ミッション・インポッシブル
元親を知るものは皆こういう。
見た目はいかにもな兄ちゃんだが、中身は結構家庭的だと。
むしろいっそ主婦っぽい。
そんな元親の住まいであるマンションの一室は常にぴかぴかで、非常に気持ちのいい空間である。
テレビの上には小さなサボテンがあり、部屋の角には観葉植物。
とどめはベランダでプランターに家庭菜園である。
そんなわけで、元親は本日もベランダのハーブたちにじょうろで一つ一つ丁寧に水をやっていた。
鼻歌なんぞも歌って、非常に上機嫌である。
そして、そんな上機嫌な元親の後ろからにょきりと伸びる手があった。
がしりと首に巻き付いた腕に、元親は思わず鼻歌を中断せざるを得なかった。
背中が重い。
「んだ政宗え、コーヒーのおかわりはまだあるだろ?」
「コーヒーの催促じゃねえよ馬鹿かテメエ」
「人の背中にべったりひっついているヤツに馬鹿呼ばわりされたくないぜ」
文句なのか、首に回った腕がぎゅうとしめられて、元親はギブとばかりにその腕をぱしぱしと叩いた。
「コーヒーじゃねえなら何なんだよ?おれは今忙しいんだけど」
何せぐんぐん育っているハーブたちへの水やり中なのだ。
ぶすりと不機嫌そうな声で、背中に張り付いた主、政宗は一言言いはなった。
「構え」
お前は子供か?と思いたくなるような反応である。
いや、まあ案外甘えたがりの恋人のこの反応は、可愛いといえないこともないのだけれど。
元親はさてどうしようかと思った。
まだじょうろには水が半分以上も残っているのだ。
せめて水やりぐらいは!と元親のガーデニング魂が主張する。
「もうちょっとで終わるから、それまで大人しく待っとけよ」
「いつもそう言ってほったらかしじゃねえかテメエ」
いや、まあそれは、と内心でぬるい言い訳開始。
だって水やりしたなら、雑草とりもしたいものだし、こまめな手入れがこれがまた結構楽しいっていうか。
そこまで考えて、政宗の腕を押さえていた己の腕にはまっている腕時計が目に入った。
「つうか、ベランダでてからまだ五分も経ってねえだろ!!」
瞬間、元親の中での天秤は一気に傾いた。
「ホント我慢のきかねえヤツだな!!」
ベシリと腕を容赦なくひっぱたいて、そしてちょいと反動をつけて頭を反らす。
ごつりと鈍い音とともに、背中に張り付いていた重みと温度は離れていった。
よし、これでハーブに専念できると、元親はプランターに向き直ったのだが。
「!?」
びしりと体が固まった。
同時に思考も固まった。
目もくわっと見開いた状態でキープ中。
その様子に気づいたのか、どうした、と後ろから政宗が元親の肩の横からひょこりと顔を出した。
時が再び動き出し、元親は息を吸った。
喉が掠れた音をこぼし。
「・・・し」
「What?おい、元・・・」
「毛虫」
「An?」
「毛虫イ!!!!!!」
半ば裏返った声で元親はその視界に映る緑色の物体について声を上げた。
「Han?・・・Ah〜確かに毛虫だなこいつは」
そこで言葉を切って、政宗は元親の強ばった横顔を見た。
「お前、こういうのダメなのか?」
「だだだだだだだめって何がだめだって??」
元親は必死だった。必死だったが、その意識の大半は緑の物体に注がれていたので、政宗がにやりと不穏な笑みを浮かべたことには気づかなかった。
そしてソイツは動いた。
もぞりと。
元親はびくりと肩を跳ねさせ。
「ぎゃああああ動いたああああああ!!!!!」
愛用のじょうろを取り落として後ずさるが、すぐに下がれなくなる。
政宗の体に遮られて、だ。
そこでようやく、元親ははっとした。
政宗の存在に気づいてだ。
実を言えば、会話していても、政宗の存在は頭から消えていた。
毛虫のことしか頭になかった。
元親は毛虫が大の苦手なのである。
主婦の敵のゴのつくやつは冷静に対処できる。
クモも蛾も平気だ。
けれど、ソイツはダメだった。
理由なんぞは説明できない。
嫌なものは嫌でダメなものはダメなのだから仕方ないではないか。
元親は嫌な予感がして、背中にある政宗の方を顔だけで振り返った。
いつのまにやら、政宗の腕はがっちりと腹に回っている状態。
政宗は何故か口元で笑んでいる。
元親は己の顔からさあと血の気が引いていくのがわかった。
この顔はよくない。
この男前な恋人の、これまた非常に楽しそうな表情は横から眺める分には全く問題はないが、
元親にとってはそれだけではすまないであろうことは今までで実証済みだ。
この年下の恋人は、甘えたでそして子供っぽいところがある。
自分にだけ向けられるそれは喜びもあるのだが、物事には何事にもイイ面と良くない面とがあるのである。
だらだらとこめかみから嫌な汗が流れる気がした。
「とらねえのか?」
「と、と、とる?!」
政宗は顎で元親の天敵Xを指し示した。
「アンタの大事なハーブはそいつにとっちゃあただのメシなんじゃねえの?」
言われて元親は顔を元に戻した。
ソイツが通ったあとにのこるのは、寂しげな喰い穴の残るハーブたち。
