Ⅸ ある女たちの言
あなたは私を愛してくれた。
愛してくれただけだった。
私にただ一つを求めなかった。
私はそれだけでは満足できない女だった。
だから、私にはあなたではだめだった。
あなたにも、私ではだめだった。
あなたは私を愛して、けれどその愛をおいて空へと還る。
私のために全てをくれない。
心の一番奥は、私ではない何かのためにとってある。
無自覚に優しい、あなたのそんなところが憎たらしかった。
でも、振り返ってもくれない、そんな背中を愛してる。
だから、さよならを言うわ。
私は欲張りな女だから。
あなたを追いかける翼があればよかった。
Ⅹ 優しい歌が歌えない
その男は、母を同じくする弟と、丁度同じ年の、片方だけの血のつながった弟だった。
この男は特に、政宗を目の敵にしていた。
政宗の母親と、その男の母親は、同じ頃に王のもとへと嫁いできた。
政宗の母は早々に政宗を身ごもったが、その男の母は長い間、子供ができなかった。
ようやく子供が授かったと喜んだ直後、政宗の母もまた、懐妊した。
女の恨みつらみは、政宗の母と弟にではなく、何故か政宗に向けられた。
一度だけ、あの男が教えてくれたことがある。
「私は、あなたとあなたの母上への妬みからできているのです」
男は泣きそうな顔で、けれども綺麗に微笑んで、そう言った。
振り返れば、その会話が一番、静かに、ある意味兄弟らしく言葉を交わせたもののような気がした。
弟だった男を貫いた剣を片手に、その己よりも華奢な亡骸を横たえた。
金色の髪、甘い顔立ち。
似ているところなど何一つない。
誰も、自分たちが兄弟などとは思いもしないだろう。
けれど、自分たちは確かに、同じ生き物だった。
「テメエとそいつは違うだろうに」
言葉とは裏腹に、元親は別に政宗を責めているわけではないことは声で分かった。
そう、元親は、政宗の行ったことを責めてはいないのだろう。
その声はむしろ、宥めるかのように優しい。
「こいつも、肉を噛む味を知ってる。そうでないやつらは、死んでいったやつらだ」
目を伏せて、唇に浮かべた笑みは、無自覚に柔らかなものだった。
「自由になって幸せだろうよ」
こぼれた言葉は意図したものではなく、故にそれは政宗自身明確に自覚していない本音だった。
まさか、そんなことを問い返されるだなんて、思わなかったのだ。
幸せじゃないのか、なんて。
しあわせだとか、しあわせじゃないとか。
考えることすら、思ってもみない言葉だった。
そんなものは所詮主観だ。
けれど確かに自分は今、幸せという言葉を唇に乗せていた。
自分は、しあわせじゃないのだろうか?
静かな声が、政宗と、自分の名を呼ぶ。
何のしがらみも肩書きも関係なく、いつだって政宗自身を見つめて呼ぶ。
「本当は、肉を噛みたくねえんだな」
政宗は一瞬、呼吸の仕方を忘れたかのように、喉の奥で息を詰めた。
ほろ苦く笑む。
右手に抜き身のままの剣を持ったまま、左手を伸ばした。
指先に触れた体。
その首の根本に、顔を埋めて。
思い切り、少し汗の匂いがする肌に噛みついた。
噛みついたそこには血がかよっている。
どくどくと脈打っている。
塩辛さが舌をじんとしびれさせる。
それは生々しい生の証。
いつでも、何でもない顔をして、簡単に人の内側に入り込んでくる。
ひっかき回して荒らすわけでもなく、するりと当然のように入ってきて、風のように吹き抜けていく。
政宗は顔を上げて、笑った。
酷い男だ。
毒蛇の目には過ぎたものを見せる。
青い空も、夢も、幸せも。
政宗は今まで願ったことはなかった。
手を伸ばしたいだなんて、思ったことなどなかったのに。
「アンタは時々、その身に喰いつきたくなるほど愛しいことを言う」
思ってしまった。
その肌に触れたいと。
どこまでも自由で、優しくて酷いこの男に。
思えば、出会ったその時から、子供みたいにわがままに、自分は手を伸ばしていたなと、ふと思った。
ⅩⅠ Silver Shine
きらりと目の奥を灼いたいつかの銀の輝きが脳裏を掠めた。
