LOST MEMORIES side A


 ずるいんじゃないのかと政宗は思う。
 覚えちゃいないくせに。
 さらりと。
 かつての過去を思い起こさせるようなことを言う。
 そのたび疼くこの気持ちは何なのか。
 何の含みもないそれに、一々反応している自分が情けなくて嫌になる。
 嫌になるのに、目を反らすこともできやしない。

***

 政宗は今己が不機嫌になっていることを自覚していた。
 元々、そう一緒に組んでいたときから、元親が他のエージェント達にも信頼されていたのは知っていた。
 今や、伝説とまで言われ、エージェント史上に名を刻んでいることも承知している。
 けれど、だ。
 本部に入った元親は、目を丸くして、きょろきょろと物珍しそうに辺りを見回していた。
 その様が小さなこどもじみていて、政宗は少し呆れた。
 呆れたと同時に、驚きもした。
 無邪気な、と言っては何だが、そんな顔を見たことはなかったから。
 政宗の記憶にある元親の笑みは、人なつっこく、それでいて油断ならない色をちらりと瞳に宿した、悪戯っぽい笑顔と、唇を引き上げて笑う、敏腕エージェントとしての皮肉気な笑み。
 そして、人を坊や呼ばわりするときの、嫌味なほどに余裕をにじませた笑み。
 こんな、己の心情をそのままさらけ出したような笑みは見たことがない。
 驚いたと同時に、寂しさのようなものがふと、胸をよぎった。何故このように胸が締め付けられるのか分からない。
 己の感情が、己の制御下に収まらないことによる苛立ち。
 そして何よりもだ。
伝説のエージェント珍しさによってくる男ども。興奮した様子で握手を求めてくる男には、お前は今何歳だと問いたくなったし、素直に握手に応じている元親も元親だ。
 コーヒーでもご一緒にいかがですかなんて言葉に、じゃあミルクたっぷりでよろしく、なんて返してやがる様が鼻につく。
 おかげさまで、政宗の機嫌は急下降をたどる一方だった。
 けれど、何故、自分がこれほどまでに機嫌を悪くしなければならないのか。
 普段は話しかけてもこない同僚達が、元親には話しかけるから?
 そんなわけがない。
 言うなれば逆だ。
 元親が、何の抵抗もなくほいほいと受け答えしているのが気に入らないのだ。
 政宗は己の不機嫌の原因が、元親の態度にあることまでは自覚していたが、原因の下になっている己の感情(それは言うなれば、独占欲というものだったが)についてまでは、気づいていなかった。
 コード101のコールがかかったときは、丁度元親の記憶を復元しようとしていた矢先のことであった。
 コード101とは、数ある緊急コードの中でも、最悪の部類に入るコールである。
 それは、エイリアンによるテロ行為を意味する。
 車で移動しながら、政宗は車に装備されているコンピューターから、本部へのコンタクトを試みた。
 だが応答はない。
 政宗は舌打ちをして、本部への接続を切る。
 その様をみた元親は、こういうのはよくあることなのかと、どこか心配そうに聞いた。
「頻繁に起こってたまるか。何のために入官管理局がついてると思ってやがる」
「だ、だよな」
 いらいらと政宗は人差し指でハンドルを叩いた。
「どこのどいつがヘマしたのかしれねえが、事が済んだらシめてやる」
「おいおい。お前が言うとシャレに聞こえない気がするのはおれだけか」
「シャレですませてやる気はねえよ」
「いや、誰だって一度や二度は失敗するじゃねえかよ」
 政宗はブレーキを踏んだ。
 車がはずみをつけて急停車する。
 赤信号だったのだ。
 政宗は横目で元親を冷ややかに一瞥した。
「そのささいな失敗で、この星がふっとんだら、テメエはどう責任をとるっていうんだ?」
「…」
 元親の顔がぎくりと強ばった。
「おれたちの仕事は、そういう類のもんなんだよ」
「…」
 元親は眉を寄せて黙った。
 信号が青に変わる。
 政宗はアクセルを踏み込んだ。
「…悪い」
 ぼそりと耳に入ってきた謝罪の言葉に、政宗は横目で一瞬、隣を見た。
「…」
「何も知らねえおれが、口出しするとこじゃなかったな」
 苦笑する表情に、どうしてか胸がずきりとした。
 こちらも言い過ぎたと、そういうべきだと思っていたが、けれど唇は政宗の意図に反して、気むずかしく結ばれたままだった。言うべき言葉を言えない代わりに、政宗は歯を噛んでいた。
 元親は車内に漂った気まずい空気を払うかのように、明るい声で政宗に聞いた。
「なあ、記憶復元装置って、あの一台しかないのか?」
「…いや」
 元親の気遣いにほっとしながら、政宗はハンドルを切った。
「本来なら極秘情報なんだがな、ちょいと前に情報がネット上に流出したんだ」
 コンピュータを呼び出して、記憶復元装置を検索させる。ほどなくして、一人の人物の写真が画面上に現れた。
 横目でその顔を確認して、政宗は唇を引き上げて機嫌良く笑った。
「丁度いいぜ」
「?」
「昔っからのトモダチだ」





