Ⅰ 毒蛇の巣




 血の繋がった兄弟姉妹がどれだけいるのか、正確なところを政宗は知らない。
 今現在残っていると証明できるのは、とりあえず兄が三人、弟二人。そして、おそらくは生きていないであろう行方不明の姉一人。
 あとの幾人かの兄弟姉妹だったものたちは皆、土の下だ。
 物心ついたときから、兄弟たちは一番身近な敵だった。
 この国を継ぐ王位継承権は、王の血を引く子供達に等しくあり、だれにも王になる可能性があった。だからこそ虎視眈々と、隙があれば相手を追い落とす。それが自分たちが兄弟であることの証明のようなものだった。
政宗も命を狙われたことは数え切れない。
まず自分を初めに殺そうとしたのは、他でもない政宗の母親だった。
政宗には母を同じくする弟が一人いた。
王位継承権は子供に等しく存在する。
母は、弟を玉座につかせたかったらしい。まず一番初めに、一番身近な上の兄である政宗を殺そうとしたのだ。
政宗が初めて手にかけたのは、己と両方の血を同じくする弟だった。
政宗を悪魔と詰った母ももういない。
十何人いたはずの王の子供たちも、今では政宗を含めて六人しかいない。
父親である国王は、醜い疑心暗鬼と皮肉とで繋がれ、互いに喰らいあう息子達を見ても、何も言わなかった。
父もまた、同じように身内で喰らいあってその玉座についたのだろうから。
 故に王の系譜には傍系というものは存在しなかった。
 王となるか、死ぬか。
 運良く生き残り臣下に下った王族は、その瞬間系譜からその名を抹消される。王の系譜は常に一つだ。
死ぬ間際の王の枕元に集められたのは、兄弟の血にまみれた王の後継者達。
久しぶりに間近でみることを許された父は、政宗の記憶にある面影とはかけはなれて、醜くやせ細っていた。
けれど、その瞳にある光だけは、死の香りをさせつつもなお強烈な強さで息子たちを射抜いた。
王はかすれた声で笑ったようだった。
案外残ったな、と王は低い声で呟いた。
「儂は死ぬ。新たな王が玉座にあがる。望みがあるなら、奪い合うがいい」
 淡々と、王は己の死を口にした。
「星を」
 いつかはそれだけで臣下たちをひれ伏させた枯れた腕が持ち上げられる。
その瞬間、父親の指に輝いていた指輪が強い光を放った。
その輝きこそが『星』だった。
 血が凝ったかのような命の赤。その輝き。
王家に代々伝わる王の証。
その星が王を選ぶ。
その星を手に入れた者が王だ。
指輪から離れた赤い光。
指輪は何の変哲もない石に変わり果てた。
星はきらりと一度強く明滅したかと思えば、開け放たれた窓から暗闇へと空を昇っていく。星は一度、空へと還るのだ。
星を見送った王は、腕を無造作に布団の上に落とした。
 同じように星を目で追っていた息子たちを見やり、唇を引き上げて鮮やかに笑う。
「さあ、奪い合うがいい」
そして王は果てた。
王の後継者達は一度だけ、互いの顔を見合わせた。
 瞬間、政宗は体をひねって、向かってくる矢をかわし、或いは袖の下に巻いてある籠手でたたき落とした。
 短いうめき声。とさりと乾いた崩れ落ちる音。
 さすがの政宗も、王の部屋に凶手を仕込むことはできぬ。
 できるのはただ王のみ。
 静けさが戻る。
政宗は体を起こした。
 同じように矢から身をかわした兄弟たちが立ち上がる。
 床に倒れて動かないのは、三番目の兄。
 手間が省けたな、と一番上の兄が肩をすくめた。
 そして、皆そのまま、何も言わずに静かに王の部屋を出た。
 そもそも帯剣を許されていないのだから、この場で手っ取り早く殺し合ことはないのだ。まあ皆、何かしらの凶器は体に隠しているのだろうが。
 星を手に入れた者が王だ。
この場で牽制し合うよりもまず、星の行方を探すほうがよほどに建設的だということを、皆わきまえていた。
