Be Here

 元親は元親だ。
 その本質は、変わりはしない。
 ただ、覚えていないだけで。


『あなたのせかいにわたしはいない』


 それがひどく、やるせない。



「何で、思い出さねえんだ」
「政宗…」
 うめくようにこぼせば、元親の声は戸惑ったように揺れていた。
 顔をあげて見据えれば、元親は小さく息を呑んだ。
 目の奥が燃えるように熱かった。
 肺もだ。
 まるで焼け付くかのように熱くて、政宗は己の胸のシャツを掴んだ。
「なあ、アンタ今無職なんだろ?」
「あ、ああ」
「だったら、再就職しちまえよ」
「え?」
「そしておれの隣にいろ」
 元親は目を見開いたまま政宗を見返した。
 ゆっくりと立ち上がれば、元親はつられるようにして政宗を見上げた。
 一歩、近づけば、気圧されるように腰を引く。
「アンタ以外の奴が隣にいても、物足りねえ」
 政宗が歩を詰めれば、同じように元親はその分後ろへとさがった。
 けれど、それもすぐに限界がくる。
 壁に背中を付けた元親を両腕で檻を作るようにして囲い、政宗は膝をついた。
 元親の目は瞬きすることもなく、じっと政宗の瞳を見つめている。
 引き込まれそうだと政宗は思った。
 始まりもそうだった。
 自分はこの男に、引きずり込まれたのだ。
 きっとこの心までも。
「テメエが、おれの世界を変えたんじゃねえ
か…!」
 握った拳で壁を叩いて、政宗は顔を伏せた。
 手のひらに爪が食い込むが、その痛みで熱くなった血が冷めることはなく。
「なあ」
 掠れた声が耳を打ち、政宗は顔をあげた。
 すぐ側にある目は、まっすぐにこちらを映している。
「おれたちはどんな関係だったんだ?」
「アンタがおれをこの世界に引きずりこんだ」
「…」
「アンタがおれを、エージェントにした」
 政宗は眉間に力を込めた。
 愛情を込めて見つめる女性が、恋人ではないと知って安堵した。
 自分は確かに、安堵したのだ。
「アンタがいたから、今のおれがいるんだ」
 声が掠れた。
「アンタはおれの」
 爪の食い込んだ拳を開いた。
 手のひらはじんじんと痺れていて、痛みなど感じず。
 その右手で、元親の頬にそっと触れた。
「パートナーだったんだ」
 誰もこの男ほどの鮮やかさを持った人間はいなかった。
 眩しいまでの銀の輝き。
 それが得難いものだということに気づいたのは、その存在が側から消えてから。
 この男の隣がいい。
 他の人間の横は物足りない。
 この男でなければ、物足りないのだ。
 政宗の中に、消えることのない鮮やかな軌跡を残していったくせに。
 ずるい男だ。
 この男は、ずるい。
 触れた頬は滑らかで。
 両手で顎をすくい上げて。

 ぶつけるように口づけた。
 がむしゃらなキスをした。

 そしてガラスの割れる物騒な音とともに、その瞬間は終わりを告げる。
 微かに唇が離れたその時に、額に、衝撃。
 目の奥で火花が散り、頭突きをされたことを遅れて知った。
 あまりの痛さに、思わず額に手をやってうめけば、どこかで見たような顔の男達が数人、部屋へとなだれ込んでくるのが見えた。
 政宗の意識がそちらに向いたその隙に、元親は立ち上がって身を翻し、奥にあったドアから飛び出していった。




 Black Shine



 あの目は反則だろう、と元親は思った。
 飛び出した部屋から続いていたのはキッチンで、その勝手口から元親は外へと飛び出した。
 何やらガラスが割れるような物騒な音がしたが、こっちもそれどころではなかったし、政宗だってプロのエージェントで武装だってしているのだから、放っておいたって大丈夫だろう。
 路地裏の湿った空気を吸い込んでようやく、元親は息をつくことが出来た。
 固まっていた脳みそが起動する。
 元親は瞬きをして、手のひらで口元を覆った。
 しっとりと濡れている己の唇を指の腹でたどって、首が熱を帯びた。
 政宗に、キスをされた。
 昨日知り合っただけの男にキスをされたのだ。
 そう昨日!
 思い返して、元親はくらくらと目眩がした。
 あの男と知り合ってから、まだ二十四時間経っていないという怖ろしい事実。
 この二十四時間の間に、なんとまあ様々な出来事があったことか!
 この一日の間に、元親の世界は劇的な変化を遂げた。
 元親の容量はもうパンク寸前だ。
 頭をかきむしって唸った。
 まだ心臓がばくばくと早鐘を打っている。
 あの目が悪いと元親は毒づく。
 焦げ付きそうなほどの熱を押し込めた目を、あんな間近で見てしまったら、動けなくなるに決まってる。
何故思い出さないのかと吐き出された声は、どうしてか元親の胸を抉った。
悲痛な叫びとともに顔の隣をかすめた拳に、息が詰まった。
気がつけば元親は己の唇を薄く開いて。
ずっと聞きたかったことを、唇に乗せていた。
 自分たちは、どういう関係だったんだ?
 何故お前はそんな声を上げるのか。
 狂おしいほどの目で自分を見るのか。
 政宗を、この世界へ引き入れたのが、エージェントだった元親。
 政宗をエージェントにしたのも、元親。
 元親がいたから、MIBとしての政宗がいる。
 元親は、政宗の、パートナーだった。
 眉の寄せられた政宗の余裕のない表情は、元親の体から一切の動きを封じ込めた。
 吐き出された熱を帯びた掠れた声に、体がぞくりと震えた。
 流されていた。
 抵抗の二文字も考えつかなかった。
 ガラスの割れる音で我に返り、頭突きをかまして、元親は勇気ある撤退を選択した。
 元親には時間が必要だったのだ。
 たとえ僅かな時間でも。
 情報を整理するために。
 口元を覆ったまま、軽く目を伏せた。
 口づけられたことに、まだ動揺している。
 けれど、己の心に、嫌悪する感情はなく。
 だって仕方ないだろう、と元親は唇を歪めた。
 思い返せば、初めからそうだった。
 あの男は、初めから何か物言いたげな目で、こちらを見つめていたのだ。
 元親はそのことに気づいていた。
 だからこそ、自分たちの間にあったものが気になったのだ。
 ずっとその視線にあてられてみろ。
 これ以上ないほどに嫌悪するか、気になるかの二択しかないではないか。
 そして元親は、気になってしまったのだ。
 あの男に、興味を持ってしまった。
「テメエはテメエで余裕ねえのかもしれねえが、こっちだってなあ、人生ひっくり返されるようなことの連続で、一杯一杯だっつんだ」
 野郎とつぶやいて、元親は反射的に空を仰いだ。
 無性に、星が見たいと思ったのだ。
 日は落ち、見上げたそこに広がる夜空。
 ネオンの光がうるさく、星はそれほど見えない。
 けれど、小さな光が瞬く漆黒は、まるであの男の瞳のようだと思った。
 元親は目を見開いたまま、夜空に見入った。
 あの小さな輝きの中に、同じ世界が広がっていることを知っている。
 星を愛でるなんてロマンチックな趣味?
 そんないいものじゃない。
 ロマンなんざ何の役にも立たないことを、自分は知っているのだ。
 あの闇の向こう、彼方に広がる世界も、この世界と同じように愚かしく、ろくでもないということを。
 ああ、けれど。
 

