The First


元親が政宗という男の姿を視界に収めたのは、二年前の戦が初めてであった。
当時15才だった彼は、父親である国王に連れられ、隣国との戦争で初陣を飾った。
それはそのまま、彼を次の王位継承者とする、皇太子としてお披露でもあった。
その戦は元親にとっても初陣のようなものだったので、今でもよく覚えているのだ。
一騎士として、初めて戦場に出た初陣はもっと前へと遡れたが、「家」を継いでから、
つまり、指揮官として出陣した戦というのは、これが初めてだったのだ。
皇太子殿下の初陣はつつがなく終わった。
元々小競り合いにも等しい戦だった。
まあ、だからこそ国王は若い皇太子の初陣として選んだのだろうが。
ともかく、その場には元親もいたのだ。
遠目に見た政宗の姿は小さくて、はっきりいえば、それほど記憶に残っていない。
しかし、この初陣の後から、この政宗という名は、軍、特に若い兵を中心に広がっていくことになる。
皇太子は、都に常に置かれる二つの師団の長をつとめる。
それは王を守る第一の盾になるべしということからであるらしいが、実際はお飾りである場合がほとんどだ。
ほとんど、という言葉どおり、何事にも例外はある。
その例外は、政宗の父である現国王と、政宗本人である。
ここ二年、政宗はうまく王の影にひそんできた。
状況が変わったのは、ここ数ヶ月のことだ。
それは元親などの爵位の低い貴族や、一騎士には知り得ない変化。
王宮の奥深くうごめく影。
王の体の不調が報じられ、それらは表面化した。
まあ、王宮内部で、ではあったが。
先にも述べたが、本来ならば元親には預かり知らぬことである。
いくら家を継いで、爵位を得たとはいっても、元々の階級は低いのだ。
国を動かす云々などと言った話とは、元々縁遠いし、元親自身、そのような役目に執着もなかったし、分不相応な野望も持ち合わせていなかった。
はっきり言ってしまえば、興味がないのだ。
元親にとって大事なのは、今の国王が元親の家を保証してくれているということ。
そして、その外交手腕、戦上手から、他国と上手く渡りをつけているということ。
この二点である。
この二点の事柄故に、元親は国王のことを信頼していたし、騎士として軍にも入った。
今でも、命令が下れば、よろこんで前線へ向かう。
つまり、元親の意識は貴族の一人としてというよりも、一騎士として、国へ、ひいては今の国王へ忠誠を誓っているのだ。
騎士の一人として王の容態を心配はしたが、それ以上の関わりなどない。
はずであった。
それが、王宮の奥、渦中の皇太子殿下の部屋へと向かっているのは何故なのか。
はっきりいって、元親自身よく納得していない。
二年前の戦から元親を気に入り、よく面倒を見てくれている上官に呼び出され連れて行かれた、国王の傍らでこの国を切り回す大貴族の屋敷。
そこで元親は、今この王宮内でちらほらする、皇太子を巡る黒い影について聞かされ、護衛としての職を、直々に頼まれたのだ。
頼まれたとはいっても、こちらに拒否権などはない。
ただ、何故自分なのかという疑問だけは口にした。
爵位をもっているとはいえ、元親は今までの人生の大半を、下町ですごしていたからだ。
皇太子殿下の護衛につけるなら、それこそ身分も立派で腕も立つ騎士を考えるのが順当なのではないか。
国を動かす人物に、真正面からそうずばっと問い返せる人間はそうそういないが、元親自身は己のそのような気質については無自覚であった。
そういうところを、上官や、今日初めて顔を合わせた渋い笑みを口元にうかべた男もまた気に入ったことを。
彼はかすかに笑いながら一言でもって、元親の問いに対する答えを返した。
「信がおけるのはもちろんのこと、あとは、そうさな」
にやりとそこらへんの貴族が逆立ちしてもまとえない迫力と、少しの茶目っ気すらも含んだ笑みを浮かべて。
「憎めないふてぶてしさが欲しかったのよ」
