+竜の目+
それがあまりにも綺麗で目に眩しかったから。
手を伸ばすことなく眺めていたいってこともあるだろう?
言い訳にしか聞こえねえかな。
いつしか夢見ていた未来。
それは独眼竜の名の下に定まった天下。
同盟相手として、元親は海からそれを助けた。
やがて夢は現実となった。
なんて素敵な夜だ。
二人並んで祝杯を重ねた。
奥州の城、政宗の私室。
部屋の主の政宗の他にこの部屋に招かれたのは元親だけで、その事実は元親をえらく浮ついて温かい気持ちにさせた。
見たかった未来がみれて満たされていたのだ。
そこへ唐突に向けられた男の問い。
「アンタ、欲しいもんはねえのか?」
元親はははっと笑って盃を干した。
天下をまとめて、その景色を見せてくれて、それを並んでみる相手に自分に選んでくれて、
これ以上何を望めというのか。
だから元親は気分良く笑みを滲ませながらからかうように目を光らせた。
「何だよ、欲しいっていったらくれるってのか?」
「Ya」
戯れで口にしたことをあっさりと頷かれて、元親のほうがそれいじょうの言葉を遮られる。
政宗は音もなく笑って唇を引き上げた。
「無自覚なわけでもねえだろうに」
「あん?」
突然の言葉の意味が分からない。
元親がきょとんと瞬きをするのを横目でみやりながら、政宗はことりと盃を置いた。
言葉を舐めるかのように紅い舌がざらりと紡ぐ。
紡いで暴く。
「どんな目でおれを見てるか、アンタ自身知らねえとでもいうつもりか?」
こちらに向けられた顔。
瞳が真正面から己を見つめたと理解した瞬間、元親は息を呑んだ。
白くなった頭は政宗の言葉の意味を考えることができないでいる。
理解できたのは、一つだけだ。
今、この瞬間自分は刀の切っ先をつきつけられているのだ。
ぬうっと伸びた二本の腕に頭を捉えられる。
右手は側頭部から後頭部を覆って、左手は頬から顎を。
動かすことなど許す気のない拘束で、元親に自由にできるものはその瞬間何一つなくなった。
すぐそこに竜の目がある。
美しく光る目が。
「Don't close your eye」
おれの目をみな、と抑揚のない声が傲然と言う。
そして元親は完全に逃げ道を封じられたのだ。
唇が薄く開いてかろうじて呼吸だけをしている。
だが元親が自分の意志でできることなどそれだけだ。
目を反らすことも閉じることもできない。
いつかと同じように。
暴かれる。
望みを。
「おれの目をみろよ。ここにゃアンタの望むもんが映ってる。
それはアンタもよく知ってるだろう?」
時には蛇のような、或いは猛禽類のような瞳がゆるりと細められる。
元親は思い知らされた。
そこには自分しか映っていない。
天下など、そこには映していない瞳がそこにあった。
ごくりと喉がなった。
政宗は首を傾いで。
「何て目でおれをみてやがる」
もう一度、くつりと揶揄するように笑った。
ざわざわと血の気が引いていく。
息が苦しい。
陸に打ちあげられた魚のように、元親は喉の奥でかすかに喘ぎを こぼした。
「ばれてないとでも?」
咎められた子供のように、元親は顔をくしゃりと歪めた。
すると宥めるように髪を撫でられ、元親は脅えるように首をすくめた。
寄せられた顔。
笑みを滲ませた声が言う。
「欲しがれよ」
「嫌だ」
元親は強ばった声で反射的に一蹴していた。
政宗はそんな元親の態度など気にした風もない。
そういえばこの男はいつもそうだ。
他人のことを気にしない。
奥州筆頭伊達政宗とは、唯我独尊を地で行く男なのだ。
そんな政宗が、今度はまるで頑なな娘をあやすかのように甘い声で言うのだ。
もう一度。
「おれを欲しがれよ」
「いやだ・・・」
かすれたがまだどうにか声は出た。
けれども弱々しい声だ。
脅えたような声だ。
それが、西海の鬼と言われたこの自分の声だなんて、何より自分が信じたくなかった。
そう、脅えているのだ元親は。
同盟をくみ、天下を統べる力添えをした盟邦に。
逃げ出したい、全力で。
何故こんなことになっているのだ。
さっきまで自分は、自分たちは和やかな空気の中、旨い酒を共にしていたではないか。
それが、何故か自分の手からは盃がこぼれ落ちていて、政宗は元親を拘束していて、元親は政宗に怖れを抱いている。
触れあいそうになる距離で顔を合わせ。
その瞳で元親の腹の底を無遠慮に暴いてしまった。
元親は喉を引きつらせた。
楽しい夜が一転、かつて無いほどに追いつめられる。
そう、暴いてしまったのだこの男は!
欲しがれ、なんて。
そんなこと、こいつは簡単にいってくれるけど。
欲しがって。
手を伸ばして。
手に入らなかったら悲しいじゃないか。
元親は震える唇を引き結んだ。
自分はこの男にとって近いところにいる。
それは自覚している。
だから、元親はそれで満足していたのだ。
この輝かしい宝は、天下を望むその瞳は、自分一人のものにはならないことを知っていたから。
元親は海賊で。
あるときキラキラ輝くお宝を見つけた。
けれど、それはあまりにも綺麗で眩しかったから。
手の中でくすませるより、太陽と空の下、輝かせることを選んだ。
そこまで反芻して、違うと元親は内心で呟いた。
そんなんじゃない。
海賊のクセに、欲しがろうともしなかった理由。
怖じ気づいただけだ。
怖かったのだ。
欲しがって、拒絶されて、せっかく得た竜の隣という居場所を手放したくなかった。
だから、手を伸ばそうともしなかった。
その輝きを側で見つめられる。
それだけでいいと。
そう思っていた。
けど。
何て目で見てやがる、だなんて。
ああそうだ。
お前に恋いこがれる熱い視線!
気付いて欲しいと思っていなかったわけがない!
けれど政宗のその提案は、やはり元親には恐ろしいものだった。
今自分が置かれている状況と己の本心を自覚した上で、やはり逃げ出したいと思っている。
安全なところへ。
政宗の瞳の届かないところ。
低い声がいう。
酷い命のように。
甘くそそのかすように。
吐息に混じらせて。
「欲しがれ」
顔が歪んだ。
「お前」
「An?」
「何でそう、偉そうなんだ」
天下を手中に収めた竜はにやと笑う。
「アンタがそう望んでるからだろ?」
「ぬかせ」
元親は瞬いた。
よし、目を反らせそうだと思えば心が逸った。
一つ目の呪縛から自由になろうとしたとき。
「元親」
名を。
呼ばれた。
のど笛に刃をさし込まれた。
縫い止められる。
その瞳に。
「おれを、欲しがれよ」
懇願のような命令のような、政宗の声。
唇がわなないた。
目をきつくとじる。
追ってくる竜の目。
元親は叫び出しそうになった。
逃げられない!
喉の奥からせり上がってくる感情。
ふくれて満ちて元親を溺れさせようとする。
元親は途方に暮れた様でそろりと瞼を持ち上げた。
自分を見つめる竜の目。
熱の芯。光る虹彩。
自分が望んでいる未来。
他には何も映っていない。
何も。
何も!!!
だから元親はもう一度目をきつく閉じた。
そして。
全てをなげうつかのようにその唇に噛みついた。