Ⅲ under the star sky




 手足となれ、と言われたとおり、元親はとりあえずまず文字通り皇子殿下の『足』を探すことになった。
旅支度を調えろと言われたのだ。何せ二人とも身一つだったからだ。
 港まで乗り付けていた馬はもはや使い物になるまいと政宗はあっさりと切り捨てた。
 政宗を罠にかけた連中は、どうせあの爆発だ、死んでるとぬか喜びしてるだろうから、せいぜいそう思わせておくと事も無げに笑った。
 そんなわけで、元親はなるべく目立たぬように町の中心ではなく、一番外側に形成された闇市に向かった。
不許可の怪しげな露天が立ち並ぶそこは、夜になり、町の門が閉じられようが関係なく賑わう場所だ。
 質の良さは保証できないし、馬鹿みたいな値段をふっかけられるが、大概の物は手に入る。いかがわしいものすらも。
 用があるという政宗を置いて、元親は闇市で旅の用意を調えていた。
 軍資金はもちろん、政宗もちで、たっぷりと銀貨を渡されている。
 海賊にあっさりと銀貨を渡すなど、ある意味正気の沙汰ではないと元親が呆れれば、銀貨ごときでどうこういうほど吝嗇ではないとさらりと返され、元親は脱力した。
「持ち逃げしてもいいが、蛇は執念深いんだ。そのときは地の果てまで追いかけて、利子込みできっちり取り立ててやるから、やるなら覚悟してやれよ?」
 にやりと唇を引き上げ、目をのぞきこんで笑むこの男の言葉は、まったく洒落に聞こえなかった。
 別に逃げる気もなかったが、あったとしても、その目が笑っていない物騒な笑顔で吹っ飛んでしまうだろう。
 元親は行く先々の港で顔が利くが、歓楽街やここのような闇市でも同じくらいに顔が利いた。
 とはいえ、今回は目立つと拙いだろうという配慮から、頭に布をまき、銀髪を隠して、元親はなじみの店へと足を向けた。
店内が雑多としておりなおかつ暗かった。
 仲介を生業とするそこは、頼めば何でも流してくれる。
 店の主は、ひっそりと入ってきた元親を認めて、おやと目を丸くした。
「お前、天国に旅立ったんじゃねえのかい?」
 元親は肩をすくめてみせた。
「まだ雲より上に行く気はねえな。つうか、耳が早いな。もうここまで噂が届いてんのか?」
「あれだけ派手な花火をあげといて噂するなっつうほうが無茶だろうよ」
「まあそうだわなあ」
 それについては反論できなかった元親だ。
 暗殺謀殺にあるまじき派手さである。
「舎弟連中がお前さんを見たら泣いて喜ぶだろうよ」
「…だれか来たのか?」
 一度唇を閉じた後、元親は静かに問うた。
「いや。ただそう思っただけさ」
「…そうか」
 元親は静かに呟いたあと息を吐いた。
 顔をあげ、主に向かって用件を切り出す。
 元親はそれ以上、仲間たちのことは口にしなかった。
 主もそれ以上は問おうとはしなかった。
 そこから先は客と店主の会話だ。
「足の速い馬ねえ」
 足の速い馬を二頭という元親の望みに、旅支度のほうはすぐにでも都合はつくが、と主は眉を寄せた。
「急ぎなんだろ?」
「ああ。無理は承知だ。そんかわり礼ははずむぜ」
 前金がわりにと銀貨を卓にのせれば、主はからかうような目を元親に向けた。
「珍しく気前がいいじゃねえか。一山あてたか、ヤバイ仕事にでも手をだしたか?」
「珍しくは余計だっつうの。海賊家業なんざヤバイ仕事で一山あてる仕事だろ?」
 にいと笑んでみせれば、主は違いないと頷いた。
 銀貨を素早く懐にしまって、主は頷いた。
「ま、お前さんが無茶言うのはいつものことだからな。どうにかしてやるよ」
 後で来な、との言葉に手を上げて謝意を示して、元親は店を出た。
 政宗と待ち合わせていた、酒を出す酒場とも言えない粗末なテントを訪ねると、政宗はすでにそこにいた。
 隣に滑り込んだ元親が、酒を注文するのを待って、一言、端的に告げる。
「この町にゃ星はもうないみてえだな」
「……」
 元親は酒を煽って、取りあえず反射で飛び出そうになった、ないのかよ!という声をどうにか押しとどめた。
「…お前、自信満々に乗り込んできたくせに」
「あのときはまだアンタのとこにいると思ってたからな」
 そうあっさりと頷いて、政宗は元親を上目でみやった。
「で?足は調達できたのか?」
 元親は肩をすくめた。
「たぶん、どうにかなるだろうよ。普段の倍の値段を置いてきたからな」
「ならいい。とりあえず早くこの町をでる」
 元親は横目で政宗をみやった。
 もう日は暮れ始めている。馬を得たころには、すっかり日は暮れているだろうに。
「夜に動くのか?」
「ああ。夜道は怖いか、海賊?」
「夜の空を行くのは嫌いじゃねえが、夜道は勝手を知らないんでね」
 からかうような笑みを含んだその声に、元親はこれまた軽口で返したが、それはまるっきり戯れだけの言葉ではなかった。
 だが、夜道は危険だなんて正論を口にしたところで、政宗の意見は変わらないだろう。
 その程度のことを分からないような男ではないはずだ。ならば、何か考えがあるからなのだろう。
 所詮元親は政宗の『手足』だ。
 目的を抱いているのは政宗なのだから、政宗が考えればいい。
 それに、まあ二人の腕があれば、夜盗に身ぐるみ剥がされることもそうそうないだろうという自信もあったから、それ以上元親は口を挟まなかった。
「Ha!海賊ってのは陸じゃ案外正論を吐くんだな」
「お前、海賊を何だと思ってんだ」
「安心しな、ちゃんと人だとは思ってるぜ?」
「最低レベルじゃねえか!」
 それこそ最低レベルの言い合いは、けれど不快な物ではなかった。
 こちらはそれこそ海賊だ。軽口を叩くことは嫌いではない。
 けれど、政宗は皇子だ。
 その皇子と海賊の自分が、軽口をたたき合って、今にも崩れそうなぼろいテントのなかで、安い酒を並んで飲んでいる。
 それでも、政宗の纏う気配は、軽口をたたき合ってもなお、どこかひやりとした冷たい緊張感が薄膜のように包んでいて、
このような界隈に似合いの無法者たちとは違う存在であった。
元親は気にせず酒をかっくらっていたが、それこそ、狭いテントの中、他の客が政宗の隣に腰を下ろさないように。
 じろりと、背の低い店主がこちらを見やる。
 元親は肩をすくめて、代わりに酒をもう一杯注文してやった。
 二人で酒をなめることしばらく。
 元親はそろそろか、と政宗を促した。
 音もなく立ち上がった政宗と連れだって店を出れば、空は太陽の残り火で焦がされていて。
 今夜は星が綺麗に見えそうだと、元親が唇を思わず綻ばせる傍らで、隣の男はそんな元親を揶揄するように笑んだ。
「血の色みてえに綺麗だな?」
「…お前な、言うにことかいてそれかよ。貴族ってやつは、おれら以上に風流ごとに細かい連中だと思ってたがな」