あの星は気ままだ。
各々、飼っている魔法使いや占者に星の行方を捜させる方が先だった。
殺し合いはその後で十分、間に合うのだから。







Ⅱ Blow into you




 その日は風の強い日だった。
 嵐が来るわけでもない。雲の流れは速いが、それでも空は濃い青色で、むしろ普段なら気持ちがいいと目を細めるような午後の天気だ。
 けれど何とはなしに元親は落ち着かなかった。肌がざわつくというか、血がさわぐというか。
 さてどうするべきか。
 元親は船長だ。船の針路は元親が決める。
 今は丁度船は高台の湖にある港につけてあって、空を渡っている訳ではなかった。
何を迷っているかと言えば、さっさと港を出てしまうか、それとももう少しここで大人しくしているかどうしようかということだった。
 何かの予兆のように落ち着かないのはいいが、それをどう判断するかが困るのだ。
 とはいえ今回は、もう少しこの港に腰を下ろすしかないかと元親はさっさと割り切った。何せ港について二日と経っていなかったし、補給もまだ済んではいなかったからだ。
部下たちもゆっくりと町で羽を伸ばしたいだろう。
自分はすぐに空に戻ってもまったく構わないが、仲間たちの皆が皆、元親のような人間というわけではない。
 五日ほど前、元親は東の山あいで、とある荷物を拾った。それは二人連れの旅人だった。
 どうやら恋人同士だというのは、二人の間に流れる雰囲気で分かった。
元親の船を止めた男は必死だった。旅慣れているであろう男が、どこからどうみても堅気じゃないと分かる自分に対して、助けてくれと頭を下げたのだ。
 連れの女は熱を出していた。
 それまで元気に二人で山道を登っていたというのに、いきなりのことだったという。
 高山病というわけでもなさそうだった。
 そりゃ大変だと、元親は二人を船に乗せて、急いで大きな町がある港へと進路を向けた。
 本当は寄るつもりのなかった北の港についたのが今朝のことだ。二人は元親に礼を言って、船を下りた。
 船に乗せて一日の間に女の熱はすっかりと引いて、元の健康な状態へと戻ったのだ。
訳がわからず、当の女も含めて、皆首をひねっていた。
 下ろしてくれて構わないと固辞する二人に笑い返して、もう乗せてしまったし、一応それでも医者に見せておいたほうがいいと、二人を乗せたまま二日ほど空を行き、北の港に船を着けたのだ。
 今頃は医者にかかってまだこの町にいるか、どこか目的があるのならば町をでているだろう。
にしても旅の途中にいきなり発熱するというのは穏やかではない。何でもなければいいのだが、と元親は海賊にあるまじき真摯さで二人を案じていた。
 元親はその名を知られた海賊団の頭なのである。
海原、雲海を行く無法者たちが海賊だ。元親たちは海賊とは言っても、略奪ではなく、宝探しに精を出している海賊だった。
資金繰りに困ったときに、金持ちの客船から、少しばかり宝石やらを頂くことはあるが、基本略奪はしない。
 元親が興味を持つのは、お宝であり、気ままな空の航海であって、換金目的の宝飾品ではないからだ。
 同じ空は一度ともなく、元親はそんな空を愛していた。
 かちかちと時計の振り子が揺れる音だけが響く。
 最低限の見張りだけを残して、他は皆、久しぶりの陸を楽しんでいるはずだ。
普段は感じる大勢の気配やざわめきも聞こえない。
 水や食料などの補給は部下たちに全て任せていたので、さしあたっての仕事はなかったが、元親は部屋も出ずに地図を眺めていた。
 今日のように気が落ち着かないときは、己の船にいるのに限る。
 少し前、この国の王が死んだ。
星が流れたと、もっぱらの噂だ。