自分に何人、血のつながった兄弟姉妹がいたのか、政宗は知らない。
さかのぼれる限りの昔の記憶ですらすでに、告げられる誰かの訃報の意味を理解していたような気がする。
政宗にとって死はいつも身近にあった。
あまりに身近だったから、政宗は幼き頃より明確に、『生きよう』と考えてきた。
政宗が生まれ落ちたのは毒蛇の巣。
政宗の守をしてくれた強面の男は、その中で喰われないための駆け引きを、知識を、生きる術を、
そして、剣術を政宗に教えてくれた。
誰かに狩られる前に貴方が狩るのです、と真剣を政宗の心臓に突きつけて、静かに彼は教えてくれた。
政宗の剣舞を見た貴族たちは、何とも優美なものだと誉めそやしたが、実際政宗の剣は、どこまでも実戦用だった。
守の男が与えてくれた言葉と鋼の輝きを、政宗が初めて噛みしめたのは、十一のときだった。
初めて肉を噛んだその相手は、二つの血が繋がった、己よりも五歳も幼い弟だった。
政宗は七歳の頃に病を患った。
恐ろしいそれによって、三日三晩高熱でうなされたあと、政宗の右目は爛れていた。
使い物にならなくなり、眼窩から迫り出した眼球。
母は、そんな政宗を見て、不快気にその美しい柳眉をひそめた。
そして母は、政宗をかえりみなくなったのだ。
母には幼い弟の世話があると、政宗も気にしないようにつとめた。
昔は、政宗を可愛がってくれた母親だった。
学問も剣術にも打ち込んだ一つの理由は、母のその態度の変貌があったからかもしれない。
そして運命の日がやってくる。
六歳の弟が、政宗に凶刃を向けたわけではなかった。
凶刃を用意したのは母だった。
弟がそれを薄い笑みを浮かべて見ているのを知ったとき、政宗は弟を殺すことに決めた。
弟の命を狩るのは簡単だった。
目を極限まで見開いて、弟は縋るように、迫り出した政宗の眼球を、眼帯ごと引きちぎった事切れた。
母は、気が狂ったように政宗をなじったあと、飛び出した先で、階段で足を滑らせて死んだ。
兄弟姉妹は何人もいたが、母とも血が繋がったのはその弟一人だけだった。
政宗は、己が属する世界が常ではないことに気づいていた。
お忍びで城下に降りれば、いくらでも普通の、しあわせな家族を見ることができる。
うらやましいと、一回も思わなかったと言えば嘘になる。
けれど、政宗はだからといって、己の生まれを恨んだりすることはなかった。
嘆くことも。
たまたま、政宗の人生がそのような星のもとに定まっただけだ。
死はいつも身近にあった。
だから政宗は、明確に『生きよう』と思った。
王の系譜は常に一つ。
星を求めて互いの肉を喰らう二頭の毒蛇。
政宗は決めたのだ。
弟を殺そうと決意したときに。
弟の血を浴びたときに。
別に政宗は王になりたいわけじゃなかった。
けれど、誰かの肉を噛んだのなら、自ら舞台を降りるわけにはいかない。
これからも誰かの肉を噛みつづけることを。
星をこの手につかむまで。
***
元親のおしゃべりなところは変わらなかった。
雨が降ろうと、風がふこうと。
政宗が皇子だろうと。
政宗が、弟の一人を殺したあとでさえ。
それはそれ、これはこれというようなその態度は、まことにあっさりさっぱりしている。
元親のその態度に、心の中で確かに安堵した己を、政宗は苦笑して受け入れた。
休憩のために岩の上に腰をおろして水をあおりながら、元親は雲の切れた空を見上げた。
その顔が楽しげにほころぶ。
「なあ」
元親は空を見上げたまま言った。
「お前が王様になったらよお、一回空にでてみねえか?」
「…海賊、言葉が矛盾してるぞ」
呆れた政宗の声など、元親は欠片も気にしない。
「お前がすげえいい船用意してくれるんだから、ちゃんと礼はしなきゃだろ」
「礼っつうか、見せびらかしたいだけじゃねえのか」
からかうような政宗の言葉に、元親は否定も肯定もせずに、空を見上げたまま唇で笑った。
「馬もいいが、空もいいぞ」
風を感じて目をすがめるその横顔につられて、政宗も空を見上げた。
青を切る鳥の翼が見えた。
無意識に唇がほころんだ。