「綺麗だって褒めてるじゃねえか」
 にやりと、見る者の目を釘付けるかのような力のある鮮やかな笑みを浮かべて、政宗はそう言った。
 そのまま馬と荷物を用立ててくれた店へ行った。
 用意された黒駒を見て、政宗は満足そうに馬のたてがみを撫でた。
 店主に礼を言って、さらに銀貨を渡し、二頭の馬を引いて町に背を向ける。
 町から離れれば明かりもない。
 星明かりだけを頼りに走った。
 確かに元親は夜目もかなり利く方だが、我ながらよくついて行けたものだと思った。
 先を行く政宗の背には暗さに対する躊躇も迷いもなかった。
 まるで道など見えなくても分かるとでもいう風に。
 どれくらい走っただろうか、ふと、前を行く黒駒の足が止まる。
 側にそびえ立つものは、どうやら巨石らしかった。
 今日はここで休むと、皇子殿下はおっしゃった。
 野宿をすることについて、元親に異存はなかった。
 そうかとあっさりと頷いて同じく馬を下り、荷を下ろす。
 石の裏側に回り込んで馬を休ませ、少し離れた所に並んで腰を下ろした。
 剣はすぐ取れる位置に。
 元親も新しく剣を手に入れていた。
 政宗が寄こしたのだ。剣を持たせていいのか、と問えば、政宗は剣を使えない手になんぞ用はないとこう言った。
 元親が剣を向けても、斬り捨てられるという自信があるのか、
それとも、小指の先ほどでも、政宗の信用を得ているのか、元親には分からなかったが。
 護衛、というよりも露払いを期待されているのだろうなと元親は解釈した。
 空を見上げながら水を飲んで、元親はなあと唇を開いた。
「星ってなんなんだ?」
 おそらく元親を巻き込んだ嵐の中心にあるもの。
 国を動かす者達を捕らえているもの。
 政宗が求める、ただ漠然と知っているその『星』という存在。
 興味本位といえばそれまでだったが、政宗は気を悪くした風もなかった。
「星は星だ」
「いや意味わかんねえよ」
「わからねえか」
「その説明で分かったら、わざわざ聞いてねえ」
「それもそうだな」
 戯れのようなそれに、もしや話したくないのだろうかと元親は思ったが、政宗は言葉を続けた。
 空を仰ぐその横顔を眺めていなければ、この男が側にいるのか分からなくなりそうだ。
 先ほどまで纏っていた冷えた緊張感はなりをひそめて、今はただ、夜の気配に紛れている。
 不思議な男だと元親は思った。
「星ってのはこの国の象徴。言うなら、王の証だ。もとは天に輝いていた星だと言われている」
 視線の先で示された、空に輝く星を追って、元親はへえと感心の声をこぼした。
「すげえな!空のお星さんをつかんだのか!」
「…そう伝わってはいるな。大層美しい輝きなんだとよ」
「そりゃ、こんだけキラキラしてんだ、綺麗だろうよ」
「その星が、今回は女にくっついたらしい」
 元親は瞬いた。
 話の流れがすぐに理解できなかったのだ。
「星って人間につくものなのか?!」
 思わず声をあげれば、うるせえよと言われ、元親は悪いと肩をすくめた。
「まあおれも人につくなんて話は聞いたことはなかったが。前の王のときは指輪についてたしな」
 星そのものを見たのは、その指輪から離れたときが初めてだという。
「空に還ったと思ったら、今度は女についたとこうだ。人につくなんざ、面倒くせえことこの上ねえがな」
 ああなるほど、と元親は頷いた。
 元親が拾った二人連れの片方。政宗の言葉から、星に関係があるとは思っていたが、まさか星そのものであったとは。
「星って、引きはがせたりすんのか?」
「一度ついた星は、王が死ぬまで離れない。面倒だって言っただろ?」
「女見つけたらどうすんだよ」
 政宗は目を眇めながら何でもないことのように続けた。
「星は王の証だからな。所有してこそ王として認められる。女についたってなら、王妃にでもおいてしまえばいい」
「……」
 仲睦まじい二人組の様子を思い出して、元親は唇を閉じた。
 あれはどう見ても恋仲だ。
 政宗の考えるそれは、つまり、二人の仲を裂くということだ。元親は思わず顔をしかめた。
 それに気づいたのか、政宗が静かに先を促す。
「何だ?」
 他人の人生に、無粋に土足で踏みいることに、躊躇いを覚えないその言い様が、元親は言ってしまえば気にくわないのだった。
 そういえば、己のときもそうだったなあと反芻して、少しばかり首を傾ぐ。
 もしあのとき、元親が首を横に振り、差し出されたその手をたたき落としていたら、この男は元親の首を貫いたのだろうか。
「お前よ、女にふられるかもとかは、少しも考えてねえだろ?」
 政宗はにやりと笑った。その小憎らしい笑みは、暗い視界でもよく分かった。
「Ah,ふられたことがねえからな」
「自慢かテメエ」
「いや?事実を述べただけだぜ」
「嫌味以外の何物でもねえよ!」
「アンタのほうはいい友達で終わるタイプってやつか、海賊?」
 元親はぶすりと唇を引き結んだ。
「…うるせえ」
図星だったからだ。
 元親は男女問わず人には好かれるが、それ以上、つまり恋愛とかそういったものになると続かない。
 好いた女はいたが、彼女たちは皆苦笑して同じようなことを言った。
 貴方には私じゃ駄目なのよ。私にも、貴方じゃ駄目なの、と。
 彼女たちの言葉の意味は分からなかったが、元親はそれ以上言葉を続けることもなく、そうかと言うしかなかった。
 今でも、その言葉の意味は分からない。
 この男がふられたことがないというのも腑に落ちない。
 が、まあ確かに、強烈に意識を惹かれるというのは、分かる気がしなくもなかった。
「お前よお、しかしそういう考えはあれだ、海賊と同じだぞ?」
「ならず者も権力者も、考え方は同じようなもんだ。なあ?」
 元親は今度こそ呆れてお手上げとばかりに両手を上げて見せた。
 それを見た政宗は、面白そうに密やかに笑った。
 交代で少しずつ眠った。
 日の出とともに起き出して移動する。
 旅はおおむね順調だった。
 移動の間、元親は思いつくままに口を動かしていた。
 星を手に入れるとはいうが、どうやって星を見つけるのか。
 政宗の答えは、魔法使いか占い師に探させるというものだった。
 他力本願じゃねえか、と声をあげれば、腕のいいヤツを飼えるかどうかも立派な力なんだよと政宗は言った。
「王を選ぶ星探しは、お抱え占い師の腕次第ってわけだ。とはいえ、明確な場所が分かることなんぞ滅多にないからな。
出された結果を得てどう動くかはそれぞれの判断になる」
「おれが女を拾ったってのも、その占いってやつで分かったのか」
「ああ。あと方角も出てたからな。あそこらで一番でかい港に目をつけて追いかけてきたのさ」
「んだよ、博打かよ」
