二十六
豊臣との戦は熾烈を極めた。
勝ちを得たのは鬼。
そして、天への先駆けに吠えたのは、奥州の一つ目の竜であった。
***
戦場を駆ける姿を見た。
美しい鬼が、そこにいた。
血しぶきを浴びて輝く銀は、欠片も翳らず。
金色の目を晒して、声高々と鬼を名乗る。
続く鬨の声。
大気が震えるのと同じように、体も震えた。
その輝く姿に惹かれた。
だから焦がれた。
今このときも。
その魂と共に、並んで駆けることが許されるなら。
それに勝る幸せはないだろうと思えた。
***
戦場を駆ける姿を見た。
猛々しく吠える竜がそこにいた。
血しぶきを映して色濃くなる黒の瞳は、ただ純粋に美しい。
余分な熱などそこにはない。
ただひたすらに、天下への道へと注がれる力。
天を貫く猛り。
続く鬨の声。
大地が震えるのと同じように、体も震えた。
その苛烈な気性に惹かれた。
だから心を掴まれた。
今このときも。
その魂と共に、並んで駆けることに焦がれている。
竜の傍らで駆けることを許されるのなら。
それに勝る幸せはないのだと思えた。
***
戦が集結したのち、政宗は元親の陣を訪ねた。
元親は至って気楽に、よう、と政宗を出迎えた。
政宗も笑った。
笑って、こちらもまたいたって軽く。
「Hey,手合わせしようぜ」
元親は政宗を見返したあと、ゆっくりとその唇を弧に描いた。
「いいぜ?」
手にあるのは、木刀ではなく、先ほどまで多くの敵兵を屠った互いの獲物。
冷たくなった風が二人の髪を巻き上げる。
空は高く。
ぶつかった一瞬。
膝をついたのは、竜であった。
そのまま地面に仰向けに寝転がって、政宗は声を上げて笑った。
元親は、獲物を地面に無造作に置いて、政宗を見下ろした。
「ようやく、テメエから一本とれたな」
武器を持っていた手を差し出して、元親は破顔した。
「お前の背中を預ける相手も、おれの背中を預ける相手も、もう埋まっちまってる」
そうだろう、と問われた。だから、ああそうだと頷いた。
互いの背中は、慕ってくれる家臣達に預けている。
「だから」
そこで一度言葉を切って、元親は微かに息を吐いた。
「お前の隣を、おれに寄こしやがれ」
政宗は、顔をくしゃりと歪ませて笑う元親を見た。
偉そうに顎を反らして。
けれど、その唇は微かに震え。
目は深い色を湛えて、時折揺れた。
政宗は唇を引き上げた。
望めば、どこへでも行ける身のくせに。
それでも、隣にいてくれるのかと。
共に駆けることを、お前もまた、求めてくれているのかと。
差し出された手は力強く、火照っていた。
「OK,darling おれの隣はアンタのもんだ。そのかわり」
向かい合って、繋いだ手の甲に口づけを。
「アンタの隣も、おれのもんだ。You see?」
二十七
豊臣との大阪の戦を皮切りに、奥州の竜は天下に名を示した。
苛烈な戦ぶりは、まさしく独眼竜の名にふさわしく、また竜の傍らには、銀髪の鬼の姿があった。
傍らといっても、常に隣に控えているわけではない。
鬼は、一軍を率いて、戦場を駆けめぐっていた。
戦が一段落つけば、鬼は己の国へと引き上げ、一度戦があれば、何も言わずとも、竜の傍らへその身を置いた。
いつからか、鬼の名は、竜の名と並び称されるようになる。
***
それは、天下を統べる道行きの、最後の戦だった。
元親は別働隊として陣を張るために、本陣を発つところであった。
兵達はすでに発っている。
あとに残っているのは元親だけだ。
見送りに来た男は、一人だった。
いつもそうだ。
本陣を離れるとき、元親はいつも一番最後にそこを発った。
何故なら、律儀にいつも、男が見送りに来ることを知っていたからだ。
このときも、政宗はやってきた。
これが最後の戦かと思えば、それなりに感慨深い物があるなあと、元親は笑ってみせた。
