早いもの勝ち
結局の所。何事も早いもの勝ちなのだ。喧嘩を売るのも謝るのも。
別に何か特別な意図があって口にした台詞ではなかったのだ。
所詮は売り言葉に買い言葉というやつで。
我ながら後先考えずに勢いだけの発言だったと反省している。
「別におれから頼んでねえだろ?!」
言い返してくれればよかったのだと、政宗はこれまた自分勝手なことを思った。
わざわざ作ってきてもらっている立場である政宗からすれば、絶対的に元親のほうが立場的には有利な位置にいるはずだったのだ。
それは政宗自身がそう思うので間違いない。
なのに、元親は唇をぴたりと閉じ、いっそ気味が悪いほどの沈黙で答えを返した。
はっきり言って、そこでようやく目が覚めたというか、頭が冷えたのだ。
言ってはならない言葉を自分は言ってしまったのだと。
「あれはどう考えても政宗が悪いでしょ。
弁当わざわざ作ってきてもらってるってのにさあ。
そりゃおれだってムカっとくるよ」
「うるせえよ」
佐助に言われずともそんなことは政宗が一番よく分かっている。
元親のどこか冷めたような視線に当てられたとき、政宗は我知らず息を呑んでいた。
そして。
何故か、政宗は元親に先に謝られてしまったのだ。
元親の捨て台詞は、明日からは好きなもん喰えや、であった。
つまり、それは、明日からは元親の弁当は食えないという事実宣告であった。
悪かったと、先に言われてしまった間抜けな自分に言える台詞などは何一つ残されていなかった。
ひどく気分が滅入った。
「政宗の偏食は知ってたけどさあ。まあいつかチカは切れると思ってたね」
何のフォローにもなっていない。
まあ、フォローする気もないのだろうが。
「・・・うるせえ」
したり顔で頷く佐助の後頭部を平手ではたいてもどった教室。
今日の弁当も、相も変わらず旨かった。
だというのに、何故か胸の内が気持ち悪い。
悪いことを言ったと思う。
反省もしている。
そりゃまあ確かに、もやしのひげを一本一本むしるのは大変だろう。
何故自分はあの場でさっさと悪かったと謝っておかなかったのか。
今更、どんな顔をして謝ればいいのか分からない。
これで元親が年上だったなら、もっとことは単純に済んだに違いないと政宗は思う。
或いは、年下だったら。
けれど、元親は自分と同い年。
殴り合いの喧嘩もした。
馬鹿なことで張り合った。
佐助や幸村とは少し違った、新しいつながりは、政宗にとってはどこか新鮮で。
たぶん、つまらない見栄が問題なんだろうと思う。
元親が年上であったなら、すみませんの一言とともに頭を下げることができる。
年上に対する敬意を払うという理由がつけられるから。
元親が年下であったなら、悪かったなの一言とともに、頭を軽く叩いて、謝意を示すことができる。
口の悪い先輩だと誤魔化すことができるから。
同い年の場合は、それがない。
適当な理由や建前がない。
午後の授業は得意の数学。
だというのに、一向に頭に入ってこない。
政宗は頬杖をついてシャーペンの先でノートをこつこつと叩いていた。
機会を逸してしまった後は、居心地の悪さだけが胸にあった。
だいたい、政宗は謝るということ自体、慣れていないのだ。
今まで誠心誠意頭を下げて人に謝ったことがあったか?
己の人生を思い返すこと十数秒。
結論。
たぶん、ない。
物事をそつなくこなすことにかけては昔から得意だったのだ。
佐助や幸村などの所謂幼なじみに対しては、いつのまにやら容赦も遠慮もない間柄になっていて、いつからなんて忘れて久しい。
そう言えば、初めて元親と顔を合わせたときもそうだった。
誠意が足りないと言われたっけなあ。
政宗は机に突っ伏した。
そう言ったときの元親の声を思い出して、どうしようもなくへこんでしまったのだ。
しかし、政宗がいくら気まずかろうと、気分が悪かろうと、次の日はやってくるのである。
朝、下駄箱で顔を合わせて固まった政宗に対して、元親は唇を引き上げて。
「はよっす!」
普段と変わらぬ笑みを浮かべてこう言った。
「・・・おはよ」
もしかしたら無視されるかと思っていた政宗にとっては、予想外の元親の態度だった。
ただ、普段と違うのは、そこで弁当を渡されることがなくなったということだけであった。
昼食も四人そろって屋上で食べた。
ただ、政宗がひさびさに食べたコンビニ弁当について、元親が何かいうことはなかった。
はっきり言って、政宗は戸惑った。
ついで、脱力した。
肩すかしをくらったかのような気分だった。
元親はもう、怒っていないのだろうか。
怒っていないというのなら、政宗にとっては喜ばしいことであるはずなのに。
何故だか、癪にさわる。
気分が悪い。
元親の態度が普段と変わらなくて、感謝こそすれ、どうしてもやもやとしなければならないのか。
本当は、綺麗に洗った弁当箱を返して、勝手なことを言って悪かったと、そう謝るつもりだった。
だが、その思いも今はもう虚しい。
またもや先を越されて笑顔であいさつされ、盛大に出鼻をくじかれた自分に出来たのは、馬鹿みたいに同じ挨拶を返すことだけ。
「政宗殿?」
「・・・ああ?」
いつのまにやらそばに来ていたらしい幸村の声に政宗は顔を上げた。
「あんだよ?」
「さきほどの英語のノートを写させて欲しいのでござるが・・・」
「ほらよ」
幸村は何故か渡されたノートを持ったまま数秒、ノートを見、そして政宗を見返し、瞬きをした。
「用が済んだらとっとと行けよ。次体育だろうが」
幸村ははっとしたようにノートを恭しく押し抱いて、かたじけないでござると礼を言い己の席へと戻っていった。
本日最後の授業は体育である。
窓の外へと視線をやって、政宗は緩慢な動作で立ち上がった。
本日最後の授業はサボることに決定した。