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元親は青い顔で己の部屋にある椅子に座って額を抑えていた。
今日は連日催された夜会の最後の日。
その最後の日が、出席者にとっては悪夢にしかならないことを元親は知っていた。
もう何度目になるのだろう?
共に旅をするようになって、居心地の良さそうな村に滞在して。
二人が立ち去るときには、村一番の人間の家は、皆廃墟になっていた。
焼き落ちて見る影もない屋敷の下には、政宗が手をかけた人たちが眠っている。
夜会は最高の食事の場だといつか政宗が言った。
磨かれた女が向こうのほうから寄ってくる。
最後と決めた夜会の夜には、政宗は普段よりもなおその闇に属する血の性を露わにする。
気に入った淑女の手を取り一曲踊る。踊っているうちに女が倒れる。倒れて運ばれた寝台の上で冷たくなる。
誰かが悲鳴の一つでもあげれば、それが合図。
踊るように磨かれた爪を閃かせて。
その場に集まる人間を順に屠っては、時折思い出したかのように血を舐める。
一度目は、元親は呆然としてただ眺めているだけだった。
二度目は、とどめようと声を上げようとしたところで、喉が干からびたように掠れて声にならず、やはりただ眺めていただけだった。
今日が三度目だ。
また多くの命がいたずらにつみ取られていくのをみているだけなのか。
止めさせるべきだ。
政宗のためにも、許していていいわけがない。
脳裏に浮かぶのは、今は遠い、まだ平和だった村での生活。人だったころの政宗の姿。
健康的に焼けた肌。黒い髪と同じ、闇色の瞳。
優しい男だったのだ。
領民のことを考えて、次期領主としての自覚を持って生きている男だったのだ。
変わってしまったと思いたくない。
それが元親の勝手な願いであったとしても、変わってしまったと諦めてしまいたくなかった。
ノックの音がした。
返事を待たずに開けられる扉。政宗はノックはするが、それで義務を果たしたと思っているのだ。
元親から制止がかかるだなんて考えはないのだろう。そして、実際それは当たっている。元親は政宗を拒まない。
「よう、着替えは済んだか、って何だ、まだ着替えてねえのか?」
自身はきっちりと着替えを済ませた政宗が、呆れたような顔で部屋に入ってきた。
黒にも見える見事な藍色の上着。金糸で刺繍の施されたそれは装飾に疎い元親から見ても、大層金がかかっているとわかるもの。
座って項垂れている元親をみて、政宗は不可解そうに眉を上げる。
「服なら、昨日おれが見繕ってやっただろうが?」
「ああ、そうだな」
政宗が選んだ一式がクローゼットから出されてすらいないのをみてとって、政宗は子供が拗ねたかのように眉を寄せた。
「何だよ、気に入らなかったのか?」
「違う、そうじゃねえ。そうじゃねえよ政宗」
額から手を下ろして、元親は顔を上げた。
じゃあ何なんだと政宗が目線で問うてくる。
その様は欠片も変わらない。
一年前と、変わらない。
元親は唾を飲み込んだ。
唇を開こうとしたが、それは息を吸えただけで、言葉は唇から出てこない。
不甲斐ない己に、情けなさを通り過ぎて哀れみさえ覚えた。
自分がここにいる意味。政宗とともにいる意味。生きている意味すら、見いだせない気がした。そしてそれは実際正しい。
元親はゆっくりと頭を振った。
生き物の命をいたずらに奪うのは止めろ。
お前のそんな姿は見たくない。
その一言が言えない。
言えやしないのだ。
「言いたいことがあるなら言えよ」
だから、乾いた声でそう言われたとき、元親は自分の心の声がもしや言葉になっていたのかと驚いた。
顔を上げれば、元親の前に立った政宗が、腰をかがめて元親の顔をのぞき込む。
間近に赤い瞳がある。
今度はわざとらしい甘い声がもう一度言った。
「ずっと、おれに言いたいことを抱えてんだろう?アンタのその、一人我慢して飲み込んでますって辛気くさい顔も見飽きてたところだ」
宝石のような瞳にのぞき込まれたら、まるで体の内側まで見透かされているような錯覚に陥る。
元親の罪も愚かしさも何もかもを。
唇がわなないたのは、暴かれてしまった方が楽になれると、一瞬でも思ったからだ。
このまま政宗の足下に崩れ落ちて懺悔し、その手でこの身を断罪してほしいと思った。そうしたらきっと楽になれる。
一瞬で終わる。
一瞬で、これから政宗と過ごす時は終わるを告げるだろう。
元親は短く息を吐いた。
眉を寄せて、わずかに喘いだ。
声にならぬ元親の様を見ていた政宗は、首を傾いで元親の頬に手を添えた。
「ならおれから聞いてもいいか?」
身じろぎすらできぬ元親を肯定ととって、政宗はその口角を引き上げた。
「アンタ、おれに何をした?」
それはいつかされた問い。けれども元親が答えることのできなかった問い。
息が細くなって、元親はひゅっと喉を鳴らした。
恐怖で瞳が揺れるのが分かった。
「目が覚めた後、アンタは教えてくれたよな?おれたちがどんな生き物か。おれがどんな生き物になっちまったか。
子はつくれねえ。ちょっとやそっとじゃ死なねえ。でもこの世にはおれたちみたいな生き物がおれたち以外にも存在するんだろ?」
ずっと気になってたんだ、と政宗は元親の頬を優しい手つきで撫でた。
ぞわりと肌が粟だった。
「生き物である限り絶対的に持つ本能がある。どんな生き物だって、種を繋ぐ本能はもつもんだ。じゃあおれらはどうやって仲間を増やすんだ?