 星はこの国の象徴であり、ある意味この国そのものだと聞いたことがある。
この国の王は、星が決めるのだ。
 そのことについては何の感想も抱いていなかったが、王が変わるころには少しの間の混乱が付きものだ。
星を求めて、しばらくこの国は揺れるだろう。
 元親に航海術をたたき込んでくれた古老から、そんな話を聞いていたものだから、ちょっとの間、町からは離れているのもいいかと、地図を眺めていたのだ。
 さらに北にのぼって、まだ調べきれていない遺跡に入るのもいい。
 そう考えて、以前断念した遺跡のトラップをどう解除しようと頭をひねっていたときのこと。
 ふと空気が変わった気がした。
 何やら甲板の方で走り回っているかのような気配をかすかに感じる。
 何かが近づいてくるのを認識して、元親は眉をひそめた。緊急事態を伝えに、部下の誰かが走ってくるのではない。
 立ち上がって、壁に掛けた剣を手にしたとき。
 扉が唐突に開け放たれて、不遜な男がそこにいた。

***

 何が不遜かって、人様の船に不法侵入しておきながら、欠片も悪びれた風もなく、むしろ当然のような態度で船長室に乗り込んできたところだ。
これがまだ頭の悪そうな小役人とかなら、まだかわいげもあるだろうに、
男は別に権力を笠に着て意気高々としていたわけでもなく、どこまでも冷静な目で元親を観察したのだ。
 権力を行使することが呼吸をするのと同じことに思っている人間だと、元親は瞬時に考えた。
 と、同時に、何やら物騒な雲行きだ、と。
 黒のマント、黒の旅装束、黒の手袋、黒のブーツ。
 右目を覆っているのも黒の眼帯だ。
髪も瞳も黒とあって、全身が漆黒で覆われている男だった。
黒の男の手にあるのは、抜き身の剣。
 元親は視界に映る情報を確認しながら眉を上げた。
 さて、このおかしな状況は一体どういうことだろう?
 男の唇からこぼれたのは、視線と同じく冷えた声。
 名乗ることもせず、ただ端的な問いを男は発した。
「女はどこだ」
 元親はひらりと手を振った。
「なんだ、痴情のもつれかよ。引き際も読めねえのはみっともねえぜ、兄さん?」
 意味が分からないものの、茶化しながらの返答はきっちりと返す元親だった。
 男の目がすと細められる。
「Ah,巫山戯んな。数日前、アンタは女を拾ったはずだ」
 元親は飄々と肩をすくめた。
「知らねえな」
 それは嘘だ。
男の言で、見当はついた。日数もどんぴしゃ。まさしく五日前に拾った二人の片割れを、この男は探しているのだろう。
 地獄耳もいいところの情報網。耳の早いことである。
 しかし男の探し人に見当はついても、その理由がわからない。
 別に件の女とその連れは、誰かに追われているというわけでもなさそうだった。
 この船に乗ったのも、ただただ、女の健康状態が芳しくなかったためであって、そうでなかったのなら、二人はあのまま仲良く山を歩きで越えていたはずである。
 女の熱が下がったあとは純粋に船旅を楽しんでいた。
 追われている自覚があるなら、あれほどのんびりとはしていられないだろうし、何かしら緊張がとけないであろう。
「この船にはむさ苦しい野郎ばっかで、んな美人なんて乗ってねえよ」
「Han,美人なのか?」
 元親は少しばかり驚いて目を丸くした。
 件の女は、ブロンドの、大層な美人だったのだ。
「顔も知らねえで追っかけてんのかよ、兄さん?」
「美人かどうかなんぞはさして重要なことじゃないんでね」
「そりゃ大事なのは気だてだろうけどよ、美人ならそれはそれで嬉しいもんだろ」
 暢気に、だが結構本気で続ける元親に、男は呆れたように息を吐いた。
 おしゃべりは終わりだというように、剣のきっさきが持ち上がる。
