団らんへの闖入者=新たなる家族志望
T 平和な朝の一時は、かくも無情に壊される
「Hey!おれのcuteな許嫁はどこだ?」
左手に茶碗を、右手に箸を握り、今まさにほかほかと蒸気をあげるご飯を口に運ぼうとしていた元親は、突然の闖入者に唖然とした。
箸からぽろりと、ご飯が茶碗に逆戻りする。
家の茶の間に満ちるのは耳が痛いくらいの沈黙。
「え〜と、その前に、どちらさま?」
隣に座る佐助が発した当然の問いに、闖入者の二人組の片割れ、若い眼帯の男は胸を張って答えた。
「こりゃsorry!おれは政宗。婚約の約束を果たすため、中国から帰ってきたのさ」
本人はそれでこの事態の説明を終わらせたつもりらしいが、元親にはさっぱりと理解できなかった。
他の皆も理解できなかったであろう。
そう思ったのだが、奥のほうから、おうと低い声が返る。
「おお!伊達のとこの政宗か!いやあ大きくなったのお!」
「お、お、オヤジ?!」
でんと構えたこの家の大黒柱、信玄はおおらかに笑って頷いているのである。
「お知り合いでござるか、お館様?」
幸村の驚きの声に、信玄は鷹揚に一度頷いた。
「わしの古い友人の倅よ。修行の旅はもうよいのか?」
「……ああ。明日約束の十七になる」
「そうかそうか」
何故か二人の間で勝手に話が進んでいる横で、元親は完全にその展開について行けずにいた。
何かよく分からないが、取りあえずこの政宗という男はあやしい男ではないらしい。
いや、いきなり人様の茶の間に乗り込んでくるという常識のなさはさておいて、だ。
一応身元ははっきりとしているようだし。
なので、取りあえずここは用件を聞くべきだろうと、元親は気を取り直した。
とりあえず持ったままだった茶碗と箸を机に置いて、顔をあげる。
「で、こんな朝っぱらから何か用でも?」
「だから、婚約しに来たっつってんだろうが」
目を細めて、何度も言わせるなとばかりに乱暴に言い返され、反射で元親も眉を跳ね上げる。
お前なんぞと話すために来たのではないと、言外にぴしゃりと切り捨てるような冷たさと、どこか人を見下した傲慢さがその言葉と視線にはあった。
元親は己のこめかみがひくりと痙攣するのが分かったが、ここで声を荒げて話をさらにややこしくしては意味がないと自制する。
「だから、婚約って何の話だか」
「おお!そうじゃったな政宗!」
「…オヤジ、話の腰を」
「で、その姫は今どこに?」
「だから人の話を!」
この父親はとてもマイペースな人間なので、他人の話のペースなど気にもとめないのが玉に瑕だ。
別に元親は、信玄のマイペースさに苦笑することはあっても、今まで別に本気でキレたりしたことは一度もなかった。
けれど、続けられた信玄の言葉は、元親の予想を遙かに超えていた。
信玄は、さも当たり前のように、元親を視線で示して。
「そなたが十年前に結婚したいと望んだ相手は隣におるぞ」
沈黙。
元親はぱちりと瞬いた。
機嫌良く笑っている父親と目が合う。
っていうかそんな台詞の後で、どうして信玄は自分を見ているのだろう。
「……Han?」
胡乱げな政宗の声がした。
それにつられるようにして元親は、隣にたつ婚約しに来たのだと繰り返す闖入者を下から見上げた。
目が合う。
二秒ほど見つめ合ってみた。
いつのまにやら茶の間は静まりかえっていて、皆の視線が自分たちに集まっている。
政宗の目が大きく見開かれるのが見えた。
顔がうっすらと紅潮していくのも見えたが、別にこれは元親と見つめ合っているから照れた、という反応ではないようだ。
当たり前だが。
っていうかこの状況で照れられても怖いだけだし。
「!!」
いきなり、がっと頭を掴まれ、元親はうおっと変な声を上げてしまった。
政宗は元親の頭を掴んで、その髪の毛の手触りを確認しているかのようだった。
まるで犬か猫の毛並みを確かめるような扱いに、一瞬の驚きのあと、元親は我に返った。
つまり、至極当然のことながら、一方的なこのやり方に、苛立ちが起こったのだ。
そもそも自分はまだこの事態を飲み込めてすらいないのである。
「おい、いくら色が珍しいからって、人の髪の毛を好き勝手に引っ張ってんじゃ…」
ひっぱってんじゃねえよと、続くはずだった抗議の言葉は途中で強制的に遮られる。
「Oh,my…!」
政宗は英国風に動揺の声を上げたあと、わなわなと手を震わせて元親の頭を放り出して、叫んだ。
「テメエおれを騙してやがったな?!」
その意味不明な言いがかりに、いい加減、元親も苛立ちが頂点に達した。
「テメエな!いい加減にしろよ?!何だってんださっきからよお!」
ぎろりと睨めば、何故か政宗も目に鋭い光を宿らせて、こちらをにらみ返してきた。
その凶悪な目つきは、一般人が相手ならすぐさま泣いて土下座させてしまうような代物だったが、元親だって負けていない。
そして何故か、今さらかつどうしようもない罵声を元親は受けた。
つまり。
「テメエ男じゃねえか!!」
「何今さら当たり前のこと言ってやがる?!」
混乱の体を極めたような二人の会話に割り込んでくるのは、やはりマイペースな信玄の暢気な声で。
「昔は体が弱かったが、あれから丈夫に育ってのお」
混乱を極めた元親の頭だったが、続けられた信玄の言葉に、ぴたりと脳は動きを止めた。
「男だと分かってて、元親と結婚したいと言ったのではなかったのか?」
空気がかちんと凍った。
となりから恐る恐るな佐助の質問。
「…え、じゃあ本当に、政宗くんが言う許嫁って、チカ兄なわけ?」
「うむ。十七になったらという約束をしたな」
「では兄上はこの御仁と結婚するのでござるか?」
「うむ。そういうことになるな」
「ちょっと待てよ!」
怖ろしい話の成り行きに、元親は声を荒げた。
思わず目の前の政宗の胸ぐらを掴み挙げて、失礼ながらもびしりとその無駄に整った顔を指さした。
「誰が!誰と!結婚するって?!」
元親をのぞく家族三人はそろって、丁寧にも政宗と元親を交互に指さしてくれた。
「っ?!ふざけんな!!」
顔を紅潮させて勢いのままそう怒鳴れば、政宗にその胸ぐらを掴んでいた手を乱暴に振り払われた。
眉間に皺を刻んで、政宗は元親から顔を背けて、吐き捨てるように言う。
「Shit!そりゃこっちの台詞だぜ!」
「ああ?!」
「おれが婚約したいと望んだのは、銀髪がそりゃもうbeautyな美少女で、おれはな、あのときの姫に会えるこの日を楽しみにしてたんだよ!
それが!
