フリーズ・プリーズ
スタートラインに押し込められた。
鼓膜の奥で、スタートを告げるピストルの音を聞いた。
コンクリートに座り込んだまま、元親は唇を押さえていた手を下ろした。
代わりにそのまま両腕で落とした頭を抱え込む。
「ど畜生」
顔から体から妙に熱くて汗が滲みそうだと思うのは、日差しのせいじゃないと分かっているけど。
過ぎ去った夏の日差しを思い出す。
文化祭の準備に精を出していた少し前の夏を。
青い空、白い入道雲。
ぎらつく日差し。
目眩がする。
貧血なんて起こすようなタマではないことは百も承知で、くらくらと回る視界のもと倒れてしまえたらどれだけ楽だろう?
確かに。
何も返事を返そうとしなかったのはこちらが悪いとは思う。
思うけれども。
だからといってこれはないんじゃないか。
別にファーストキスだとわめくつもりはなかったが、順番がオカシイだろ?
悪友からの無理矢理な脱出。
むしろいきなり後ろから突き飛ばされたようなものだ。
友人の枠の外へ。
その枠にしがみつこうとどれだけ自分が努力していたかなんて、欠片も分かっちゃいないくせに。
重ねられたもう一つの体温。
びっくりはした。
そりゃもう、心臓が口からとびだすかと思うくらいびっくりした。
けど、もっと怖ろしいのは。
嫌じゃ、なかった。
嫌じゃ、なかったのだ。
ちょっと待ておれ!!お前が落ち着かなくてどうする?!と己自身の思考回路に活をいれるが意味はなく。
っていうか何故おためしで舌を入れるのだ?!
おためしならもっとあっさりしたものではないのか?
せめてもっと可愛らしいキスにしやがれ!!
って問題はそこではない!!
ぐるぐると思考は空回り。
結局、唇からこぼれたのは。
「ちくしょー」
この一言で。
動き出さずにはいられないことを、元親は分かっていた。
何もなかったことには、やっぱりできないのだと。
屋上で空を見ていた。
政宗に声をかけられたとき、何かを観念したような気がする。
名を呼ぶその声を聞いたとき、ばれていると悟った。
自分はただ、決着の時をおくらせているだけなのだということを。
逃げているだけなのだということを。
逃げることのどこが悪い。
これは戦略的撤退だ。
けれど、退路は断たれてしまった。
足なんて、一歩も動けない。
「チカ?どしたの、頭なんか抱え込んじゃって」
「・・・佐助ー」
日直の仕事が終わったのか、顔を上げれば、もう一人の友人の顔がそこにあった。
「さっきそこで政宗とすれ違ったんだけどさ」
「・・・おう」
「政宗、先に帰るって」
「・・・おう」
「珍しいこともあるもんだよねえ」
「・・・おう」
おうとだけしか返せない元親に、佐助はかすかに笑った。
「どしたの?」
その笑みに、何だか安堵してしまって、気がつけば、元親は唇を開いていた。
「政宗に告られた」
元親の隣に並ぶようにして腰を下ろしながら、佐助はああと頷いた。
「告白したらしいね。文化祭準備の放課後だっけ?窓から盛大に叫んだって」
「そっちもまあ後から考えればそうなんだけどよ、文化祭の後」
「後?何、もう一回告白されたの」
こくりと頷いて、元親は頭をがしがしとかいた。
「アイラブユーって言われた」
「I love you ねえ。そりゃまた熱烈で分かりやすいねえ」
「なんかおれにも分かるように言ってくれたらしい」
「そりゃ親切なこって」
それで、と佐助は軽い口調のまま促した。
元親は言葉につまる。
「それで、チカはどうして頭抱えてたわけ?」
ぐと唇を引き結んで、だらりと伸ばした己の膝頭を見た。
何だか、我ながら眉が情けない具合に下がっている気がした。
途方に暮れる、という言葉がぴったりな風情。
「返事よこせって言われた」
「まあ、愛の告白をした方からすれば、返事は欲しいもんだろうしねえ」
「・・・」
その返事が問題なのだ。
簡単にそろそろ返事を返せと政宗は言ってくれるが、こんな難問、一月ぐらいの猶予じゃまだ足りない。
まだ答えなんて出せない。
そもそも、何が答えなのかも分からないというのに。
「お付き合いしてください、の答えなんて、YesかNoの二択じゃない」
「おれ的には三択なんだ」
「三択?」
そう、その答えですら、三択なのだった。
Yesとは言えない。
かと言って、Noと言ってしまうことも抵抗がある。
何故なら、元親は今の関係を、友人という関係を惜しんでいたからだ。
Noと言ってしまったら、一緒に友人という関係まで壊れてしまうんじゃないかと。
だから、答えを返すことができない。
「そういう付き合いをすることもできねえけど、ふりたくもねえ」
我ながら、我が儘すぎねえかと思ってしまうほどの。