「口が悪いぜ海賊。飼ってる占い師に連絡をつけるのにも手間と時間はかかるからな。まあだからどうしてもこっちは後手後手になるのさ」
「何だ、お前も運任せじゃねえか」
 政宗は唇をつり上げて、皮肉げな笑みを刻んだ。
「Ya,運さ」
 北の港で用事があると言っていたのも、占い師と連絡をつけていたかららしい。
 死んだと思わせておくさと言ったとおり、しばらく旅路は静かなものだった。
 その占い師が言うには、どうやら星は東へと向かったらしい。
「けどよ、占いでだいたいとはいっても居場所がわかっちまうなら、もう他のやつらに出逢っちまってるんじゃねえの?」
「その可能性はないわけじゃねえが、しばらくは大丈夫だろう」
「何でだよ」
「星が女についたってことを、まだ感づいてないだろうからな。どうせ女が持ってる装飾品か何かについてるとでも思ってるだろうよ」
 過去に例がないからなと政宗は言った。
「じゃあ何でお前は女についたってことが分かったんだよ」
「占い師の腕の差だろ」
「じゃあ腕がいいんだな」
「腕の良さと比例して人格は破綻してるがな」
 元親はそれ以上占い師について質問するのはやめた。
この男に人格を破綻していると言わしめる男など、想像しただけで背筋が寒くなったからだ。
 丁度政宗と旅をするようになって三日ほど経った頃のことだった。
 キャラバンのお抱え占い師を通じて、政宗は競争相手が一人減ったことを知った。
「一人死んだらしいな」
「死んだ?」
「二番目の兄だ」
 その瞳がぎらりと輝く。
獰猛な、けれども静かな笑みを浮かべて、政宗は元親を振り返った。
 その瞳に浮かぶ強烈な光に胸が騒ぐ。血が、騒ぐ。
 死を語る唇で、瞳には鮮烈な生を浮かべる。
質の悪い男だと元親は思う。
 だから興味を抱いてしまう。
 そう、元親は本来、束縛されることを厭う人間だ。
 縛られるのは性に合わない。
 元親は航海を、空を愛してる。
空を好むのは、空には果てが見えないからだ。誰も空を縛れないからだ。
だから、他人の生に干渉しようとする力に関して、元親は敏感だった。
 その点でいえば、人の生を物かなにかのように口にするこの男は、
どうあがいても気にいるはずがなかったのだが、気にくわないと思いつつも、旅路を共にしている。
 ある意味屈辱的ともいえる、手足となれと言い放ったこの男の言葉に頷いたのは、矛盾を矛盾と感じさせない、
言ってみればその強引さにあてられて惹かれてしまったのかもしれない。
「一番上の兄に手をだして、逆に返り討ちにあったらしいな」
「あれま」
「これで目出度く一人脱落ってわけだ。足の引っ張り合いから自由になれて、あの男も喜んでるだろうよ」
 その声には皮肉の色はなかった。
 あっさりとしたそれはけれど、どこまでもこの男の心からの言葉に思えて。
「Han?」
 政宗は僅かに首を傾いで、問うように元親を見返した。
 唇が穏やかな弧を描いている。
瞳は元親と陽の光を映してきらりと輝いた。
凪のように静かな空気が男を包んでいる。
 その微笑は美しかった。
 心が震えるほどに、美しかった。
 この男にとっては、兄弟の死を語ることは特別厭うようなことではないのだ。
 そのことに気がついて、元親は頬をかいた。
「なんつうかよ、すげえ家族だな」
 元親の胸を掴んだ微笑を風に紛らわせ、馬鹿なだけさ、と言い切った政宗は、唇を歪めてもう一度言った。
「王族ってのは、馬鹿な生き物なんだよ」
 そういえば、この男はよくこういう言い方をする。







Ⅳ skyblue eye




 城にいる占い師からの言葉を信じるのならば、星は東へと向かっているらしい。
 政宗自身には、占い師や魔法使いたちが持つような力はなかった。
 政宗はそのような不思議な力は何も持たずに生まれてきたが、そのような力がこの世界に満ちていることは知っていた。
 現に、空に輝く星ですらも地に堕ちたのだ。
 王族は必ず一人は占い師か魔法使いを手駒として飼っていた。
 でなければ、星を探せないからだ。
 星を得られなければ王にはなれぬ。
 王にならねば、王の子供たちの大半の前に待つのは暗き死だ。
 星の加護と相容れぬのか、王家の血には、不思議な力は生まれない。
 政宗一人では、星を追うことすらできぬ。
 そう、自分たちは、一人では玉座にすら座れない。
 自分にはどうすることもできぬ力に依存することでしか、望むものを手に入れられない。
 己自身でできることは、同じ血の流れる身体を喰らうことだけだ。
 不思議な力を持つ者たちは、王家の人間に協力的な者が多い。
占い師は言う。
 自分たちは世界を見るだけ、聞くだけ、感じるだけだ、と。
 魔法使いたちは言う。
 自分たちは世界と契約をするだけだ、と。
 自分たちもまた、理に縛られる存在なのだと。何かを成そうとあがけるのは、ただ人だからなのだと。
 だから、星を得ようとあがく貴方がたが愛おしいのだと、彼らは淡い微笑を浮かべる。
 双頭の蛇を紋章に持つ王の子供たち。
政宗は王になりたいわけではなかった。
 ただ、王になることが、生きることと同じであっただけだ。

***

 当たり前の話だが、それまで政宗は海賊と呼ばれる人間と交流を持ったことなどなかった。
 都の悪所に出入りしたことはあったが、都には大きな港はなかったから、船が止まっていることもなかったのだ。
 政宗にも胡散臭い知り合いはいる。
 占い師、魔法使い、香具師、薬売り、旅芸人。
 けれども、元親はその誰とも印象の異なる男だった。
 それが元親という人間故なのか、海賊だからなのか。
 たぶん、前者なのだろうと政宗は思う。
 目的の星に追いつけないこと以外、旅そのものは順調だった。
 他の兄弟たちからの妨害もないし、天候にも恵まれていた。
 元親はよくしゃべる男だった。
 その軽口はけれど、憎まれ口というほどでもなく、本当に気ままなもので、まるでこの道行きが、目的のないただの旅のように思える。
 元親はよく、これまで行ったことのある町や山、海、遺跡などの話をした。
 実際、元親の話は興味深くもあった。
 忘れられた遺跡なんぞ、政宗には縁のない話だったからだ。
 話し方も上手いのだろうが、何より、その声が、妙に耳に馴染むのかもしれない。
そのことに気がついたとき、政宗は己が考えていたよりも、気を緩めていることに気がついた。
 王宮にあがる女たちの甘い声とは違う。
 媚びで覆い隠した貴族の男たちの声とも違う。
 政宗は元親が船を無くす原因を作った男だ。
 無理矢理行動を共にさせている男だ。
 普通そのような相手に気を許すわけがない。政宗はそのことを自覚していた。
 けれど、元親は政宗相手に何の警戒心も抱いていない。
 政宗が剣を抜けば話は別だろう。