ふたを開けてみればよりによってソイツは男だっただと?!そんなJokeみたいな話が認められるか!」
「テメエが認めようが認めまいがそんなこと知るかよ!勝手に勘違いしたのはそっちじゃねえか!」
「勘違いさせるようなナリをしてたテメエに言われたかねえんだよ!」
「んだとお?!」
至近距離で顔を合わせての怒声の応酬。
「女みてえなカッコで、はっきりモノもいえねえでうじうじしてやがったくせによ」
どこかで試合開始のゴングが鳴った気がした。
あからさまに、元親は己の顔色が変わったのが分かった。
血の気が引いたのか、逆に血が沸騰したのかは分からなかったが。
胸ぐらを掴む手にこもっている力は十分。
元親はぐっと足下に力を入れた。
畳は滑りやすいが問題ない。
空いていた左手を目の前にある男の肩口に添える。
あとは簡単だ。
胸ぐらを掴んだ右手を引き寄せて、左手でその体をがしりと押さえ込んで固定。
そして。
「あ〜あ」
佐助の呆れたような気の抜けた声がした。
「っ!」
元親の頭上で息を呑む音。
政宗の体を流れる動作で持ち上げた元親は、息を詰めてそのまま持ち上げたその体を。
全力で。
庭に投げ捨てた。
背負い投げの応用だと元親自身は思っている。
盛大に水音がした。
庭には鯉が泳ぐ池があるからだ。
ものすごい勢いで投げられた政宗が池に落ちた音だろう。
「政宗さま?!」
今の今まで沈黙を守っていた闖入者のもう一人の男が声を上げたが、元親は気にしなかった。
立ち上がったそのまま、顔を茶の間に向けて一言。
「学校行ってくるわ」
問答無用の元親の背負う圧力に逆らう人間は誰もいなかった。
U 事実は小説よりも奇なり
こりゃまたすごいことになったなあと、武田家次男の佐助は妙に感心しながら目の前の現実と向き合っていた。
風呂をセットしながら、しみじみと呟く。
「…世の中ってまだまだ不思議なことで満ちてるよねえ」
武田家はこのあたりでは有名な古くから続く家で、無差別格闘流という流派の道場を代々守ってきた。
父、信玄を慕う門下生も多くおり、道場経営はまあまあうまくいっている。
佐助自身はそれほど道場については関心はなかったが、兄弟とともに、一通り父から鍛えられてはいた。
家族は父と、兄弟二人。母親は随分昔、佐助が物心ついたかのころに他界した。
信玄は器の大きすぎる人物で、早い話が家の中のことには疎い人間だった。
長男である元親は超がつくほどの不器用で、末っ子の幸村は大物な父親の血を色濃く受け継いでいるときている。
なので、家庭内のことは佐助の仕事だった。
不満はなかったし、むしろ道場で暑苦しく稽古に励むよりかは、性に合ってるとも思っている。
佐助は信玄のことを尊敬はしていたし、幸村の猪突猛進な性格も、弟ながら可愛いもんだと思っている。
しかし、器が大きすぎるのも時と場合によっては考えものなのかもしれないと、父の性格についてちょいとばかり考えを改めた。
まさか、兄に男の許嫁をあてがうとは。
それを聞いた元親は、突然現れた許嫁(自称)に見事な背負い投げをかまして、出て行ってしまった。
今は蝉の声がうるさい八月で、学校はないのであるが、運動部の助っ人に引っ張り出されての出勤であった。
同じく運動部の掛け持ちをしている幸村も、我に返って、元親を追いかけるようにして慌ただしく部屋を出て行った。
信玄は慌てた様子もなく、見事に飛んだなと感心していた。
兄弟二人を見送った佐助は茶をすすっていた。
珍客は池に投げ捨てられたのではあるが、溺れるほどの深さがあるわけでもないし、まあある意味自業自得とも思っていたので、別段助けようとすることもなく、客人が池から上がってくるのを待つ体制だったのだ。
しかし、焦った声を上げて、それまでじっと控えているだけの連れの壮年の男が池に飛び込んだのを見て、佐助は目を見開くこととなった。
池に入ったのは壮年の渋い男性だったはずなのに。
何故か佐助の視界にうつったのは。
一頭のパンダ。
動物園でもなければ中国奥地でもない一家庭の庭には、絶対にいるわけのない、最近では絶滅危惧されている。
パンダであった。
パンダは慌てたように池の水をかき分け、その毛の生えた両手に何かをすくいあげるようにした。
その手のひらに乗っている、ちっちゃな一頭の黒豚。
池から上がり、こちらに向かってくるパンダを瞬きもせずに見つめていた佐助だったが、パンダが突然にょきっと木製のプラカードを出してきたときには、思わず体を後ろに引いた。
そのプラカードには簡潔に一言、湯をお貸しいただきたいと書かれていた。
あまりの展開に、声をあげることも出来ずに、言われるまま取りあえず風呂を入れに行こうと立ち上がった佐助が横目でみた先には。
元親を怒らせた珍客と同じように右目を眼帯で覆った目つきの悪い黒豚がいたのである。
ちなみに、池には人が沈んでいる影もなにもなく。
佐助は超現実的な人間であった。
人から聞けば、何か悪いものでも食べたのかと耳を疑うところだが、自分の目で見てしまったものは認めるしかあるまい。
蛇口からお湯がでたことを確認して、風呂場を出る。
「まさか池に落ちたらパンダと黒豚になるなんて、漫画みたいなことがあるなんてねえ」
しかもそれがもしかしたら自分の義兄になるかもしれないというのだから、世の中は本当に奥が深い。
目を見開くほど驚きはしたが、それなりにあっさりと、現実を的確に受け入れている佐助であった。
V ガラスの初恋
それは政宗がまだ七歳のころだった。
父親の古い友人であるという武田の家に、父につれられて泊まりがけで訪ねたことがある。
その家には子供が三人いて、その内の一人に、政宗と同じ年頃だという、それはもう可愛いらしい少女がいた。
銀色の綺麗な髪がふわふわとした、肌の色が大層白い少女は、自身も人見知りするたちらしいのに、客として訪れた政宗に何くれと気を遣ってくれた。
幼い頃の自分は、今の自分と比べて口下手であったので、遊びに誘ってもらえて嬉しいくせに、むすりと不機嫌な顔をしていた。
少女はぐずる末っ子をなだめながら、か細い声で、それでも一緒にかくれんぼをしようと言って、四人でかくれんぼをした。
気がつけば、政宗は笑い声をあげて、三人と遊んでいた。
遊び回ったあとで夕食をごちそうになり、弟たちを寝かしつける少女を一度は見送ったが、父親たちの側にいてもつまらないので、少女を追って部屋を出た。
かくれんぼのおかげで、他人の家とはいえ構造を把握することができたので、少女たちの子供部屋へは迷うことなくたどり着くことができた。
そっと部屋の戸を開けると、走り回って遊び疲れたのだろう、敷かれた布団の中で、すでに幼い二人は眠っているようだった。
少女はというと、弟たちの側に座りながら、ぼんやりと宙を眺めていて、政宗が扉を開けたことにも気がつかない様子であった。
宙を見つめる瞳が、どこか空虚で、政宗はどうしてか落ち着かなくなり、焦ったように少女の側に寄った。
それでも政宗に気づかぬ少女の肩に触れて初めて、少女は政宗を見た。
