ルージュの伝言もとい挑発
その日元親は外出の身支度をしながらテレビを見ていたところだった。
そこでブラウン管から聞き慣れた、しかもとてつもなくイイ声を耳にして、元親はテレビを振り返ったのだ。
そこには予想通りの顔、政宗の姿が映っていた。
「ああ、これかあ」
それは初めて見るCMだった。
最近はCMの仕事もよく受けているから、これもそのうちの一つだろうと元親は思った。
たしか、化粧品のCMだと言っていた気がする。
男なのに化粧品と不思議に思ったが、まあ具体的にどんなCMになるのかはまったく知らなかったので、元親にとっても新鮮なものである。
なので、欲目で声のボリュームを上げながら、元親はテレビ画面をじっと見守っていたのだが。
「?!」
元親は目を見開いて硬直した。
思わずテレビのリモコンが手からすべりおちたが、どうしようもなかった。
何故なら。
そのCMは政宗ともう一人、よく雑誌で目にするモデル二人の作品だった。
化粧品なのだから、女性がでてくるのは普通である。
しかし、だ。
夜をイメージしているのか、二人とも黒い衣装に身を包んでいる。
女性は大胆なドレス、政宗は肌に黒のシャツを羽織っただけという姿。
相変わらず気前よく脱いでくれる男である。
女の爪の長い指が政宗のシャツをするりとはだけさせ。
シルバーのネックレスが光る鎖骨の右下に、そのつややかなルージュの塗られた唇を押し当てて。
キスマークをつけて艶やかに微笑むその表情を、モデルの正面からカメラで撮って。
『挑発する赤』
そう一言、モデルの女性がハスキーな声で唇に乗せてそのCMは終わった。
衝撃要素は二つ。
一つは政宗が女に盛大にキスマークをつけられていたこと。
もう一つは、これがCMであるということだ。
映画なら映画館、ドラマなら時間帯が限定されるからまだいい。
まだ我慢できる。
けれど、これはCMだった。
つまり、一定期間は時間も局も関係なしに、この化粧品会社が提供している番組の間に全国津々浦々のお茶の間に流れることになるのだ。
自分以外の人間に盛大に痕を付けられているこの映像が、だ。
そう考えた瞬間、元親の頭はかっと熱を帯びた。
「あんにゃろう!!」
そりゃ元親からどんなCMなのか聞かなかったのも確かだけれど、内容なんぞきっちり把握済みで黙っていたに違いない。
黙っていたところで、この部屋にテレビがある限り元親がこのCMを目にしないなんてことはないだろうにも関わらずだ。
別に仕事を断れとは言わないが、けれどせめて心の準備くらいはさせてくれてもいいではないかと思う。
相変わらずなんて性格の悪い男なのだ。
そして、今からその性格の悪い男と夕食デートに出かけるのであるこの自分は!
間が悪いことこの上ない。
いそいそと仕度していたときの楽しい気分なんざ綺麗に吹っ飛んだ。
むしろひさびさのデートだとうきうきしていた自分が無性にいたたまれなく感じで、元親はもう一度、あの馬鹿ムネと声を上げた。
***
どんなに気分がよくなかろうが、約束をすっぽかす気にはさすがなれずに、元親は政宗との待ち合わせ場所に向かっていた。
待ち合わせ場所はテレビ局の裏側だ。
酒も飲むからバイクは使わずに電車と徒歩だ。
政宗とは違って金銭感覚が普通な元親なので、タクシーなんぞは使わない。
約束の時間の五分ほどまえにつき、政宗はもう来ているかなあでも今会ったら色々文句言いそうだなおれ結構心狭いよなあ、などと
つらつら考えながら政宗の姿を探した。
待ち合わせ相手の姿はすぐに見つかった。
見目は文句なしにいい男なので、すぐに目が引き寄せられるのだ。
それは自分に限ったことではなく、道行く特に女性がふと振り返ったりするのもいつものことだ。
そばに寄ろうとして足を止める。
横に並んで、政宗と話している女。
その顔には見覚えがある。
ついさっき、似たような図を自分は見ていた。
「っ・・・!」
CMで政宗にキスマークをつけてくれた女だった。
ナチュラルメイクで、服装もパンツスタイルのラフな格好だったが間違いなかった。
美男美女で歓談中。
それは非常に絵になる構図だった。
そう、どこから見ても素敵なカップルねとうらやましがられるであろうほどに。
元親は無意識に唇の内側を噛んだ。
