ⅩⅡ In blue
久しぶりに足を踏み入れた政宗にとっては我が家である城は、相変わらず冷ややかに、ただ静かに政宗を受け入れた。
暖かみなどないと思いながら、けれどその冷たさが身になじむのもまた事実だった。
城は静かだった。
政宗が飼っていた占い師はやはり、少し前に死んだのだという。その占い師を守るように城に残してきた近臣たちも。
そして、星に一番近いと言われていた一番上の兄もまた、死んだのだという。
星を追いかける道すがら、崖から足を滑らせて落ちたらしい。
あの冷静で酷薄な兄が、あっけなく。
今、王の子供たちで生き残っているのは政宗一人だと告げられたとき、政宗は密やかに笑った。
全く、よくできた話だ。
星はもうすぐ城にあがる。新しい王が玉座にのぼる。それだけを告げて、玉座の間及び城の中枢の人払いを命じた。
だから今、この城は酷く静かだった。
もうすぐあの男はここにくるだろう。
星を、女を誰にも渡さぬために。
玉座の間に続く回廊、その大きな扉の前で、政宗は待っていた。
そして、王宮には似つかわしくない、簡素な旅装の二人が、物怖じもせず、緋色の絨毯を踏みしめてやってくる。
政宗は剣を抜いて唇を引き上げた。
「王家の人間は互いの身を喰らいあって血を繋いできた。その女を手放したくなかったら、おれを越えて玉座に座るがいい」
男はうなずく代わりに剣を抜いた。
肌をちりちりと焦がす緊張が支配する。
政宗は両手を上向けた。
「毒蛇の巣へようこそ?」
***
負けてやろうなんぞ思っていなかった。
一度目とは違う。決着をつけるためにあつらえた場だ。 男を斬り伏せたならば、女を奪ってそのまま玉座に座るつもりだった。
政宗の背後で、扉が鈍い音をたてて閉まるのが分かった。
は、と荒い息を吐いて、震える膝にどうにか力を込める。
負けてやろうとは思っていなかった。
純粋にぶつかって、政宗は負けた。
二度目の勝負では、あの男の力が政宗のそれを上回った。それだけのことだ。
閉まった扉のその向こうで、男は玉座に座るだろう。
あの男もまた、身を噛む味を覚えるのか、そうでないのかは、政宗の預かり知らぬことだった。
あの男は政宗を殺さなかった。
が、それはまあ、まだ死んでいないというだけのものだ。
とりあえず少なくともあばらが何本か折れている。
内臓がはみ出るまではいっていないようだが、胸だか腹からは血が流れ出している。
「Ah,空が、見てえな…」
唇からこぼれた声は妙に掠れていて、己ですら一度も聞いたことのない声だった。
視界が一瞬暗くぼやけて、膝からくずおれた政宗は苦笑した。
天井近くに作られた天窓は小さくて、そこからのぞく空は小さかった。
政宗が見たい空は、そんな石枠に押し込められた青じゃない。
どうにか壁にもたれ掛かって、上体を起こしたまま、政宗は一度目を伏せた。
長い時間が過ぎた気もすれば、ほんの一瞬でしかなかったような気もする。
どれくらいの時間そうしていたかは分からない。
名を、呼ばれた気がした。
つられるようにして意識が浮かび上がる。
瞼を持ち上げて、政宗はゆっくりと瞬いた。
甘い吐息がこぼれる。
胸に満ちた喜びのままに破顔する。
望んだ、憧れた空がそこにあった。
「負けたのか」
濃い空の青。
その瞳に政宗だけを映して、元親は政宗を見下ろした。
ⅩⅢ With blue
予感のようなものがあったのかもしれないと、後から元親は思った。
それは政宗が声をあげて笑ったときかもしれない。
剣を下ろして星を見送ったときかもしれない。
だから、アンタとはここまでだと言われたとき、元親は心の底で観念したようにも思える。
あの男とぶつかったそのときに、政宗の中で何かが決したのだろう。
