+心音+
戦場は耳に対して常に派手な場所だと元親は思う。
元親は自分が戦場という場所にいることについては、何の疑問も抱いてはいなかったが、『この』戦場に何故自分がいるのかということについては、多少の疑問を覚えている。
疑問というよりも、それはどこか諦観の念すら含んだ確認かもしれなかったが。
不快に思っているだとか、この戦に参加することは嫌だとか。
更に言えば、どうしてこの戦場に自分がいるのだろうという疑問すら、いつもの自分であれば、一切浮かび上がってこないのだろうということが、改めて考えてみると結構不思議だと元親は小さく笑った。
一体これはどういうことなのか。
微かに目を伏せて笑んでいる元親を、政宗が面白そうな目で見やっている。
それに答えるようにして、元親は顔をあげた。
「まさか、これも狙ってた、なんて言わねえよな?」
この戦をしかけた張本人。
これは伊達と北条の戦場であって、同盟を組んでいるとはいえ、長曾我部とは本来関わりのないはずの戦だった。
何故なら、政宗はこの戦に関して、元親に助力を請うてきたわけでもないし、元親がこの時期に奥州へ来たのも、偶然だったからだ。
戦を前に片目を光らせている竜を、目を眇めて見れば、政宗は唇を綺麗な弧につり上げて、一度息を吐いて笑った。
「偶然さ」
まあ実際、政宗の言うとおり偶然なのだろうが、楽しそうに紡がれる声が、わざとらしく聞こえるのはどうしてなのだろうかと、元親は考える。
「ま、テメエがいるあいだに準備ができたら、誘う気ではあったがな」
眼下にそびえ立つのは、ついこの間、二人で見上げて北条の巨大門。
今か今かとその瞬間を待ちわびながら、どこか満足そうな色をふくんだ瞳が己の姿を映している。
「どうせなら、暴れていくだろう?」
質の悪いガキだこいつは。
元親は言葉に出さずに内心で笑った。
「テメエにかかると、戦もまるで喧嘩に行くみてえに聞こえるな」
政宗は肩をすくめた。
「そりゃアンタのせいだ」
「あん?」
「アンタと並んでると、お堅い気分はどっかへ飛んでっちまうのさ」
アンタはどうだい?と。
じつにふてぶてしい流し目を寄越されて、元親は瞬間、目を丸く見開いて、一度瞬いた。
政宗の表情に、一瞬、言葉にできぬほどの興奮と歓喜が映り込むのが見えた。
「Perfect!」
異国の言葉を認識した瞬間、眼前で、盛大な花火。
そびえ立つ壁をあっけらかんと吹き飛ばす、情緒の欠片もない爆音。
元親は弾かれるようにしてそれを見た。
難攻不落と言わしめた城を守る門に穿たれた穴。
「行くぜテメエら!遅れんじゃねえぞ!」
上がる鬨の声。
大気を揺さぶる振動。
その中心にいる男。
「Hey元親」
挑戦的に笑むその表情を目にして、元親は己の唇がまた、目の前の男と同じように弧を描いていることを自覚した。
「遅れんなよ?」
「誰に言ってやがる」
体の底からふつふつとわき上がってくるこの感情は、この男が感じているのと同じ興奮と歓喜。
何に対してのなんて、考えなくても知っている。
声を上げて高らかに笑いたい。
どうしてなんて問いは、いとも簡単にどこかへと飛ばしてしまえる。
そう、つまりはそれだけのことでしかないのだろう。
突き抜けるような興奮を、共に甘受するのがこの男であること。
そして、この男の隣が、一等自分は気に入っているのだということ。
普段意識の表層にのぼらないほど自然に、この身の底に馴染んでいる。
それさえ分かっていればいいのだ。
きっと、この男も同じことを思っている。
声に出して笑いたかった。
だから元親はそうした。
笑う。
「おれもガキだな」
元親の隣で政宗は、ようやく気づいたのかと、鼻で笑った。
***
城の中を上へ上へと駆け上る。
目の前に開けた場所。
槍を構えて声を上げているこの城の主を認めた元親は、ありゃとまことに間の抜けた声をもらした。
敵の大将を目の前にしているが、肝心の男がまだこの場にはいない。
「あんにゃろう、どこで油うってやがる」
己がすさまじい勢いで天守を目指し敵をなぎ倒してきたことは棚上げにして、元親は舌打ちをした。
ここまで来ておいて引き返すのも何とも馬鹿らしいが、大将首を目の前にして、手持ちぶさたに待っているのもこれまた馬鹿みたいだからだ。
しかし元親から動くわけにもいかず、さてどうすっかなあと困ったように頭をかいたところで。
ふと、唐突に、元親は顔をあげた。
反射的に体が感じ取った気配。
わざとらしくため息を吐いてみせる。
「随分早かったじゃねえか、元親」
「テメエが遅いんだよ」
「そりゃ悪かった」
悪いだなんて欠片も思っていない声。
横に並んだ独眼竜は、まだ元気に声を張り上げている北条氏政を見やって目を微かに丸くした。
「何だ、首獲ってなかったのか」
元親はじろりと横目で政宗を睨んだ。
呆れまじりの元親の視線に、けれど政宗は動じることもなく、むしろ面白そうな目で元親を見返している。
元親はもう一度息を吐き、眉を引き上げてご期待に添えるように語気を荒げてやった。
「これはテメエの戦じゃねえか。おれが、あの首を狩るわけにはいかねえだろうがよ」
左手で髪をかき上げて、元親は政宗のかかとを足でこづいた。
「このおれが気遣ってやってんだからよ、とっとと行けや」
気遣いねえ、と喉をふるわせて政宗は笑う。
その笑い方が癪で、元親は今度は結構力を込めて、その足をもう一度蹴り飛ばしてやった。
六本の刀を操る竜が地を駆ける。
その様を、少し離れた場所から、露払いをしながら見物していた。
刃がぶつかる。
跳ぶ。
懐に飛び入り。
その姿を視界の端に収めながら、元親も武器をふるっていたからだろうか。
何故か男の心臓の鼓動が聞こえたような錯覚。
どくりどくりと脈打っている。
それは確かに自分の心臓の音であった。
けれども、同時に、自分の心臓の音ではないように元親には思えた。
脈打っているのは己の心臓でしかないはずなのに。
この感覚は一体何だ?
ただ、どうしてか、唇は無意識に弧を刻んでいた。
どうやら自分は笑っているらしい。
共鳴している心臓の音。
体温が上がる。
皮膚の下を血液が音をたてて流れていくのが分かる。
まったく、何てことだと。
元親は内心で両手を上げた。
いつか触れた男の唇を思い出した。
隙間唇を無くふれ合わせたあのときほど、混じり合いようのない他者として、あの男のことを認識したことはなかった。
だというのに。
瞼の裏で青い稲光がちかりと光ったような気がした。
振り返れば、地面にゆっくりと崩れ落ちる大将の体が見えた。
心臓の音、呼吸が重なる。
首だけで振り返った政宗がこちらを見た。
元親は右手で目元を覆った。
全く、笑ってしまうほどに、互いを側に感じているんじゃないか。
互いを隔てる境界なんぞ知らない。
元親は顔をあげて首を僅かに傾いで見せた。
「お前よ、今、ちょっと物足りなかったとか思ってるだろう?」
政宗は面白そうに片眉を上げて、唇を緩めた。
「よく分かったな」
脈打つのは二つの心臓。
それがどこに在ろうとも、きっと刻む音は同じだ。