 何の躊躇いも疑問もなく、己の身を守るために、元親は剣を抜くに違いない。
 出会ったときのように。
 けれども、元親の纏う空気はどこまでもあけっぴろげで、境なんて見いだせない。
 そもそも、元親は政宗のことを王族だと思っていないのだろう。
 皇子ということを認識していても、そのことに何の意味も見いだしていない。
 ただ時折、面白いと口にだすくらいだ。
 その反応こそ、政宗に言わせれば面白かった。
 政宗の生きてきた王宮という世界は、特殊な世界だ。いや、異常ですらある。
そう感じつつも、政宗にとって世界というものはそれなしには成り立たない。
 剣を学んだ。知識を学んだ。
それは王に成るためだ。生きるためだ。
疑問を覚えることすら己で放棄した。それすら隙につながるからだ。
 政宗はただひた走るためだけにいる。
 そんな自分が、どこの誰とも知れない海賊という男と共に行動し、あまつさえ気を緩めている。
 その存在が隣にあることを許している。
 政宗はそのことが我ながら新鮮で、不可思議であった。
 元親の隣は居心地がいい。
 そのことを、政宗は認めた。
 政宗にとって元親は『海賊』であった。
 けれど、元親にとっては、政宗が誰であろうが、そんなことは何の意味も持たないのだ。
 そして、それは誰に対してもなのだろう。
 拒絶とも無関心とも違うそれ。
 皇子とは言いながらも、政宗は旅に不慣れなわけではなかった。
 が、それでも元親のほうが万事のことに旅慣れていた。
 元親は政宗が何も言わなくとも、その雑事をこなしてくれた。
 例えば、天気を読むこと。
 星をよむことは政宗にもできたが、それでも元親のように、風をよむことはできぬ。
 気ままに口を動かしていたかと思えば、時折ふと言葉を途切れさせることもある。
 今、このときのように。
 丘の上。
 視界には余計なものが何もない。
 視界の先にあるもの。
 白い雲。空の青。山の頂。眼下に広がる町の中に立つ尖塔。
 隣に並ぶ政宗の目にも、元親と同じ景色が映っているはずだった。
 一つの疑問が浮かんだ。
 何の理由もなく、唐突に浮かんだそれは、意味のある問いかけではなかった。
 政宗が見ているのと同じ景色を見ていても、それでも、この男の目に映っているものは、政宗と違うのだろうか。
「Hey,海賊」
「あん?」
 風がなぶる髪をそのままに、政宗は問うた。
「アンタは今何を見てる?」
 元親は面白そうに笑った。
「何ももなにも、テメエが見てるのと同じもんが見えてるに決まってるだろうが」
「その左目もか?」
 元親は政宗のほうへと顔を向けた。
 一つだけ覗く青い右目が、探るように、けれど面白そうな色を浮かべて、政宗を映す。
「この左目にゃ、何も映っちゃいねえよ」
 確かに。元親の左目は眼帯で覆われている。
 その眼帯の下にあるはずの左目が潰れていることも、政宗は知っていた。
 知っていてなお、政宗は問うていたのだ。
「その目はどうしたんだ?」 
 不躾ともいえる質問だったが、元親は気にしたふうもなく眼帯を撫でて首を傾いだ。
「ああ、見たのか。そういや湖で溺れかけたときは、眼帯も外れてたっけか」
 小さく笑って、元親はその眼帯をあっさりと持ち上げた。
 下から現れたのは、瞳を縦に断ち割るように走った刀傷。
「おれがもっとケツの青いガキだったころのこった」
「……」
 見ていて気持ちのいい物ではない。
 けれど、政宗に嫌悪感はなかった。
 かわりにふと、なくした己の右目を思い出した。
 なくしたときのことも。
「もともと光にゃ弱かったし、視力もよくなかったんだが。今じゃこのとおり、すっぱりただの飾りになっちまった」
「Who did?」
「一緒に空を渡ってた連れさ」
「……」
 何でもないことのようにさらりと、元親は己の目をつぶした者を告げた。
 ガキのころ、と元親はいうが、今だってそれほど歳をとっているようには見えぬ。
 それほど昔のことではないのだろうと政宗は考えた。
 いくら若かったといっても、剣の腕はたったはずだ。
 その元親が目をつぶされたというのなら、油断していたのか、それとも不意をつかれたのか。
どちらにしろ、正々堂々とした立ち会いからではないだろう。
 なのに。
「冥土のみやげにくれてやったのさ」
 にやりと笑って元親は言う。
 ただ、それだけのことでしかないと言わんばかりに。
「……」
 唇を閉ざしてじっと視線を向ける政宗に、元親は息を吐いて微笑した。
 その笑みはごく自然なもので、そこには恨みも諦めもなかった。
「まあ、なんだ。海賊家業なんぞ所詮裏家業だ。真っ当なもんじゃねえからな。
裏切って裏切られてなんぞ日常茶飯事よ」
 それは元親の言うとおりだろう。
「そりゃ腹も立つさ。ふざけんなってキレたことも一度や二度じゃねえよ。けどよ、それに引きずられるのもアホくせえやな」
 落とし前はちゃんとつけてるしなあ、と告げる声はさらりとしていたが、甘いわけではなかった。
が、冷たいわけでもなかった。
 眼帯を下ろそうとするその手を遮るように、政宗は手を伸ばしていた。
 問うように青い右目が政宗を映す。
 走った刀傷を指の腹でそっとたどれば、元親はくすぐったそうに唇を緩めた。
「んだよ?」
「…大層な土産をやったもんだ」
「おおよ」
 大盤振る舞いだと、元親は何故か胸を張った。
 思わず笑んでいた。
 指から伝わる元親の肌の温度が心地よく感じた。
 そんな自分がおかしかったのだ。
「こんな傷撫でて、何が楽しいんだテメエは」
 手慰みのように傷を指で触っていても、元親は面白そうな色を瞳に浮かべるだけで、政宗の好きにさせていた。
 大人しくしていた元親が、なあと政宗を呼ぶ。
 すっと持ち上げられたその手が、己の右目を掠めたとき、政宗の身体は反射で飛びずさり、抜きはしなかったものの、腰の剣に手を触れていた。
 瞬間無自覚に発したするどい空気は殺気ともいえるものだったが、いつぞやと違って、元親は剣に手をかけることはなかった。
 ただじっとそこに立ち、伸ばした腕を静かに下ろす。
 政宗の反応に驚くこともなく、ましてや怒るわけでもなく、元親は静かに政宗を見ていた。
 剣に触れる己の右手が震えた。
 内心で顔をしかめる。
 大げさに反応する己の身体自身は証明だ。
 その一点についてのみが、政宗の意識下で制御できぬものだった。
 その一点のみが。
「悪イ」
「……」
 元親は一言、謝った。
 別に政宗は気分を害したわけではない。
 まあ無意識とはいえ、殺気を向けていては説得力はないかもしれないが。
 元親の謝罪の意味が分からず、政宗はただ元親を見返した。
「驚かせようと思ったわけじゃねえんだ。いきなり手だして、悪かったな」