「…Hey,あくまで隠し立てするっていうなら、痛い目みるぜ?」
「つうかよ、人の船にいきなり乗り込んできて、名乗りもしねえ野郎相手にほいほいと懐見せれるとでも思ってんのか?」
 元親は剣を手にしながらも、男と違って構えずだらりと腕を下ろしたままで首を傾いだ。
 少なくとも、この男はご同業の賊ではないだろうし、海賊を取り締まる役人でもないと元親は確信していた。
 そんな簡単な話ではない。
 ことはもっと面倒くさいのだろう。
その中心に、元親が拾った二人が関わっているのなら、いつのまにやら元親自身も、面倒に巻き込まれているのだ。
 そう、今現在進行形で。
 だからこそ、元親は男に言葉を向けるのだ。
 この男はどういう人間なのか。
 話を聞かずただ力に頼る人間なのか、そうじゃないのか。馬鹿なのか。理性的か。そして、何か確固たる意志をもっているのか、そうじゃないのか。
 男はその一つ目に、きらりと物騒な色を閃かせて、剣を下ろした。
「sorry,確かに礼を欠いていたな」
 剣を持った手を胸にあて、もう片方の腕を折り腰の後ろにあてる。それは身分の高い者のする礼だ。
「おれは政宗。この国の、今現在の第三皇子だ。貴殿の船に突然訪問したことは故あってのこと。
貴殿がこの船にかくまったであろう女性を探している。身柄を渡して頂けないか?」
 蕩々とした語りは嫌味で慇懃無礼だが、同時に感心するくらいに甘く耳に心地よい声だった。
 元親は実際感心して頷いた。
「その声で口説かれたら、思わず流されて頷いちまいそうになるわなあ」
 顔をあげた男、政宗はもう一度剣先を元親へと向ける。
 その瞳には余計な気負いなど何もない。
 その鋼には躊躇なぞない。
それが分かった。
 政宗は戯れは終いだというように、もう一度さっきと同じ言葉を告げた。
「あくまで隠し立てするっていうなら、痛い目みるぜ?」
「皇子さんが海賊の相手をしようってのか?」
 どこまでも軽い声で元親は答えた。
 元親は男の口上を嘘とは思わなかった。
 この国の皇子なら、この男が纏う冷たい空気にも、権力者然とした視線も納得がいく。
 皇子殿下自らが城下に、しかも海賊の船なんぞに直接乗り込んでくることも。
 この国の有り様はある意味ひどくシンプルだ。
 星が流れたという噂は、元親の中で事実となった。
 皇子が走り回る理由なんぞ、そう何個もありはしない。
 あの女は、星に何らかの関わりがあるのだろう。
 返される政宗の声は微かに笑みを含んでいた。
「海賊ふぜいが、毒蛇の相手をしようってのか?」
 歌うようなそれはけれど、どこか自嘲の響きもともなっているようにも聞こえて、その言葉を吟味するように元親は眉をひそめた。
「毒蛇?」
 海賊ふぜいと言われる謂われはないが、皇子殿下が口にするのは、まあ分からんでもない。
 だが、よりにもよって毒蛇なんぞ、皇子が己を称するときに使う言葉ではないだろう。
 政宗はちらりと目線で上を示した。
「いいのか?まさか王族が一人で乗り込んでくるとは思ってねえよな?」
 そこにあるのはもちろん天井だが、政宗が言いたいのは別のことだ。
 その唇に人の悪い笑みが浮かぶ。
「王家の子飼いとはいえ、腕は確かだぜ?」
 その言葉の意味を悟って、元親は舌打ちした。
 上には見張りをしてくれている部下たちがいるのだ。
 一秒よりもはるかに短い時の間に二人を取り巻く空気が切り替わる。
 満たされたものは殺気ではない。殺気ほどに荒んだものではなく、けれどどこまでも鋭利な緊張感といったもの。
 剣を閃かせるまでの呼吸は刹那。いきなりの静から動への転換にも、元親の体は瞬時に反応する。
 元親は大柄な男だ。大げさでなく、己よりも高い身長の男を、元親は滅多に見たことがないし、その体躯も立派なものだ。
