空蝉


それは夢幻のような儚き逢瀬


徳川の招きで訪れた天下を見下ろす堅固な城。
天下は、葵の門の下に定まった。
豊臣との攻防で疲弊し、また徳川の数の力に圧倒された数多くの国が、首を落とす代わりに膝を折った。
奥州もそんな国の一つだ。
中身のない誇りに準じて無駄死にする可愛げなどないことは政宗自身が承知していた。
政宗は己より年若い家康自身のことは、結構気に入っていたし、なにより、その人を従わされている気にさせず己が手のもとに収める手腕には舌を巻いた。
奥州の地を見守り、儂を支えてくれぬか、と家康は政宗にそう言った。
数多くの部下をその背に従えながらも、まっすぐ目を見て、下れと迫るのではなく支えろと言った。
計算しているわけでもないその言葉に苦笑し、政宗は是と頷いた。
我ながら、笑えるほどの引き際の良さだった。
政宗は家康のことをかっていたし、家康もまた、政宗のことを篤く遇してくれていた。
今も、花見の茶会に招かれたのだ。
その茶会も昨日で終わり、数日後には政宗は奥州へと発つ。
夜も更けて寝静まったような頃にあてがわれた部屋を出たのは、何とはなしに寝付けなかったのと、
頬を撫でた柔らかい匂いを含んだ夜風が存外気持ちよかったからだ。
梅ほど香りは強くないはずなのに、夜の空気は甘やかに薫って政宗を誘う。
酔ったわけでもなかったが、誘われるままに政宗は廊下を渡った。
寝静まった城。
なんだか妙な気分だ。
天下人の城をふらふらと、しかもこんな夜中にうろつくだなんて、あらぬ疑いをかけられても仕方ない
くくと喉で低く笑いながらも、政宗の足は止まらない。
風が誘う。
何度廊下の角を曲がったか覚えていない。
ここは城のどの辺りなのか。
迷ったのだとすれば、正真正銘己は阿呆だと思いながらも、政宗の機嫌は何故かよかった。
視界に花びらが散る。
見事な夜桜が一本。
呼ばれた茶会で見たものとは違う。
記憶にあるものよりもさらに美しいそれ。
そのけぶるような夜桜を眺めている姿。
白い夜着にこれまた薄鈍色の羽織を着た、白銀の髪の男。
月の光の下に浮かび上がった青白い姿はどこか非現実的で。
「独り占めとはずるくねえか?」
引き返すどころか、あろうことか、政宗は男に声をかけていた。
縁側に片膝を立てて桜を見上げていた男は、政宗の声にゆっくりと振り返った。
政宗の姿を認めて、微かに笑う。
「独り占めしてえわけじゃねえんだがな。あいにくこの離れにゃ付き合ってくれるヤツはいねえのさ」
見覚えのない顔だ。
茶会の席にもなかった顔だ。
けれども、政宗はその男の名を知っていた。
白銀の髪。
政宗とは逆の目を眼帯で覆い。
一度みたら忘れられないだろう、その風貌。
この男が。
家康に天下を託した西海の鬼。
水軍の力をつかって西の諸国を平らげ、関ヶ原で徳川と戦い勝利した男。
けれども天下に覇を唱えることもなく、徳川の下についた男。
今の今まで、何故西の鬼が天下を捨てたのか理解できなかった。
どんな不抜けた男かと思っていた。
今までは。
けれど。
「付き合ってくれるかい?竜の兄さん」
笑みを含んだ柔らかい声。
名乗る前に二つ名を呼ばれ。
瞬間、魂を掴まれた気がした。
ああ、ざまはない。
低く笑って、その体に手を伸ばした。
膝をついて頬に触れる。
男は、目を細めて面白そうに笑った。
桜の花びらがけぶっている。
甘い匂いが体を包む。
「アンタからの誘いならいくらでも」
唇を寄せれば、男が笑っているのが分かった。
重なる唇はどこか冷えていて。
背にまわった腕。
許された一夜にただ溺れた。