よっぽど焦った顔をしていたらしい。
少女はびっくりしたように目を丸く見開いたあと、ごまかすように、政宗を安心させるように、小さく微笑んでみせた。
ガラスのように透明で、儚い笑みだった。
心臓がきゅうと縮んだ。
気がつけば、幼い弟たちが寝ているのも忘れて、叫んでいた。
「笑うな!」
まるで癇癪を起こしたように気が高ぶっていた。
「そんな顔で、笑うな!」
「…」
眠っている弟たちを気にする少女の困ったような顔を見たくなくて、部屋を飛び出した。
飛び出した廊下に立ちつくして、政宗は顎を引いた。
唇を引き結んでいないと、何故だかわめいてしまいそうだったのだ。
「…ねえ」
戸惑ったような掠れた声に、振り返れば、どこか脅えたような様の少女がいた。
「何か、怒ってるの?」
おずおずと問いかける澄んだ瞳は、濡れて光っていた。
政宗の反射で怒鳴り返そうとした唇が中途半端に開いたまま固まった。
言葉をなくしたその一瞬、目を奪われたほどに。
己を写すその瞳が美しかったのだ。
***
「だっていうのにこれは詐欺じゃねえのか、
小十郎?!」
湯気が立ちこめる中、政宗はそう絶叫していた。
ここは武田家の風呂場だった。
一般家庭の湯船の広さと比較すると、武田家の浴槽は幾分か大きい。
なので、風呂場に案内された二人はそのまま、浴槽へ飛び込んだのである。
つまり、パンダと黒豚が、だ。
湯船に一度沈んだあと顔を出したのは、パンダでも黒豚でもなく、立派な人間の野郎が二人。
そう、佐助が目にしたのは実際、幻ではなかったのだ。
頬に傷のある渋み走ったパンダは、何を隠そう、政宗の幼い頃からの付き人である小十郎であったし、眼帯をした目つきの悪い黒豚は、政宗本人である。
この十年、愛しの姫と思い続けてきた相手に盛大に池にぶん投げられる、という衝撃的な扱いを受けた政宗は、生ぬるい池の水の感触に身を浸しながら、思わず十年前のことを走馬燈のように思い返していた。
政宗にとっての、美しき初恋の思い出である。
弟たちを守るんだと、けなげに笑うその微笑みを見ていたくなくて、なら自分はその子を守るのだと、そう決意した。
そう、そのために政宗は強くなることを己の至上命題に掲げたのだ。
信玄と古い友人だった己の父もまた、無差別格闘流を収めた男だった。
しかし格闘家として生きていくことはせず、父は伊達グループを継いだ。
息子である政宗にも文武両道を掲げて、体を鍛えてくれていた父に、自分は強さを極めたいのだと申し出た。
父親はその日から師になり、十三の誕生日に、修行してこいと家を出された。
幼いころからの養育係でもあった小十郎と一緒に、政宗は世界各国へ旅をし、修行にあけくれた。
辛くなかったと言えば嘘になるが、そのたびにあの子の涙に濡れた笑顔を思い出すと、そのつらさも苦ではなかった。
十七になり、その時にまだ婚約したいと思う気持ちが変わらなかったら、訪ねてくるがよいと言った信玄の言葉をずっと抱えて、政宗は生きてきたのだ。
強くなって、信玄に認めてもらって、強くて優しいあの子と一緒に生きていくんだと。
ロシアに熊をも倒す達人がいるのだと聞けば、吹雪く北国へ飛び、スペインに何頭もの闘牛を軽くあしらう伝説の闘牛格闘家がいるのだと聞けば、ラテンの血の濃い都へ飛んだ。
そして最後に行き着いた修行の地は、中国。
ここでの修行が終わったら、日本へ帰ろうと決意した、いわば自分の中でのけじめをつけるために赴いた土地でもあった。
それが、究極の間違いであったことに気づくのに、時間はそうはかからなかった。
伝説と名高い修行場、呪泉郷。
英語のリスニングは完璧でも、政宗が中国語にはそれほど精通していたわけではなかったのもマズかった。
ガイドが早口でまくし立てる言葉を聞き流して、小十郎とともに早速手合わせを開始し。
まず、池に落ちたのは小十郎。
すぐさま池から飛び出してきた政宗が頼みにする彼は、パンダになっていた。
そのあり得ない現象に意識を持って行かれ、足を滑らせた先にあったのも、また池。
そして、政宗は愛らしい黒子豚になった。
そんな不幸に見舞われながらも、もうすぐ十七だからと帰国し、いざ武田の家に来てみれば。
初恋の姫は、実は男で、それはもう逞しく成長していました。
そんなオチがあっていいのか?!いやよくない、と政宗は眉間に皺を刻み反語調で言い切った。
呪泉郷でかかった呪いは、水をかぶれば子豚(小十郎の場合はパンダ)になり、お湯をかぶれば元に(つまり人間に)戻るといったものだ。
濡れた髪をかき上げて後ろに流した政宗は、額から流れる湯の滴を手のひらで拭った。
「まるで悪い夢でも見てるみたいだぜ」
そう言いつつも、政宗は己が置かれている現実を理解はしていた。
つまり、油断していたとはいえ、あらゆる格闘術を収めた自分を平然と池を投げ込んでくれたあの男が、初恋の相手だということをだ。
確かに、特徴的な髪の色も同じだったし、その手触りも記憶の底にあるものと似通っていた。
何より、自分を写したその透明な瞳。
見入ったまますいこまれてしまいそうだと、無意識に思った瞬間、政宗は現実を悟らないわけにはいかなかった。
初恋の麗しの君が、自分よりも背が高く、肩幅も広い立派な男だということに、だ。
「…あんなに可憐でcuteだったのが、どこをどう成長したらあんなになるんだ?丈夫に育つにもほどがあるだろうが!」
現実を理解しながらも、それでもやはり感情は別物で、往生際悪く声を荒げる政宗の横で、湯にじっとつかっている小十郎が、しかしと唇を開いた。
「かの君が男だということをご承知の上で、婚約を望まれたのではないのですか?」
「……はあ?!」
怪訝さを含んだその問いに、政宗は盛大に眉を跳ね上げて隣の男を見た。
普段と変わらずの強面な小十郎だったが、いささか、不思議そうな顔をしている。
「知っていたわけがないだろうが!そもそも男だって分かってたら、こんな十年も結婚してえなんて思い続けるわけねえだろう?!」
眉を寄せて言い切ってから、改めて己の今まで費やしてきた人生を思い、己の言葉にショックを受けた政宗だったが、小十郎はおかまいなしに続ける。
「はて、先日お父上と電話でお話したときは、それはもう上機嫌で、こちらの信玄様とご長男の元親様によろしくお伝えするようにと言っておられましたが」
「…What,s?!」
政宗は混乱した。
「武田のところの長男を伴侶に望むとは、我が息子ながら肝の据わった見事な選択だと、それはもうご機嫌がよろしく」
丁度父親の台詞の部分を真顔で声真似をしながら、小十郎はあっさりと重大発言をしてくれた。
混乱しながらも、政宗はめまぐるしく己の記憶を振り返っていた。
小十郎の言う先日の電話とは、おそらく中国へ渡る前に実家にかけた電話のことだろう。
久しぶりにかけた電話で、政宗は初めて、父親に己の決意を打ち明けたのである。
何故強くなりたいのか。
稽古をつけてくれる前、父親は幼い政宗にそう問うた。
政宗は、守りたい人がいるからだと答えた。