 ろくでもない世界だけれど、輝く星は美しい。


 だから自分は、夜空を見上げてしまうのだと。
元親はふと息を吐いた。
 それは在る意味、諦めのため息だった。
 ばらばらに散らばっていたパーツが、在るべき所へ収まったと、唐突に納得した。
 別に何か衝撃があるわけでもなかったし、一般人として生きていた記憶が消えることもなかった。
「結局、戻ってきちまうってことなのかね?」
 記憶をなくした善良な一般市民であるときですらも、エイリアンとの関係は切れなかったようであるから、もはや天職なのかもしれない。
 MIBのエージェントという仕事は。
 記憶が復元されるというのは、それほど劇的な変化ではなかったなと、元親は思った。
 それよりも、己で見つけて後釜に据えた後輩に、唇を奪われたことのほうが、よほどに劇的だ。
 あまりに劇的だったので、あの男のことを思い出すのに引きずられて記憶が戻ったようなものだ。
 元親は苦笑した。
「もう一度顔を合わせたのも、縁なのかもしれねえなあ」
元親はどこまでもドライな質だったので、まあ、長い人生、男に惚れることもあるかもしれないと、己の心情についてそうあっさりと受け入れた。
 確かに、一番の元を遡れば、一般人だったあの男にちょっかいを出したのは、こちらが先なのだ。
 人間とは体の構造がことなるエイリアンを、足で追いつめたその身体能力に舌を巻いた。
ついで、その生意気そうな目が気に入った。
興味を持った。
 己とよく似た考え方と、気性を知った。
自分の後を託すなら、こいつがいいと、そう思った。
つまり、そういうことだ。
それにしてもと、元親は政宗の言葉を思い返して、喉で笑った。
まさかそれほどにまでこの自分のことを買ってくれているとは思ってもいなかった。
この隣でなきゃ物足りないなんて。
可愛いことを言ってくれる。
「まあ、一日でオとされたってのは、ちょいとばかし気にいらねえけどな」
今度は自分が、世界を変えられてしまったなあと。
「生意気なことしやがって」
 唇からこぼれた文句はしかし笑っていて。
自分でも、照れているらしいと。
そう感じて、元親は髪をかき上げた。
ついでといったふうに、左目を隠していた眼帯も取った。何故なら、眼帯はサングラスをかけるのに邪魔になるからだ。
 さて、そろそろ出来のいい後輩を助けに行こうかと。
 外した眼帯をポケットに押し込んだ。
 懐に忍ばせてある小さな小さな、手のひらに収まってしまう銃を取り出して、元親は唇を引き上げた。
「アイツ、さてはまだ根に持ってやがるな」
 一番最初に政宗に渡した銃も、これと同じ、本部の武器庫にある一番小さなものだった。
 小さいけれど、威力は十分。
 知らずに撃って、反動でふっとばされていた政宗の姿が懐かしく。
 元親は勝手口からキッチンへと戻り、奥へ続く扉を開けた。
 三人ほどはすでに床に伸びている。
 さすがだねえと内心で口笛を吹く。
 残るは二人。
 その内一人と、政宗はまさしく拳で交戦中。
 もう一人が後ろから殴りかかろうとしているのを視界に確認。
 元親は滑らかな手つきで小さな小さな銃を、両手でそっと構えて、何のためらいもなく引き金を引いた。
 銃口から光が吹き出し、その男を吹っ飛ばす。
 と、同時に、政宗の拳が最後の一人を床に沈めた。
 政宗の体がこちらを向く。
 元親は唇を引き上げて見せた。
 さて、この男はどんな反応をするか。
 不謹慎かもしれないが、ちょっとわくわくしてると自覚しながら、元親は色違いの目を細めて流し目を向けた。
 にやりと笑う。




「相変わらず強引な仕事運びだな、坊や?」