+蜘蛛と蝶+

 

外界とは切り離された鎮守の森。
森の奥には社がある。
社に住まうのは、鎮守を司る神子と呼ばれる王族と、世話役と呼ばれる数名の人間のみ。
社の中と外。森はその二つの世界で出来ていた。
社の外、国の牙と呼ばれる者たちが、鎮守の森と神子を守る。
森に住まうのはそれだけの人間だった。
狭い森にありながら、二つの世界が交わることはない。
主と仰ぎながら、伏せた顔の下で、美しいだけの、守られ祈るだけしか能がないと嘲笑う。
蜘蛛と呼ばれる国の牙は、守るべき王、貴族たちを、皮肉と嘲笑を込めて蝶と呼ぶ。

***

 弥三郎はきょとんと目を丸くして、首を傾いだ。
「蝶?それは私のこと?」
「ああ。アンタらがおれたちを蜘蛛と呼ぶように、おれたちはアンタら、上のやつらのことは蝶と呼ぶのさ」
 藤次郎の言葉に、弥三郎はふと唇を綻ばせた。
「綺麗な呼び名だな」
 だが藤次郎は、どこか皮肉気に唇を引き上げて肩をすくめてみせた。
「そんないいもんじゃねえよ。蜘蛛は蝶を喰らうだろ?アンタら貴族の連中を蝶と呼ぶのは、おれらを蜘蛛と呼ぶことへのあてつけなのさ」
 互いの間に横たわるものを突きつけられて、弥三郎は困ったように眉を寄せて苦笑した。
 言葉を返せずにいる弥三郎に、しかし藤次郎は瞳を楽しげに煌めかせて、乱暴な、けれど目を惹きつけてやまない笑みを浮かべた。
「嫌味以外の何でもない呼び名だが、アンタに対しては似合いだと思ってるぜ」
 意味深な言い方に、弥三郎は不安そうな顔をしたが、対照的に、藤次郎の声はどこまでも軽い。
弥三郎の月光に煌めく白銀の髪を指で掬って。
「アンタは確かに、蝶のように綺麗だからな。思わず喰っちまいたくなるくらいに」
 そう言って、金色の瞳を閃かせながら顔を寄せ、藤次郎は指で掬った弥三郎の髪を食んだ。
 藤次郎、と声を荒げて、弥三郎は顔を真っ赤にした。
「からかうなよ!」
 顔を染めたまま、怒ったように乱暴に、弥三郎は藤次郎の指に絡んだ髪を取り返した。
「信用ねえな。からかってねえよ」
 本心だぜ?と、藤次郎は悪びれなくもなく首を傾いで弥三郎を見る。
笑みをたたえた金色の瞳に見つめられれば、弥三郎は不機嫌を装うこともできなくなるのだ。
 藤次郎の手が、弥三郎の髪を撫でる。
 その優しい手の感触に、弥三郎は目を細めて微笑した。
 愛しげに。そしてどこか寂しげに。
 藤次郎は苦笑した。
「綺麗だぜ、弥三郎」
 弥三郎は首を傾いで、ふと吐息をこぼした。
「ありがとう、藤次郎」
 そして藤次郎の指は弥三郎の髪から音もなく離れていった。
 
***

 月明かりの下、白銀の蝶と、黒い蜘蛛が一匹。
 月の光は優しい。
 ただ、夜の闇と、月の光だけが。