父親はそれ以上深く追求はせずに、ただそうかと答えた。
電話ごしに、そろそろ家に戻ってくるのかと訪ねた父親に対して、政宗は戻らないと短く返した。
「親父、結婚したい相手がいるんだ」
そう切り出した政宗に対して、父親は面白そうな声で、ほうと相づちをうった。
『それがお前が言っていた、守りたい人か?』
「ああ」
『ふむ。幼かったお前にそう決意させるほどとは、どこのお嬢さんかな?』
「親父も知ってる姫だぜ。武田んとこの一の姫だ」
『…姫?』
今にして思えば、確かに父親の声は不思議そうな色をしていた。
しかしそのときの政宗は、もうすぐ愛しの君に会えるという喜びで浮かれきっており、その声色に気づかなかったのだ。
「おれと同い年ぐらいの、髪が銀色の姫がいただろう」
『……ああ!何だお前、あれからずうっっっと、恋い慕っていたのか!』
「…ああ」
『そうかそうか。それなら儂は別に文句はない。信玄と本人が承諾したら、一度一緒に顔を見せに来い』
「…Thanks」
父親の了承がとれて、政宗は万感の思いを込めて、柄にもなく感謝の言葉すら言ったのである。
『その日を楽しみにまってるぞ』
そう言ったあと、父親は小十郎にかわってくれと言い、政宗は受話器を小十郎に手渡したのである。
当たり前のことだが、そのとき父親が小十郎に何と言ったのか、政宗は知らない。
「Hey小十郎」
「は」
「…機嫌良く、と言ったな?」
「はい」
ゆらりと揺らぐその低い声に、小十郎の眉がかすかに動いたが、政宗は気にしなかった。
「…つまり、大笑いしていたわけだな?」
「……はい」
政宗は湯船から立ち上がって絶叫した。
「あんのクソ親父!知ってて黙っていやがったな!」
答える小十郎の声はなかったが、その沈黙が何よりの答えであった。
W 言いがかり90%
女みたいなヤツ。
そう言われたときはたいてい、子供ならではの他愛ないけれど残酷な笑みが向けられた。
そのころの自分は言い返すこともせず、ただぐしぐしと泣くのをこらえていただけだった。
しかし家に帰れば、優しい母親がいて、気を落として帰ってくる元親を迎えてくれたから、元親は母親に甘えて己を慰めることができた。
いつでも側にあると思っていた存在だった。
けれど、ある日突然、その優しい温かな場所は失われてしまった。
突然の交通事故だった。
優しい母親は、車にはね飛ばされた。
病院で母親の亡骸と向かい合ったとき、元親は呆然とした。
自分はいつだって母親に甘えてばかりで、何も返すことも出来ずに見送ってしまった。いや、見送ることもできなかった。
与えられることを当たり前だと思っていた。
早すぎるその死は、謝る時間すらも元親に許してくれなかった。
どうして自分じゃなくて母さんなのか。
元親が泣いてばかりいて困らせるだけだったから?
甘えてばかりで頼りないから?
だから神様は母さんを連れて行ってしまったのですか?
元親は思った。
こんな自分には泣く資格もない。
***
「おらあ、次!!!」
道場で己と同じくらいの男を盛大に投げ飛ばしながら息も乱さず元親は声を上げた。
元親も投げ飛ばされた男も、ついでにいえば畳の上に伸びている数人も皆、白い柔道着着用だ。
「ちょ、長曾我部、ちょっと休憩にしないか?っていうかしてくれ」
「…ういっす」
たった今元親が投げ飛ばした柔道部主将の、手を上げての言葉に、元親は息を吐いて頷いた。
元親は別に柔道部部員ではない。
が、時折こうして、組み手の助っ人として顔を出していた。
柔道部に限らず、運動部からの助っ人を頼まれることは日常茶飯事だ。
元親は己の道場の師範代でもあったから、無理なときは断るが、今回は大会前の調整に是非に頼むと言われて、つきあっているのであった。
顔を洗おうと元親は道場をでて、水道へと向かった。
蛇口を乱暴にひねって盛大に水を出しながら顔を洗い、一息つく。
顔の滴を拭いながら、我ながら大人げないことをしたなと元親は反省していた。
いくらむしゃくしゃしているからといって、あんなに盛大に投げ飛ばすことはなかった。
「主将には悪いことしたなあ」
そう、あれでは八つ当たりもいいところだと元親は頭をかいた。
朝投げ飛ばして池に沈めてきた政宗については、欠片も罪の意識はない。
考えるまいと思っているが、やはり気をぬくと朝の忌々しい出来事が脳裏に浮かんでくる。
あんの失礼な男、と元親はぎりぎりと歯を噛んだ。
確かに、自分は昔、よく女みたいと周りから言われからかわれていた。
それは事実だ。元親も認めよう。
しかしだ。
それを初対面の、しかも許嫁などという戯言をぬかすような男に言われる筋合いは欠片もなかった。
だましやがって、なんぞと政宗は言っていたが、元親には騙した覚えなどなかったし、もっと言えば、あの男と会った覚えもなかった。
「騙すも何も、初対面だっつの」
ああ、しかし体を動かしてもむしゃくしゃした気持ちは晴れない。
引きずらないたちの元親にしては、珍しいことだった。
それはどこかで引っかかりを覚えているということなのだが、本人に自覚はない。
今日は夕方から道場の稽古があったが、それまでは柔道部の稽古にとことん付き合ってやる、と元親は気合いを入れ直した。
が、そんな元親の気合いとは裏腹に、昼を過ぎた頃に元親は学校を出た。
今日はお前のおかげで自信がついた、と柔道部の面々に送り出されたのだ。
やっぱりやりすぎたか、と反省し、元親は予定より早く帰途につくことになった。
まだ真上にある太陽と蝉の声をBGMに、元親は己の家の門を前にして、その戸を押すことにためらいを覚えた。
家に帰るのが嫌だなあと思っている自分に気づいて、元親は眉をよせた。
何が悲しくて、己の家に入るのを、この家の住人である自分がためらわなくてはならないのか。
そう思えば不条理な怒りの方が表に出てきて、元親はいささか乱暴に玄関をくぐった。
「チカ兄おかえり。早かったんだね〜」
「おう」
台所からの佐助の声にも無愛想に返して顔を見ることはせず、元親は己の部屋へと向かった。
部屋に乱暴に鞄を放り出して、こういうときは道場で体を動かすに限るとばかりに、道場へ向かう。
幸村が帰ってきたら手合わせに付き合ってもらおうと思いながら道場の戸を開け、元親はげっとカエルを踏んでしまったかのような声を上げた。
「ご挨拶だなテメエ」
道場には先客がいた。
元親を一日中むしゃくしゃさせていた張本人。
振り返った政宗は目を眇めて鼻をならした。
元親も顔を歪めて、政宗を見返した。
「テメエ、何勝手に道場に入ってんだよ。関係者以外立ち入り禁止だぜ」
「道場主の許可はとってあるぜ?」
ほれ、と道場の鍵を目の前に突きつけられて、元親は舌打ちした。
政宗は人差し指に鍵のついたキーホルダーを絡ませ、くるくるとまわしている。
信玄が許可を出したなら元親にはこれ以上文句は言えなかった。
「ここに何か用でもあんのかよ?」
遠回しに用がないなら出て行けと言ったつもりであったが、政宗はさも小馬鹿にしたように元親を見た。
