Give and Take


八月も盆をすぎれば、一気に夏の終わりに近づいてくる。
つまり、唐突に、学生たちは宿題の存在を思い出すのである。
元親も例にもれず、唐突に、あ、そういえばそろそろ片づけなけりゃマズイんじゃないかと自覚が芽生えたのだ。
それは新学期が始まる五日前のこと。
手をつけはじめたはいいが、どうしても分からないところは分からない。
なので、元親は己一人でやりとげることをあっさりと放棄して、援軍をもとめることにした。
持つべきモノは友人である。
しかし。
「何でだよ、佐助!」
電話口であっさりと協力を断られ、元親は焦った。
電話相手の佐助は、申し訳なさそうにけれどはっきりと、ちょいと無理だと言った。
「協力してあげたいのは山々なんだけど、おれは旦那の面倒みるので手一杯なんだよねえ」
「・・・」
その一言で、元親は沈黙せざるをえなかった。
佐助曰くの旦那、である幸村の成績は元親も知っている。
大会後に課された補習の多さもだ。
耳を澄ませば、電話口の向こうの方から、佐助えええ・・・、と情けない声が。
佐助は苦笑して続けた。
「補習の上に問題集とダブルできちゃって、さすがに死んじゃいそうになってるんだよね」
「・・・そうだな」
幸村の必死っぷり、いやそれはもうあるいみ狂乱っぷりともいえる様が手に取るように脳裏に描くことができて、それ以上は何も言えない元親だった。
せめてもの助け船、というように。
「おれさまは手伝えないけど、政宗は?」
示された友人の名に、元親はあからさまに顔をしかめた。
「え〜?」
政宗の成績の良さ(特に英語数学の)は毎回テストで張り合っているから、元親とて十分承知している。
十分承知していて、あえて佐助に連絡をとっているのだという事実から、色々察してもらいたい。
「何、政宗に手かしてもらうのは嫌なわけ?」
佐助の声が面白そうな色を帯びる。
それもないとはいわないが、ライバルの手を借りるは絶対にお断りだという感情的な理由ではない。
もっと、単純に、あの男から教わるということについて。
元親はすばっと答えた。
「だって、アイツ、早口じゃん」
「そうねえ」
「しかもあの手のタイプは、こっちがすぐに説明を飲み込まねえと苛々するタイプだぜ?」
「そうだねえ」
人ごとのように、実際まあ佐助からすれば人ごとなのだが、気楽に肯定して、けれど佐助は覆しようのない一番重要な要素を突きつけた。
「でももう課題は全部終わらせてると思うよ」
「・・・・・・」
「そういうことで後から煩わされるのが嫌だってんで、期限つきの提出物とかに関しては、大概とっとと終わらせてるから」
「・・・・・・」
「写さして〜って言ったんだったら、ふざけんなってキレるだろうけど、教えて〜って泣きつけば何だかんだいって教えてくれるって!」
「・・・うう」
じゃあそろそろ本気で旦那が錯乱しかけてるから切るね、とあっさりと佐助は電話を切ってしまった。
ツーツーというそっけない音を耳にして、元親はため息を吐いた。
実際、まあ確かに政宗の性格を考えれば、課題はきっちりとびしっと、一分の隙もなく終わらせていそうな気はするし、
頼めば何だかんだと言いながらも、教えてくれるとは思う。
思うのだが・・・。
「どうせなら、優しく教えてくれるヤツがよかったんだけどなあ」
アイツ、そのへんは容赦なく短気だからなあと。
ため息を吐きながらも、元親の指はのろのろと、政宗の番号を呼び出していた。
電話口に出た件の友人に向けて、情けない声で交渉開始。
「なあ、お前夏休みの課題全部やった?」
「An?当たり前だろうが。夏休みの最後に慌ててやるなんてダサイ真似おれがするかよ」
「言うと思ったぜ」
話の流れの予想がついたのか、電話の向こうで微かに笑う気配がした。
「で?用件は?」
一瞬反発するように唇をぐっと引き結び、それでも背に腹はかえられぬと、元親は白旗を揚げる。
「教えてくれねえ?数学と英語。やってんだけどよお・・・」
「・・・」
素直に頼めば、何故か政宗は一瞬沈黙した。
「おい、政宗?聞いてんのか?」
「・・・聞いてる。あんまり素直に認めやがるから、驚いてただけだ」
「うるせえー」
くっくと笑いながら、あっさりと政宗は救いの手を差し伸べる気になってくれたらしい。
いいぜ、と軽い一言。
「おれん家くるか?」
「おう」
そんなわけで、翌日勉強道具を抱えて、政宗の家に行くことにして、電話を切った。