けれどもそれが本音。
「アイツのことは好きだぜ。けどそれは佐助が好きだってのと、幸村が好きだってのと一緒の好きなんだよ」
「・・・真顔で言われるとさすがに恥ずかしいね」
「友達であることを、手放したくねえんだ・・・」
だって、まだ一年も経っていないのに。
まだ高校生活は二年も残っているのに。
この出会いを。
関係を。
断ち切ってしまうなんて、寂しいじゃないか。
そっか、と相づちをうった佐助は、ついであっけらかんと言ってくれた。
「なら、平然としときゃいいよ」
「・・・へ?」
思ってもみなかった答えに、元親の出口の見えない堂々巡りの思考はぴたりと止まった。
何やらマーブル状だった脳内風景が、真っ白になった。
思わず顔を横に向ければ、相変わらずの飄々とした、でも憎めない笑みを浮かべて、佐助は元親を見た。
「男にマジで告られても、近づくんじゃねえよとか思わなかったわけでしょ?」
「あ、あたりまえじゃねえか!」
「当たり前、ねえ?」
呆れたような、でもどことなく優しい目で苦笑して、佐助は軽く笑った。
「だったら、チカの好きなようにしてたりゃいいよ。
政宗も諦める気なんてないだろうし」
「・・・」
「チカが明確に拒絶しないんだったら、アイツだって好きにやるだろうから、チカだって好きなようにしてりゃいいよ。
耐えきれなくなったら、また告してくるだろうし。
なびく気になりゃそのとき頷けばいいし、ならなけりゃ、またスルーしときゃいいし。
だから、チカの好きなようにしたらいいよ」
「・・・そりゃ、ひどくねえか?」
惚れた相手に、そういうふうに接せられるということは。
それは確かにどこまでも元親にとっては有り難い道だけれど、見方をかえれば、元親に都合が良すぎないだろうか。
そう思わず罪悪感からひそめた声で返せば、佐助は声を上げて楽しそうに笑った。
「チカが気にする必要はないよ」
「え、本当にいいのかそれで?」
あっけらかんとした、軽い言葉。
いっそ傲慢ともいえる開き直り方。
元親は思いつきもしなかった選択肢に、目を丸くした。
「だってそうじゃない?政宗だって好きにやるだろうし、チカも好きにする。
それでプラマイゼロでしょ」
「そ、そうか?」
「それで政宗がチカにスルーされ続けようがどうしようが、それこそ本人の問題じゃん。
所詮、政宗にはチカを振り向かせる度量はなかったってだけの話だし」
容赦ない友人の言葉に、思わずそこまで言わなくてもいいんじゃないだろうかと思ってしまうのが顔に出てたのだろうか。
佐助は柔らかく笑った。
「それに、それこそもしかしたらチカの中で何か変わるかもしれないし。
そうしたら、よかったねえと両手を叩いて祝福してあげればそれで終わる話でしょ?」
すとんと、元親の中で何かが落ち着いた気がした。
とりあえず間違いなく今体は軽くなった。
そうなのだ。
そもそも、元親にとってはスタートの位置を確認できただけに過ぎず、
返す返事の内容すら、見つけられていない。
それこそ佐助の言うとおり、もしかしたら、これから自分の中で何かが変わるかも知れない。
スタートラインに無理矢理つかせた張本人が残した捨てぜりふは。
キスはお試し三回までOKというふざけたものだった。
許された保留期間だと。
そう、思ってもいいだろうか?
正直、今は政宗の言う『好き』には応えられないけれど。
でも友達でいたいのは本当で。
その存在が大事なのも本当で。
スタートラインに押し込められた。
唇に触れたその温度。
鼓膜の奥で、スタートを告げるピストルの音を聞いた。
先に何があるのかは分からない。
途方もない何かが広がっているのかもしれない。
でも。
驚きからとはいえ、足を一歩、踏み出してしまったから。
もう、逃げることはしない。
ゆっくりかもしれないけど、途中で止まってしまうかもしれないけど。
走っていくから。
先にあるものを見ていくから。
だから。
「・・・じゃ、好きにさせてもらうことにする」
「そうしなそうしな」
許されるのなら。
許してくれるのなら。
今はまだ、このままで。
+あとがき+
はい、筆頭延長戦決定〜!(笑)
・・・すんません。一回の告白と一回のキスごときでは兄貴は落ちてはくれませんでした。
ようやくスタートラインについた、というかむりやりつかされた兄貴ですが、
これから色々模索していってくれることでしょう。
何でお弁当作ってやってるのだとか、ピアノ弾いてくれて嬉しかったのかとか(笑)
クラスの兄貴!みたいな勢いで人気者なくせに、一番つるんでるのが楽しいという自覚は何なのか。
タネはしっかり植え付けられたので、あとは育っていくだけです(大笑い)