+綴音+

 考えてみれば、互いの間の距離を埋めようと一歩踏み出したわけでもなかった。
 ただ、ふと思いついたように、隣に手を伸ばしてみただけなのだ。
 国を一つ切り取るのに付き合った鬼は、そろそろ帰るわとそう言った。
 この男が帰途を口にするのはいつも唐突だった。
 だから政宗は驚きもせずに、そうかとだけ返した。
 別段新しく何かがあるわけでもなく日は過ぎ、船にのる元親を見送り来たときにようやく、幾ばくかの感慨が胸に浮き上がっただけであった。
 それは寂しさともいう感情だろうが、寂しい悲しいというよりは、ただ単に、どこか子供じみたつまらなくなるなという不満と、妙に大人ぶったまあ仕方のないことだと割り切る思いがないまぜになったような産物だった。
 後は本人だけが船に乗れば出航だという間際。
 元親は静かな笑みを唇にはいて、なあと問うた。
「An?」
 その声は軽やかですらあった。
「何でと聞くのは、やっぱり今さらかい?」
「……」
 およそ意味の通らない問いではあったが、政宗にとってはそうではなかった。
 そのような問い方をされることなど、一つしかなかった。
「聞いてどうしたい」
 政宗の声も柔らかかった。
 政宗は風に巻き上げられた髪を押さえた。
 波の音がした。
「明確な理由はたぶん、なかったのさ」
 聞きようによっては、何とも白状で身勝手な台詞だった。
 しかし元親は怒ることも、ましてや悲しむこともしなかった。
 ただ、どこか興味深そうな顔で政宗の言葉を聞いていた。
「おれは、テメエに関しては、今の在り方が結局の所気に入ってんだよ」
「……」
「割り切って、一つの型に押し込めたいものじゃねえ」
 元親の唇が柔らかく緩むのが見えた。
「踏み込んだ先を見てみたいとは思わねえのか?」
 政宗は肩をすくめて見せた。
「アンタは?」
 元親は、今度ははっきりと、声を立てずに小さく笑んだ。
 同じようにおどけた風で肩を竦めてみせる。
 政宗は少しばかり嬉しくなった。
「アンタとは、このままでいいと思ったんだよ。物足りなくなったときはそう言うさ」
 元親は顔を伏せた。
「なあ政宗」
「何だ?」
「おれたちの間に、終わりは来ると思うかい?」
 せいぜい真面目ぶった顔を作って、政宗は唇を開いた。
「そこが問題なんじゃねえか」
「あ?」
「終わりがくると思うなら、こんなに暢気にかまえてねえだろ。おれもアンタも、戦ばっかりやってるってのによ、なんでか、今がずっと続くような気がするのさ」
 政宗は引き寄せられるようにして、元親との間にあった距離を詰めた。
 手を伸ばせばすぐ届く。
 互いの瞳に、互いの姿を映しあって。
 政宗はふと、口元で笑んだ。
「アンタに関しては、な」
 元親は小さく息をついて甘やかに苦笑した。
 今度は互いに目を閉じた。
触れるだけの口づけを。
この間と違うのは、互いに目を閉じていたことだけで、相変わらず色気の欠片もなかったが、それはまあ不可抗力だ。
触れている理由は情欲からではなかった。
名前なんて知らない。
馬鹿がつくほど単純に、触れ合いたかっただけだ。
友愛というにはどこか物足りなく、かといって、身を焦がすような愛情ではない。
ただ、互いだけだと。
そう思っている。
その事実が、何よりも尊く、胸を満たし。
 時折、この体を突き動かすのだろう。
 触れた唇が柔らかな弧を描いて笑んだ。
 温度が離れていく。
 潮風に撫でられた唇が少し冷えた気がした。
「またな」
 ひるがえる背に、片手を上げて別れにかえて。
 政宗は遠ざかる船を見送った。















過ぎ去った雷音の残響が、低く微かに響いている。
その緩やかな波は、体の中で反響して、消え去ることはなく。
結局、離れられずに、時折戯れのように、その残響に手を伸ばしてしまうのだろう。