No Luck?


元親は腕時計を確認し、がくりと肩を落とす、わけではなく、右手で頭をぐしゃぐしゃとかき回してものすごい形相をした。
「あーちくしょう終わらねえっっっ!!!」
ここはゼミの研究室。
クリスマスといえども、部屋は元親と同じ四回の学生で埋まっていた。
元親が雄叫びをあげても、誰もうるさいなどといった文句は言わない。
ただひたすら、元親に勝るとも劣らない必死な顔で、パソコンに向かっている。
部屋の中には怨念が渦巻いているかのようですらあった。
今日はクリスマスイブなのである。
きらきらしたイルミネーションが美しい、日本が、いや世界が沸き立つ日なのである。
だというのに。
「あんの鬼畜めえええ!!!」
この叫びのときだけは、まわりから、そうだとか最悪だとか言った追随の声が聞こえられた。
元親の言うところの鬼畜。
元親の学外の友人たちが聞けば、恋人のことかと思うだろうが、今回は違った。
ゼミ生たちが恨み節を向ける鬼畜とは、ゼミの教授のことである。
今年最後のゼミになるはずだった20日のゼミ。
しかし、そこで告げられたのは、教授の容赦ないお言葉だった。
論文の原案を揃えてきた元親たちのそれに、ずばずばと忌憚のないご意見。
これじゃ足りない、もっとデータを揃えろ。
結局君は何を言いたいんだ、云々。
このお言葉が、これまた的を射ているので、学生たちは歯を噛むしかない。
そして教授はおっしゃった。
26日から出かけるから、25日にもう一度ゼミだと。
その瞬間、学生たちは世界が終わったかのような顔をしたが、教授は笑顔で楽しみにしているなどと言って帰っていった。
次の日からは怒濤の5日であった。
別に教授の言葉に全て従う必要性は、ないといえばないのだ。
教授はドSなマイペースという人種で、輝かしい笑顔で難題をさらりと投げてくる。
卒業論文なんぞ、書いて出して通れば終わりである。
教授の言葉を全て真に受けて、泣きながら手直しすることもない。
はずなのだが。
「あー違えよそうじゃねえって!」
ばりばりと頭をかきながら、元親は再度キーボードの上に指を滑らせた。
ものすごい速さで文字を打ち込んでいく。
隣につまれたぶ厚い統計資料が実は邪魔だが、脇に寄せれば隣の席の資料とともに倒れて大惨事になることは分かっていた。
元々、厳しいことで有名な某教授のゼミに、自ら進んで入ってきた時点で。
そして、曲がりなりとも二年、文句を言いながらついてきた時点で。
大学生としては正しく、元親たちは、勉学に励む大学生だったのだ。
なので、妥協という文字は、実はなかった。
元親は再度時計を見た。
ただいま午後5時。
もう一度パソコンを見る。
一瞬だけ、眉がさがり、泣き笑いの顔になったが、仕方ない。
隣においてあった携帯を手に取り、すごい勢いでメールをしたため、送信。
一分も経たないうちになり出した携帯は、ある意味予想の範疇だったので、
元親は携帯をひっつかんで勢いよく席をたつと部屋を飛び出した。
コートも着ずに外にでたから、寒さが身にしみたが、それは大きな問題じゃない。
「もしもし?」
『テメエ!今日会えねえってどういうことだ?!』
耳にあてれば、案の定鼓膜を破きかねない剣幕の声がつきささった。
思わず携帯を少し耳から遠ざけて、元親は静かに一度深呼吸した。
終わらない論文との格闘で神経が尖っているから、怒声が普段より三割り増しに神経に障るのだ。