「用があるからいんだよ。さっきまで小十郎と手合わせしてたんだ。体がなまっちまうからな」
「…手合わせって、テメエも柔道か何かやってんのか?」
ああ、と気がない風に軽く頷いて、政宗はふと思い出したかのように唇を歪めた。
弧につり上げた唇は笑っているのに、それはえらく凶暴な笑みで、己のことは棚に上げて柄の悪い男だと元親は呆れた。
「そういえばアンタには朝の礼がまだだったなあ」
「ああ?」
「あんときはよくも池なんぞに投げ飛ばしてくれやがったな」
ああ、そのことかと元親は短く息を吐いた。
「礼をかいたテメエにふさわしい対応だったと思うがな」
唇に挑発するように笑みを刻めば、互いの間にある空気がにわかにぴりりと緊張するのが分かった。
元親は首を鳴らして体から力を抜いた。
自分を見る政宗の視線が剣呑な色を帯びているのに気がついたからだ。
この男が柔道をやっていようが空手をやっていようが、別に元親は構わなかった。
元親の家はあくまで、無差別格闘流であり、つまりどのような格闘術にも臨機応変に対応し渡り合うのが信条である。
そもそも、こいつは元親に簡単に吹っ飛ばされて池に投げ込まれるような男である。
油断はしないが、負けもしないと、元親は考えていた。
体から余計な力を抜いて、手を前にして構えをとりながら、元親は犬歯を見せて笑った。
「自業自得って言葉知ってっか?」
「An?!」
政宗の眉が険悪に跳ね上がる。
元親も気付けば、己の顔からは笑みが消えていた。
喉の奥が熱いのは気のせいではない。
朝からずっと蓄積されっぱなしの腹立たしさだった。
「テメエの言ったことは当たってるさ。図星だよ」
そう確かに自分は、昔は体も弱く女のようななりで、確かに自分の意見も口に出せないような子供だった。
端から見れば実際、うじうじとした鬱陶しい子供だったかもしれない。
けどなあ、と眉間に力を込めて。
「初対面の野郎にそこまで言われる筋合いはねえんだよ!」
来るならかかってこいや、また投げ飛ばしてやると内心で啖呵を切れば、何故か政宗のほうは呆然とした顔をさらした。
見開いた一つ目が元親を見ていた。
予想もしていなかった政宗の反応に元親のほうも驚いた。
朝の問答で、元親は政宗のことを、自分勝手で短気な男だという判断をしていた。
なのでそれこそ、政宗は人を小馬鹿にしたように鼻で笑うか、眉をひそめて不機嫌な顔をするかと思っていたのに。
それがこの沈黙が支配する空間は何だ。
元親のほうも気勢をそがれて、肩の力を抜いた。
しかしながら何て間の抜けた面だろうか。
「おい」
思わずそう声を掛ければ、政宗は瞬きをして、唇を引き結んだ。
政宗の視線が揺れる。
何なんだと、元親は首を傾いだ。
この男の行動全てが、全くもって意味不明だった。
そう、何故なら自分は今日の朝、この男と会ったばかりで、その人となりも全く知らない。
人がつかれたくない図星をピンポイントでついて、こちらを怒らせた、あの十分程度の時間しか、まだ共にしていないのだという事実。
そのことを自覚したとき、内心で元親は驚いていた。
たった十分足らずしか顔を合わせていない人間に対して、これほどまでに感情を高ぶらせている自分なんて、ついぞ初めてだということに気づいたからだ。
たとえそれが怒りという感情であれ。
元親は己が激しやすいがまた、冷めやすい人間である自覚があった。
顔を合わせて十分で怒りを覚える人間もいよう。
ただその場合は、そのまた十分もすれば、自分とは合わないなり何なりと理由をつけて、その怒りは冷める。或いは、忘れる。
それが、思い返してみれば、朝からずっと、自分は怒りの感情を燻らせていた。
この政宗という男に対しての感情を、ずっと抱えたままだったのだ。
元親の胸に俄にわき起こった新鮮さは、その高ぶった感情を僅かに沈めていった。
僅かにしぼんだ怒りの代わりに、不可思議さがわき起こった。
元親は朝の問答をもう一度思い起こしていた。
己のことを元親の婚約者だと言った男。
この男は何なのだろう?
「アンタ」
「?」
顔を歪めたまま、ためらいながら政宗は唇を開いた。
元親は己の思考を中断させて、政宗の顔を見返した。
そこへ。
「お二人さ〜ん。おやつにわらびもち作ったんだけど、食べない?」
佐助の声に、二人弾かれたように振り返る。
道場の入り口にもたれかかるようにして、佐助が面白そうな顔でこちらを見ていた。
いつからいたのだろうか、全く気がつかなかった。
声を荒げて張り合っていたことが急に恥ずかしく思えて、元親は変な風に顔を歪めた。
一つ下のよく出来た弟は、そんな元親の気まずさを察したのだろう、唇で微かに笑んで、背を向けた。
「じゃれるのは別にとめないけどねー」
「別にじゃれてねえよ!」
はいはいと手をふる佐助に思わず噛みついて、元親は髪をがしがしとかいた。
どうせ口ではかなわない。
取りあえず、道場を閉めて母屋へ行こうと、後ろを振り返って手を差し出す。
すると、何を勘違いしたのか、政宗は元親が差し出した手首を、その手で掴んだ。
「? 何してんだよ、おれは鍵を…」
「アンタ、覚えてねえのか」
「あん?」
元親は眉をよせた。
何を言ってるんだこいつは、と胡乱げな視線を向けた先にあったのは、ゆらりと波打つ強い目だった。
何故政宗がそんな目で自分を見るのか分からなくて、元親は瞬間混乱した。
喉がからんだような声で、元親は唇を開いていた。
「初対面だろうが」
「…そうか」
手首を掴んでいた手から力が抜けていくのが分かった。
代わりに、己の手のひらに、道場の鍵を押しつけられ、元親は反射でそれを受け取った。
隣をするりとすり抜ける政宗の背を、つられるようにして元親は目で追った。
「…そうだな」
その呟きは小さかったが、はっきりと元親の耳に届いて。
「おい」
元親の怪訝な声に、政宗は振り返らずに道場を出て行った。
X 好きから一転嫌いになるかと思いきややっぱり好きらしい
政宗は不機嫌だった。
不機嫌というか、消化不良気味と言った方が正しい。
別におやつのわらびもちに胸焼けしてるわけではない。
昼間に道場で交わした元親との会話。
それが己の胸にもやもやとした影を落としていることを政宗は自覚していた。
よくよく冷静になって考えてみれば、確かに自分たちの会話はかみ合っていないのだった。
かみ合っていないということに政宗が気づいたのは、元親が唇に乗せたあの言葉を聞いたときで。
初対面だろと。
元親は言った。
その言葉には嘘はないのだということを、政宗は分かってしまった。
十年前に、政宗がこの家に訪ねたことも。
一緒に遊んだことも。
あのとき交わした約束も。
確かに十年前なんて互いに七歳。
自分だってその当時にあったことを全て覚えているわけではない。
けれど、元親と遊んだ時間、交わした約束はずっと覚えていた。
自分はずっとその記憶を抱いて生きてきたのに、片や元親のほうはすっかりと忘れてしまっていたという事実に、己がショックを受けているということを自覚したとき、政宗は自分で自分のことを馬鹿じゃないのかと罵倒した。
