不本意なWORKAHOLIC

元親は顔をあげて、壁に掛かっている時計を見た。
ただいま5時、10分前。
今日は残業の予定もなく、定時に帰れそうだと、パソコンの電源を落とし、帰宅の準備をしていたところへ。
突然上司から声をかけられ、元親はびくりとした。
ああ、あまりいい予感はしない。
今日はひさびさに手料理でもしようかと思っていたのに。
しかし、元親はサラリーマンなのだ。
上司の言葉は絶対で、元親は諦めながら席を立った。
上司の机の前にたったところで。

社長がお呼びだ。

この一言に。
元親は目に見えて分かるほどに、嫌そうに顔をしかめた。
「今からっすかあ?」
口答えともとれる元親の言葉に、しかし上司は怒らなかった。
異例のことである。
普通であれば、社長からお声がかかったというのならば、喜びこそすれ、嫌そうな顔などもってのほか。
しかも、元親は別に役員なわけでもないのだ。
一般の、平社員である。
平社員に社長の声がかかった場合、普通はうらやましがられるものであるが。
元親を見返す上司の視線には、怒りの色はなかった。
代わりにあったのは、多少の同情と哀れみの色だった。
こほんと咳払いをして、しかし彼は決然と告げた。
同情していようが、社長のお言葉は絶対である。
「今から、だ」
元親は息を吐いて肩を落とした。
ああ、手料理よさようなら。
内心で涙をのんで、すごすごと元親は部屋をでた。
社長室は最上階にある。
丁度部屋の手前では、見知った顔がいた。
この会社の副社長兼、社長の秘書兼、ボディーガードでもあるオールバックの渋い男性は、元親の姿を認めて、かすかに片眉を上げた。
何でテメエがここにいる、という質問をたずねられる前に元親は答えた。
「シャチョーに呼ばれたんだ」
副社長はかすかにため息を吐いた後、片手を上げて元親の横を通り過ぎていった。
諦観のため息である。
いっそのこと自分も諦観の極みにまで達してしまいたいとも思ったが、元親はまだまだ往生際が悪かった。
気乗りしないノックを二度。
声が返ったところで、重い足取りで中へと入る。
「来たか」
中央にあるソファの上で、偉そうに足を組んで、人の悪い笑みを浮かべてこちらを見やるふてぶてしい面の若者が一人。
己より年若いこの偉そうな男が、社長なのであった。
誠に忌々しいことにだ。
その前へと進み、顔を歪めたまんま一言。
「何かご用っすか、社長」
「ああ」
「今日は定時で帰る予定だったんすけど」
「諦めろ」
あっさりと言ってくれる横暴な上司である。
さも当たり前のことのように手首を掴んで引き寄せようとする男に、元親は足に力をいれてふんばった。
「おい、会社じゃやめろっつってんだろうが」
眉を寄せて告げれば、社長、兼恋人である政宗は眉を上げて元親を見やった。
元親は手首を撫でるその手を片方の手でぴしりと叩いた。
そんな流し目でほだされるかというのだ。
何故なら、ここは、会社であって、家ではない。
そんな至極普通な一般常識が何故かこの男には通じない。
常識の通じなさ、質の悪さといったものを、部長クラス以上の役員は知り尽くしている。
故に、元親の直接の上司もあのような目を元親に向けるのである。
つまり、やっかいなのに気に入られてしまったが、まあ諦めてくれ、この一言である。
どうせろくなことを考えていない、と元親は確信した。
特に、機嫌良く目をきらめかせている時などは!
なので、元親はこいつは非常識こいつは非常識と胸の内で唱えながら、何とか説得を試みた。
まあ、たぶん、きっと、十中八九、無駄な気はせんでもなかったのだが、そんな事実にはこの際気づかないことにする。
悲しすぎるからである。
「これが用だってんなら、おれは帰るぜ」
「そりゃ許可できねえなあ」
「あ?!」
「ちゃんと用ならあるぜ」
政宗はにやりと唇を引き上げた。
元親は思わず体を引いたが、手首はがっちりと掴まれているのであまり意味はなかった。
「テメエに任せた来週のプレゼンについてだ」
「・・・」
仕事のことを出されては、元親には是非もなかった。
なんせ、その場合においては、政宗が絶対的に立場が上であるからだ。
元親は耐えるように目を閉じて、息を吐いた。
その場に直立で立ち、社長のお言葉を聞く体勢になる。
「はい」
「資料をみせてもらったが、あれじゃあまだ押しがたりねえな」
「・・・」
「悪かねえが、これじゃ向こうは首を縦には振ってこないぜ。
この契約が長引くようじゃ、他の所に影響がでる。
今回でうんと言わせてもらわなきゃ困るんだよ。 You see?」
元親からすれば、提示した資料で十分だと判断していた。
上も頷いた。
まあだからこそ社長が目をとおすことになったのだろうが。
なので、反射的に反論が喉から出ようとしたが、元親はそれをぐっと飲み込んだ。
相手は、社長。社長の決定が優先されるのは当然のことだ。
それになにより、こと仕事に関しては、この男の能力は希有なほどにずば抜けていることを、元親は知っている。
だからこそ、若くして社長という座に納まっているのだが。
「わかりました。もう一度内容を見直します」
「Good」
満足そうに頷いた政宗を見ながら、ああ今日は残業の宣告だったのだなと元親が納得して体の力を抜いたところで。
そのタイミングを見計らったように、掴まれっぱなしだった手首がぐいと引かれ、油断した元親はまことにあっさりと政宗の座るソファの上へと座らされた。
「ってだから何でこうなる?!」
「ちゃんと立派な用だっただろ?元親クン」
「ぎゃー!クンとか言うな鳥肌がたつだろうが!!」
半ば本心から元親は悲鳴を上げた。
実際肌がざわついた。
「鳥肌になったかどうか見てやるよ」
「見なくていいから!!っつか見る必要性なんて欠片もねえだろうが?!だからネクタイを外すなあ!!」
片手で元親の体をソファに押し倒して、政宗はもう片方の手で器用に元親のネクタイをほどいていく。
手慣れている感が非常に嫌である。
「ここは会社の社長室!!家じゃねえの!!」
「言われなくても承知だぜ?ここは社長室。つまり、おれの部屋だってことだ」
「ちっがうだろ?!」
しゅるりと音をたてて首から抜かれたネクタイを手に絡めて持って、政宗は元親の目の前へと持ってくる。
「あんまり暴れると、おれにも考えがあるぜ?」
元親は思わずぐっと言葉を飲んだ。
政宗の意図など考えずとも明らかだ。