しかしここで同じく怒鳴り返しては話が進まない。
落ち着け、たしかに今回はおれに非がある、と心の中で唱えて、つとめて柔らかい声をだした。
「悪い政宗。どうにか終わらせるつもりだったんだけどよ、終わりそうにねえんだ。本当悪い!ごめん!」
とりあえず、先手必勝とばかりに、元親は謝罪の言葉を連ねた。
『Ha!テメエがちんたらやってるから終わらねえんだろうが。計画性のなさってのは相変わらずか!』
嘲笑混じりの声に、反射で怒声が口をつきそうになる。
が、元親は携帯を握る手に力をこめることでなんとかそれを耐えた。
政宗の言うことにも一理ある。
教授の鬼畜っぷりを計算に入れなかったのは確かに元親の落ち度かもしれない。
卒論締め切り間近だというのに、そもそもクリスマスにデートなんぞ、予定として入れるべきではなかったのだ。
しかし。
元親とて、クリスマスには恋人と浮かれたいという人並みの野望があった。
毎年一緒に過ごしてきたのだ。
演出過多なそれに、毎回度肝を抜かれ、呆れもしていたが、実はその型破りなスケールの大きいクリスマスを、結構気に入っていた。
だから今年も実は楽しみにしていた。
ちゃんと政宗へのプレゼントも買ってある。
ぼんぼりのついた、耳当てつきの毛糸の帽子。
凶悪な顔に反して大層可愛らしいそれを、政宗の頭にかぶせる瞬間を楽しみにしていたのだ。
だから、クリスマスの約束をしたときはあっさりと頷いた。
20日でゼミは終わるし、一日ぐらいなら時間はあるだろうと。
そのときは余裕だとすら思っていた。
が、蓋をあけてみれば、余裕のよの字もない現実が待っていたわけだが。
「だから悪かったよ。おれが、悪かった。ごめん。
ぎりぎりまで粘ってみたんだが、このままじゃ明日のゼミに間に合いそうもねえんだ」
だから分かって欲しいと思っての言葉だったのだが。
その理由こそが、気に入らなかったらしい。
『ゼミなんざ放っておけばいいだろうが?!今更ガタガタしたって何も変わりゃしねえだろ!』
殊勝に謝り倒そうと思っていたが、この一言でその決意もあっさりと崩れ落ちた。
さすがに、かちんときた。
もう一度言うが、元親は大学生としては正しく、勉学に励む学生だったので。
そして鬼畜教授に踏みつけられても立ち上がる雑草的根性の持ち主、つまり負けず嫌いだったので。
「一日あったら世界だって変わるだろうがよ!天気も変わるし日付も変わるってんだ!」
『何言ってんだテメエ?!』
確かに、キレた上での文句としても、色々意味不明だったが、元親は気にしなかった。
尖りまくった神経の命ずるままに言葉を吐き出すだけだ。
「うるせえ!こちとらそのゼミなんかのために昨日から寝てねえんだよ!二徹の覚悟も決めてんだ!
つうか論文の提出期限まで二週間切ってんだよクリスマスも正月もあるか馬鹿野郎!」
『ああそうか、テメエはおれよりゼミをとるってんだな?! I see.所詮その程度ってわけだ』
「ああ?!」
『約束を破るなんざ、人としてその程度って言ってんだよ。OK,せいぜい教授に可愛がってもらえよ』
言い返そうと息を吸ったところで、ぷつりと切れた電話。
味気ない機械音が耳をうつ。
元親は切れているとは承知のうえで、携帯の通話口をわざわざ口の目の前に持って行き。
「つうかテメエにだけは人としての在り方をダメだしされたかねえ!!」
とりあえず黙ってはおけなかった文句を吐き出した。