「…いや」
 短く返して、政宗はようやく剣から手を離すことができた。
 ちょっと聞きたくなっただけなんだ、と元親は続けた。
 目で先を促すと、元親は緩んだ眼帯を解いた。
 額に落ちる髪をかき上げて。
「お前は誰にくれてやったんだ?」
 政宗は目を伏せた。
 その声にあったのは、同情でも憐憫でも不躾な好奇心でもなかった。
 ふと息を吐く。
 身体を弛緩させて、政宗の唇に浮かんだのは淡い微笑だった。
「…弟に」
「へえ」
 元親は驚かなかった。ただ、相づちだけをうった。
「冥土のみやげにくれてやったのさ」
 元親の言を真似すれば、元親は意味のない頷きを返した。
「そりゃまた。兄貴の目が手みやげなら、冥土への道も迷わずにすんだだろうよ」
 その言い方に、思わず政宗は笑ってしまった。
「だといいがな」
 風が渡る。
 目をすがめて、風が行く先を追うように目をやるその横顔を見た。
 その眼窩にはまっている青は空のそれだ。
 その唇が無意識だろうか、緩い弧を描く。
 元親の纏う気配が、風のそれと混じる。
 その右目は空を見ていた。
 空のその先を。
「Too good for 」
 過ぎたみやげだと呟いたそれは、風のざわめきに溶けて消えた。
 このとき、確かに政宗は、顔も知らぬ元親の左目を手に入れた男を羨んだのだ。
 唐突に、元親に言いはなった己の言葉を思い出した。
 アンタの命はおれのものだと。昂然と告げた己のその言葉に、身体の内側がぞくりと震えた気がした。
 元々政宗は、城からついてきたものたちのなかに、内通者がいることに気づいていた。
 それが一人だろうと、全員だろうと関係なかった。
 全員が敵だったならば、一人で星を追うまでだ。むしろその方が都合がよかった。
 なのに、たかが海賊相手に、一緒に来いと言ったのは何故なのか。
 政宗は星を探している。
 他の何をでもない。ただ星だけを。
それが全てだ。
それが政宗の全てのはずで。
この男と共にいるのは手段のはずで。
他に意味などないはずで。
それとも、星を追うこと以外に何か意味を見いだしているとでもいうのだろうか。

***

 二人は眼下に広がっていた町へと足をのばした。
 東へと延びる街道沿いにある、そこそこに大きい町だ。
 追っている星もこの町に寄っている可能性は高い。
 向こうがいくら歩きでも、大雑把な情報しかない政宗たちは未だ二人に追いつけていない。
 もしかしたら見当違いの方向へと行っているのかも知れない。それすらも曖昧で、頼りないことだと思う。
 時間を決めて、補給は元親に任せて別れた。
 二人組の特徴は元親から聞いた。
 金髪の女と、栗毛の男。
 なるほど、いつか元親が女をどうするのかと聞いたわけが、そのときわかった。
 星も無体なことをする。
 どうせ女につくのであれば、独り身の女につけばよいものを、よりにもよって既に他の男のものになっている女につくなんぞ。
 無体だとは思ったが、それだけだ。政宗のやることにかわりはない。
 星を探して、手に入れる。
 とはいえ町は広い。
 何が面倒かといえば、人は物と違って、己の意志で移動する。
 宿や店で行方を聞いていたら、宿を営む男が頷いた。
 その二人連れなら、昨日泊まっていた、と。
 にわかにその存在が見えてきた星。
 二人は朝に宿は引き払って、どこに行くのかは聞いていないと男は告げた。
 が、確実にこの町に星はあったのだ。いや、もしかしたらまだこの町にあるのかもしれない。
 けれどもこの町は政宗個人に対してあまりにも広く、それ以上の情報もまた手に入れられなかった。
 占い師にも連絡がつかない。
 政宗が雇っている占い師は、元親に言ったように人格は破綻していたが、交わした契約を理由もなしに放棄する可愛げはない。
 力を制限させるために妨害をうけているのか、或いは、消されたのかもしれないと、
政宗は冷静に考えた。あの男の能力は確かに抜きん出ていたからだ。
 あり得る話だ。
 政宗の道中はあまりにも静かすぎた。
 政宗は、一人では星にすらたどり着けない。
 占い師や魔法使い、そういった協力者たちを消すことは星への道を失うことと同義なのだ。
 だからこそ政宗も信頼できる者は、占い師を護らせるために城に置いてきた。
 その中に裏切り者がいたのか、もしくは、その者たちも消されただろう。
 近臣たちが死んだかもしれぬと考えても、政宗の心はとりたてて波立ちはしなかった。
「……」 
 悲しみが胸にわいたわけではなかった。
 他の兄弟たちが憎いわけでもなかった。
 ただ、静かな感傷が瞬間、胸を撫でていった。
 それだけだ。
 昼間晴れていた空は、いつのまにか薄暗い雨雲で覆われていた。
 さあ、とけぶるような雨が降る。
 そういえば別れる前に元親が、そのうち雨が降るだろうと言った。
 陸に降る雨は時化るくらいで丁度いい、などと、物騒なことを口にして笑っていた。
 けれどこの空じゃせいぜい、辛気くさい涙雨が精一杯というところだろう。
 嵐を望む元親の希望は叶うまい。
 感情を開けっぴろげに顔にだすあの男は、不満げに空を見上げているだろうか。
 それとも、空とはそんなものだと、ほろ苦く笑んでいるだろうか。
 待ち合わせ場所は町の中央にある、高い尖塔の時計塔だった。
 太陽が隠れていると、日が暮れるのがやけに早く感じる。
 政宗が足を向けたころには、時計塔の扉は閉められていて、雨が降っているせいもあるのか、人影すらまばらだ。
 元親は薄暗がりの視界の先、時計塔の前にひっそりと立っていた。
 華やかで生に満ちた空気をまとうこともあれば、この男は今のように、ひっそりと密やかに己の気配を周囲にとけ込ませることもできた。
 雨の滴がその髪の色を深くしている。
 鈍い銀色。
 石畳にたまった水をふむかすかな音に反応したのか、元親が視線で政宗をとらえた。
 側に寄った政宗を見て、何か収穫があったかと問う。
「この町に星の足跡があった」
「へえ?」
「昨日この町に泊まったことはわかったが、そこからの情報はなし、だ。まだこの町にいるかもしれねえが、いないかもしれねえ」
 少し、雨足が強くなった気がして、政宗は空を見上げた。
 元親も同じように空を見上げて、強い酒が飲みてえなと言った。
 その言葉に肩をすくめて、そうだなと同意しながら、何故か肌が感じたかすかな違和感。
 それは言い換えれば直感だった。
「……何があった?」
「何が?」
政宗は目を細めた。
直感は確信となった。
「見え透いた隠し事をするんじゃねえ」
 そう、この男は政宗に何かを隠そうとしている。
 何を隠したいのか。
 政宗に関係してなお隠しておきたいことなど一つしかないだろう?