怒りのようなものがわき上がったが、けれどそれはすぐに消え。
眉を寄せた。
所詮、あの絵に自分が入る隙はないなあと、そう思ってしまったら、怒りよりも身に感じるのは、疎外感。
それと少しの悲しさのようなもので。
声をかけることもそばに寄ることもできずに立ちつくしていたところへ。
「あ・・・」
女がくすぐったそうに、けれどどこか傲慢な仕草で甘く微笑んだ。
政宗は女の頬にキスを落としていた。
女は小さく笑って手をふり、その場から去っていった。
あの男はそういうことに抵抗がない。
過剰なスキンシップというか、外国風の挨拶といったものに。
お前は欧米か、というツッコミをしたくなるが、実際問題あの男は幼い頃はアメリカで過ごした帰国子女で、
故に日常会話にも英単語をやたらと使いたがるという癖の持ち主だ。
なので、そのツッコミはツッコミにすらならない。
さよなら代わりのキスをすることは、向こうじゃきっと普通のことなんだからと、そう理性は冷静に言うが、
でもここは日本で相手も日本人なんだから日本の文化に従えよと、嫉妬のまま上げる声もある。
間が悪いにもほどがある。
今日はもしかしたらそういう星回りの下にあるのだろうか?
体にぽっかりと風穴が開いたようだった。
風が吹き抜けて、体の中はすかすかだ。
楽しみでふくらんでいた気持ちなんて欠片も見あたらなくて。
元親は踵を返した。
帰ろうと思った。
黙って帰るのはさすがに悪いから、あとで携帯にでもメールを送っておこうと考えて。
けど。
「元親?」
小さく届いたその一言だけで、体がびくりと跳ね上がり、足なんて簡単に止まってしまう。
ああ、本当に今日は間が悪いなあと内心で乾いた笑みをもらす。
ゆっくりと振り返れば、政宗は口元にかすかな笑みを浮かべてこちらに歩いてきた。
「時間ぴったりだな」
ああ本当に自分でもジャストタイミングできちまったよと、元親は喉の奥でつぶやいた。
その甘い笑顔を見ると、どうしてだか寂しくなった。
「なあ」
「ん?」
「おれ、帰るわ」
そう言えば、政宗は怪訝そうな顔をした。
「Why? どっか具合でも悪いのか?」
「ちょっとな。胸焼けが」
同じ日に立て続けに見たくないモノを見せられて食傷気味なのだ。
政宗はからかうように目を閃かせる。
「何だ、おやつでも食い過ぎたのか?」
「そんないいもんじゃねえよ」
流すように返して、元親は歩き出す。
その態度に、政宗はようやく様子がおかしいことに気づいたようだ。
政宗に肩を静かに押さえられ、けれど元親が振り払えぬ力を込めて動きをとめられた。
無理矢理振り向かせることはせず、元親の正面へと回る政宗に、居心地が悪くて元親は顔を伏せた。
「Hey. 本当にどうしたんだ?」
頬にそっと添えられた手のひらの温度に、さきほどの光景がまぶたの裏にフラッシュバックした。
「お前さ、CM何本かとってるだろ?」
「ああ」
「化粧品のCM出るっつってたよな」
「Ah―」
その言葉に、政宗は得心したかのように声を伸ばした。
「口紅のCMだったんだな」
「見たのか」
「さっき見た」
「どうだったよ?」
元親は顔を上げた。
どこか楽しそうにこちらを見返す瞳がそこにあった。
よくもまあぬけぬけと聞けたものである。
元親は唇をほころばせて笑った。
代わりに、その笑顔を見た政宗の顔から笑みが消えていく。
「お前、カメラ写りはホントいいわ」
「・・・」
「さっきも絵になってたぜ?」
元親と名を呼ぶ声を遮って、頬に添えられた手をゆっくりと手の甲ではらった。
「言ったろ?胸焼けしてるって。だから今日はおれは帰るわ。テメエはどっかで飯くって帰ってこいや」
今度こそ踵を返そうとしたが、今度は問答無用で腕の中に閉じこめられた。
元親は眉を跳ね上げた。
この野郎、せっっかく人が穏便にすませてやろうと、怒鳴り散らさないようにしようと理性的に振る舞えるようにがんばっているというのに。
ふた一枚で抑えていた下から、ぐらぐらと熱い感情がわき上がってくる。
「離せよ」
「なあ、何が絵になってたって?」
耳を掠める声はぐっと抑えられた低い音。
かっと目の奥が赤くなった。
この男ときたら本当に無神経なことこの上ない。
わざわざ言わせたいのかこの自分に!