縛る気だ。

こいつ、容赦なくネクタイで縛る気だ。
それは勘弁していただきたい。
あくまで両手で政宗の体を押しとどめながら、元親は冷静に唇を開いた。
「お前な、これはあれだ、セクハラだぞ?それに公私混同もいいとこだ」
「同意の上ならセクハラじゃねえだろ」
「いや同意してねえし」
「公私混同については、確かによくねえなあ。風紀が乱れる」
現在進行形で風紀を乱しに乱している男が何をぬかす、しかも正当な反論は無視か、と元親は言葉に出さずにこぼした。
さすがワンマンを地でいくと評判の社長殿である。
「だがそれもすぐに解決だ」
「?」
にやりと笑う政宗が顔を横に向ける。
つられて向けたそこには、アンティークともいえる立派な時計があった。
そして。
ぼーん、と誠に渋い心地よい音が5回耳を打つ。
元親の唇の端が引きつった。
5回なるということは、それはつまり、5時を告げる時計の音で。
この会社の定時は、5時である。
鈍い動きで首を戻せば、偉そうな、それでいて魅力的な笑みがそこにあった。
「今からお前もおれも、会社員の制約から解放されたってわけだ」
元親は顔をしかめた。
政宗の機嫌良さそうな声とは反比例して、元親の嫌な予感が増量中。
諦め指数も、元親の心中とは裏腹に上昇中。
「私的な時間をloverと持つことは至って自然な成り行きだろ?」
「だ、だとしてもだ!!部屋帰ってからでいいじゃねえか?!」
何で『この部屋』なのかと、半ば屈してしまいそうになりながら、元親は最後の抵抗を試みた。
何故屈しそうかといえば、純粋に、腕の力比べに負けそうだからだ。
この男、見かけは細い体をしているくせに、ついている筋肉が半端じゃないのだ。
かっちりと肌を覆っているスーツの下にあるのは、無駄な脂肪が一切ない体である。
その見事な体をありありと思い出してしまい、ますます腕の力が抜けそうになる。
そんな隙を、やり手の男が見逃してくれるはずもなく。
体を寄せられ、至近距離で合わさる目に捕らえられたらもうダメだ。
元親に逆転の手段などない。
政宗は唇を弧に描いた。
何て嫌な笑みだ。
嫌になるくらい、絵になる笑みだ。
「それが生憎と、7時から会食があるんでね」
「・・・はあ?!」
「空いてる時間が、今しかねえのさ。
じじいどものむさ苦しい顔みながらの会食なんざよりも、テメエを愛でるほうを優先してえんだが、そうもいかなくてな」
Sorry honeyと額にキスを落とされるが、元親から言わせればそれは謝る場所が違う。
「だ、誰かが来たらどうすんだよ?!」
「小十郎が見張ってるから誰も入ってこねえよ」
副社長も同意済みなのか?!と元親は愕然とした。
ああ、だからこそ、彼はすれ違ったとき諦観のため息を吐いたのか!!
だからこそ、片手を上げて元親を見送ったのか!!
呆然としている元親を見ろして、政宗は機嫌良く目を細めた。
「そういうわけだ。Are you OK?」
政宗の手と口元の間で、ぴんと張られたネクタイ。
白い歯をこぼして笑む顔は、楽しそうに輝いていて。
元親は引きつった唇で乾いた笑みをこぼした。
ああ、残業手当にはならないんだろうなあ。
こいつの会社に入ったのが運の尽きなのかもしれないと思うと、なんだか泣けてきた元親だった。







=あとがき=

若社長×平社員。
想像したら負けだった(私の)
かっちりした服装が大好きな私としては『スーツ』というブツはもうドストライクもいいところで。
筆頭とかスーツ似合いすぎだと思います。
あり得ねえくらいにイイ男ぶりだと思います。
そして絶対ワンマン社長だと思います(ここ強調)
横暴でワンマンもいいところですが、経営能力に関してはずば抜けてるいるので誰も文句がいえないという。
きっと街で普通にであったところで、ほどよく意気投合したあと、
後日何も知らずに会社の面接いった兄貴の前にいたのが筆頭というサプライズ出会いだったにちがいない。
気に入られて目を付けられて色々あれやこれやがあってこんなことに(ああ・・・)
運が悪かったんだよ兄貴(ええ?!)
上の続きがアップされてたら笑ってやってください(えええええ?!)