その見目を裏切るような反応の早さが、元親の名を高めるのに一役を買っていた。
 けれど、胴を薙ぐはずだった元親の剣は、政宗の剣によって受け止められていた。
 元親は剣がふれ合ったその瞬間、久方ぶりのその手応えに僅かに目を見開いた。
 一瞬にして血が沸き立った。
 その一瞬で分かる。
 こいつは相当な使い手だ、と。
 政宗の反応の早さも相当のものだった。
いや、むしろ、体を動かすスピードは元親よりも僅かに上だ。
それは少しばかりの身長差と、体躯の違いからくるものだろう。
かわりに、力そのものについては、元親のほうがこれまた僅かに上だからだ。
 上回ったその力をそのままたたき込めればいいのだが、上手い具合に力を流され殺されている。
 こりゃ本物だ、と元親は内心で思わず笑んだ。不謹慎だとは承知の上だったが、唇が勝手に笑むのをとめることは難しい。
 元親が愛するもの。
 自由。空。仲間。そして、命が煌めくその瞬間。
 元親は別に戦闘狂なわけではない。
 船長のつとめは、船員の命を等しく抱えることだ。
 己だけが敵陣につっこんで派手に暴れればいいというわけではない。
 そんなことは百も承知。自制ぐらいできる。
 けれども、元親の中には確かに、嵐のように凶暴な性も存在した。
 政宗の剣は、向けられる鋭い気配は、元親のその性を満たしたのだ。
 全力でぶつかれることなどそうそう無い。
 遺跡の罠を解除するときに背負うリスクとは違う。同業の賊と相対するときとも。
 くくってしまえば、同じ荒事のはずなのに、何故かこのとき元親は、まるで待ち望んでいた相手との逢瀬のように感じていた。
「王族ってのは、みんなアンタみてえに、腕が立つのかい?」
 つかぬ決着はまるで演舞。
 褒め言葉のつもりでそう言えば、政宗は先ほどとは違って、あからさまに皮肉った笑みをひらめかせた。
「もっと気の利いた褒め言葉はねえのか、海賊」
 視界に映る瞳がぎらりと、光をたたえた気がした。
肉薄していた体が離れる。
「王家の系譜は常に一つだ。おれたちの一族は、己以外の血を喰らって玉座にのぼるのさ」
 冷えた声はあくまでもあっけらかんとしていて、その言葉のもつどろりとした闇を感じさせなかったが、それはたぶん、政宗のその言い方のせいだ。
「たかが星一つに振り回され、赤い椅子に座るためだけにな」
 その乾いた笑みに、元親の中で燃えていた血がにわかに冷えた。
「お前…」
どこかで悲鳴があがったのを、耳はかすかにとらえていた。
鼻孔を掠める火の匂い。
元親ははっと顔を扉に向けた。
何が起こるか分かったわけではなかった。
ただ、本能で逃げなければならないことを知った。
 この船は海賊船だ。そして海賊船のたしなみとして大砲が装備されており、火薬庫があった。
日頃の行いのおかげか、最近はとんと大砲を撃ち合うようなこともなく、火薬は十分にあったはずだ。
 本能の鳴らす警鐘のままに、元親は右手にもっていた剣を捨てた。
 足を踏み出す。
 そのまま、驚いたように目を見開いた政宗の腕をとって走った。
 向かう先には、窓。
 ここは高台の湖につくられた港。
 確かに、船の下には湖が広がってはいる。
 が、それでも無茶をしようとしている。
 けれど、それ以上に、ここにいるよりはマシだと思った。
 政宗の腕を掴んだまま、窓を突き破り、体一つで外に飛び出す。
 空は相変わらずの青さで、気持ちのいい晴天。
 空に抱かれたほんの一瞬だけ、元親の気分はこの空と同じく晴れ渡った気がした。
 あとは内臓を逆撫でる落下感に顔をしかめることになるのだが。
 そして、元親の船は、爆発炎上した。