十年恋い慕ってきた相手が男であるという事実が先にあるのだ。
今さら、己のことを覚えていてくれなかったからといってショックを受ける必要性なんてないし、むしろこれ幸いと婚約なんぞと言ったことはなかったことにすればいいだけのことだ。
だというのに、どうして自分はこんなにも気落ちしているのか。
そう、まるで空気がぬけるように、池に投げ飛ばされた怒りもしぼんでどこかへ消えていった。
肩すかしもいいところで。
自分が間抜けなだけの道化に思えて自嘲した。
元親のほうは、子供教室の稽古があるからと、信玄と共に道場に行き。
ようやく日が傾こうかとしてきたそんな夕方、政宗は何故か武田家の台所にいた。
台所には、夕食の準備のために佐助と、お世話になるのですからと手伝いを買って出た小十郎もいた。
二人はこまごまと手を動かしているが、政宗は手伝うわけでもなく、二人が働く様子を腕を組み気がそぞろな様でぼんやりと見ていた。
一段落ついたのか、鍋に蓋をして佐助はそんなただの置物状態になっている政宗に向き直り、口元にかすかな笑みを浮かべた。
「そういえばさ、政宗って昔ウチに来たことなかった?」
突然のその質問に、政宗は顔をあげて、瞬いた。
佐助の言葉に、素直に驚いたのだ。
「…覚えてんのか?…っていうか呼び捨てかよテメエ」
政宗は元親と同い年なので、佐助は年も学年も下なのである。
思わず飛び出た抗議に、佐助はからりとした笑いを返す。
「チカ兄をぶちきれさせた時点で、政宗はウチではランキング最下位に認定されたから」
「んだよそりゃ」
「おれらはチカ兄の見方ってこと」
「…」
さらりと返される声は軽いが、政宗は思わず口をつぐんだ。
佐助はその様を見て、唇を緩めた。
「やっぱり来たことあるんだ。なんか見覚えがあったんだよね〜、そのふてくされた顔が」
ふてくされたと表されたことに、政宗は思わず顔を嫌そうに歪めた。
まあ実際ふてくされたような顔をしている自覚があったので、居心地が悪いことこの上なかったが、ここでこの台所から逃げるわけにはいかなかった。
「…なんでテメエは覚えてんのに、アイツは覚えてねえんだよ」
結局のところ、こだわっているのはそこなのだ。
政宗の問いに、佐助は壁に半身をもたれかけさせて首を傾いだ。
「政宗が昔来たのっていつ頃だっけ?」
「丁度十年前だ」
その答えに、佐助は納得したように、ああと頷いた。
「丁度母さんが逝ったあとだわ、そのころ」
「…」
信玄の妻、つまり元親らの母親がもうこの世の人ではないことは、政宗も承知していたが、自分がこの家を訪ねた時期が丁度近しい時期であったことは知らなかった。
「チカ兄が変わったのって、そのころだったと思うよ。おれもうろ覚えだけど。チカ兄が体鍛えだしたってのも、たぶんそのころだし」
「Han?」
「それまではチカ兄って、どっちかっていうと病弱で、それこそ見た目美少女だったもん。まあだから政宗もころっとひっかかったんだろうけどさ」
「うるせえ」
佐助の余計な一言に反射で言い返してから、政宗は唇を閉じた。
政宗の瞼の裏に映っていたのは、十年前の記憶だ。
この十年、政宗の心に焼き付いていたのは、幼い元親の笑顔だった。
子供らしく爛漫に笑うそれではなく、脆く儚いそれ。
政宗はその笑顔を見るのが嫌だと思った。
楽しいわけでもない、嬉しいわけでもないのに、無理してどうして笑うのか。
我慢して笑って欲しくなどなかったのだ。
けれど、何でもないと、こちらを安心させるためだけに浮かべられたその笑顔の理由が、ようやく分かった気がした。
弟たちを守らなきゃいけないから、と元親は言った。
その言葉の持つ意味も。
体を反転させて、台所を出ようとした政宗の背中に、佐助の声がかかる。
「道場見に行くの?」
どこまでも察しのいい男だと、政宗は半分感心し、図星を指されたことで残り半分居心地悪く思いながら、首だけで振り返った。
「見学はお断りってか?」
「いや、ウチは見学者は歓迎するクチだから」
どうぞ好きなだけ見学してきたら、とあっさりと佐助は手を振った。
そのどこか面白がる風情に舌打ちをして、政宗は道場へと向かった。
道場に入った瞬間耳に入ってくるのは、練習に着ている子供たちの高い声だ。
政宗に気づいた元親がちらりと視線を寄越してくる。
何のようだと言葉にしなくとも目で言うその視線に、ただの見学だと短く自己申告して、政宗は練習の邪魔にならぬよう道場の端を通り、信玄の元へと寄った。
元親は何も言わず、政宗から顔をそらして、子供たちの指導へと戻った。
隣に座った政宗を見やる信玄の目は笑っている。
「見学だけと言わずに、打ち合うていったらどうじゃ?」
政宗は苦笑した。
「見せ物はご免被るぜ」
「つまらんのお」
そうは言いながらも、信玄はそれ以上強く言うことはなかった。
政宗も顔を前へ向けた。
政宗の目は、子供たちを指導する元親を追っていた。
二人一組で組み手をやっているなかで、ふと政宗は一人になっている少年を見つけた。
組を組んだときにはだ誰もあまらなかったから、一人が抜けたことになる。
同じように気づいたのだろう、元親が少年に近づくと、彼は、道場の外に顔を向けた。
それで話を了解したのか、元親は彼の背中を叩いて、隣で組み手をしている二人に指示をして、こちらに歩いてきた。
政宗の隣にいる信玄に言う。
「ちょっと見てくるわ」
「分かった」
元親が道場を出るのを見て、政宗は信玄を見た。
「サボリか?」
信玄は苦笑した。
「サボリではないんだが…優しすぎるところがあってなあ」
「Fhum」
何となく道場の入り口に目をやって、政宗は立ち上がった。
政宗の目的は別に武田の練習をみることではないからだ。
分かっているのか、追ってくる信玄の声もなく、入ってきたときと同じように道場の端を歩いて、政宗は道場を出た。
さてと、ぐるりと周りを見渡して、サボリの常套といえば道場の裏だろうとあたりをつければ、案の定すすりなく子供の声と、どうしたと宥める元親の声がした。
出て行くことはせず、道場の壁に背中をもたれかけさせて、政宗はこぼれる声に耳を傾けた。
「どした?」
ひっくとしゃくりあげる声を待つ間が優しい。
「な、なんで、二人で、稽古しなきゃいけないの?」
「稽古がいやなのか?」
下を向いたまま子供は首をふった。
「そうか、じゃあ二人でするのが嫌なのか?」
元親の問いに、今度はこくりと首を縦に振った。
「痛いの、ヤダよ」
「そっか…」
困ったように、元親は己の髪をすいた。
「痛いのは、そりゃ嫌だわなあ」
盛大に人を池に投げ飛ばし、政宗にみせたけんかっ早い様など欠片もみせずによく言うぜ、と政宗は内心で苦笑した。
子供の肩を両手の平で包み込んだ元親の横顔。
その優しい笑顔に、いつかの笑顔が呼び起こされる。
「おれだって痛いのは嫌だぜ?」
でもなあ、とゆったりとその声は続けた。
「もっと痛いことがあるかもしれないだろう?」
「もっと?」
ここだと言って元親が示したのは、己の胸だった。
