楽事

よう、と手を上げて久しぶりに見る顔に笑ってみせれば、
腕を組み着物の袂に手を突っ込んで元親を出迎えてくれた男は、
どこか呆れたように息を吐いた。
「アンタにこんなことを言うおれは馬鹿の極みだとは思うがな」
「あ?」
「情緒ってものはねえのか」
怒るわけでもなく元親は確かに、と盛大に頷いてみせた。
「おれにそんなもんを期待するのは、確かに馬鹿の極みの証明だろうぜ」
「自分で言うんじゃねえよ」
ったく、と頭を振って政宗はあっさりと背を向ける。
まるで近所のガキが遊びにきましたぐらいの気軽さで顔をだしたこちらもどうかとは思うが、
そっちこそ、もうちょっと何かないのかと思う。
ねぎらいの言葉くらいくれてもいいんじゃないのか、と内心で文句を呟いたのを察したのかどうかは知らないが。
顔だけ振り返った政宗が、かすかに唇を引き上げて笑んだ。
「来な。もてなしてやるよ」
元親は思わずぱちくりと瞬いた。
政宗の後に従って連れて行かれたそこは茶室だった。
元親のように、図体のでかい人間からすると、もともと狭い造りであるそこは、いささか窮屈に感じられる。
が、その狭さが、元親は嫌いではない。
密やかなその空間のもつ気配、空気は、これくらいの狭さで丁度馴染む。
風炉に据えられた釜からしゅーと蒸気のあがる音がする。
もてなしてやる、といった言葉どおり、政宗は元親に茶を点ててくれるらしかった。
許されたあぐらをかいて、その横顔を眺めていた。
何なんだろうな、と元親は思う。
時折炭がはぜる音と、湯が沸き立つ音。
袱紗を捌く、小気味よいしゅっと布を擦る音。
ゆるりと満たされた空気を震わせるそれらの音が、ここに在る音の全てだ。
己の息づかいすら、密やかに紛れて分からなくなる。
元親とて、茶道をたしなんではいる。
が、この男とともにあるときは、共にするのはむしろ酒のほうが多く、
しかもこのように改めて席を設けられたことなどなかった。
堅苦しいと敬遠するわけでもなかったが、この男と共にすることだと仮定するなら、
一言でいってしまえば、まどろっこしい気がするのだ。
所望したことも、所望されたこともなかったから、それほど気にしたこともなかったが。
案外、悪くない、と。
元親は静かな笑みを刻んだ。
唇を柔らかく閉じて、一言も発せずただ座り、政宗の所作を眺める。
退屈とは思わなかった。
まどろっこしいのはまあ、まどろっこしいのだろうが、けれどもそれも悪くない。
そう、この空気は悪くない。
もてなしとはいうが、そのじつ、政宗は己の領域に元親を引きずり込んでいるのではないだろうか。
元親はここでは客でしかなかった。
この部屋の主はあくまで政宗であって、元親はそこにただ招かれ、入ることを許されただけにすぎない。
そう、ただ、許されただけにすぎないのだ。
政宗が作り上げたこの空間に足を踏み入れることを。
据えられた茶道具。
活けられた花、掛け軸。
身に纏った着物ですらも。
そこは政宗が作り上げた一つの世界なのだと元親は思った。
声をかけること、身動きすることすらも選択肢に用意されていない。
現にいまこのとき、政宗の視界に元親は入っていない。
この男が見ているのは己の手指の少し先であって、きっと茶道具ですらないのだろう。
面倒くさいと逃げ出す気がおきない自分もまた、珍しい。
それは、元親自身が、政宗という男に興味を持っているからだと思う。
酒を酌み交わすのとも、体を重ねるのともまた違う。
人間というものは奥が深い。
気ままな元親にしては珍しく、飽きが来ない。
さらけ出してふれ合って、これ以上新しいものなんて見いだせないと思うこともあるのに、
まだ知らぬ顔が、気配が、その体躯に収まっている。
まことに面白いことだ。
もてなされているとは、正直思わなかった。
むしろ何故か、口説かれている気になった。
ぴんと張った背中の線が美しい。
眼帯と髪にかくれた、余計な表情がうつりこまぬ横顔は冴え冴えとして、けれど冷たいわけではなかった。
柄杓の柄に沿う長い指が綺麗だ。
政宗の領域に引きずり込まれて、見せつけられる。
その目は元親を見ているわけではない。
その意識は、元親を捉えてなどいない。
政宗が見つめているのは自己だ。
政宗の意識が注がれているのは自己だ。