「な?ちょっとでも空にでてみたくねえか?」
顔を横に向ければ、瞳を輝かせた顔がそこにあった。
俄然乗り気になっているその様子から、元親が本気なのだということが見て取れて、
政宗は珍しく、すぐさま唇に乗せるべき言葉を見つけられなかった。
子供みたいに輝かせた瞳。
空の青が政宗を見ている。
「風を感じるのは気持ちいいぜえ?」
熱心な勧誘に、政宗は覚えず苦笑した。
素直に頷いたのは、山裾から見上げた反対側の空が、余りにも高く、果てがないように見えたからかもしれない。
「アンタがそういうなら、そうなんだろうよ、海賊」
「そんでもって遠乗りにもいこうぜ」
「……」
大地に縛られず空を行く海賊は、いつだって、まるで何でもないことのように、立てかけられた柵を飛び越えていく。
政宗の瞳をまっすぐに見つめて、元親は楽しげに笑う。
「お前がまだ走ったことのない丘をよ、走りにいこうぜ」
政宗は瞬間どう声を発すればよいのか分からなくなった。
政宗がまだ走ったことのない丘を走ろうと、いとも簡単に言う。
瞼の裏に、いつか丘の上で風に吹かれて空を見上げた元親の横顔が蘇った。
この男といると、いつだって青い空が見えた。
無理矢理仰向かされて突きつけられると言った方が正しいのかもしれない。
けれども、政宗はそれが不快ではなかった。
見上げた空は、ただそこにあって、元親を見下ろすのと同じように、政宗を見下ろしていた。
いつのまにか、空を見上げることを覚えてしまった。
空の青を、その色を、刻まれてしまった。
政宗は泣きそうになっている自分に驚いた。
次いで、そんな自分に声を上げて笑いたくなった。
毒蛇は実は、ロマンチストだったらしい。
ああでも、星に恋いこがれたような始祖だから、そう考えれば確かに、確実に血は受け継がれていると納得した。
「馬鹿か、あんたは」
政宗は馬鹿にしたように鼻を鳴らして笑った。
「王になってそんな時間があるわけねえだろ」
「王様って一番偉いんだろ?何でもし放題じゃねえのかよ」
すっぱりと返されたその答えに、政宗は思わず半眼になってしまった。
「…アンタ、国王を何だと思ってんだ?」
自由な男といえば聞こえはいいが、究極の自儘男のような気がした。
なるほど。女にもてるわけがない。
政宗は思わずこの男を愛した女に同情を寄せてしまった。
こんな、最後には空に還っていくような男。
なにが質が悪いかって、本人自身、分かっているようで本当のところは分かっていないところだ。
この男は、心の底から、何かを求めて欲しがることがあるのだろうかと、政宗はふと思った。
この、自由な空以外に。
***
これが星か、というのが、政宗が初めてその女を、星を見たときの感想だった。
探し求めてきたはずのものを目の前にしても、心は躍ることもなかったし、血が騒ぐこともなかった。
丁度山を迂回したあたりのところ。
視界の端に、街を囲う壁が見える。
あの街を越えて、数日行けば王都がある。
いわば裏道ともいえるこちらの道には、街が見えてもなお、政宗たちのほかは人の姿はない。
男の瞳が政宗の姿を認める。すと、その顔から柔らかさが削ぎ落とされる。
いい顔をする、と政宗は思った。
横目で隣の元親を伺えば、元親はどこかあきらめたかのようなあっさりとした顔で、政宗を見返した。
元親が口を開く前に、政宗は言った。
「どうせテメエは手伝う気はねえんだろ?」
元親は肩をすくめた。
その態度に苛立つ心はなかった。
星を捕まえるそのときに、元親の手は期待していない。
そう、今の政宗は、それでもいいと、そう思ったのだ。
政宗は、元親に何かを命じたいわけではなかった。
元親に、命に服従して欲しいわけではなかった。
だからむしろ、あっさりと政宗のその言葉に肯定を示して、剣にふれようともしない元親の態度に、政宗は笑みさえ浮かべた。
二人に向き直って、政宗は剣に手をかけた。
その瞬間に、男が女をかばうように前へでる。
いい反応だ、と政宗は笑みを深くした。
「その顔じゃ、何故で自分たちが追われてるのかわかってるな。今更名乗る必要もないだろうが、おれは政宗。
