政宗の機嫌は昨夜から引き続き絶不調であった。
朝一番で不動産屋に電話した元親は、たまたま仕事が休みだった政宗に向かって手を差し出して車を貸してくれと言った。
どうやらマサシおじさんは隣の県に住んでいるらしい。
好きにしろと言った政宗の言葉を受けて、一人で送るつもりらしいことは分かったが、結局政宗は車のハンドルを己で握っていた。
真っ赤なスポーツカーの助手席には、膝の上にアキラを座らせた元親が座っている。
車に傷がつくと困るとハンドルを握る理由を告げた政宗に対して、元親は肩をすくめるだけで何も言わなかった。
まあ、自分でも苦しい言い訳だという自覚はあったので、政宗としては助かったのだが。
何故こんなことをしているのか、政宗自身分かっていないのだ。
説明などできはしない。
面倒ごとは嫌いだ。
それでも、気になってしまうのは、アキラの置かれた境遇のせいだろうということは自覚していた。
黙り込んでひたすらにアクセルをふんでいる政宗に対して、元親は話しかけることはせず、膝に抱えたアキラに対して色々と話しかけていた。
まめな男だと、政宗は呆れ半分に思っていた。
「マサシおじさんってどんな人なんだ?」
「会ったことない・・・」
「そっか・・・。まあ、でも大丈夫だよ、心配すんな」
何が大丈夫なのか言ってみやがれと思いながらも、口に出すことすら億劫だった。
そうして走ること二時間。
マサシおじさんとやらの家にのりこんだ三人を迎えたのは、初めて会う甥を迎えてよろこぶ叔父の姿、ではなかった。
3ピースを設計したという建築デザイナーであるその男は、甥であるアキラを見て、その神経質そうな眉をひそめたのだ。
応接室にとおされ、さっそくアキラから受け取った手紙を差し出し、事情を説明する元親の横で、政宗はその叔父である男の様子を見ていた。
話を聞き終えたその顔に浮かんだのは、嫌悪の色であることを政宗は冷静に見て取った。
顔を歪めて男は言った。
「帰ってくれ」
政宗は肩から力を抜いて男から視線を背けた。
「は?」
これは元親の声だ。
男の言いたいことが理解できていないらしい。
「こいつ、あなたの甥っこなんでしょう?」
隣に座っている明の頭にぽんと手を置いて、似合わぬ敬語で言う元親に対して、政宗は哀れみを含んだ苛立ちを覚えた。
男が言ったことが理解できないそのお人好しさに哀れみを。
そして、甥を追い返そうとする男を理解しないその鈍さに苛立ちを。
男に対して抱く感想は特にない。
そりゃ甥を愛さぬ叔父もいるだろう。
子を愛さぬ母がいるように。
政宗は息を吐いた。
「だから何だ?私には関係ないことだ。だいたい事情はお察し下さいだと?今まで私が頼っていっても見て見ぬふりをしてきたくせに、図々しい!」
顔を歪める男の様は、見ていても別に楽しくも何ともない。
「でも・・・!」
「帰ってくれ!」
「ちょっと待ってくれよ!!」
たまらず元親は声を上げた。
敬語を使うことも止めて立ち上がる。
その姿を見上げて、政宗は少し、驚いた。
「こいつはアンタを頼ってきたんだぞ?!このちっちゃい手で荷物抱えて!一人でおれたちの家まで歩いてきたんだよ!」
詰め寄る元親の顔は上気していて、それだけ彼が興奮していることを表していた。
政宗は瞬いた。
こいつ、本気で怒ってやがる。
その単純な一つの事実は、政宗に何故だかひどく新鮮な思いをもたらした。
「・・・いくら欲しいんだ?」
「はあ?!おっさん、アンタ人の話聞いてたか?」
跳ね上がった元親の眉につられたわけではないが、その言葉に、政宗も初めて、不快な思いを露わにしてその男に視線をやった。
元親の口調はすっかり元に戻っている。
今にも胸ぐらつかみそうな勢いで男に顔を寄せすごむ元親に対して、男はどこまでも不愉快そうな顔を崩さなかった。
「金をやる。だからその子供をつれてさっさと帰ってくれ」
当のアキラ本人がいるまえでそう言う神経にはもはや脱帽だ、と政宗は呆れた。
しかし、呆れるだけではすまなかったのが元親だ。
甥っ子を送り届けた好青年の影はもはや欠片もなく、元親は男の胸ぐらを掴む。
「誰が金欲しいなんて言ったよ?アンタこいつを何だとおもってんだ?!ああ?!」
低い声でのすごみに男はひるんだようである。
男の表情に浮かんだ卑屈なおびえを見て取ったからか、舌打ちをしてあっさりと、元親は男の胸ぐらを掴むその手を離した。
つき合いきれないという風に首をまわして息を吐く。
