ラ・カンパネッラ

その音色は何を告げる?



その日夜遅くに、迎えに来いと連絡を受けた小十郎は、あからさまに驚いた顔をしていた。
この政宗にとっては養育係でもある男は、いわゆる強面の男で、普段から表情を表に出すタイプではない。
なので、ぎょっとした表情をしたというわけでもないが、見つめる目が、どうかしたのかと心配そうに見えたのだ。
政宗は苦笑した。
全く、自分でも、どうしたのかと、そう思う。
家になんて、呼び出されるか、正月でもないかぎり戻る気はなかったのに。
政宗が住んでいるマンションから、車で一時間ほどの実家。
帰るなり、母親や弟へ挨拶も何もせずに、応接室へと直行した。
当たり前だが、客はおらず、ひんやりとしている。
そこにはグランドピアノがあった。
そう、政宗は、ピアノを弾くためにわざわざ実家に戻ってきたのだ。
夕方、学校が施錠されるまで音楽室でピアノを弾いた。
それでも足りないと思った。
元親たちと音を合わせるには、まだ足りないと。
それだけの理由。
たった、それだけの理由で、近づきたくなどない実家に自分は戻ってきている。
苦笑せずにはいられない。
この日自分は放課後の屋上で、打ち抜かれてしまったのだ。
そのときのことを思い出せば、どうしてか笑いがこぼれた。
体の奥がざわりと騒ぐ。
胸が高鳴る。
テメエとやりたいんだ、と。
テメエがいいんだ文句があるかと胸を張って言い切られた文句。
耳を貫いた小気味良い声は、すとんと胸の内に突き刺さり。
鮮やかに、劇的に。
政宗の中にあった壁を、打ち抜いていった。
穴が空いてしまった壁はもろく、どこか間抜けな音を伴って、あっけなく崩れ落ちていく。
たった一言で易々と打ち抜かれてしまった己を自覚した瞬間、政宗は笑いたくなったのだ。
あまりにもその壁がもろいことに、そのあっけなさに、声を上げて、笑いたくなった。
同時に気づいてしまった。
いとも簡単に、こちらの中に入り込んで。
立てかけた壁をぶちこわしていくなんて芸当ができるのは。
許せるのは。
あの男だけだ。
佐助や、幸村とは違う新鮮さ。
そう、元親がもたらすのは、いつもどこか新しい。
いつだって、目が覚めるような鮮やかさで、元親は政宗に介入してくる。
だというのに、知り合って一年も経っていない事実は遠い彼方であるかのよう。
前から、ずっと一緒に過ごしてきたかのような、淡い錯覚すら感じてしまうほどに。
元親という存在は、自分の中で、確固とした形で存在している。
己の指から紡がれる音に追い立てられるかのように、政宗はただがむしゃらにピアノを弾いた。
そう、追い立てられるのだ。
自覚のないまま、気づけば一緒に走り出している。
揺さぶられてしまう。
体の中で荒れ狂う音がある。
そのことを自覚する。
元々、政宗はそうだった。
ピアノを弾くときは、音の世界へ引きずり込まれ、政宗の意識は白と黒の鍵盤と紡ぐ音で埋め尽くされる。


ああ、鐘の音がする。


政宗は確かに聞いた。
たとえ幻聴だとしても、何かを告げようと鐘が鳴っているのだ。
その鐘の音に同調するかのように、指はもっと早くもっと早くと鍵盤をめまぐるしく移動する。
目眩がしそうだった。
楽譜ぐらいはみてやると、そう言ったあとに元親に抱きつかれたときに感じた目眩と、同じ感覚だった。
心臓が音をたてて鼓動を刻むのが分かった。
抱きついてきた体の重み。
首にまわされた腕の暖かさ。
そして、破顔したその表情を間近で見たとき。
息の仕方を忘れた。
そのとき抱いた感情、思いが何なのか。
知らぬほうがいいと宥める声がする。
けれど、そんな声など知ったことかとばかりに、想いは突き進んでいく。
その先を見ようと走り出す。
耳を侵す音に意識が流されそうになる。
指が回らず、音がとぶのも気にとめずに、政宗はただ音を紡いだ。
曲のフィナーレ。
緩急をつける指とともに、そのまま足場のない空へ飛んでしまったかのように政宗は感じた。
ぽかりと開いた一瞬の音の間に。
「ああ・・・」
唇からこぼれた声。
一瞬、己が紡ぐピアノの音の向かう先が見えた気がした。
それがどんな景色か脳が認識する前に、あやふやなそれは消えてしまったけれど。
曲が終わる。
音が消える。
政宗は顔を伏せて、目を閉じた。


ああ、鐘が鳴る。












=あとがき=
ようやっとここまできました。
筆頭自覚編です。
さて、負けっぱなしの兄貴へ、ここから巻き返していけるかどうか。