An Insolence
皇太子付きといっても、元親の仕事などたかがしれている。
師団長とはいっても、この新たな仕事を任されてからは、実質の師団の仕事は副官に任せてある。
そりゃ最終的な書面は元親にまわってくるが、つまりそれは単調な机仕事で、むしろこちらこそを副官に押しつけたいと元親は思っていた。
元親が好むのは、団員の訓練指導やらの仕事だ。
なのにここ最近は、最高級の調度品で固められた皇太子殿下の部屋の片隅に机を借りて、
もっぱら元親はそこで嫌いな書面の仕事を片づけたりしている。
とはいっても一日中側にへばりついているわけでもなかった。
図書室、訓練場、そして当たり前だが皇太子殿下の私室。
付きそうのは元親ではなく、小十郎だけ。
その間は外でまっているなり好きにしろと言われていた。
そのはずだったのだが。
最近、元親の仕事は少し増えた。
図書館での雑用。
例えば、政宗が言う本探しやら、読みおわったそれを元に戻してくることやら。
あとは、博識な皇太子殿下から己の無知をからかわれることとか。
別に元親が何も知らない学がないというわけでもなく、政宗の知識が広範囲にわたりすぎているだけである。
訓練では容赦ない剣を受けたりだとか。
新しい仕事が増えた理由は、たぶん自分が身の程知らずだったからなのだろう。
政宗の寝所で斬り捨てた刺客。
流れ出る朱を吸って色味を増した絨毯。
降り積もった乾いた血潮の上で平然と眠る男。
あの場所はとても寒い。
押しつけられた革張りの、それこそ使い方を誤れば武器になりそうな本を、棚の上になおして、
元親は政宗のもとへと戻った。
小十郎は珍しく側にいない。
何故か最近、そういうことがちらほらとある。
政宗は装飾の施された固い椅子に背をあずけて、静かに目を閉じていた。
すぐに持ち上がる瞼。
この男がまとう空気は緩急の差があまりない。
常に消えないぴりりと引き締まった一線を守っている。
瞼を下ろしているその一瞬でさえ。
目の辺りがやけに痩せて、ふだんの不遜な目つきがさらに増しているような気がした。
「・・・よし」
元親は椅子にすわる政宗を見下ろしておもむろに一度頷いた。
「何がよし、だ」
見上げてくる妙にぎらついた目をまっすぐに見返して宣言。
「夜、おれに付き合え」
「・・・テメエは大概不遜だな」
呆れたような冷たい声は、けれどこちらの首を刎ねるための言葉ではないのだ。
それを元親は知っていた。
***
夜。
そこは王宮の静けさとは180度かけ離れた場所。
元親には慣れた、下町の酒場。
政宗は大層不機嫌な顔をして安いが強い酒をなめていた。
「こんな無秩序な場所がおれの膝元にあるとはな」
「お前の家からすりゃどこもかしこも無秩序になっちまうぜ」
おかしそうに政宗は口の端で笑んだ。
「お前は王宮を家というか」
ただ政宗は、王の住まう宮殿をただの家という元親の言葉を笑った訳でも、とがめたわけでもなかった。
冷ややかさを纏ったその薄い笑みが向かう先は、王宮、皇族、そしてもしかしたら己自身へなのかもしれない。
元親は黙った。
最近、感じることがある。
政宗が背負うものの大きさ。
それは政宗を孤独に追いやるもの、追いつめるもの。
けれど同時に、政宗を政宗たらしめているもの。
それがいいことなのか悪いことなのか、元親には分かる余地もなかったが。
ただ、分からないことが、時折今のように、自分と政宗の間に明確な線を作ることを肌で感じることがある。
元々住む世界が違うのだと言ってしまえば、それで終わることなのかもしれないが。
元親は生憎、初めから存在する身分の境にしたがって引き下がることはもうできないのだ。
この男の領域に、自分は足を踏み入れた。
踏み入れたのは元親自身だ。
政宗は、それを許した。
いや、許したわけではないのかもしれないが、少なくとも元親の首を落とさなかった。
この男が求める未来を見たいと思う。
興味、好奇心というには確かにあまりにも不遜で、重いものだ。
酒場のざわめきは政宗のいうように無秩序の象徴のようだ。
王宮のように潜められることもなく、好き勝手にかわされる声。
元親が育った場所。
元親には馴染んだ場所。
「旨いか?」
己の沈黙を吹き払うように元親がたずねると、政宗は片眉を上げて元親を見返した。
元親は思わず笑った。
「いや、お前の口には慣れないとは思うけどよ」
「安っぽい味がする」
「まあ、安酒なのは確かだけどな」
