故人

ざあという水音を聞き取って意識が浮上する。
瞬いて政宗は頭をふった。
ずっと政宗を悩ませていた鈍い頭痛はとれていたが、そもそも何故頭痛なんぞを覚えていたのかは忘れている。
「おいおい、何でテメエがこんなとこにいるんだよ?」
どこか笑みを含んだような呆れたような声がした。
瞬けば、身を取り囲む闇の中にふわりと浮かびあがった白。
その色素の欠落した姿を見て、身を包むここが常闇であることに気づく。
さっきから耳を掠めている水音は側を流れる河のものらしい。
時折漆黒の中に飛沫の煌めきが輝くのが見えた。
どうやら自分は河原に立っているらしい。
そう考えた途端、足の裏に触る石の感触が生々しく浮かび上がってきて、政宗は何故か笑った。
「よう、西海の鬼」
笑みを含みながら呼びかければ、政宗の前に現れた男は、ようじゃねえよ独眼竜と笑った。
「目の前に顔見知りが現れたら挨拶ぐらいはするだろうが?」
そう、それは見知った顔だった。
言葉を交わした相手だ。
刀を交わした相手だ。
そして、政宗がその手で屠った相手だ。
政宗が西海の鬼と呼んだこの男は、まごうことなき人間だった。
けれど、今、政宗の目の前に立つ男の額には象牙色をした角がある。
微かに笑う口元からはこぼれる牙が。
眼帯に覆われていた左目はさらされ、血が凝ったような赤がこちらを見ていた。
己が殺した相手が目の前に現れても、感じたのは恐怖ではなかった。
何故という疑問すら抱いてはいなかっただろう。
「で、ここはどこなんだ、西海の鬼?」
そう問うたのは取りあえずそれが一番無難な言葉だろうと思ったからだ。
命あるときから自らを鬼と称したその白い男は歌うように返した。
「天を昇る独眼竜には縁のない場所さ」
鬼はそう答えて、やけに長い爪のひとさしゆびで額に軽く触れた。
「テメエは変なとこで暢気者だなあ、ったくよお」
在りし日にしたように、戯れで額をついて、鬼は小さく笑う。
「普通焦るとか怖がるとか、いろいろあるだろう?」
怖くはねえのか、と鬼は問うた。
政宗は言葉に出さず、さてと自問した。
「たとえここが地獄だとしても、アンタが出迎えなら怖くねえな」
鬼が佇む河のほとり。
光の届かぬ地の底、或いは海の彼方。
そこは鬼が守る根の国か。
鬼はその右手をゆっくりと持ち上げた。
武器を扱う無骨な手のくせに、その肌が滑らかだったことを知っている。
「地の底に落ちるにゃまだ早えだろうがよ」
するりと手のひらが頬を撫でる。
その感触に政宗は目を細めた。
鬼の手は、いつか触れたときと同じように、思っているよりも温かかった。
「さっさと帰りな、独眼竜」
間近に寄せられる顔。
瞬きもせずにこちらを映すその瞳を見つめていた。

「おれが手放したくなくなるまえに」

密やかな囁きに、思わず喉の奥で笑んだ。
「それはそれで光栄だぜ?」
それはこのときの政宗の本心だった。
紛れもない、本心だった。
鬼はけれど頷くことはせず、ただかすかに笑んだ。

「あいかわらずせっかちなやつだな。

慌てなくても、その時がきたら、このおれ自ら迎えにいってやるよ」














だから。


今はおかえり あの輝かしい空へ。


竜が翔けるべき天へ。


















唇に触れた温度は光射す場所に持ち帰るにはあまりにも儚く。












目が覚めた。
天井が見えた。
空なんてものはそこにはない。
低いくすんだ木目があるだけだ。
瞼を手のひらで覆い隠して。
つかの間の逢瀬に瞬間滲んだ何かをのみこみ、女々しい竜だと、ただ僅かに苦笑した。







根之堅洲国ニ罷ラムト欲フガ故ニ哭ク









*あとがき*
ロマンティック解釈なら夢逢瀬。
戦国的解釈なら臨死体験。
根の国以外にタイトルが思いつかず、根の国といえば古事記!とばかりに古事記を読み返していて、
やはりこのシュールさはもはやギャグであると腹筋を痙攣させておりました。
なぜそろいもそろって男神どもはダメでヘタレなのか!!(爆)