「アンタはどうしてこんなとこにいるんだ?」
我ながら情事のあとの枕物語としては情緒の風情もない問いだった。
熱の余韻の残る気だるげな体を柱にもたれかけさせて、
桜を見上げていた男は、政宗に視線を移すこともなく、事も無げにああと頷いた。
「家康によばれたんだ」
「茶会にはいなかっただろ。アンタの国からも招待客がいたが、アンタが頭じゃねえのか」
「おれはしがない海賊だぜ?んなお偉いさんが集まる席にはいけねえよ」
軽い口調で続けるのをじっと見つめれば、男はちらりと横目で政宗を見、肩をすくめた。
「堅苦しいのは嫌いなのさ。
四国の頭はもうおれじゃねえしな。
今はただの海賊なんだ、家康には大仰な出迎えはやめろって言ってある。
そしたら、桜が綺麗だ、是非見せたいっていうからよお」
男が見上げる見事な一本を見上げた。
茶会で愛でた桜よりも、遥かに美しく幻想的なその姿。
「あんたも良いときに来たな。ここの桜が、城では一等、見事なんだとよ」
言われなくても承知している。
確かに。
城にあるどの桜よりも、この離れにある桜のほうが美しい。
男のためだけに咲き誇るこの桜が。
「何故家康に天下を譲った?」
桜を見上げながら、睦言のように囁けば、返ってきたのはまことにあっさりとした声。
「アイツはダチだからなあ」
「・・・」
まさかそんな子供じみた理由なわけではあるまい。
不審がっているのを感じたのか、男はようやく目をこちらに向けた。
「おれはこれでも先物買いが得意でな」
「An?」
うっすらと唇にはいた薄い笑みに捕らわれる。
「いい男になっただろう?」
「・・・」
政宗は唇から笑みを消した。
くつりとどこか得意げに、満足そうに笑みを深くして、男は遠くを見るような目をした。
政宗は手を伸ばした。
男の顎を掴んでその瞳を真正面からのぞき込む。
「おれでは家康に劣るとでも?」
業とその名を呼び捨てれば、男はますます楽しげに顔を綻ばせた。
「・・・いや?」
やんわりと顎をつかんだ手の甲を撫でられれば、体は持ち主の意志に反してあっさりと男を開放した。
「アンタも十分、いい男だぜ、独眼竜」
たったそれだけの言葉で、揶揄われているだけかもしれぬのに、簡単に胸にくすぶった焔は消えて、代わりに胸の奥がじんと痺れた。
「アンタに出逢う前に、家康と出会った、ただそれだけのことさ」
「この出逢いも遅いというか」
「出逢いは縁だ。遅いも早いもねえよ」
「よくも言う」
舌打ちをして、隣にある体躯を抱き寄せれば、男はあっさりと腕の中に収まった。
男はどこまでも穏やかで。
強引に重ねる口づけにも応えてくれて。
「竜の熱に溶かされて、空っぽになっちまいそうだなあ」
笑みをにじませ吐息と共に零れた声は、脅えてしまいそうなほどに優しく、甘かった。
艶やかで儚い、闇に散る夜桜のように。



翌日、闇の中、記憶をたどって廊下を渡る。
こちらだという確信があった。
視界に、見事な夜桜が映る。
けれど、そこに男の姿はなかった。
ふすまを開ければ、がらんとした空間に闇がわだかまっている。
そこには何の気配もない。
ただ、静けさと、鼻をくすぐる甘い香。
畳にわだかまっている闇に手を伸ばせば、指に触れたもの。
掴みあげれば、薄衣一枚。
それは昨夜男が夜着の上に羽織っていたもの。
空っぽになっちまいそうだと笑った声が耳を撫でた。
政宗はほろ苦く静かに笑んだ。
「抜け殻のつもりか」
残された衣を握りしめれば、焚きしめられた香に目眩がしそうになった。





空蝉の羽におく露の木がくれて しのびしのびに濡るる袖かな







=あとがき=
兄貴はさくっと次の日には城をでて海にさっさと出て行った兄貴でござる(ええええ)
偶然が用意した一夜は兄貴にとっても実はかなりのサプライズで、
兄貴のほうは筆頭のことを遠目で見知っていたりするっていう(笑)
筆頭のことを知ったのは、家康はんと出逢っただいぶあと。
筆頭のことは気に入って、北にはいい男がいたもんだとか思ってたけど、それだけで、別にどうこう行動に移そうとはしてなかったんですが、
何の因果か江戸城の離れに筆頭が勝手に忍んできたっていう(以上兄貴の状況設定)
一夜でとっとと身を引いたのは、自分への戒めも含めて。
二日も手を伸ばされたら溶かされちまうと思った模様。
この後家康に兄貴をよこせと直談判しにいく筆頭とか。
寄越すもなにも元々自分のものだなんて思ってなくてびっくりする家康さまとか。
そこでいきなり恋バナ突入なトップ二人だとか。
ちょっと間抜けな問答が繰り広げられるんでしょう(本当にどこか間が抜けている)
いっそ真剣源氏みたく、兄貴のもとに忍んでいった筆頭が、人違いだろとあしらう兄貴に、 前からアンタに惚れてたんだと初対面のくせによくまわる口でかき口説き、
ああもっと早くにテメエと出逢っていたらと兄貴が悩ましげに身を任せるってのでもいい気はする(爆)
でもこの場合、兄貴は人妻なわけで、不倫なわけで。
いやいっそなんかそれはそれで昼ドラな感じがおいしい気がしなくもないが、じゃあ兄貴の旦那って誰だと筆頭がわめきそうなのでやめた(しょせんダテチカだもの)