 元親は息をついて政宗をまっすぐに見返した。
「…二人を見た」
「どこで?」
「この町で。お前と別れたあと」
 政宗は思わず、元親の胸ぐらを掴んでいた。
「黙って行かせたのか?!」
 そのとき確かに政宗の心は瞬間憤りの熱で沸き立ったのだ。
 探し求める星を見送ったこと。それを政宗に隠そうとしたこと。
 いやそれ以上に、隠そうとしたくせに、まっすぐ政宗を見返してきたことに、政宗は乱されたのだ。
 静かな、けれど強い瞳で、元親は政宗の目を見ている。
 何故、そんな目で政宗を見ることができる?
 その唇がゆっくりと動くのを、政宗は燃え上がった熱情でうずく目で見ていた。
「おれはお前の手足になれとは言われたが、目になれとは言われてねえ」
 へりくつもいいところの、下手な言い訳だ。
 普段の政宗なら、瞳を冷徹に光らせて斬り捨てるような。
 いや、もしかしたら呆れて斬り捨てることすら放棄するかもしれぬ。
 このとき政宗が感じたのは怒りでも呆れでもなかった。
 冷水を浴びせられたかのように、身体の内で燃えていた炎が消える。
 政宗は一つの事実を刻みつけられた。
 自分は、この男を信用している。
 出会って数日も経っていない、行きずりに無理矢理供にしただけの海賊を。
 何故元親の行動に憤ったのか。
 元親は元々、その二人を助けてやった人間だ。星がついた女の身についても案じていた。
 普通に考えれば分かることだ。
 政宗は、元親が船を無くす原因となった男だ。無理矢理旅に付き合わせている男だ。そんな人間よりも、助けた二人のほうを思うのは当然だ。
 そう。元親の行動は至極当然のことで。
 それを、まるで裏切りのように思った自分がいたのだ。
 自分は、この男に気を許している。
 その事実が、冷えた胸にひろがって政宗の腕から力を抜いた。
「…Ah, you,re right」
 元親の言うとおりだ。
 政宗は別に、元親に政宗の目になれとはいっていない。
 二人を捜せとも、見つけたらとらえておくようにとも、何も言っていないのだ。
 元親の胸ぐらを掴んでいた手を離せば、その手を追うように元親が唇を動かした。
「何でだ?」
「Han?」
 端的な問いの意味が分からず政宗は首を傾いだ。
 元親はまっすぐに政宗を見ている。
「何でおれをつれてきた。足だってなら、その馬がいるだろ。おれはテメエの部下じゃねえ」
「……」
 そんなことは言われなくても分かっている。
 元親は政宗の部下じゃない。部下だなんて思ったことはない。
己と同等、いやそれ以上の剣の腕を持った部下なんかいらない。身分のしがらみなんか知らないとでも言いたげに、気安く話しかけてくる部下なんかいらない。こんな扱い難い部下なんかいらない。
「素直に従わないやつなんざ、いらねえんじゃねえのか?むしろ邪魔じゃねえのか?」
 元親の、言うとおりだ。
「何でおれを側に置く。おれは海賊だぜ?」
「……」
 何でだなんて。
 そんなこと、分かるわけがない。
 元親が突きつけたその疑問すら、今まで己で気づいていなかったというのに。
 何故海賊と道行きをともにしているのか。
言葉にしてしまえば、自分でも己のその行動は不可解で理由がつけられない。
 けれど。
 自覚もないままに、信用していた。気を、許していた。
 それが理由の全てのような気がした。
 同時に、その先にまだ気づいていないものがあるような気もしたが、政宗はあえて考えることを止めた。
「アンタの言うとおりだな、海賊。足なら、もうちゃんとある」
 急に揃えたにしては良い馬を用意してくれた。
 それで十分ではないか?
 毒蛇の喰らい合いに続く道行きには、それで十分ではないか。
 政宗は胸ぐらを掴んだ手で、元親のその胸をとんと突いた。
「どこへなりとも行きな」
 そのまま政宗は元親に背を向けた。
 元親が出会ってそのまま逃がしたというなら、星はもうこの町にはいないだろう。
 狙われているから逃げろと言うなり何なり、忠告はしたはずだろうから。
 預けた馬を取りにいこうと、しばらく足をすすめたところで、政宗はその足を止めた。
 雨は痛いほどに強くはなかったが、ただ少しばかり冷たい気がした。
 滴が額を滑り落ちてくる。
 政宗は湿った髪をかき上げた。
 振り返る。
足音すらも密やかに。気配を雨のそれに紛らわせて。
そう、それはまるでこの雨そのもののように。
 目があった元親は、かすかに笑んだようだった。
「陸で降られるなら、もっと強い雨がいいぜ。こんな雨じゃ、らしくもねえしんみりした気になって、らしくもねえことをやっちまう」
 政宗と同じように滴が伝うその肌は、いつになく白く透けるように見えた。
 その儚い肌の色とは馴染まぬ硬質な鈍い銀の輝き。
 空色の瞳は、まるで海のような深い青に染まっていた。
「足は足りてるだろうが、手はいくらあってもいいだろ?」
「…ついてくる気か?」
「テメエにや貸しがあるだろうが」
 何でもないことのように頷いて、政宗の隣を通り過ぎる。
「テメエにや、船を弁償してもらわなきゃいけねえからな」
 振り返って、元親は悪戯っぽく目を閃かせた。
「前より立派な船をくれるんだろう?」
 とりあえず酒を飲もうぜ、体が冷えちまう、という元親の台詞に、何が冷えてしまうだと政宗は声に出さずにこぼした。
 そんな柔な体なんぞしてねえだろうに。アンタはただ酒を飲みたいだけだろうが。
 けれど、そんな文句は唇から溢れることはなく。
 代わりに、そうか、とだけ一言、政宗は返した。
 唇に無意識に浮かんだのは微苦笑。
 確かに、降られるならもっと強い雨がいい。
 こんな優しい雨に打たれたら、らしくもない気持ちになって、らしくもないことをしてしまうから。










Ⅴ fragment




 その姿を見たとき、元親は内心で盛大に舌打ちしたのだ。
 そしてすぐさま、踵を返してその場を立ち去ろうとした。
 だがそんな元親の行動はまるっきり無駄になった。
 件の二人組のほうから、元親のほうへと近寄ってきたからだ。
 偶然ですねとにこにこ笑いながら寄ってきた二人に、元親はあからさまに顔をしかめた。
 元親はこのとき、己の目立つ上背と髪を少しばかり恨んだ。
 二人が気づかなければ、何もなかったことにできたのになあとらしくもない文句を内心で吐いて髪をかきむしる。
 きょとんとしてる二人組のその暢気な様子に、政宗の言うとおり、競争相手の兄弟たちはこの二人に近づけていないらしいと知って安堵したが、それも時間の問題だ。
 追跡者の一人は元親の隣にいるのだ。
「馬鹿!とっととこの町を離れろ!お前らは追われてるんだよ」
 追われてる?と眉をひそめる男に、元親は乱暴に頷いた。
「本当に欠片も心当たりはないのか?」
 男はふと真面目な顔をして押し黙った。
 その瞳が強い輝きを帯びる。
「あるな?」
 よしと頷いて元親は不安そうな顔をしている女を顎で示した。
「連中の狙いはこの姉さんだ。お前らが何かしたわけじゃねえ、完璧に巻き込まれただけで、災難としか言いようがねえが、そうなっちまったもんは仕方ねえ」
 相手は王家だと、と告げ、元親は簡単に状況を説明してやった。
 男の瞳がすと細められる。
「つまり、こいつを守るには、追っ手を全員退けるか、王になるかしかないんだな?」
 ぴりりと緊張した空気に、元親は静かに頷いた。
 この覇気。
 女を助けてくれと元親に縋ったときも、元親の気を呑むほどの強い想いがそこにあった。
 星が人についたことについて、いつか面倒くさいと言った政宗の言葉を思い出した。
 元親まで舌打ちをしたくなる。
 よりにもよって、星もこんな男の大事な女につくこともなかろうに。
 この国の王は星が選ぶという。
 王家の一族ではないものも、星は王と認めるのだろうか?