そうして織り上げたものを、ただ見ろ、と。
これをもてなしと言ってのけるなら、なんて傲慢なもてなしだろうか。
しゃっしゃと、茶筅が茶をこする音が耳に心地良い。
手首を翻して、茶筅が畳の上に置かれ。
枯草色の着物から伸びた手首。
長い指が添えられた黒い茶碗が、すと差し出される。
茶碗を取った元親は内心で微かに笑んだ。
夏だというのに、黒の茶碗とは。
小憎らしい男だ。
「お点前有り難く頂戴致す」
頭を下げれば、政宗は膝の横に右手指をついて、それにこたえた。
持ち上げた茶碗は少しばかり重かった。
滑らかな曲線を描いて、薬のかけられたそれは滑らかなようにみえるのに、
手のひらをあてると、少しばかりざらりとしている気がする。
黒に沈んだ、鮮やかな緑。
鼻をかすめる、豊かな薫りに、思わず唇が綻んだ。
口に含めば、茶の薫りと苦みが通り抜けていく。
「美味いか」
場に合わぬ、それこそ情緒も風情もなくくだけた調子で政宗が問うた。
顔を上げれば、政宗が首をこちらに向けて元親を見つめていた。
柔らかというよりは余裕のある、自信があるというよりはいっそ不遜な、そんな微笑を唇にはいて、元親を見ている。
元親は思わず笑みを深くして、それには答えずにもう一度茶碗を傾けた。
音をたてて飲みきって、緑のついた縁を指で拭う。
茶碗を置いて、顔を上げた。
政宗の視線を受け止めて、無意識に引き上げられた唇が弧を描く。
吐息で笑って。
一言。
「美味い」
満足したのか、政宗はじんわりと唇で笑んだ。
そして、それで用は済んだとばかりに、視線はあっさりと元親のもとからはなれて、首が前を向く。
この野郎と、口の中で毒づくも、さして元親は不満なわけではなかった。
黒い茶碗の底に残った、掠れた深い緑。
美味いと言ったその言葉は、なんの飾りもなく溢れた本音だった。
苦みのあとに、ほのかに甘さが潜むそれは元親の舌にあった。
きついだけのそれではない風味。
あれだけ濃い味が広がったというのに、後をひくわけでもなく、今はもう曖昧にすらなっているそれ。
自身が厨にたつこともある政宗は、元親の酒の好みも、食の好みも承知している。
この茶室も、出された茶碗も。
政宗の個が体現されたものではあるけれど。
茶そのものは、元親のためだけに、元親を思って点てられたもので。
確かにこれはもてなしであった。
ずりいなあと。
茶碗を返して。
しかしやっぱり、もてなしというよりは、口説かれている気がすると。
元親は茶碗に湯を注ぐ政宗の姿を眺め、目を伏せかすかに笑った。







 
*あとがき*
風炉と炉でいったら、何故か断然風炉派(派?)な私です。
確かに、風情とか、茶道っぽさとかいったら炉だと納得はするのですが、なんでか風炉が好きなんです(笑)
趣味でかじっている茶道でダテチカ、と素敵な話をふっていただけたので、考えてみました。
結構真面目です(笑)
本当はあぐらではなく正座なはずですが、兄貴の衣装を考えるとあぐらの図のほうがしっくりくるので、今回はあぐらで(笑)
着流しとかお着替えしたら正座すると思いますが。
作中ぐだぐだ兄貴が考えていることは、以前友人と交わした「道」議論だったりします。
言うても詮のないことを、ぐだぐだ好き勝手議論するのが大好きです。
おもてなしの心ですが、底にあるのは自己との対面な気がしたりしなかったり。
そんでもってそういうことをしているときの筆頭は洒落がなく格好いいんじゃないかという、
捨て身な気持ちで言っちゃいたい(笑)
粋な伊達男だからという理由になると、無性に腹立たしく苛々するので言いたくないんですけども(爆)
自己を見つめるという意味で、茶道とか剣道とか、そういうことに身を置いているときは、謂わば自己を磨いているわけですから、そりゃカッコヨクもなるんじゃないのくらいで。
あんまり言うと自爆しちゃうのでこのへんで止めとこうと思います(笑)
取りあえずあの会社は利休さんをプレイヤーキャラとして出すべきです(ずっと言うぞ)
Rさん、Mさん、こんな感じに相成りましたが、如何でしょうか?
雰囲気SSもいいところですが、読んでいただけてましたら、少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。