「大事なものが守れなかったら、体以上にここが痛くなるんだ。けんかが強くなるように稽古するわけじゃねえよ?ここ一番ってときに、大事なものを守れるように、ここが、痛くならないように、稽古するんだ」
「…」
子供の目元をその大きな手のひらで拭いながら、元親はにかりと笑った。
政宗はゆっくりと瞬いた。
呼び起こされたいつかの笑顔は、まるでガラス細工できたかのように優しく美しい笑顔だった。
でもあのときとはもう違うのだということを、政宗は静かに受け入れた。
「大事なやつは守りたいじゃねえか」
そこにあるのは、あのときとは違う、純粋に優しい、強い笑みだった。
政宗は壁から背を離して、二人を体半分で振り返った。
唇でかすかに笑う。
政宗が抱いてきた、政宗だけが抱いてきた約束。
おれが守ってやるから、だなんて。
別にそんなことを思う必要性なんて、なかったじゃないか。
政宗が守るまでもない。
元親は強い人間だった。
そう、政宗が自嘲したところで。
「それによ、守ってもらってばっかなんてのも、いやだろう?」
「え?」
不思議そうな子供の声と同じように、政宗も瞬いて、振り返った。
「お前を守ってくれるやつだっているだろ?親だったり、友達だったり。おれにも、おれを守ってくれるって言ってくれた人がいたんだ。けどよ、守ってくれるっつったそいつを、おれだって守ってやりたいじゃないか。なあ?」
脳裏に響くのは、遠い過去から返るかすかな声。
守ってやる!とそう言った政宗に対して。
あの子は、幼い元親は、頬を緩めて笑った。
瞳は涙で濡れてきらきらと光って、目元は赤く染まっていた。
色を増した唇をかすかに震えさせながらも、美しい弧に描いて。
笑って、か細い声でこういった。
「私も…。私も、貴方を守れるぐらいに強くなる」
そんな記憶、元親は覚えてもいないだろう。分かってる。けれど。
今言ったその言葉の底にあるものが、自分が抱いているものと同じだと。
そう思えてならなくて。
「ま、誰に言ってもらったのかっていう肝心なところは覚えてねえんだけどよ」
「え、だめじゃん!」
わっはっはと笑う声と、泣いていたことも忘れて律儀につっこむ子供の声を聞きながら、政宗は手のひらで目元を覆った。
どうしようかと、小さく誰かに問いかけた。
たぶんそれは自分自身に対して、そして己の記憶に残る、十年前の元親に対して。
口は悪くなったし、十分すぎるほどガタイもよくなった。可憐さなんて、彼方に放り投げてきて、ついでに人との思い出の一頁もどこかに置き忘れてきやがったくせに。
その根が、人に優しいところは変わらない。
その瞳が美しいところも。
結局、心の一番大事なところを掴まれたままなのだ。
その夜、夕食の席で政宗は上座に座る信玄に対して口を開いた。
「明日で十七になる」
「うむ、そう言うておったな」
体を信玄の方へ向けてぴしりと背筋を伸ばし。
顔をまっすぐにあげて、よく通る声で宣言。
「コイツとの婚約を認めてもらいたい」
何とも言えない沈黙を遮るように、向かいに座った元親が茶にむせる何ともいえない声がした。
「ちょっ、おまっ、何考えてやがんだ?!」
隣に座る佐助に背中をさすってもらいながら、元親は声を荒げた。
顔が赤いのは照れているからと言いたいところだったが、現実を言えばむせたことと怒りのためだろう。
「別に、そのまんまの意味だぜ?」
にやりと唇を引き上げてあっさりと返せば、元親は唇をぱくぱくとさせた。
そう、意味はまさしくそのまんま。
何の含みもなく、政宗は元親と婚約したいと思っただけだ。
初恋はあとを引くものだということを、政宗は身を持って実感した。
考えてみれば、何せ十年越しの恋心なのだ。
しつこさは折り紙付き。
こいつが男だろうが何だろうが、自分よりも背が高かろうが何だろうが、やっぱり一緒に生きていきたいと。
そう、思えてしまったのだから仕方ない。
『結婚』するにあたって、これ以上に大切な項目はないだろう?
結局のところ、元親の心根に惚れているということで。
それによく見れば顔の造作は整っているし、肌は相変わらず、思わず触りたくなってしまうほどに白いし。
声に出さずに上げた項目に、政宗は鷹揚に一度頷いた。
「問題ねえよ」
「いやいやいや問題はあるだろうがよ?!」
「何だよ、何が気にくわねえ?」
「は?」
顔を向ければ、元親は口を開けたままの間の抜けた顔で瞬いた。
政宗はHanと鼻をならして、僅かに顎を反らした。
「このおれが、婚約したいと言ってんだぜ?」
わざとゆっくり、区切りながら唇に乗せれば、元親は不愉快そうにまなじりをつりあげた。
「どこまで自信家なんだよテメエは!」
「大事な人間をこの手で守れる自信じゃねえか?」
「くっ」
元親は歯を噛んで政宗を見たかと思えば、次いでにやりと、野太い笑みを浮かべた。
「…テメエの主張は分かったよ。けどなあ!」
元親は立ち上がって政宗をぎらりと光る目で見下ろした。
「おれはおれより弱い野郎を許嫁なんぞと認める気はねえぜ!」
意図するところを読み取って、政宗もまた腰を上げた。
「試してみるかい?My honey?」
「誰がハニーだ!」
「道場を借りても?」
「よい。わしが見届けよう」
「で、元親。おれが勝ったら婚約してくれると取っていいんだな?」
「テメエが勝ったら、な!婚約でも何でもしてやらあ!」
物騒な笑みを張り付かせて元親は威勢よく、宣言してくれた。
まあた安請負しちゃってと、隣で佐助が苦笑しているが、その声は耳に入っちゃいないようだった。
修行の成果を、こんなところで見せることになろうとは思ってもみなかったが、無駄ではなかった。
何せ、このフィアンセ(まだ婚約前ではあるが)は、強者だからだ。
そう考えると、実際修行は大層役に立ったなと、政宗は胸の内で笑った。
***
元親は事の成り行きが飲み込めずに呆然としていた。
元親の目に映っていたのは、道場の天上の木目だった。
何故天上の木目が真正面に見えているのかといえば、元親が道場の床に背をつけているからだ。
「おれの、勝ちだな?」
政宗の声が耳をうってようやく、元親は己が置かれた立場を理解した。
ぱちくりと瞬く。
ただただ、元親は驚いていたのだ。
油断なんて欠片もしていなかった。
勝つ気でいたからだ。
だというのに、元親は今、道場に転がされていた。
差し出された手を素直にとって、元親は体を起こした。
その手は元親のよりはほんの少しだけ小さい、けれど指が長く、無駄な肉などそげ落ちた手だった。
何故か、腕相撲をしたらどっちが勝つだろうかと、脈絡のない幼いことを考えて、元親は顔を上げた。
見下ろす笑みを刻んだ政宗の顔は、かすかに上気していた。
向き合った時に、元親は悟っていた。
政宗が強いということを。
朝、池に投げ込んだことなど気がつけば忘れていた。
全力でかかった。
けれど、元親は負けた。
それは悔しさよりも先に、一片の清々しい驚きをもたらした。
同年代の人間に投げ飛ばされたのなんて、何年ぶりだろう?