テメエが背にかばってる女に用がある。その女は王家が焦がれる星だ。その女を置いて失せな。
星はテメエにゃ無用のものだろ」
返答などわかっていて政宗は問うた。
ゆっくりと剣を抜けば、男は唇を引き上げて、鮮烈に笑った。
「確かに、星ってやつはおれには無用の長物だがな、こいつは無用じゃないんでね!」
男の手には輝く剣。
男の目は、政宗のそれを射たまま外れない。
女は心配そうに男の背を見たあと、唇を引き結んで後ずさった。
何の戯れか、元親が政宗に聞いた。
「手伝わなくていいのか」
政宗は振り返ることもしなかった。
その静かな声に、内心で思わず笑う。
今更、何を言うのだろうか。
命じられて、素直に従うわけでもあるまいに。
「アンタの役に立たねえ腕なんざいらねえよ。それに、星を求めてるのはおれで、アンタじゃねえ。
おれの手でつかむさ」
「…そうかい」
元親が静かに頷いたのを、まるで合図にするように、二つの体が近づいて、甲高い鋼の音を立てた。
よけいな音が何もないここは、その音はよく響く。
政宗は機嫌よく片頬で笑んだ。
星が空に還ったことで、心からよかったと思えたことが一つあった。
星を探しに出てから、自分と互角に打ち合える相手に、二人も出会えた。
身を守るための手段でしかなかったはずの剣だと思っていたが、そうでもなかったらしい。
力を尽くして剣を合わせること。
そこにあるのは、ただの政宗という個の存在だけだった。
むき出しの個がぶつかりあって、削り合う。
そのときに散る火花の熱さを感じるその瞬間は、嫌いではなかった。
それは政宗に剣を教えてくれた守の影響かもしれない。
元々は王の近習だった男は、その剣の腕を王に愛された男だった。
その男も、今はいない。
三年前に、政宗をかばって死んだからだ。
なんだからしくもなく感傷的になってやがるな、と政宗は苦笑した。
手の届くところに星があるからだろうか。
視界で輝く鋼の煌めき。
男の剣は南の地方独特のものに、亜流の動きが加わっている。
大がかりな動きが多いがいわばそれは疑似餌のようなもので、つられて踏み込めばそこで終いだ。
男の瞳が驚いたような色を浮かべ、それはすぐに燃えるような強い色に変わる。
それはしかし、焦りではなかった。
政宗は突如手首を翻して男の剣を絡めとった。
男が目を見開いたそのときには、政宗は男の剣をはじき、そのまま男を斬ればいいだけだった。
何故そのときだったのか、政宗自身もわからない。
剣を止めたのは、無意識だった。
突如脳裏に閃いた既視感が疑問となって政宗の手を止めさせた。
刃を突きつけられた状態の男は、驚いたように政宗を見返していた。
政宗は目をすがめた。
男の顔を見る。
唐突に脳裏に浮かびあがった、肖像画で見ただけの、行方不明となった姉の顔。
「…テメエの母親の名は?」
よくわからないままも素直に男が答えたその名を認識したその瞬間、政宗の中で赤い光が瞬いた。
それは一度だけ目にした星の光。
剣をおろして、突如声を上げて笑いだした政宗から男をかばうように、女が飛び出してくる。
政宗の持つ剣が恐ろしくないわけもなかろうに、政宗に向ける目は揺れることなく、政宗をはねつけた。
女が、星が、政宗を拒む。
ああ、そういうことか、と政宗は理解した。
王位継承権は、王の子供たちに等しく存在する。
王の子供たちとは、そのとき生きている王の直系の子孫のこと。
この国の王は星が選ぶ。
何のことはない、星はもう選んでいたのだ。
この女に宿った瞬間に。
毒蛇の血を引きながら、互いを喰らいあうことを知らぬこの男を。
自分たちはなんて道化なのか。
分かっていた。
星と血に振り回されるだけの生。
政宗はこのとき初めて、占い師が語った言葉の意味を理解した。
確かに。何て哀れで、愛おしい者たちだろう。
「テメエは王になりたいか?」
「それがこいつと一緒にいるために必要だというのなら」
「女のために玉座を目指すか」
「あんたらも同じだろ」