***

ちなみに大学の施錠は午後9時だ。
ぎりぎりまで研究室に居座り、そのあと元親は重い資料を抱えながら何とかかんとか己のマンションにたどりついた。
部屋に入るなり電気のスイッチと暖房のスイッチを入れる。
どさりと資料を机に置いたその手でパソコンのスイッチをいれ。
きれのない動きでコートを脱ぎ捨て、インスタントのコーヒーをいれ。
対教授への論文作成第二決戦に挑んだ。
コーヒーが冷めた頃にふと手を止めて。
元親は重いため息を吐いた。
気がつけば時計の針はもう11時を過ぎていた。
あと少しで、今日が終わる。
本当ならば、世間のカップルたちよろしく、浮ついたクリスマスを過ごしているはずだった今日が終わる。
現実は、一人寂しいクリスマスイブだ。
あれから政宗からの電話もメールも何もない。
元親からも、電話もメールもしなかった。
明日のゼミは、予想外のことだったのだ。
いや、まあ正直言えば、予想してしかるべきことではあったかもしれない。
けれどこれは仕方ないと思う。
不測の事態だ。
元親だって別に好きで約束を反故にしたいわけじゃない。
世間のふわふわきらきらした空気にのっかりたかったと思う。
現実が許してくれなかっただけで、楽しみにしていなかったわけじゃない。
だから、許して欲しいと思っていたのだけれど。
「・・・・・・・・・気分悪イ」
かっかと怒っていたのは少しの間だけで、すぐに後悔が顔をだした。
けれど、後悔を、意固地という上着を着せて見て見ぬふりをして論文とたたかった。
周りには元親と同じ境遇の同士たちがいたから、余計に気にしないでいられた。
が、己の部屋に帰ってきて、一人っきりになってしまうとダメだ。
一人の部屋は寒すぎるし寂しすぎる。
意固地という鎧も、いつのまにかどこかへ消えてしまって、顔を出したのは、埒もない後悔。
もうちょっと、言いようがあったと後悔してもあとの祭。
思い返してしまう夕方のやりとり。
「仕事なんだ分かってくれよ」
「何よ!私より仕事が大事なのね?!」
妙な既視感がかぶって、元親は思わずいやいやいやと頭を振った。
一日寝ていないせいか、後悔ですらも方向が斜めを向いている。
仕事と言えば、政宗だって仕事があるはずだったのだ。
高校で知り合った政宗という男は、世界的に有名な伊達グループの跡取りという、所謂セレブ、雲上の人というやつだった。
高校を卒業したあと、元親は大学に進学したが、政宗は父親について、会社経営に関わるようになった。
幼少期から帝王学を教え込まれているのである。
今では一人で仕事を任されるようにもなり、経済誌などにも顔がのるようにもなった。
言ってしまえば、超多忙な男なのだ。
年末のこの時期、時間をとるのだって至難の業のはずだ。
それなのに、毎年政宗は元親と一緒にクリスマスを過ごす時間を作ってくれた。
クリスマスだけではなく、誕生日などのイベントごとは、一緒にすごしてくれる。
よくよく考えたら、すごいことなのだ。
分かっていたはずなのに、自分のことばかり気にして。
政宗が怒るのも無理はない。
「あー、確かに政宗のいうとおり、人としてその程度の男な気がしてきたぜ・・・」
ばたりとキーボードの上に顔を伏せて、元親はこぼした。
罪悪感と眠さと寂しさで、べこべこにへこんだ。
せめて謝りたいとは思うのだが、あれだけ盛大に啖呵をきってしまった手前、自分から連絡をしづらい。
まだ怒っているだろうしと思うと余計だ。
時計の針がこちこちと時間を刻むのを横目で眺めた。
ああ、あと数分でイブの夜が終わる。
「メリークリスマスなんて、言えやしねえ」
いっそこのままふて寝してしまいたい衝動にかられたが、それでは本末転倒だし、本気で政宗に合わせる顔がなくなってしまうと、どうにかこうにか元親が体を起こしたところで。
携帯のメールを知らせる音が鳴った。
勢い込んで画面を開けば、送り主は政宗から。
文面には何もなく。
変わりに、動画が添付されてあった。
開いてみれば。
「真っ暗じゃねえか・・・」
外なのか、たまに光が画面をかすめるが、基本黒い。
が、じっとみてたら、突如として浮かびあがった黄色い光。
どうやったのかなんて知らない。
あの男のことだから、たぶんホテルとかを貸し切ったのだと思う。
それくらいのこと電話一本でやってのける男だということは知っている。
「・・・相変わらず、やること派手だな」
ぼやけた光が作るメッセージ。

『I love you』

十数秒の動画を閉じたところで、図ったように送られてきた二通目。

『sorry』

今度は簡潔にもほどがある文面。
元親は眉を下げて笑った。
やばい涙腺が大ダメージだ。
諸々の状況もあってか、らしくもなくじーんと感動してしまった。
こんどは、来客を告げるインターホン。
まさかと思ってドアをあければ、そこに立っていたのは政宗、ではなく、付き人の小十郎だった。
「小十郎さん?」
「夜分に失礼いたします。政宗様からの預かりものです」
「え?」
差し出されたそれは、某ホテルのロゴが入った、箱からして豪勢なもの。
「ケーキです。夜食にとのことです」
「・・・政宗は?」
「顔見たら大人しく帰れる自信がねえから会わない、だそうです」
素直な言葉と、それを口にしているのが強面の小十郎だというミスマッチに、元親は思わず笑ってしまった。
「ありがたく食べさせてもらうわ」
箱を受け取れば、小十郎はぴしりと完璧な礼をして去っていった。
部屋に戻って、箱をあけてみれば、色とりどりのフルーツがのったケーキが納まっていた。
手に持ったままだった携帯をもう一度開ける。
本音を言えば、部屋を飛び出していって、その首にかじりついてキスしてやりたいほどに嬉しかったのだが。
そうすれば、論文の待つこの部屋に戻ってこれる自信が元親にもなかったので。
メールで返事を。
とりあえず、どうにか時間は作ってやると気合いをいれて。
ケーキを片手に元親はもう一度パソコンに向かい合った。








『 Me,too.



  I love you ,too, my darling 』