政宗はその手に似合わない素焼きのジョッキを、まるでワイングラスを持つかのように優雅に、わずかばかり持ち上げて見せた。
「でもまあ、飲めねえとはいわねえでおいてやる。喉を焼く感覚は気に入った」
「そりゃよかった!おれもこいつは結構気に入ってんだ」
笑って、元親も己のジョッキを掲げて、政宗のものに無理矢理ぶつけた。
驚いたように瞬いた政宗を視界の端に入れながら、いつもしてるように喉を焼く酒をあおる。
「っっっあーやっぱたまんねえな!」
「いきなり何しやがる」
「あー?」
問われて、無理矢理乾杯するようにジョッキをぶつけたことを問うているのだと元親は了承した。
そういえば、貴族連中の乾杯はグラスを掲げるだけで、ぶつけるなんて野蛮なことはしないのだ。
「あんま気にすんな。乾杯だ」
政宗は呆れたように目を細めた。
「何に乾杯してんだテメエは」
「色々と。例えば、そうだな。
テメエがおれと一緒にここまで来てくれたことにとか、安い酒を飲んでることにとか」
「テメエが普段どれだけみすぼらしい生活してるのか興味があったんだよ」
「おおよ!素晴らしいだろう!」
卑屈になるわけでも反論するわけでもなく、堂々と胸を張って威張ってやれば、政宗は呆れたような虚をつかれたような変な顔をして、
ついで気が抜けたように苦笑した。
「・・・お前のその態度は確かに素晴らしいと言ってやる」
音楽が始まった。
お、と顔を横に向ければ、店の奥にスペースを作ってにわかに始まった即席楽団。
堅苦しい制限などない、気ままなメロディ。
併せて上がる手拍子、足踏みの音。
喧噪に包まれながら、それでもその雑音は元親には心地よいBGMだ。
「なあ」
「An?」
元親は軋む椅子に背を預けながら口を開いた。
「・・・」
けれどすぐに口に載せられる言葉は持っていなかった。
政宗は急かすことはせず、ただ慣れぬはずの安酒をゆっくりと飲んでいる。
元親は結局、もう一度同じ問いを口にした。
「旨いか?」
政宗は今度こそ呆れたらしかった。
「旨いと言わせたいだけかテメエ」
元親は笑った。
手を上げて店の親父にもう一杯、同じ酒を注文する。
すると、少し離れた席にいる男が元親に気づいたのか、ようと手をあげて声をかけてきた。
同じように手を上げて挨拶にし、気のいい音楽に身を浸す。
何故ついてきたのかとは問わなかった。
それこそ側近が聞いたら白目を剥いて倒れるであろうことだ。
皇太子が下町の酒場に行くだなんて。
もしその尊い御身に何かあったらどうするというのか。
そばかすのちった可愛らしい顔をした、けれど腕の力も逞しいウエイトレスが酒をおいていく。
「何故ここに連れてきた」
元親が口にのぼらせなかった問いは、向こうからやってきた。
元親は酒を流し込みながら、天井に視線をやった。
元親は酒に強いたちで、この酒は結構な強さのものだったが、ジョッキに二杯、流し込んでもさして酔いは回っていない。
対して目の前に座る政宗の頬は少しばかり、そう、ほんの僅かだけれども、上気しているように見えた。
弱いわけではないだろう。
でなければ、この喉を焼く感覚を気に入ったなんて言えやしないはずだから。
昼間図書室で見た鋭いばかりの目元を思い出す。
元親の気分はさらに上向きになった。
目元を彩る赤を引き出すことができたのが己だということ。
この男を取り巻くいくつもの凍えた敵意。
それを知って尚、幾重にも守りを固められる王宮から連れ出した訳。
なあ。
もうちょっと、人にまみれてもいいんじゃないか。
冷たい肌の、冷たい視線の、冷たい声の人間ばかりじゃないことを、お前は知っているか?
知っていて欲しいと思う自分は、身勝手だという自覚がある。
それでも、人を好きだと思う、単純である意味当たり前だと思っている元親と同じものを知って欲しいと。
思うそれは願いか。
それともただの傲慢な自己満足か。
そうさなあと繋ぎの言葉を紡ぎながら。
「テメエを、酔いつぶしてやりたくなったのさ」
政宗のこめかみがぴくりと痙攣するのを見て、元親は喉で笑った。
それは傲慢無礼な温かな情
+あとがき+
何故か妄想していけばしていくほど、筆頭がヘタレになっていく謎(真顔)
あれ?
何でだおかしいな。
初め妄想していた皇太子殿下な筆頭は、キレキレでぎらぎらしてる、触るとキレそうな雰囲気を纏った男前だったはずなのに。
触っても全然キレないよこのカミソリ。
むしろなんかふにっと柔らかい印象すらある。
・・・チョロすぎやしねえか?!