スタートライン



文化祭は大成功だった。
クラスのほうの出し物もそうだったが、有志で組んだバンドのほうもだ。
三日前にピアノパートが盲腸という緊急事態。
そんな危機的状況を切り抜け、コンサートが無事成功したのも、友人の政宗のおかげだ。
元親は満足していた。
クラスの展示の評判も上々。
まださめやらぬ余韻に身を浸しながら、高校一年目の文化祭は終わろうとしている。
クラスが散会したあとは、それぞれの部署に別れての簡単な片づけがあり、有志で舞台に出た元親たちは、舞台の片づけにあたっていたのだ。
そのあとは、参加自由の後夜祭がある。
運動場のど真ん中でキャンプファイヤーもするというのだから、つくづく騒ぐのが好きな学校だなと元親は思った。
元親自身、その姿勢はとても気に入っていたから、感心したあとは、全力で後夜祭も騒いでやろうと思っている。
校舎の裏側、丁度即席の荷物置き場になっている美術室横の階段に腰掛けながら、元親は唇を緩めた。
まだ夏の余韻を残す太陽が沈んだというのに、皮膚の下を火照らせる熱は引く気配を見せない。
青空の下、思い切りトランペットを吹いた。
空気を突き抜けていく音に、体がほどけるかと思うほどの開放感が身を包んだ。
それからずっと、自分のテンションはトんだままらしいと、元親は笑いながら考えた。
でも仕方ないことだと自分で弁明。
だって、あれほどまでに気持ちよくて楽しいことなんて、そうそうない。
政宗とは即席で合わせたバンドであったが、思い返せば楽しさが身のうちを満たす。
そう、合わせて紡いだメロディが、まだ体に残っている。
「やっぱ無理矢理引きずり込んでよかったぜ」
ああ、楽しいねえ、と。
こんなに楽しいなら、来年もまたやりたいものだなあと、元親は肩を上げて、くっくと笑った。
と、下から今まさに元親の脳裏をしめていた男の声が温い夕方の空気を震わせた。
「何思いだし笑いしてやがんだ」
「あ?」
顔をあげれば、呆れたように眉を上げた政宗が、元親を見下ろしていた。
「気持ち悪イな」
「うっせえよ。ま、でもおれは今機嫌がいいからな、テメエの暴言は聞き流してやらあ」
政宗は首を傾いで、偉そうに、と小さく笑う。
「後夜祭、行かねえのか?」
「行くさ。ただちょいと、思い返してたんだよ」
「何を?」
元親は政宗の顔を見上げた。
自然と顔がほころぶのが分かった。
「昼のステージ」
「・・・・・・」
「一緒にやってくれて、ありがとな」
そう言うと、政宗は居心地悪そうに顔をそらした。
「・・・昼にも聞いた」
「昼にも言ったけど、今また言いたくなったんだよ。あんがとよ、政宗」
「・・・・・・」
元親は、政宗がため息を吐く様を笑みを浮かべながら見ていた。
手でがしがしと頭をかいた政宗は、ついで、気が抜けたように肩をわずかに落として、もう一度顔を元親の方へと向ける。
その表情は、どこか柔らかく。
「ま、あれだけ盛大に泣きつかれりゃあな」
「別に泣きついてねえよ!」
「嘘つけ。頷くまで手離す気なかったくせに」
「それだけ必死だったんだ!」
「だろうな。でなきゃ流されねえよ」
「・・・・・・」
元親はふと、夏休み前、初めて政宗のピアノを聞いたときのことを思い出した。
たたき付けるような声の強さ。
一月以上も前のことなのに、はっきりと浮かび上がるそれ。
実を言えば、一抹の不安はあった。
一抹の罪悪感とともに。
無理矢理巻き込んだことを、怒ってはいないのかと。
まあ、それを無視して突き進んだのは元親自身ではあったのだが。
ステージが終わって気が抜けたのだろうか、唐突に、胸の底にあった不安が顔を出した。
あの日元親が初めて見た、全てを拒絶するかのような声とは裏腹な、燃えるような目を思い出す。
同時に、今日の昼、演奏が終わった後の、晴れやかな笑みを。
しがらみなど何もない、ただ、達成感に頬を上気させて笑う目は、たぶん自分と同じだった。
「・・・」
元親は唇をわずかに開いた。
聞きたいことは色々あった。
ピアノはいつからやっていたのか、とか。
今は弾いていないのか、とか。
どうして、弾かなくなったのか、とか。
本当は、ピアノが好きなんじゃないのか、とか。
けれど、問いたい言葉が渦巻いて、喉の奥から出てこずに。
元親は一度うつむいて、もう一度顔をあげた。
政宗は、柔らかく笑っている。
唇を閉じた。
聞きたいことは色々あったが、それほど重要なことではないと、そう、思った。
「どうした?」
「別に、なんでもねえ。そろそろ後夜祭行くか」
よいせと階段から立ち上がって、運動場の方を向いた。
暗がりのなか、真っ赤な炎が燃えている。
組まれた薪に火が入れられたようだ。
キャンプファイアーなんて、小学校の林間学校以来だ。
数年ぶりでもわくわくするのは変わらないと思っていたら。
背にかかる気負いのない声。
「なあ、元親」
「あん?」
振り向かずに声だけで返せば。
「昨日おれが言ったこと、覚えてるか?」
「昨日?」
首を傾げて、元親は半身で振り返った。
「そう、昨日」
政宗はわずかにうつむいて、楽しげに喉をふるわせて言った。
「昨日の告白」
「告白?」
芸もなく繰り返したあと、元親はああと納得した。
そういえば、昨日元親は確かに、政宗に惚れたと、大音量で告白された。
買い出しに出ようとしていた元親からすれば、唐突にもほどがある告白だったが、別に気にならなかった。
だって、友人から好意を言葉にされたら、嬉しいじゃないか。
政宗は首を傾いだ。
目が、自分を映すのが分かった。
「アンタに惚れた」
「?おう」
「アンタ、分かってねえだろう?」
「?何がだよ」
実際、元親はこのとき、ある意味では確かに何も分かってはいなかったのだ。
「昨日も、今も、おれは、アンタに、告白してるんだぜ?」
元親は瞬いた。
「だからつまり、それだけおれのことを、その、認めてくれてるってことだろ?」
友人として、とは言葉に出さなかったけれども、政宗には伝わったようだ。
政宗はあっさりと首を縦に振った。
元親は瞬間、どうしてか己が安堵したことに気づいていた。
「まあそうだな。けどな、それだけでもねえよ」
まっすぐに向かってくる視線に、柔らかく動きを束縛される。
心臓が俄に動く速度を増した。
この男は一体何を言おうとしているのか。
居心地の悪さはたぶん、本能的な逃げだ。
けれども、逃げをうとうと足掻く心のどこかでまた、紡がれる言葉の先を聞きたいと。
そう思う質の悪い好奇心が存在していることも、確かだった。
「英語がわかんねえテメエでも、これなら分かるだろ?」
失礼な前置きの後に突きつけられた言葉は、確かに告白だった。
「I love you」
キャンプファイアーの周りであがる歓声が、馬鹿みたいに遠く聞こえた。






=あとがき=
これにて悪友編は一区切りです。
先に歩き出したのは筆頭で、兄貴はようやくスタートラインにつきました。
つきました、っていうか、むりやりつかされました筆頭に(笑)
後夜祭でキャンプファイアーって、実際やってらっしゃるんでしょうか?
私の高校は、なかったかなと思うのですが(記憶曖昧)
あ、でも確かフォークダンスはあったはず!!(笑)
フォークダンスでなくても踊りはあったよたしか!