 この男と政宗がぶつかれば、どちらが消えるだろうかと、ふと元親は考えた。
 その想像はあまり楽しいものではなかった。
 どちらにしろ、元親にとってはいい結果とは言えないからだ。
「…そうだな」
 男の言葉に頷いて、元親は苦笑した。
「今度はもしおれを見かけても、近寄ってくるんじゃねえぞ?おれはもう、お前らを助けられなくなっちまったからよ」
 その言葉の意味を正確にくみとったわけではなかっただろうが、男は小さく頷いた。
 見上げてくる女に微笑みかけて、あんたも負けんなよ、と声をかければ、二人は元親に頭をさげて、そうして人混みの中に消えていった。
「……」
 その背中を見送って、元親は柄にもなくため息を吐いた。
 何やってんだかねえと首筋をかく。
 らしくない。
 我ながら驚くほどに、らしくない。
 元親は今、政宗と行動を共にしている。
 皇子さま曰く、元親は政宗の手足らしいので。
 その政宗の目的は、さっき逃がした二人連れの片割れだ。
 王の証。この国の象徴。
 その星を手に入れるために互いを喰らいあう王家の毒蛇たち。
 政宗の手足だというならば、元親は二人を逃がしてはならなかった。
 けれど、『元親』には、二人をとらえるという選択肢はなかったのだ。
 元親には二人をとらえることはできなかった。
「あー」
 低い言葉にもなっていない声をもらして、元親は空を仰いだ。
 雨が降りそうだと思っていたら、本当に雨が降ってきたからだ。
 静かに雨粒が落ちてくる。
 それはまるで空が泣いているかのように。
「怒るかねえ…?」
 怒るですめばいい。
 もしかしたら、斬り捨てられるかもしれねえなあ、と何の感慨もなく胸の内で未来の可能性の一つを呟いた。
 まあ、簡単に斬り殺されるつもりはないが、実力は五分五分なのだ。
 そして、何より政宗には強い意志がある。
 何が何でも星を手に入れるのだというものじゃない。
 もっと深い何か。
 元親は所詮、『元親』でしかあれないのだ。
 他のものにはなれない。
 不思議に思っていたことがある。
 元親は、命を握られているからと従順になるような性格でもない。
 そんなことは政宗も分かっているだろう。
 旅に必要なものは全て用意した。それで事足りたのではないだろうか。
 なら、どうして、あの男は未だ元親を隣に置いておくのだろう?

***

 隠し事はいとも簡単に政宗にばれた。
 元々、隠し事や嘘をつくことには向いていない自覚はある。
 黙って行かせたのかと、政宗は元親の胸ぐらを掴んで、声を荒げた。
 この男が感情のままに声を荒げたところを初めて見た。
 激昂もするのだと、馬鹿みたいな感心をした。
 冷笑、皮肉混じりの笑み、苦笑。
 気配を、足音を闇に紛らせながらも、強烈にこちらの意識を絡めとりもする。
 この男は感情を荒立てない。それはまるで静かな夜の海を思い起こさせる。
 何となく、この男には持て余す熱などないんじゃないかと思っていた。
 熱情で光る黒い瞳が元親を見ている。
 ああ、何故今降る雨はこんなにも弱々しいんだ。
 髪を巻き上げて耳元でごうと鳴るくらいに強い風が吹いていればよかった。
目も開けていられないくらいに強い雨が肌をたたき付けていればよかった。
 嵐は好きだ。
 そのざわめきは肌を、血を騒がせる。そのざわめきは快感だ。
 別に元親は静かな雨が嫌いなわけではない。
 しっとりと柄にもなく感傷的になるときもある。
 けれども、やっぱり陸で降るなら、時化るくらいがよかった。
 今、このときは特に。
 体の底をざわつかせるそれは、疼きは、この男がもたらしたものだと自覚するしかなかった。
 元親は閉じていた唇をおもむろに動かした。
「おれはお前の手足になれとは言われたが、目になれとは言われてねえ」
 我ながら、子供の言い訳にしてももっと上手いものがあるだろうと眉を寄せたくなる言い訳だった。
 元親はこのとき、己の心が恐ろしいほどに静かであることに気がついた。
 元親を映していた瞳から、溶けてしまいそうなほどの熱が引いていくのが見えた。
 その手は腰の剣へと向かうのだろうか。
 その目は凍り付かせるかのような冷たさを持って元親を見下げるのだろうか。
 元親の胸ぐらを掴んでいた手から力が抜ける。
その手がゆっくりと下げられる。
腰の剣は、主の手に納まることもなく、ただ滴を伝わせているだけだ。
政宗は怒りを見せたわけではなかった。
 呆然としたわけでもない。
 ただ、激昂したことなどなかったかのような静かな目で、元親を見返した。
 二人を黙って逃がしたときから、元親は、政宗は剣を抜くのではないかと思っていた。
 もしくは、剣を抜くのも煩わしいと、元親の存在そのものを意識から斬り捨てるかと思った。
 けれど、政宗は、剣を抜かなかった。
 そして、夜の海のような濃い黒い瞳で元親を見ている。
 その唇に、あるかなしかの微笑が浮かぶ。
 元親には政宗が笑んだのが分かった。
 アンタは正しい、と。
 政宗はいっそ柔らかな声でそう言った。
 そのとき感じたものを何と言えばいいだろう?
