一つない。
「Hey,元親!」
初めて唇に乗せた名前に、子供のように胸を騒がせている己が面白かった。
「二人で海の果てでも見に行ってみるか?」
鬼は声を立てて笑った。
「それもいいな、政宗」






*あとがき*
病気なら城でおとなしく寝ておきなさいよ筆頭!
でも渋いオヤジになった伊達がこそこそと城を抜け出そうとしている絵面はなかなか可愛いと思います(駄目)
軽やかなステップで二人で世界一周してきてください(・・・)