元親は何とも言えない顔をして、ただ黙って騎士の礼をとった。
そんなわけで元親は、うるさい師団の詰め所でも練習所でもなく、静かな王宮の廊下を一人歩いているというわけだ。
元親は別に、貴族としての己に対してはそれほど執着を感じていなかったし、価値があるとも思っていなかったが、
代わりにこの国の一騎士としては、それなりの自負と誇りは持ち合わせていた。
皇太子自身については、個人的な面識も、強い思い入れもないとはいえ、それでも次にこの国を継ぐ男である。
一騎士として、命が下ったのならば出来る限りのことはしようとは思っていた。
別にそれ以上でもそれ以下の思い入れでもないと元親自身は思っていたが、
後に、自分は皇太子殿下という存在に、それなりに夢というか罪もない憧れめいた期待を抱いていたのだということを自覚させられることになる。
得てして、淡く美しい幻想の存在に気づくのは、それが木っ端みじんに破壊されたあとである。
元親は皇太子殿下の部屋へつき、呼び鈴を鳴らした。
そこは小姓の控えの間で、そこから次の間へと取り次がれることになっている。
普通は若い貴族の子弟がつく役ではあるが、元親を取り次いだのは、髪を後ろに流したいかめしい顔の男である。
どう少なく見積もっても、元親よりは年上であるし、兄弟というよりは親子に見えるほどの年の差を感じる男であった。
「テメエが元親か」
案の定、声は低いバリトンで、さぞや女にもてるであろうとらちもないことを考え、元親は感心した。
「話は聞いている」
顎で促されたその仕草を、入っていいってことだなと解釈して、扉を開けて元親は奥の前と足を進めた。
部屋の奥にある飴色の机。
そこに悠然と腰掛けたその姿は一瞬元親が動きを止めてしまうほどの、泰然とした雰囲気を纏わせていた。
膝の上で手を組み、まっすぐにこちらをみる目に、一瞬、何かに貫かれたような気さえした。
威嚇しているわけではない。
そんな気負いなどこの男には必要ないのだ。
ただ、初対面の人間を視界に認めている、それだけのことに過ぎないのだ。
さすが皇太子殿下、と元親はこのとき、素直にこの男の初印象について感心した。
ぼうっと立っているのも馬鹿みたいだと気づいて、とりあえずまずは挨拶をしようと唇を開きかけたそのタイミングで。
男の唇が滑らかな動きで音を紡いだ。
何故「音」だと思ったのかと言えば、元親には男の唇から紡がれたそれを言葉として認識できなかったからだ。
いや、「言語」であるということは知っている。
知っているが、それは所謂古典語である。
城勤めの学者ならばとにかく、一介の騎士を自負している元親は知るはずもないものだ。
「は?」
元親は思わず皇太子殿下相手に、ぽかんと唇を開けて聞き返していた。
男の口元には、年齢に似合わない、けれどその男自身いは妙に似合っている皮肉気な薄い笑みを浮かべた。
「ウドの大木、と言ったのさ」
それから元親に対しての興味は失ったのか、机の上にある分厚い本に視線を落とす。
ただ、書物に完全に意識がむけられるまでの僅かな間。
ちろりと寄越された視線は確かに元親を捉え。
形のいい唇は確かに、笑みを刻んでいた。
続けられた台詞は今度こそ、元親にも理解できるものであった。
が、何の慰めにもならない。
元親は気がつけば己の唇が笑みを刻んでいるのに気がついた。
無自覚に噛みしめた歯は疼いたし、唇の端がひくりと痙攣しているのが分かる。
一瞬抱いた男に対する敬意なんざ紙に丸めて全力でなげすててやりたいと元親は思った。
しかし、元親は一介の騎士でしかなく、また一度受けた命を嫌だと言えるような男でもなかった。
一度引き受けたことは最後まで果たす。
それが元親という男だった。
なので、逃げだそうとは思わなかったのだが。
「せいぜいおれの視界を遮るだけしか能がない木にならないようにだけしてくれよ。OK?」
こんのクソガキが!!と、内心で盛大に罵ることは止められなかったのだが。