***
 
 窓から危機一髪、飛び出したまではよかったが、どうやらその後、湖へのダイブの仕方がまずかったらしい。
 どうやら気を失っていたようだ。
 咳き込んで目を開ければ、すぐそこに、妙に整った男の顔があった。
 さっきまで物騒な色をひらめかせていた瞳は、今はただ静かに元親を映している。
 熱いんだか冷たいんだか、よく分からない目だと元親は思った。
元親が目を開けたのを見て、体を起こした政宗は、息を吐いて額に張り付いた黒髪をかき上げた。
「…あ?」
 状況がすぐに把握できずに、元親は体を起こして取りあえず声を出してみた。
 ちょっと掠れた声が出た。
水にたたきつけられたからか、体は鈍く痛んだが、骨が折れてるわけもなく、また内臓がどうにかなったわけでもないらしい。
有り難いことに身体に特に異常はないようだ。
「…アンタが助けてくれたのかい?」
 気絶していた己が、自力で岸まで泳いではい上がったとは考えられないから、元親は隣の男へと顔を向けた。
「重くて何度かそのまま沈めちまいたい衝動にかられたがな」
「そりゃ悪かったな」
 湖は広大というわけではなかったが、それでも池ではない。
 二人がはい上がった岸は港からはある程度離れた町の外であったから、それなりの距離はあっただろう。
筋肉ばかりで重い体だという自覚があるので、元親はあっさりと頷いた。
 政宗は何故か苦虫を噛んだかのような顔をした。
 元親は背後を振り返った。
 湖の上。
 港につけられた、元親の船だったもの。
 港の船は一艘一艘は離れているから、燃え移る心配はないものの、燃え落ちる船を見上げて、元親は思わず遠い目をした。
「あー、どうしてくれんだ、おれの船…」
 まあこの際船はどうでもいい。ほとんどの船員は街へ出ていたからよかったものの、それでも数人は、あの船にいた。 
 爆発に巻き込まれず逃げてくれていればよかったが、無事かどうかは元親にも分からない。
それでいえば、一番無事でないはずなのは元親自身だったが、元親は幸いにもぴんぴんしている。
「……お前が目当てか?」
 元親には船を爆破させられるいわれなどない。
 問えば、政宗はあっさりと頷いた。
「だろうな。連れてきた連中のなかに、兄弟連中の息のかかった裏切り者が入り込んでたんだろうよ」
「おいおい…」
 何でもないことのようにさらりと言うものだから、元親は思わず呆れた。
 眉を下げてる元親を見返して、政宗は唇を引き上げて笑みを刻む。
 水も滴るなんとやら、というやつだが、何だか場違いである。
「ま、おれは死んじゃいねえから、あいつらも爆破させ損だろうがな」
 そんな簡単に言われてしまったら、確かに犯人も損だろうが、一番の損失者は間違いなく元親だ。
 元親はため息を吐いた。
「何が悲しくて海賊が王家のお家騒動に巻き込まれなきゃならねえんだ」
「アンタの日頃の行いが悪いんじゃねえか?」
「殺されそうになってる張本人に言われたくねえよ」
 やれやれと頭をふり、元親が腰を上げようとしたとき。
 かちりと硬質な音がして、視界を鋼が無遠慮に切り裂いた。
「……何の真似だよ、皇子サマよお?」
 許された範囲で仰向いて、元親は立ち上がり己を見下ろしている黒い男を見上げた。
 政宗の手には、剣ひとふり。
 その剣のきっさきは、元親の喉元につきつけられている。
 元親の手に剣はなかった。
 思い返せば、窓から飛び出すときに、この男の腕を掴むために手放したのだ。
 元親の命を握っているのだと、行動で示しているこの男のために。
「アンタを助けたのはおれだ」
「…船から脱出するとき助けたのはおれじゃねえか?」
「落ちた湖であっさり気絶して、おぼれかけたところを助けてやったのはおれだろう?」
「……」
 元親は肩を落とした。