「めでたくこれで婚約成立、だな?」
まあ、すぐさま現実を突きつけられて、そんなスポ根じみた驚きなんて遠くへ吹き飛んでいったのだが。
元親は顔をしかめて、がしがしと頭を片手でかいた。
「…お前、何でそんなに婚約にこだわるんだよ」
騙しやがってと盛大に罵ってくれたのだから、今さらそんな口約束、破棄すればいいだけだろうに。
そう負けた悔しさも相まって吐きだせば、得意げに笑んでいた政宗は何故か、戸惑ったように口ごもった。
「それは…」
「?」
元親から目線を反らした政宗は、わずかに眉根を寄せて唇を閉じた。
言葉を紡ごうとする唇は逡巡し、結局こぼれた言葉は。
「…帰ろうにも帰れねえからだ」
「あ?」
「許嫁を連れて帰るって家には言っちまったからな。見つけるまでは帰れるかよ」
「はあ」
「テメエとの婚約はそれまでのつなぎだ」
「つなぎね…」
元親は眉を下げて脱力した。
ここまで好き勝手に言い切ってしまったら、何だかもう色々文句をつけるのが馬鹿らしく思えてきたのだ。
婚約者という言葉に一々身構えた自分がそれこそ馬鹿みたいに思えるじゃないか。
元親は疲れと諦めが混じったため息を吐いた。
政宗は、だから、と何故か苦い薬でも飲んだかのような顔で続けた。
「見つけるまでは、この家にやっかいになるぜ」
苦い顔で、でも頬はかすかに紅潮しているという、なかなかに複雑な表情で、政宗は元親と目を合わせて宣言した。
「…勝手にしろよ」
元親は、男の許嫁になってしまっただとか、明日からどうなるんだとか、そもそもやっかいになるってどの部屋に寝起きするんだとか、具体的にはいつまでだよおいとか、色々考えるべき事柄を早々に放棄することにした。
元々考えることは好きではないのだ。
「ああ、そうするさ」
あっさりと頷いてくれる政宗から目を反らして、やはりどこまでも身勝手な男だと、元親はもう一度政宗という人間についての情報を更新した。
つまりこの時点で、この政宗という男の存在が元親の中にしっかりと植え付けられているという事実の証明でもあったのだが…。
元親自身にはそんな自覚は欠片も芽生えていなかった。
***
何故かそのあとは、婚約祝いだと宴会に突入した武田家の食卓である。
そして元親がトイレへと席を立っているときに事態は起きた。
水を所望した信玄に、それがしが!と勢い込んで水を運んできた武田家三男の幸村。
いっそ見事といっていいほどのタイミングと位置取りで、つるりとその足を滑らせ。
「?!」
ぴしゃりと軽い水音を立てて、冷えた水は政宗の顔面へと飛び散った。
「ま、ま、ま、政宗どの?!」
裏返った幸村の声。
見事黒豚へと変身してしまった政宗は、元親がこの場にいないという不幸中の幸いに感謝した。
次いで、焦った。
トイレに立っているだけなのだ、すぐに元親は戻ってくる。
「ぷぎーっ」
「はっ」
「え、これで分かるの小十郎さん」
「取りあえず湯をお願いします!」
小十郎の言葉に了解と佐助は台所へ向かった。
「これはどうしたことでござる?!この小豚はやはり政宗殿なんでござるか?!」
「ぴー、ぷぎ、ぷぎー!」
「な、何かそれがしに伝えたいことがあるでござるか、政宗殿」
「このことは他言無用に願います、幸村様。特に、特に!元親様には内密に願えますよう」
「わ、分かったでござる政宗殿!」
「ぷぎー!!」
「だからその名で呼ぶんじゃねえ!と申しております」
「す、すまぬでござる!」
本当に大丈夫だろうかと政宗は不安になった。
瞬間浮かんだとあるIF。
元親の前で、黒豚に幸村が政宗殿と呼びかける。
政宗、お前、黒豚だったのか、と驚く元親。
進行する仮定の中で、人に戻った政宗が、元親に対して説明開始。
これには深い深い訳がありまして。
中国でかぶった呪いで、水をかぶると、小豚になるんです。
「……」
言えない。
言えるわけがない。
水をかぶると、黒豚になるだなんてこと!
佐助を初め、元親をのぞく武田家の面々には、初日早々ばれてしまったけれど、元親にだけは、死んでも隠しとおさなければなるまい。
だって結局好きな気持ちは変わらなかった。
好きだから婚約したいのだ、と。
そう素直に口にすることは、まあ、出来なかったのだけれども!
でも元親を恋う気持ちは変わらない。
廊下からぺたぺたと足音がするのを耳ざとく聞きつけて、政宗は目をかっと見開いた。
「ぷぎ〜!」
小十郎オオオオ!という心からの叫びに、政宗の幼少から付き従ってきたお目付役は、忠実に答えてくれた。
黒豚な政宗と落ちた服をかっさらい、続き間になっている隣の部屋へ移動。
障子を開ける音がした。
「…あれ、政宗と小十郎さんは?」
元親の声が部屋の中でしたのを確認して、早歩きで小十郎は廊下に出、湯のある台所を目指す。
台所に飛び込めば、丁度佐助が湯が沸いたよ〜と軽い声で振り返った。
頭から湯を浴びさせてもらい、黒豚から人へ。
濡れた髪をかき上げて、急いで服を着たところで。
「あれ、三人ともここにいたのか?」
ひょこりと顔を出した元親に、政宗の心臓は飛び上がった。
まさに間一髪!の有様に、鼓動は全速力で走っていた。
「…お前、なんで髪濡れてんの?」
至極もっともな質問だ。
声が裏返らないよう、精一杯平静を保ちながら、政宗は答えた。
「テメエんとこの三男に、水ぶっかけられたんだよ」
「そりゃあ災難だったなあ。でもなんで台所なんだよ?」
「…熱い茶が飲みたくなったんだ」
今は日中セミの声がうるさい八月。
かなり厳しい言い訳だったが、元親は納得したのか、興味を失ったのか、そっかと軽く頷いた。
じゃ先戻ってるわ、と言って、元親は姿を消した。
「何、チカ兄には知られたくないわけ?その秘密」
からかうような佐助をぎろりと見やって、吐き捨てる。
「当たり前だ」
結局一番大事なことは言えないまま。
同居生活開始。