「テメエにキスマークつけてた女に、テメエがご機嫌でキスしてるとこがだよ」
頭がくらくらするのはたぶん怒りからだが、それが誰にたいしての怒りからなのか、もはや判別がつかなかった。
とりあえず、目の前にいる男は最低だ。
だというのに、自分は怒っているというのに、なだめるように背中を撫でる指の動きに体が勝手にふるえるのが忌々しいことこの上なかった。
「分かったら手離せ」
「そりゃ聞けねえなあ」
政宗は、くっくと喉をふるわせて笑いながら、耳に唇を落とした。
「そんなcuteな焼き餅妬いてくれたんなら、お前以外のヤツにキスマークつけられた甲斐もあるってもんだ」
その言葉に。
元親の脳は一瞬きっちりと固まった。
まさか。
「お前、それが目的で黙ってたのか」
怒りに震える声に返された答えは、低い笑い声で。
元親は思わず脱力した。
怒りの沸点をつきぬけて、怒鳴る気力も奪われた。
「離せよ」
湿り気を帯びた低い声の要請通り、元親を抱きこんでいた腕は離れていった。
けれど代わりに顎を右手ですくわれ、無理矢理顔を上げさせられた。
元親は唇を引き結んで勝手な右手の主を睨み付けた。
政宗はさきほどとはうってかわって、笑みを消したひどく真面目な表情で元親と目をあわせた。
「Sorry, honey」
「・・・」
「おれが悪かった。妬いてくれて、嬉しかったぜ?」
そう言って、ふわりと目じりに唇を落とす。
ちくしょうと元親は内心で弱々しく吐き捨てた。
たったこれだけのことで簡単にほだされてしまう自分の軟弱な精神に活をいれたい。
目を眇めて、元親は政宗を見た。
「もうしないとは言わねえんだな?」
そう言えば。
政宗は真面目な顔のまま、唇を開いた。
「Ah,おれは嘘はつけねえからなあ」
「嘘つけ」
真面目にそう言い放てる神経の図太さに、思わず元親は脱力した。
「仕事なんだからおれから文句はつけられねえだろうが」
「それこそ嘘じゃねえか。映画のときは色々注文つけてたくせに」
「そりゃあ相手がお前だったからな。モデル相手になんぞ注文つける気もおきねえぜ。おれなんて言っちまえば突っ立ってるだけだしな」
親指ですりと元親の頬を撫でて、音を立ててキスをしながら政宗はあっさりとそう言った。
演技も何もないと言いたいのだろうが、それはあまり関係ないだろう。
が、言ったところでのらくらと流されることが分かっていたので、元親は息を吐いて体の力を抜いた。
諦めとたやすい己に対しての呆れのため息だった。
政宗の肩口に額を預けて。
「・・・お前、ホント最低」
そう言えば。
政宗は元親の髪を梳きながら機嫌良くその言葉を肯定した。
「テメエが可愛すぎるのが悪いんだ」
まったくもって理不尽この上ない台詞であった。
=あとがき=
こんな感じで展開していきますこのシリーズ(真顔)
一生乳繰りあってろ(お前が言うな)
しかしこれオチてないですね・・・(目をそらす)
指が軽いのはいいんですけど軽すぎて着地地点を見失いました・・・(一番ダメなタイプじゃん)