元親にとっての天敵は、ハーブにとっても天敵だった。
「!!」
そう、政宗の言うとおりにハーブからコイツを取り除かなければならない。
それはまさしく元親の役目なのだ。
使命感と嫌悪感の迫間で、元親は揺れに揺れていた。
くすりと耳元で笑む声。
「怖いのか?」
元親は眉を寄せて瞬いた。
その楽しそうな、小馬鹿にしたような物言いに、カチンときたのだ。
腹に回っていた腕をひっつかんで引きはがし、元親は政宗の体を乱暴に押しのけて部屋へともどり、そして手に割り箸を携えて戻ってきた。
「馬鹿にすんなよ、こんなヤツに屈するおれじゃあねえ!!」
「ほお」
腕を組んで傍観体勢の政宗を一瞥して、元親はXに向き直った。
そうだ、こんなものは箸でつまんで、ひょいと捨ててしまえばいいのだ。
箸を持つ手が緊張で震えた。
いやでもしかし、力を入れすぎてつぶれたらどうしよう。
考えずともいいことを考えるのが人の心理というものだ。
想像して、元親はううとうめいた。
もぞりと這うX。
意を決して箸でつまむ元親。
しかし震える手は力の加減を間違い、無情にも箸は元親の手からするりと滑った。
箸の上にXをまとわせながら。
「ひいいっっ!!!」
我ながらみっともないにもほどがあると思ったが不可抗力だ。
後ろに飛びずさったが、これまた政宗の無駄にすらりと長い足に邪魔されてそれ以上逃げることができない。
「屈しないんじゃなかったのか?」
「うるせえええっっ」
もはや恥も外聞もなくそう叫んだ。
もうすでに目は潤んできていている。
「こんなんどこが怖いんだか」
政宗は軽くそう言って、ひょいと落ちた箸をとり、これまたあっさりとXを捕獲した。
その鮮やかな手並みに、元親はちょっと感動した。
思わずヒーローを見上げるヒロインの気持ちがわかったような気がした。
にっくき敵を捕獲したヒーロー政宗はくるりと振り返った。
そして、政宗はにっこりと微笑んだ。
非常に魅力的な笑顔だ。
しかし、何故か元親の口元は反射的に引きつった。
元親は己の本能の発する警告のままに、ずりとあとずさった。
それを追うように、政宗も一歩、近づいた。
ずりと部屋の中へと後ろ向きに腰をおろしたまま後ずさる元親と、追う政宗。
ヒーローの手には物体Xを捕獲中の割り箸。
元親は己の浅はかさと人の良さと愚かしさに自分自身を罵倒したくなった。
何がヒーローだ。
馬鹿かおれは。
そりゃこの男の見目からいけば、ヒーローも何なくこなせるだろうが。


どう考えても、この笑顔はヒーローじゃねええ!!!


元親は内心で絶叫した。
背中に壁があたったところで、元親はそれ以上下がる余地がないことを悟った。
政宗はすぐ目の前。物体Xもすぐ目の前。
元親は背中を壁にぴたりとくっつけて、膝を曲げて己の体に引き寄せた。
政宗は笑顔を浮かべたまま、しゃがみこんだ。
丁度、目の高さが合う。
余計なヤツの目の高さも合う。
「元親ア」
元親はぐっと息を詰めた。
視界にうつるXから逃れたいが、首をふることもできやしない。
「お、お、お前、なんでっっ」
「あん?」
「それだよ!!それ!!」
何で持ったまんまなんだと必死で叫べば、政宗はひょいと箸を持ち上げた。
「ぎゃーっ」
「いや、こいつはどう処理するのが一番なのかと思ってよ」
「捨てりゃあいいじゃねえかああああ!!」
「どこに?」
さらりと返された答えに、元親は思わず口をぱくぱくさせた。
「ど、どこって、外にだよ!!普通分かるだろ?!つうかお前近づくなもうあっちいけよちくしょおおお!!!」
「あっちにいけとはまたご挨拶だなおい。テメエがビビってるみてえだからと、せっかくおれが手貸してやってるのに」
「だったらとっとと捨ててこいやあ!」
「いや、そりゃあちょっともったいねえだろ」
何がもったいないのかと元親は声に出さずに罵倒する。
その心の声が聞こえたのか、政宗はにいと笑った。
「心底びびってるテメエなんて、滅多に見れるもんじゃねえだろ?」
手に持った箸の柄を少し傾けて、政宗は元親のほうへと差し出した。
「これを機会に克服してみちゃどうだ?手伝ってやるぜ?」
余計なお世話だ!と叫びたかった。
叫びたかったが、元親の目はもそもそと動くXに釘付けになっていて、どうしようもなかったのだ。
今自分が息をしているのかも定かではない。
ほれ、と柄を向けられ、元親はなんとか首を横に振ることが出来た。
そのわりには滅多にないほどの高速さだった。
「捨ててきてやってもいいがな、アンタんとこのベランダにや緑がおおいから、うっかりその上に間違って捨てちまうかもしれねえぜ?」
「!!」
「だからアンタが捨てたほうが確実だろ?ほら」
そして何故か箸を高さを上げる。
つまり、元親の目の高さに、物体Xがくるように、だ。
あまりのことに元親はぶるぶると震えだした。
ここまでくればもう恥も外聞も何もない。
嫌なものは嫌でダメなものはダメで怖いものは怖いのだ!