***

元親が政宗のマンションへ行くのは、思い返せば、風邪の見舞いに行ったとき以来のことである。
すっきりとした部屋に通してもらって、とっとと片づけちまえという政宗の言葉にしたがって、さっそく課題を広げて小一時間。
ああ、この世は無常だと、元親は内心で遠い目をしていた。
「何でこんなもんも分かんねんだ?!」
「うっせええ!!分かってたらわざわざ教えてもらいに来るか馬鹿野郎!」
出来る人間というのは、出来ない人間が何故出来ないのかということが分からない。
案の定、政宗はすんなりと理解しない元親にしびれを切らして、どんどんと眉間に皺を刻んでいった。
眉を凶悪に寄せて苛々としたオーラを放ちながら、腕を組んで元親の手元を凝視している様はまさしく監督官である。
見下ろされている元親のほうも、たまったもんではなかった。
同じく苛々するというか、ぶっちゃけ本音を言ってしまえば、大声を上げて泣きわめきたいとすら思っていた。
分からないもんは、分からないのである。
何故それをこの男は理解しないのか!
ちくしょう、他の科目なら負けねえのにと内心で悔しまじりの遠吠え。
しかしながら、課題に出ているのは、数学と英語と英語と数学。
元親が得意とする国語や社会系科目は、わざわざ夏休みに課題をださない。
世の中は不公平だと元親は真剣に考えていた。
声を荒げながらも、必死で問題を睨み付けている元親を見て、政宗はため息を吐いた。
「・・・別に課題なんざ出さなけりゃいいだろうが」
「どうせ呼び出されてやらされるだけだろ?だったら初めから出してらあ」
反射的に言い返して、けれどもそのうちの三割は虚勢で二割は目の前の男に対する意地だということは、元親も認めていた。
「あ〜〜〜」
シャーペンがまったく動かずに呻く元親に、政宗は己のシャーペンで問題の一点を指し示し。
滑らかな口調で一気に説明をしてくださった。
「・・・で完了。・・・You see?」
アイ・シーと軽やかに返せないのはこれで何度目だろうか。
「・・・パードウンミー」
棒読みの台詞に、政宗はシャーペンを放した。
「佐助んとこ行けよ」
面倒くさそうなその声に。
思わず元親もむかりときた。
「もう行ったっつの!!」
でなきゃ誰がテメエのとこなんかに来るかよちくしょーとは、声に出さずに胸の内で盛大に悪態。
しかし、何故か政宗はすぐさま返されたその言葉に、ぴしりと体を固まらせた。
「Pardon?」
「幸村が手一杯だって追い返されたんだよ!!」
「ほお〜?」
政宗の唇が引き上げられる。
「それでおれの所へしぶしぶ泣きついてきたと」
「そうだよ!悪いか?!さっさともう一回教えやがれ!」
「オーケイ。きっちり丁寧に面倒みてやるよ」
そのやけに腹に響く声で太鼓判をおされて、元親は我に返った。
政宗の唇は弧を描き、笑みを刻んではいたが、目が笑っていないように思えるのは気のせいか。
鬼気迫る、という言葉が似合う笑顔に、元親は口元を引きつらせた。
「そりゃあもう、完璧に仕上げさせてやるから、安心しろよ、元親ア」
「え、いや、あの、そ、そこまで気にしてもらわなくても」
「Are you ready?」
ああ、どうやらいらぬプライドを刺激してしまったらしい。
元親は乾いた笑みをもらし、ごくりと唾を飲んだ。


鬼教官殿の的確な指導のもと、課題を仕上げたときには日が暮れていた。


「終わった・・・」
机の上につっぷして思わずつぶやいてしまった元親を、政宗は鼻で笑った。
「Han,このおれが面倒みてやったんだ、当然だろ?」
「面倒っつうか、しごきじゃねえか」
ぼそりとつぶやけば、政宗は片眉を上げて偉そうに元親を見下ろした。
「何か言ったか?」
「いんや何も!すっきりと新学期を迎えられるのも政宗クンのおかげでございますー」
わざとらしく棒読みで返せば、政宗は唇を歪めてまことに偉そうな態度で頷いた。
「分かってりゃいんだよ」
「けっ」
「じゃあ、夕飯つくれ」
さらりと続けられた言葉に、元親は一度動きをとめて、次いで盛大に顔を歪めた。
「・・・あ?!」
「おいおい、タダで教えてもらってタダで帰ろうってか?」
そう言われれば、言い返せることは元親にはなかった。
何せ、今日に限っては、全般的に元親のほうが不利なのである。
それに別に政宗の態度が多少腹立たしいだけで、感謝していないわけでもないのだ。
なので、ここは素直に譲歩してやるかと元親は政宗に対して余裕を見せてやることにした。
「・・・何がくいてえんだよ?」
「肉じゃが」
「・・・」
簡潔な要望に、元親は目を見開いて、政宗を見返した。
さっきまでの癪に障るような笑みではなく、そこにあったのは、真剣な顔。
「肉とじゃがいもタマネギだけの肉じゃが」
「・・・」
元親にいわせれば、にんじんが入っていない肉じゃがなど、肉じゃがとは認められないのだが。
「・・・おれの肉じゃがが、喰いてえわけ?」
そう念をおせば、政宗は頷いた。
「だからリクエストしてんだ」
元親はふと唇を緩ませた。
「・・・そうかい」
そういえば、初めてこの男が食べた己の手料理も、肉じゃがだったっけなあと元親は思い返した。
とても素直に、旨いと褒めてくれたのが、存外嬉しかったのを覚えている。
味自体は、気に入ってくれているらしいと思えば、今でもやっぱり、どことなく嬉しかった。
まあ、この男の好き嫌いの多さにはやはり一言言いたくなるが。
今日は止めにしておこうと決めて、元親は肩をすくめた。
「しゃあねえなあ」
「・・・」
「買い物いくから、付き合えや」
元親の柔らかな声に安堵したかのように、政宗は小さく笑った。
それから政宗の自転車に二人乗りして、近くのスーパーへいき、リクエストどおり、肉とジャガイモとタマネギだけの肉じゃがを振る舞ってやった。



=あとがき=
夏休みの宿題は、初めに半分やって、ほどよく余裕こいて、最後に慌てて仕上げるというプロセスをふんでいた私です。
税の作文は中学から高校まで、長〜いおつきあいだったなあ(遠い目)
でも宿題をちゃんとやるって、こいつらやっぱり普通にいい子ですね(生ぬるい笑み)