亡き王女のためのパヴァーヌ
断ち切れぬ想いを抱えている

お前音楽室の掃除なんだってな、とそう元親に声をかけられたのが昼休みのこと。
いきなり放課後の掃除場所を確認され、怪訝ながらも政宗は頷いた。
元親にラッキーとばかりに顔を明るくされ、放課後音楽室に用事があるから、鍵閉めずに待っててくれねえかと頼まれて。
嫌だと断る理由もなかったので、政宗はよく分からないままOKと頷いた。
政宗と同じく音楽室の掃除にあたっていた他の連中はもう、部屋をでており、今この特別教室にいるのは政宗一人だけだった。
三階の校舎の端に位置するここは、放課後のざわめきとは無縁だ。
風を通すために開けた窓をそのままにして、政宗は一人教室に佇みながら舌打ちをした。
今になって、元親の頼みなんざ断っておくべきだったと思ったのだ。
音楽室に必ず据えてあるグランドピアノ。
まるで主の用に、静かな教室に佇む黒が視界にちらつく。
政宗は幸村や佐助と同じく、美術選択だ。
だから、音楽室なんかに足を踏み入れる機会は、掃除以外にない。
苛々と音楽室の鍵の束をもてあそんでいた政宗だったが、さわりと、窓から流れ込んできた風に触れたとき、諦めにも似た息を忌々しげに吐いた。
実際、忌々しいことこの上なかったのだ。
ピアノにふらふらと引き寄せられてしまう自分が、だ。
気がつけば、鍵の束を机の上に無造作に置いていた。
気がつけば、ピアノのその椅子に腰を下ろしていた。
気がつけば、その黒塗りのふたを開けて。
気がつけば、その白い鍵盤の上に指を、沿わせていた。
ひやりと冷たく硬質な感触が指先から伝わってくる。
政宗は意図せず微かに体を震わせた。
それは嫌悪感から引き起こされた震えだと政宗は思った。
ピアノに触れて、馬鹿みたいに悦んでいる己の指先に対する嫌悪だと。
軽く力を込めれば、簡単に音を響かせる。
何て簡単なんだ。
あまりに簡単過ぎて、響かせる音に誘われるように、政宗は両手を鍵盤に添えていた。
初めの一音は言い訳がましく。
けれど、両手指から音を紡ぎ始めてからは、政宗の意志などどこかへ流されていた。
嫌悪も、意地も、どこにもなく。
ただそのとき政宗の中にあったのは、鼓膜を震わせる、指から紡がれる旋律だけであった。
柔らかい、静かなメロディ。
その曲は、亡き王女のために紡がれる名が付けられていた。
ピアノに触れなくなって三年経つ。
三年経つというのに、このメロディだけは何故か忘れずにいる。
その事実が持つ意味を認めたくはなかった。
けれど、静かな旋律に浸っていると、どうしてかこのまま流されてしまいたいとも思う。
その思いがどこから来るのか、よく、分からないし、分かりたくもなかった。
手を止め、息を吐いたとき。
「すげえな、お前」
感嘆に満ちた声が聞こえて、政宗は体を強ばらせた。
目を見開いたまま顔をあげれば、ピアノの向こうに、笑顔。
政宗をこの部屋に留め置かせた男が、頬を緩めて、そこにいた。
「ピアノ弾くのか」
「・・・ああ」
頷くのにとっさに覚えたためらいが、居心地悪かった。
「何だっけ、その曲、ええっと」
眉を寄せて瞬きする元親に対して、政宗の唇はするりと、その曲名を告げた。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」
「ああそれだそれ」
うなずき返す元親の反応に、何をやってるんだ自分はと思いながらも、この場を取り繕う上手い言葉を見つけられずにいた。
さっさと鍵を押しつけてこの部屋から出て行きたいと思っているはずなのに、何故か体はピアノの椅子に縫い止められたかのように動かない。
この男と、こんな話をしたいわけではないのに。