「アキラ」
「・・・」
男の目を見据えて、あっさりと一言。
「帰るぞ。こんなヤツの所なんざこっちから蹴ってやればいい」
言うが早いが、アキラの体を抱き上げて、さっさと部屋を出ていく。
その後ろ姿を追って、政宗は髪をかき上げ、息を吐いた。
「お邪魔しました」
投げやりに一応挨拶をして、その背を追って同じく部屋を後にする。
とりあえず、外に出たらまずタバコを吸おう。
そう思って、政宗は歩きながらポケットからタバコの箱を取り出した。
外に出れば、車の助手席にアキラを座らせて、元親自身は車のドアに背中を預けて空を仰いでいた。
その様を眺めながら、政宗はタバコに火をつけ、ゆっくりと吸い込んだ。
「無駄足になったな」
「あ〜?」
横目で返される視線を受けて、政宗は煙を吐いた。
「店、休んだろ?」
「あ〜」
今度の『あ〜』は納得の言葉。
もともと休みの自分ならいざ知らず、目の前の男はわざわざ仕事を休みまでしたのだ。
「こっちこそ、悪かったな」
「An?」
「ガソリン、無駄にさした」
「後できっちり請求してやる」
あっさりと言ったその言葉に、元親は言葉に詰まったようだった。
「お前の車って、ハイオクだよな?」
「Of course」
元親は空を仰いだままその場にしゃがみこんだ。
「家賃踏み倒してもいいならハイオクでいいぜえ」
「相変わらず貧乏くせえな」
「悪かったなちくしょう!」
吠える元親の姿に、政宗は唇で笑った。
携帯灰皿を取り出して、タバコの火を消す。
助手席の方へと回り込んで、ボンネットに腰を預けて、シートに収まった小さな体を見下ろした。
唇をひき結んで、アキラは前の一点を見つめていた。
元親は反動をつけて腰をのばし、車の方へと振り返った。
開いた窓のふちに片腕を乗せて、アキラに笑いかける。
「あんな野郎のことなんざ気にすんじゃねえよ!」
「・・・」
「いいかあ?お前なんかまだマシだぞ?」
おどけたように続けられる言葉は、けれど決して軽いものではなく。
「おれなんか、パパやママの顔も覚えてねえんだぜ?二人ともおれが今のお前より小さいときに死んじまったからよ」
アキラの顔がゆっくりと向けられ、透明な瞳が元親を見上げていた。
元親は笑った。
「お前は、パパの顔覚えてるか?」
アキラはこくりと頷いた。
「ママの顔も、覚えてるだろ?」
アキラはもう一度頷いた。
「うらやましいぜちくしょう!お前なんかなあ、不幸っていうにゃまだまだなんだよ!」
政宗も元親を見ていた。
元親は胸を張ってふんぞり返っている。
なんて慰め方だ。
自分にはできない、思いつきもしない慰め方だ。
思わず、頬がゆるんで、気が付けば、政宗は喉で笑っていた。
「だ、そうだぜ?アキラ」
名を呼べば、アキラはまんまるい目を政宗に向けた。
その透明な黒い目に苦笑して、頭をくしゃりとかき回す。
「アイスでも食うか?」
「・・・ハーゲンダッツ?」
「お、その年でハーゲンになれてるとは、舌肥えてんなお前」
「おれはチョコチップな!」
「誰がテメエに買ってやるっつった?」
そうすっぱりと言い返せば、元親は世界の終わりのような顔をした。
「テメエで買えよ。いい大人だろうが」
「おまっっ!!おれが!!ハーゲンなんて買えるわけないだろうが?!」
今度は眉をつりあげて本気で怒鳴っている元親を盛大に無視して、政宗は車に乗り込んだ。
「さて、じゃあコンビニだな」
「って聞けよテメエ!!」
「早く乗れよ。それとも走って帰るか?」
「勘弁してください」
ううハーゲンと未練がましく元親はつぶやきながら、助手席のドアを開けた。
アキラが降りようとするのを、問答無用で抱き上げて助手席に乗り込み、アキラを膝の上にのせる。
政宗はその様子を横目で見て、唇をゆるめた。
エンジンをかける。
コンビニでハーゲンダッツを3つレジにもっていけば、元親はひどく驚いた顔をして、お前のおごりなんて珍しいとつぶやいた。
「どういう風のふきまわしだよ?」
「おっさんの家でテメエがかました素晴らしい啖呵の見物料だ」
「・・・見せ物じゃねえっつの」
「じゃあいらねえのか」
そう意地悪く問えば、元親は即答で、いる、と宣言し横からレジ袋をひったくっていった。
アキラを連れてさっさとコンビニをでる背中をゆっくりと追って。
お前の感情をまっすぐに表せるその素直なところは、案外嫌いじゃないのだと。
胸の内でつぶやいた。