 目を見合わせたまま、元親は何故だと問うた。
 何故元親を隣に置くのか。
 元親は政宗の部下ではない。政宗の全てに従う存在ではない。
現に、政宗が星を欲していることを知りながら星を逃がした。
 そんな人間を、側に置いておくことの意味を知りたかった。
 そう、元親は、政宗のことが知りたかった。
「アンタの言うとおりだな、海賊。足なら、もうちゃんとある」
 政宗は元親のことを『海賊』と呼ぶ。
 見下げているのか、揶揄しているのかとも思えるその呼び名だが、元親にはすんなりと馴染んだ。
 その声に、余計な意図がなかったからだ。
 政宗は『元親』と名を呼ぶ代わりに、『海賊』と呼ぶ。
 そこにあるのは、元親という個だ。
 だから、元親はそう呼ばれることに馴染んでいた。
 けれど、今政宗が口にしたものは違う。
 まるで確認するかのように。
 この男は境界を引いたのだ。
 元親の胸をついて、どこへなりとも行きな、と。勝手に一人で背を向けた。
 その背中はどこまでも一人だった。
 寂しいとも思わない。思わせない。
 元親は一度ゆっくりと瞬いた。
 目に入りそうになった雨粒を、面倒くさそうに拭う。
 らしくないことをしようとしている己に気がついても、それをやめようとは思わなかった。
 暗い空。
 元親は縛られることが苦手だ。
 だからというわけでもないだろうが、人、物に限らず、元親自身もそれほど執着する質ではない。
 執着ではないのだと思う。
 ただ、意識を惹きつけられる。
 強い酒が飲みたてえなあと、元親は声に出さずに呟いた。
 喉を、胃の腑を灼いて、血を燃え上がらせるほどの。
 寂しいわけではなかった。同情したわけでもない。
 強いて言うなら、興味。
 そして何より、元親は、気に入らなかったのだ。
 剣を抜くこともなく、ただ静かな瞳で、唇に微笑を浮かべて元親を見返した政宗。
 何かを受け入れたかのようなそれは、諦めのようにも見えた。
 何を、だなんて知らない。
 自嘲するかのようなほろ苦い笑みで柔らかく笑むその顔が。
 その、物わかりの良さが、元親は気に入らなかったのだ。
 先を行くその足が止まったとき、元親は素直に嬉しくなった。
 おどけるように、雨のせいにして隣を行けば、政宗は、そうか、と短い一言でもって元親の言葉に答えた。
 元親は目を伏せて喉の奥で笑んだ。
 その声が甘やかに聞こえるのも、きっとこの雨のせいだと思った。

***

 このあたりはずっと背の低い草が多い茂っている平地で、馬をすすめるには気分の良い場所だった。
 追いかけている二人組の姿はかけらも見えない。
 休みもなく馬を走らせれば話は違うのかもしれなかったが、それでは馬がすぐにつぶれてしまう。
 つぶれてもすげ替えればいいだけだと言われてしまえば、それだけの話なのだが、政宗はそうはしなかった。
 今も、馬の体を考えて、速度を落として歩いている。
 視界には所々に人ほどの大きさの岩が点在していた。
 このあたりは大昔、大きな川だったらしいと言えば、政宗は眉を上げて怪訝な顔をして元親を見返した。
「ここがか?」
「ああ」
 その顔がものすごく不審そうに見えたので、元親は思わず声を上げて笑ってしまった。
「川はやがて水を失い、からからに乾いちまった。水がなけりゃ人は住めない。
川から水が消えるとともに、人々もどこかに行っちまったって話だ」
「そりゃいつの話だ、海賊?」
「さて?少なくとも、この国が生まれるだいぶ前の話だろうよ」
「Ah,法螺か」
「法螺って言うなロマンと言えや。ほんと風流を理解しない皇子さんだぜ」
「風流ねえ?」
 政宗はどこかおどけるように首を傾げた。
 このあたりは風がよく吹く。
 今も、さわさわと緑をなでて、政宗の髪を戯れに揺らしていた。
 ふと、思いついて、元親は馬の体をわずかばかり隣に寄せた。
「なあ、お前の夢って何だ?」
「Dream?」
 そのとき政宗が盛大に眉を寄せたあまりにも小馬鹿にしたかのような顔をしたので、元親は質問を変えた。
「じゃあお前は何が好きだ?」
「…何でそんなことに答えなきゃいけねえんだ?」
「旅は道連れっていうだろ?今のおれはお前の立派な旅の道連れなんだから、答えてくれたっていいだろうが」
 唇を少しばかり引き上げて、のぞき込むようにその顔を見る。
「テメエに興味があるのさ。お前のことが知りてえんだ。これじゃあ理由にならねえか?」
 政宗は毒気を抜かれたかのように体の力を抜いた。
 その顔が小馬鹿にしたものから、呆れたようなものへと変わる。
「…アンタは変わってるな、海賊」
 けれど、その声は柔らかかった。
「My dream…」
 その視線がふと空をさまよう。
 そして視線が落ち、政宗はかすかに笑んだ。
「夢なんざ、ねえな」
「王様になるのは、夢じゃねえのか?」
 そう問えば、政宗は肩をすくめた。
「そんな綺麗な言葉で言えるもんじゃねえ。それしか知らねえからさ」
「……」
 政宗の声は相変わらず静かで、、耳になじんだ。
「玉座を狙うこと、星を手に入れること。それ以外を知らねえ」
 元親をからかっているわけでもない、その言葉は、そのまま政宗の真実なのだろう。
 同情するわけでもなく、ただ、もったいないと、そう思った。
「好きなもんは?」
 政宗の瞳が元親を映した。
 夜の海の上をわたっていたときを思い出す。
 静かな、けれどよくよく見れば波も飛沫も抱えている黒。
「おれは空が好きだぜ。空を船で行くのが好きだ」
「Ah,だから海賊なんてやってんのか」
「おおよ。あとお宝も好きだし、旨い料理も旨い酒も好きだ」
 政宗は喉をならして笑った。
「いきなり即物的になったな」
「いいんだよそれで!」
 高尚なものでなけりゃいけねえなんて、誰が決めたんだと胸を張れば、アンタが言うと説得力があるなと政宗は笑った。
 その瞳が、ふと遠くを見た。
「……なら、馬は好きだぜ。馬に乗って風に追い抜かれながら大地を駆け抜けるのは好きだ」
 元親の脳裏に、立派な黒駒に乗って草原を駆ける黒の皇子の姿が写った。
 政宗の好きなもの。
「…いいな、それ」
 そう頷けば、政宗はゆっくりと顔を元親に向けた。
 顔を見合わせて、元親は破顔した。
「いいな」
 もう一度そう言えば、政宗も頬をゆるめた。
 どこか照れたようにも見える微苦笑を浮かべて、そうかと言った。