アンタは、どうやって、おれを、仲間にした?」
引き延ばしてきた執行猶予。断罪の鎌が笑みを刻んでいる。
「死にかけたあのとき、喉をこじ開けて入ってきたものがおれを変えたんだ。そうだろう?喉を焼きながら体に沁みていった。
おれたちは他の生き物の血がなけりゃ生きられない種族だ。なあ、あれは、アンタの血じゃねえのか?
おれたちは、己の血を与えることで仲間を増やすんじゃないのか?」
政宗が目覚めた後、元親は自分たちという生き物について語った。どうやって生きていくのかを。
けれど、仲間を作る方法は、口にしなかった。
それはつまり、元親が政宗になした罪そのものだったからだ。
それは罪の告白だからだ。
目眩がした。
「おれが誰かに血をやったら、そいつもおれたちみたいな生き物になるのか?」
それは純粋な興味なのだろうか。
それとも。
「何でそんなことを聞くんだ…」
唇からこぼれたのは埒もない問いかけだった。
何故そんなことを聞くのだろうか。
興味でないのだとするなら、誰か道行きの共にしたい女ができたのだろうか。
そう考えた瞬間、かっと燃えた胸の内。
その炎の名は嫉妬というのだ。
何てことだと元親は絶望した。
触れる政宗の指の感触が途端艶めかしく感じて、元親は目を細め体を震わせた。
死なせたくなかった。その命を失わせたくなかった。
けれど罪へと背中を押しだしたのは所詮、独占欲という名の己の醜い欲でしかなかったのか。
ただ己のもとに繋ぎ止めておきたかっただけかと。
乾いた言葉が声にならずに頭の中で響いたとき、あまりの欲深さ、身勝手さに反吐がでそうになった。
政宗が自分以外の連れを求めても仕方がないことだと思った。
泣きたかった。
己のための涙でしかないことは承知で、泣きたかった。
いっそ消えてしまいたい。
長い指がつと顎をたどって首筋に達する。
磨かれた爪がまるで動脈をさぐるように肌を撫でる。
政宗は元親の首筋に顔を寄せた。
息が肌に触れるのが分かった。
「ただ単なる好奇心さ。おれは女の血が好きだ。特に肌の白い女の血が好きだ。アンタの嗜好は違うだろ?
何でかって考えてたのさ。初めに覚えた味のせいかと考えた。初めに覚えた味は何かってつらつらと思い返して、思い出したのさ。
臓物を妬く感覚を、舌が初めて知った甘美な味を、芳香を」
政宗がしゃべるたびに吐息が肌を湿してしく。
ぞくりと肌が泡立つ。
元親は喘ぎながら政宗の背中に手を回して、その上着を掴んだ。
歯が柔らかく皮膚を噛む。
舌が肌を這う。
元親は目を固く閉じた。
「なあ、アンタの血は甘いのか?」
つぷりと政宗の歯が皮膚を突き破るのがわかった。
その荒い息づかいが鼓膜を掠めた。
痛みなど一瞬だ。
「ああ…」
首筋に顔を埋めて、政宗は元親の血を啜った。
他の生き物の血を啜ることでしか命を繋げない自分が、血を啜られている。
常とは真逆。
搾取されていることに見いだしたのは恐怖ではなく快感だった。
上着を掴んだ手にぎゅっと力がこもったが、それは政宗を制止するためではなかった。
混乱した頭で陶然と思考したこと。
このまま政宗の糧となって死んでしまえたら、きっとそれはこの上もなく幸せなことではないかと思った。
「あ、あ…」
喉が開いて自分でも聞いたことのない様な浮ついた声がこぼれた。
噛んだそこを丁寧に舌がたどるのが分かる。
まるで愛撫のようだと元親は思った。
体の奥がじくりと熱さで滲んだ。
元親ののど元で笑う男がいる。
耳朶を甘噛みされ、ぎゅっと眉間に力を入れた。
唇から吐息がこぼれる。
直接流し込まれた低い声は、揶揄するように笑っていた。
「アンタ、おれに喰われてえのか?」
元親は明確な意志で政宗の背中にまわした腕に力を込めた。けれどその体にしがみついて頭を振る。
自分でももうどうしたいのか、どうされたいのか分からない。
いや本当は自分の望みを知っている。
断罪して欲しい。詰って欲しい。罰して欲しい。
そしてどうか供にいて。
許されないならその手で終わりにして欲しい。
言ってしまえば自分はこのとき、ただ楽になりたかっただけなのだろう。
喉に吸い付く唇の感触。
鼻孔を満たす匂いは己の血の香り。
唇を開けば掠れた声がこぼれた。
「お前の、好きに、しろよ」
政宗が埋めていた顔を上げる。
深紅の瞳がまっすぐに元親を映した。
唇は元親の血に染まっている。
その唇からこぼれるこれまた深紅に染まった牙。
政宗は一度ゆっくりと瞬いた。
すっと口元から表情が消えていく。
怒ったかのような色が瞳を掠めるのが見えた気がした。
元親の唇に噛みついてきた熱い唇。
無理矢理舌をねじ込まれるその刹那。
熱さで揺らめく声が嗤った。
「なら、お望み通りに喰ってやる」