あまりの距離の近さにぞさぞさと腹の底から悪寒がこみ上げてくる。
後ろには壁。
前にはヒーローから一転した悪役。
まさしく窮地に追い込まれた元親のとった行動は。
「いい加減にしやがれこの外道がああ!!!!」
自らが己を救うヒーローになることであった。
つまり、その長い足で悪役のみぞおちに容赦なく蹴りをたたき込んだのだ。
「ぐおっ」
間抜けな声をあげてすっとぶ悪役。
仁王立ちになった元親は、きっと眉を寄せて引き締めた目もとで政宗を斜め下45度の視線で睨み付けた。
「ふざけんのもたいがいにしとけや」
腹から響く低い声でもってそう一言恫喝した。
尻餅をついていた政宗は蹴られた腹を抱えている。
うらめしそうな視線が見上げてくるが、元親は欠片も気にならなかった。
ざまあみろだ。
溜飲を下げかけたところで。
もぞりと。
元親の変化は劇的だった。
眉が下がり、唇がひん曲がった。
肌が泡立つのはこういうことをいうのだと元親は実感した。
鳥肌なんかじゃ生ぬるい。
顔を動かさないまま、目線だけを己の腕にそろそろと向ける。
真のラスボスである件のXが元親の腕に肉薄していた。
足ががくがくと震えるのに至って、政宗はぎょっとしたようだった。
その場に崩れるように腰を下ろした元親を受け止めた政宗の体温を感じた瞬間。
そのときが元親の最後の砦が崩れ去った瞬間だった。
「ま、政宗っっまさむねええええええ!!!!!」
もうすがりついている男の名前しか唇からは出てこない。
何とかしろとりあえず何とかしてくれ頼むからという言葉になっていない懇願と切望がそのままその名前に集約されているのだ。
「あ、あ、ああ〜!!も、やだっっ、まさむねえええ!!!」
Xの張り付いた右腕はもはや己の右腕としての感覚がない。
政宗の胸に顔を押しつけて、左腕でぎゅうぎゅうとその体にしがみついていれば。
「Hey 元親、落ち着けよ。とってやったから、ちょい離せ。捨てにいけねえ」
宥めるような少し低めの優しい声に、元親はばっと素晴らしい勢いで政宗の体から己の体を引きはがした。
その反応に政宗は苦笑した。
ゆっくりと立ち上がって、ベランダへ向かうその背を、元親はぽかんと見つめていた。
最後の最後でヒーローに返り咲いた政宗は、元親の前へもどってきたあと、これでいいかというようにその両手を広げてみせた。
「…手え洗ってこい」
「はいはい」
肩を竦めて、政宗は大人しく洗面台で手を洗ってきた。
「洗ってきたぜ」
腰の抜けたままの元親は政宗に両腕を差し伸べた。
何だというように政宗は眉を上げる。
元親は赤くなった目を瞬かせて、への字に引き結んでいた唇を開いた。
「風呂場につれてきやがれ!体に力がはいんねえんだよ!!」
「珍しく大胆だなHoney?」
「余計な妄想してんじゃねえ!腕を洗うんだよ!!この粟だった腕を!!ああああもう気持ち悪いったらねえ!!」
運んでもらうぐらいのことをしてもらわなければ気が済まない。
取りあえず風呂場では腕を洗わせようと一つ決意。
そしてそのあと夕飯の仕度もこいつにさせようともう一つ決意。
仕方ないというふうに、けれども微かに笑って腕をとる政宗に、容赦なく体重を傾けて。
元親は鼻をすすって、政宗を見た。
「とりあえずまず、ぎゅっとして謝れ馬鹿」



=あとがき=
長すぎた・・・!!(バーカバーカ)
Mの字さんとのおしゃべりのなかで生まれたネタなんですが。
ここの二人は「最低な金持ちのボンボン筆頭×庶民家庭菜園派兄貴」でございます。
というか、この二人の構図、横から見るとバカらしいっていうか間抜けっていうか。
いえ、本人は至極マジメなんですけどね?
むしろ何のプレイ?
筆頭はこういうときとてもイイ笑顔をしてくれる男だと信じています。
調子に乗って漢な兄貴の鉄拳制裁もらう男だとも信じています。
漢な兄貴と虫に怯える乙女な兄貴とのギャップをお伝えしようと言う趣旨だった、はず・・・!!(目をそらして逃げ出します)