しがみつく女を背にかばって、体一つで剣を持つ政宗の前に立ち、おそれもせずに政宗を見返して、男は言った。
「星を手に入れるために、王になりたがってる」
政宗は思わず破顔した。
その通りだと、思った。
自分たちは王になるために星を求めるのではなく、星を己の物にするために玉座を求めているのだ。
星の輝きに魅了され、星を地に堕とした始祖のように。
政宗は剣を収めた。
男がいぶかしげに眉を寄せる。
「行きな」
この先の街を過ぎれば、王都はすぐだ。
ここはふさわしい場所ではない。
玉座に座る者を祝福するには。
「城で待っててやる」
緋色の絨毯が敷き詰められた、華やかでけれど冷たい、まるでそれは石牢にもにたそここそがふさわしい。
星を求める旅はもうすぐ終わるだろう。
それはほんのつかの間の。
二人を見送ることについて、元親は何も言わなかった。
ただ、こちらの胸の内を探るように政宗の目を見ていた。
政宗は唇をゆるめて笑った。
「海賊、いつかアンタは、王族以外でも王になれるのかと聞いたな」
「ああ」
「どうやら、あの男はおれの甥になるらしいぜ?」
元親は片眉を上げた。
「甥?」
「肖像画で見ただけの、行方不明と言われてる姉と顔が似てる。名前も同じだ」
政宗は目を伏せた。
「つまり、そういうことなんだろうよ」
何故か心は穏やかで、唇には微笑が浮かんだ。
「女にこんな盛大に振られたのは初めてだ」
星と血に振り回される生だと思っても、腹は立たなかった。
悔しいとも、何故か思わなかった。
あの男の言葉は真実だろう。
星を手に入れるために玉座を欲しがっている。
けれど、今、政宗の胸にきらめく輝きは、あの美しい赤い輝きではなかった。
しばらく道を馬には乗らず歩いて行った。
街の入り口へと向かう道と、王都へそのまま伸びる道との分岐点。
政宗は元親を振り返った。
「さて、アンタとはここまでだ」
さらりと告げたその言葉を、もしかしたら元親はどこかで予期していたかのようにも思えた。
小さな驚きに見開かれた目が、どこか諦観の色を映してるようにも見えた。
「空に還りな、海賊」
「……」
元親は小さく舌打ちをして、頭をがしがしとかいた。
「おれはテメエのもんじゃなかったのかよ」
出会った日に政宗が突きつけた難癖だったが、元親のその言葉が、政宗は少し嬉しかった。
そこには確かに、酷い男の情があるように思えた。
「だから言うのさ。もうアンタはいらねえよ」
元親が情けなそうに眉を下げたのをみて、政宗は思わず声に出して笑ってしまった。
怒るならまだしも、そこでどうしてそんな顔をするんだ。
そんな顔をしても、それでもこの男は政宗を止めやしないだろう。
「アンタには空が似合うさ、海賊」
アンタに言った言葉に嘘はなかった。
アンタに向けた言葉は本音だった。
誰もがアンタのように自由に生きているわけじゃない。
その自由さに、憧れを抱いているだなんて、ろくでもないことに気づいてしまった。
案外、夢は簡単にみれるらしいということも。
空が好きだと言ったその言葉につられて、馬で駆けるのが好きだと言ってみたら、それだけで世界が少し広く感じられた。
行ったことのない丘を、馬でこの男と一緒に駆ける。
夢を見ることなんて、きっとそんな単純なことなのだろう。
勝手に与えられたものが、きらきら光って、胸の中にあふれてる。
「だから、空に還りな」
元親は少し、不機嫌そうな顔をして、視線を逸らした。
どこか拗ねたようにも見える顔だった。
空を愛するこの男が、何故今まで空に戻らずつきあってくれたのか。
それが自分に対する情からなのだと、少しはうぬぼれてもいいらしい。
それが分かっただけで十分だと思えた。
馬で駆けるのが好きだと言ったそのときに、いいなと笑ったその顔が。
政宗が走ったことのない丘を、共に走りに行こうと笑ったその顔が。
政宗の胸の中で、一等光る貴石になった。
強烈な光に目を灼かれたそのときからこの身は囚われたまま。
一心に大地を駆けて探してる。
焦がれたそれは、星と呼ばれる輝き。
真昼にも輝く美しい銀光。