元親はそれを感じていた。
観念したのは、政宗の顔が、ひどくさっぱりとして、穏やかだったから。
空に還りなと告げたその顔が、諦めたことすら知らぬような、物わかりがいいだけのものだったら、元親とて頷かなかっただろう。
テメエのもんじゃなかったのかという言葉は実際、悪あがきだった。
悪あがきでしかなれないことを、元親自身分かっていて、それでも黙って頷くことはしたくなかった。
別に政宗が死にに行くとは思っていない。
そんな儚い神経なら、とっくの昔にこの男は安らかな死を選んでいただろう。
死にに行くのではない、決着をつけに行くのだと、元親は思った。
星を城で待つと告げたその意味。
星を求める旅が終わりを告げる。
思い返せば、人生の短い道行きを共にしただけだ。
それでも、鮮烈に刻みつけられたものがある。
だから、元親は柄にもなく悪あがきをしたくなった。
この男が惜しい。
いらないと言われて、思わず眉を下げれば、声に出して笑われた。
その楽しげな声がしゃくに障ると思いながらも、元親はそれ以上何も言うことができなかった。
「アンタには空が似合うさ、海賊」
そう、この男は最後まで元親を海賊と呼ぶ。
だから、結局のところ自分たちは違う道を歩いているのでしかなかった。
分かっている。
だから惹かれた。
元親に残されている言葉は、船は後でもらいに行くからなという、情緒もなにもない台詞だけだった。
振り向きもせずに駆けて行ったその背中はやはりどこまでも一人で。
元親は一度空を見上げて、目を細めた。
そして政宗とは反対側、街へと馬を駆けた。
***
二人と時間をおいて城へ足を踏み入れたのは、そこに立ち合う権利はないと思ったからだった。
が、突き詰めればそれはただ単に、あの男と政宗がぶつかって、
どちらかが敗れる瞬間を見たくなかっただけなのかもしれない。
政宗の背を見送ったあと、元親は二人を追いかけた。
街から王都へと続く街道、街の出口で張っていたら、二人を見つけることができた。
二人と共に、元親は王都まで来た。
この日の空はどこまでも高く青く。
城には人の気配がなく、元親は堂々と赤い絨毯の上を歩くことができた。
階段をのぼり、城の一番奥へと続く長い廊下を歩いた。
その先。
目に入ったのは、大きな扉などではなかった。
古い立派なそれに比べれば、ちっぽけなだけの黒い影。
壁にもたれ掛かるようにして動かない。
元親はぐっと歯を噛んだ。
駆け寄ることはこらえて、歩みの速さを変えぬまま、元親はその影に近づいた。
全身黒の衣装。
夜の闇に溶けることもできる男の上に、天窓から差し込む陽の光がちらちらと舞っている。
結構な怪我を負っているのは、見ただけで分かった。
が、まだ息はあった。
元親は目をとじたその顔を見下ろして、ゆっくりと唇を開いた。
「政宗」
政宗の瞼が震えて、ゆっくりと持ち上がる。
静かな瞳が確かめるかのように瞬く。
元親を認めて、その唇はほころび、密やかな吐息をこぼした。
目を細め、頬をゆるめて、腹が立つほどに綺麗な微笑をその唇に刻む。
元親は己の拳がぎりぎりと固くしまるのを自覚した。
元親は懸命に耐えていた。
でなければ、それこそ柄にもなくみっともなく。
声を上げて叫びたいくらいに。
泣いて両手をあげてしまいたいほどに。
この瞬間、元親は歓喜したのだ。
その夜の海のような瞳が元親を認めたことを。
元親を受け入れたことを。
けれどそんな歓喜など欠片も表になど出さず、元親はせいぜい偉そうに上から政宗を見下ろしたまま、あっさりと言ってやった。
「負けたのか」
「見りゃ、わかるだろ」
返される声は掠れていたが、痛みなど感じさせず飄々としていた。
「壁と仲良くひっついて、何してんだ」