政宗はにやりと唇をつり上げて、油断してヘマするんじゃねえぞとからかうように言った。
そりゃこっちの台詞だと言い返して、言葉は途切れた。
互いに唇に何か乗せる訳でもなく、ただ見つめ合っていた。
ああ、もうすぐ、この男と出会って、一年が経つのだと、唐突に気がついた。
もう一年、いや、まだ一年というべきなのか分からなくて、元親は喉で思わず笑う。
何だと聞かれたから、正直にそう言った。
「テメエはどう思うよ?」
そう問えば、政宗は肩をすくめて。
余裕すら感じさせる仕草であっさりと。
「両方だろ」
そう、簡単に言ってくれた。
「お前、それじゃあ答えになってねえだろうがよ」
「十分答えになってると思うがな」
「どこが」
「お前に出会って、もう一年も経った。あっという間だ。焦がれて、無理矢理引き留めて、そのくせビビって、テメエに惚れて」
「…」
ふと、柔らかな笑みをその顔に浮かべて、政宗は首を傾いだ。
「おれにとっちゃ、そういう意味じゃあ、もう、だな」
けれど、と見返す瞳は油断できない色にきらめいている。
「まだまだおれはお前から離れる気にはなってねえ。だから、まだ一年、だ」
元親は声を上げて笑った。
喉をふるわせて。
「随分とまあ、恥ずかしいことを言える野郎になっちまったなあ」
「だったらそれはテメエのおかげだぜ」
「どういたしまして」
わざとらしく言葉を返せば、政宗は鼻を鳴らした。
けれど、目は変わらず笑っている。
馬鹿みたいなやりとりは、元親にとっても愛おしく、ああ、確かにどうせなら、『まだ一年』と言える方がいい。
「なあ」
「うん?」
「この戦が終わったら、おれのところへ来てはくれねえか?」
「…」
突然の言葉に、元親の目は丸く見開かれた。
柔らかい声だった。
一瞬、肌にふれる大気の冷たさも忘れたほどに。
「おれのところへ来いよ」
臆面もなく繰り返される言葉は、どこまでも直情的だ。
ただ、言葉足らずなのは相変わらずで。
もうちょっときっちり言え、と元親は声に出さずに文句を垂れた。
そんな言い方じゃあ、こちらの都合のいいように解釈してしまうと。
「おれの隣が、アンタの場所、なんだろう?」
元親は瞬いた。
瞬いて、己の目を手の平で覆った。
ああ、何てことを言ってくれるのか。
触れた己の肌が熱いのか、それとも手の平自体が熱いのか、元親には分からなかった。
その一言で、またさらわれちまったと。
指の隙間からちろりと見やれば、政宗は面白そうに笑っている。
その余裕じみた顔が癪で、元親ははんと鼻で笑った。
「おれの隣がテメエの場所、の間違いだろ?」
「同じことだろ?」
「…」
「アンタを縛りつけたいわけじゃねえ。ただやっぱり、アンタの側にいてえんだ」
優しい声に、元親は静かに唇を結んだ。
この男の隣に、自分が居ること。
自分の隣に、この男が居ること。
そう、確かに同じことだ。
「そうだな」
元親は俄に胸が満たされていくのを自覚した。
元親は嬉しかった。
政宗は、穏やかな表情で笑っている。
その笑みが向かう先が己だということに。
言葉に出来ぬほどに、嬉しいと思った。
「Please your answer」
「あ?」
ぼけっと幸せに浸っていたら、流暢な異国語で問われ、元親は間の抜けた顔になった。
くっと喉を鳴らしながら、政宗の指が頬を滑り、元親の左目に触れる。
「答えは?」
ふれあいそうな距離に寄せられた顔を見返しながら、元親は唇を引き上げた。
「おれに来て欲しいなら、まずはテメエから四国まで迎えに来な。そしたら…」
言葉の最後は、ふれあわせた唇の中に潜ませて。
元親は笑って目を閉じた。
それから間もなく、伊達家の名の下に天下が統一されることになる。
Love Me Tender End