元親は、すげえなお前、ともう一度言った。
裏のない言葉は政宗に喜びとかすかな苛立ちを与えた。
さっさとここから立ち去るべきだと、頭の中で冷静な声がするが、体にはまるで伝達されていない。
元親は、ピアノの向こうから回り込んで、政宗の斜め前に立った。
ピアノに腕を乗せ重心を傾ける。
見下ろす瞳は、楽しげにきらりと輝いていた。
「なあ、おれよ、文化祭に何人かと組んでブラバンやるんだよ。お前も一緒にでねえ?」
その言葉に、政宗は瞬いた。
頭の奥がずきりと鈍く痛んだ気がした。
「・・・でねえ」
そう返すと、元親は眉をあげて、食い下がった。
「何で?!一緒にやろうぜ、なあ」
丁度ピアノ弾けるヤツを探してたんだとの言葉を最後まで聞くこともなく。
「やんねえっつってんだろうが?!」
思ったよりも強い声がでて、ようやく政宗は冷静になることができた。
冷水を浴びたかのように、一気に視界、思考がクリアになる。
そうしてようやく、言い過ぎたと思った。
声を荒げられた元親のほうはけれど、怒るわけでもなく、気分を害した風もなく、ただ驚いた顔をして政宗を見ていた。
目を見返すことができずに、乱暴に政宗はピアノのふたを閉めた。
固い音がした。
そっか、と柔らかい声が降り、政宗は顔をあげた。
元親は、困ったように眉を寄せて、けれど柔らかく笑っていた。
肺が掴まれたかのようにしくりと痛んだ。
「嫌なら、まあ仕方ねえか」
悪かったな、と潔くそう謝って、元親はピアノから離れた。
「準備室に用があったんだ。待っててくれて、あんがとな」
その声の優しさに、政宗は唇を引き結んで立ち上がった。
元親に何か言うこともなく背を向けて、逃げるように音楽室から出た。
実際、政宗は逃げたのだ。
乱暴とも、理不尽とも言える八つ当たりに似た声に、元親が反発もしなかったのは、それが元親の優しさだからだろう。
そのことを理解しながらも、今自分は冷静に謝ることはできないと思ったのだ。
だから、その優しさに甘えて飛び出した。
初めてピアノに触れたのがいつだったのか、政宗自身覚えていない。
ただ、物心ついたころには、ピアノに触っていた。
母親の薦めでピアノを弾いた。
あのころ、小学生のころの自分にとっては、ピアノは己から切り離せないものだった。
それが変わったのはいつからだったろう?
前から察していたことだった。
自分と母親の間にあるもの。
それは、弟と母親の間にあるものとは違うことを。
気づいて、諦めにも似た思いを受け入れたとき、政宗はピアノを弾くことをやめたのだ。
そして、家をでた。
やめたくせに、ピアノに触れると沸き立つ感情がある。
だからこそ、元親の誘いに、過剰に反応したのだ。
頭のなかの冷静な部分では自覚していたが、心の固くなった部分は受け入れまいと声を荒げている。

本当は、少し、嬉しいと思っただなんて。

そんな思いは知らぬと自身に言い含めて、政宗は廊下を踏みしめた。







=あとがき=
ようやく出せました兄貴s楽器設定。
筆頭はピアノ。兄貴はちなみにトランペットです。
筆頭が得意な曲は、短調で派手な曲とか技巧曲だと思ってたんですが。
実際、25とかの筆頭withピアノを考えると、うんざりするぐらい余裕な顔で技巧曲をさらっと弾くイメージとか、
気怠げな様でジャズを弾くイメージがあるんですが。
学園の筆頭はむしろ、タイトルにある「亡き王女〜」とか「アヴェ・マリア」とか「トロイメライ」とかの
静かでほのかに哀切が漂う曲を得意としてます。
得意、というか、状況とか心境に合ってるっていうか(え?)
しょんぼりした背中というか。
静かに、苦笑する感じ。