龍神の雫

年が明けて数刻が過ぎたころ、、水をつかさどる龍神である政宗のもとに来訪があった。
誰だと問えば、陽の神から、年を祝う宴の迎えとの答えがかえり、出ていけば迎えの使者にしては上等な姿がそこにあった。
額から象牙色をした見事な角を四本もつ、最上位の鬼が政宗を振り返って気安げに笑う。
「よう、宴の迎えにきてやったぜ!」
「相変わらず気ままなことで何よりだ」
先触れや迎えなんていう仕事は、それこそ下っ端の仕事であって、間違っても神と同位に列せられる鬼神のやることではない。
しかしながら、この鬼神の気ままなところは折り紙つきで、権威がどうのこうのというのはいうだけ無駄であることは皆が承知していることでもあった。
それに何より、政宗自身は鬼神、元親の来訪は喜び以外のなにものでもなかったので、歓迎こそすれ、文句を言う気などそもそもない。
元親は機嫌よく直々の来訪の理由を告げた。
「今年の献酒、お前が造ったやつだろう?」
うなずいてやれば、元親はうっとりと目を細めた。
「ちょいと味見したらよ、あんまりにも旨くてよう。感動しちまったもんだから、直接感想を言いたくて、ちょいと迎えの役を変わってもらったのさ」
褒められれば悪い気はしない。
むしろわかりやすく政宗の気分は上向きになった。
「Ah,そりゃ光栄だ」
当然のように肩に触れ抱き寄せれば、何の抵抗もなく寄せられる体躯。
元親は唇で笑んだ。
瞳をきらめかせながら政宗を見返し瞳を覗き込む。
手が伸びてきて、政宗の長い藍色の髪に指がからむ。
龍の角を触れるか触れないかといった力でそっと触れ、髪ざわりを確かめるようにすいていく。
心地いい刺激に、政宗は目を細めた。
新年の初めに元親の顔を見れたというのはうれしいことだし、さらにいえばこのような甘やかな時間を持てるのは、幸先がいいことだと思った。
「政宗・・・」
甘さを含んだ吐息のような囁きが鼓膜を撫でる。
赤い鬼の舌が誘うように視界に映る。
ならば招きにあおうかと思ったとき。
「長曾我部ええええ!!」
甘い空気にヒビが入り、そして一瞬で粉々になった。
「An?」
「あっちゃー、もうばれたか」
「元親?」
館の人間の先導もなく部屋に飛び込んできたのはかつては凶王と呼ばれた月神。
政宗は反射で顔をしかめた。
月神である三成と政宗は仲が悪い。
というかそもそも仲そのものがないのだから仕方ない。
今も三成の視線は元親にしか向いておらず、館の主人である政宗にはあいさつの一つもないのだ。
礼儀がなっていないとはこのことである。
「貴様、新年の酒を飲みほしただろう!!」
「飲み干してなんかいねえよ。ただ、ちょいと味見のつもりが、あんまりにも旨くて、気が付いたらなくなってただけだ」
「それを飲み干したというのだ!!」
「……」
二人の問答を聞いていた政宗は思わず三成への文句も忘れて、思わず半眼で元親を見た。
「元親」
「ん?」
「アンタ、感想を言いに来たんじゃなくて、本当は酒の催促に来たんだろ」
元親はあっけらかんと笑った。
「まあそうとも言うわな」
返された言葉はあっさりすぎて文句もでない。
そのうえにやりと楽しげな笑みを刻んで。
「どうせてめえのことだ、一番いいのはとってあんだろ?」
「何だと貴様ア!年をを祝う献酒を出し惜しみするとはどういう了見だ!!」
吼える三成に、政宗は煩そうに顔をしかめて、舌打ちした。
「ばらすんじゃねえよ」
「そりゃ悪い」
ちっとも悪いなんぞと思ってないくせに、軽い舌だ。
そこへ。
客を告げる使用人の声と、それにかぶさるようにして響いた朗らかな声。
「今年もよろしく、独眼竜。そして宴の迎えにきたぞ!」
この世界を統括する陽神自らが宴の先触れに来るなど、とんだ珍事である。
今頃、宮はてんやわんやしていることであろう。
他人事ながら宮の連中に同情し、政宗は盛大にあきれた。
「先触れにかこつけてソイツ迎えに来ただけだろう」
「いや、確かに三成を迎えに来たのもそうだがな。元親と政宗を迎えに来たのも本当だぞ?」
「Ah,わかったわかった。ちゃんと儀には顔をだすから、とっととそいつを連れて帰れ」
「貴様!」
まだ何か声をあげようとした三成の口を、手慣れたように後ろから手のひらで覆って、陽神である家康は笑った。
「騒がせたな。ああ、来るときは新しい献酒も頼む」
わかったと言うことも億劫で、政宗はぞんざいに手を振って返事とした。
本来ならば咎められるだけではすまないであろう態度にも、家康は怒ることなくにこにこと笑ってうなずいている。
それがさらに生真面目な月神の怒りをあおっていることに気づいていないのではなく、気づきながらも変える気はないのが家康なのである。
喚く三成を俵のように肩にかついで、世界を総べる陽神は部屋を出て行った。
急に静かになった部屋に、政宗は息を一つ落として、同じく部屋を出ようとした。
「おいおい、放っておくなよ」
背中にかけられるからかうような声。
うるせえと、政宗は振り返りもせずに答えた。
「ただ酒飲みにきた奴に構ってられるほど暇じゃねえんだよ。おれはこれから酒の手配をしなきゃいけねえんでね」
もちろん言葉の半分は嫌味である。
「政宗」
名を呼ばれて、政宗は一応足だけは止めてやった。
振り返れば、元親は喉を震わせて笑っているようだった。
元親は後ろから政宗の体をゆるく抱くかのようにして政宗の肩に手を置いた。
くつくつと機嫌よく笑う声が言う。
「拗ねんなよ」
「Ha!」
「ついでだよ、ついで」
なだめるように添えた手が肩を軽く叩く。
「どっちがだ」
目を眇めて、せいぜい冷えた視線と声で問えば。
元親はふと唇を緩めて、鬼にあるまじき優しい、そして美しい笑みをはいた。
「そりゃもちろん、酒がついでだ」
「Han?」
「本命はもちろん、テメエだよ、龍神サマ」
肩に触れていた手が政宗の顎に添えられて。
肩越しに、しっとりと熱い唇が重なった。
体を反転させて、政宗は元親の腰に腕を回してその体を引き寄せた。
その乱暴なしぐさとは裏腹に、口づけはただ優しく触れ重なるだけのものだった。
離れた唇が小さな笑みを浮かべる。
すぐそこにある鬼の金色の瞳がにじむ。
「今年も、今まで以上によろしく、darling?」
まあ新年早々から大人げないのもどうかと思うし、何より与えられた口づけにほだされてしまったので、軽い舌とは承知で、政宗はごまかされてやることにした。