「さて?お前こそこんなとこまで何しに来たんだ」
唇を引き上げて、瞳をきらりと光らせて政宗は元親を見あげた。
「とどめでもさしに来たのか海賊?」
あっさりと、簡単にそんなことを言ってくれる。
だから元親もあっさりと、顔色一つ変えずに頷いてやった。
頷くとは思っていなかったのか、ほんのわずかにその瞳が見開いたのが分かって、元親は内心で溜飲を下げた。
けれど。
「それも悪くねえな」
物分かりよく体の力を抜いた政宗に、元親は眉を跳ね上げてみせた。
握りしめていた拳を解いて、腰に手をあてる。
「馬ー鹿。何勝手に勘違いしてんだ。おら、とっとと立て!」
「Han?何のつもりだ」
政宗は眉を寄せたが、元親は気にしなかった。
放っておけば死ぬような、そんなやつにわざわざとどめをさしにくるほど自分は慈悲深い人間などではない。
元親が動く理由は単純だ。
「前にアイツらを船で運んでやった報酬をもらいに来たのさ」
「……」
「おれは、テメエをくれって言ったんだ」
政宗と分かれたあと、元親は星を追いかけた。
二人と一緒に王都まで来た。
そして、二人に、前はいらねえと言ったが、やっぱり報酬もらっていいかと言ったのだ。
政宗と戦って、もしお前が勝ったのならば、とどめはささずに、その命をおれにくれ、と。
「アイツらは頷いた」
勝負は時の運だ。
二人の剣の腕はどちらも一流だ。
だから、どちらが勝つかなんて考えを巡らせるのは時間の無駄でしかなかった。
政宗が王となったなら、約束通り船をくれよと笑えばいいだけだ。
もし負けたなら。
「テメエは負けた」
「ああ」
「だから、テメエはおれのもんだ」
胸が熱かった。
「テメエの命は、おれのもんだ。誰がとどめなんかさしてやるか馬鹿野郎。文句は受付けねえからな」
この男は分かっているのだろうか。
どちらが負けてもおかしくなかった。
どちらかが死んでもおかしくなかった。
けれど政宗はまだ生きている。
生きて、その瞳で元親を見ている。
それを、どれだけこの自分が貴いと思っているか。
「んなとこで寝転がってんじゃねえぞ。分かったならとっとと立て、手下その一!」
「手下?」
元親は尊大に胸を張ってみせた。
「おうよ。おれが誰か忘れたのか?海賊だぜ?テメエは新しい船の乗組員第一号さ。ありがたく思いやがれ」
じっと元親を見上げていた政宗は、唇でかすかに笑んで、目を伏せた。
「皇子から一転、海賊に成り下がるか」
否、と元親は笑った。
「自由になんだよ」
目を上げた政宗のそれと元親のそれが交わる。
政宗は一度その言葉を抱くようにゆっくりと瞬いて、ふと笑んだ。
「言っとくがなあ、テメエに拒否権はねえんだぜ?何とか言えよ、皇子さま?」
からかうように返事を待った。
政宗は肩をすくめた。
「おれの命はアンタのものなんだろう?だったらアンタの好きにすればいい」
その冷えた声とあっさりとした言葉に、元親は顔をゆがめた。
元親はとどめをさしに来たわけじゃない。
そして、政宗が一人納得して、空よりも遙か遠い彼方へ旅だってしまうのを見送りに来たわけでもなかった。
元親は悪あがきをしに来たのだ。
星を求めることが、生きることだと、己が在るということだとそう言った男を、惜しむために。
さて、と政宗は己のその体を見下ろして首を傾いでみせた。
「立とうにも力が入らねんだ。手を貸せ、海賊」
元親は瞬間、この男を殴りとばしたい衝動にかられた。
ついで、力の加減もせず抱きしめてやろうかとも思った。
けれど、開いた唇は元親の意に反して震え、取り繕うことも忘れて、元親は肩を落として言った。
「……偉そうだぞ、テメエ」
何とも情けない声で、どうにか元親がそう言えば。
政宗はにやりと笑ってこう言った。
「元皇子様だ、諦めろ」