 こんなおれさま皇子さまなんぞ放っておけばよかったと後悔したが、まさしく後の祭りだった。
「…恩にきろっていうのかよ」
「NO,そんな話をしてるんじゃねえよ」
 剣を突きつけておいて、じゃあどんな話だというのか。
「おぼれ死ぬところだったアンタの命を助けたのはこのおれだ。だから、アンタの命はおれのものだ。you see?」
 人の命を勝手に自分の物だと言い切った男は、こんなときですら、さも当然のような顔をして、静かな目と声で、淡々と告げた。
 この不遜を突き抜けた態度にはいっそ感心したい。
「はあ…?」
 我ながら間の抜けた声が出たと思ったが、他にどうしろというのだ。
 鋼がきらめく。
 つと、僅かに肌に触れたきっさき。ちくりと焦れったいだけの、痛みとも言えぬ痛みが、男が本気だということを伝えてきた。
「気に喰わなけりゃ、このままアンタの首を貫いて終わりだ」
 酷い話である。皇子というのは海賊以上に理不尽な人種らしい。
「……どうしろってんだ?」
「おれの手足になりな」
「あ?」
「誰と通じてるのか分からねえ飼い犬よりも、海賊のほうがマシだと言ってるのさ」
 いきなり実力行使で押しかけてきておいてよくも言えたものである。
 さすがは権力者だ。
 海賊がマシとはよく言った。
「アンタの船はもうねえんだ」
「テメエのせいでな」
 元親の当然の文句を、政宗は綺麗に無視した。面の皮が厚いとはこういうことを言うのだろう。
「ならおれと来い、海賊」
 剣を突きつけながら、手を差し出す。
矛盾を矛盾と感じさせぬその態度。
 元親はため息を吐いた。
 そしてのど元に突きつけられた剣など知らぬというように、頭をがしがしとかき回す。
「あー、やっぱり我慢しねえでとっとと出航しとけばよかったぜ」
「An?」
「今日は風が騒がしかったのに」
 元親はもう一度、政宗を振り仰いだ。
 城に帰れば手勢もいるだろうに、海賊のほうがマシだと言い切った男。
 元親と互角に討ち合ってなお、死ななかった男。
 自らを毒蛇と嘲笑う男。
 それでもこの男の目は揺るがない。
 確かに。
 希少価値で言えば、船にあった宝と同じくらいの価値がある。
 それになにより、政宗の言うとおり、元親の船はなくなってしまったのだ。
 町にいけば仲間たちはいるだろう。船もまた造ればいい。
 元親は仲間たちも、仲間たちとする航海も愛していたが、それでもほんの時折、胸をかすめる感傷があった。
 初めは、元親一人だった。
元親を慕ってくれる多くの仲間たち。元は敵だったものもいる。元親の噂を聞いて船に乗せてくれといってきたもの。
酒場で意気投合したもの。仲間は増え、船は賑やかになった。
 その賑やかさを厭うているわけではない。愛おしいものだ。
 けれども、時折、ふと、軽い身一つで気ままに世界を巡っていたときのことを思い出す。
 町に行けば仲間たちがいる。元親の身を案じているだろう。
 元親は唇でかすかにほろ苦く笑んだ。
 そう、元親の船はなくなってしまった。
船主として感じた憤りやら悲しみやら落胆やら、そういったものに紛れて一片、奇妙なすがすがしさを感じた自分がいたのだ。
我が性ながら、どうしようもない。
 久しぶりに血を沸き立たせたあの火が、体の底でまだ燃え残っているようだ。
 舌を灼く強い酒のように。
 その火をつけたのはこの男だった。
「あのよ、おれは確かに海賊だがよ、ちゃんと元親って名前があるんだぜ?」
 政宗の目が問うように元親を見つめた。
「テメエが王になったら、きっちり船を弁償してもらうからな、政宗」
 元親が手を差し出せば、政宗は剣を下ろしてその手を取った。
 目を眇めて、政宗はにやりと笑った。
「Ya,もっと立派な船をくれてやる」