LOST MEMORIES side B



 そこは丁度交差点沿いにあるこじんまりした店だった。
 はっきり言って、何の店なのかは一目で判じにくい。
 何故なら、置いてある物に統一性がないからだ。
 店の主は、猿のような顔をした小男だった。
 来客を告げるドアベルに顔を上げた男は、客というには異様な風体の男二人(つまり元親たちのことであるが)を見て、驚いたように目を丸くした。
 口元が引きつって見えるのは元親の気のせいではあるまい。
 政宗はトモダチとかいっていたが、どう考えてもトモダチではないだろう。
「げ、政宗!…んん?」
 後ろに続いて入ってきた元親を見て、男はこれまた大げさなリアクションで目をくるりと回した。
「元親じゃねえか!!」
 どうやらこの男も、昔の自分のお知り合いらしいと、元親は納得した。
 つまり、この猿みたいな男もエイリアンだということだろう。
「MIBをやめたって聞いてたが、どうしたんだよ一体?」
 政宗に向けていた視線とはうってかわって、親しみさえ感じられる態度で話しかけられ、元親は曖昧に笑った。
 我ながらどうしたことだと思っているので、上手く説明できるとは到底思えなかったからだ。
「こいつの記憶に用が出来た。記憶復元装置がいるんだよ。あるだろ?出せ」
 問答無用である。
 高圧的な言葉と、これでもかというほどに冷えた視線で、政宗は男を見下した。
「おいおい政宗。知ってのとおり、ここは善良な質屋だ。そんなブツがあるわけないだろ?」
 肩を竦めて見せた男はしかし、次の瞬間目を見開いて固まらざるを得なかった。
 何故なら、政宗が懐から取り出した銃を容赦なくその男の眉間に突きつけたからだ。
「おいおい」
 思わず元親は声を上げた。
 いくら何でも、それは強引すぎないか。
「よ、よせよ政宗」
「出せ」
「だからないって!」
 かちりとわざとらしく引き金を爪で鳴らして、政宗は男を見据えた。
 男のこめかみから汗が一筋流れたのを見て取って、元親はちょっとばかりこの猿みたいな男が可哀想になった。
 隣の男が放っている剣呑な空気は、そばにいるだけで肌を刺すほどの威圧感を放っている。
 こいつ、前の職業はきっとマフィアとかだったんじゃないかと好き勝手なことを元親は考えた。
 ただ肌がぴりぴりするような空気を感じながら、元親自身はその空気に飲まれることはなかった。
 のんびりと構えてられる余裕さえあった。
 たぶん、心の底で、構えられている銃口がこちらを向くことはないと、そう思っているからだろう。
 元親はそれでいいかもしれないが、今まさしく眉間に銃口を突きつけられている男は、余裕も何もない。
 善良な店主だった場合、この対応はあまりにもヒドイだろう。
 なので、元親は場の空気を緩和させるためにも、わざとふざけた口調で問うた。
「こりゃ尋問かい?」
 別に政宗のやり方にケチをつける気ではなかった。
 ただ、もうちょっとやり方があるんじゃないかと思っただけだ。
 別に他意はない。
 だというのに。
 返ってきたのは、テメエは黙ってろという、容赦のない、言うなれば元親の存在をばっさりと切り捨てる冷えた声だった。
 視線も向けずに言い放たれたそれに、元親は片眉をかすかに跳ね上げた。
 少し、かちんときた。
 続けざまに言われた言葉も問題だった。
「テメエは何も知らねえだろうが」
「ああそうとも知らねえよ」
 だからって、そんな言い方はないんじゃないのか。
 だいたい、記憶がないのだって、不可抗力じゃないか。
 別に自分は、今のままでよかった。
 エージェントだったときの記憶なんてなくとも、シアワセに生きていけるのだ。
 それを、記憶が必要になったのだと、引っ張ってきたのはそっちじゃないか。
 とまどいという名で押し込められていた、この状況に対する鬱屈が、体の中を駆けめぐる。
 瞬間、体の奥がかっと熱を帯びた。
 眉間に力が入り、歯を噛みしめた。
「テメエが消したんじゃねえのかよ?!」 
 それは言ってしまえば、売り言葉に買い言葉というやつだった。
 深く考えて言った言葉ではなかった。
 勢いで、唇から飛び出しただけの、何の根拠もない代物だ。
 そのはずだった。
「…」
 政宗は男の眉間に銃を突きつけたまま、ゆっくりと首をこちらに向けた。
 合わさった目に、元親は何故か体をびくりと震わせた。
「何で、知ってる…?」
 ゆっくりと告げる声は低く、不必要なほどに静かだった。
 その視線と声に、元親は、まるでがんじがらめに己の体がとらえられたかのような錯覚に陥った。
 思いつきで唇から飛び出た言葉は、どうやら、図星だったらしい。
 元親を映しているのは、さえざえとした、夜の闇のような目だった。
 体の奥がざわりと騒ぐのは、きっとこの居心地の悪い空気のせいだ。
 元親と政宗が目を合わせている隙にこそこそと逃げだそうとした男だったが、政宗の銃がエネルギーをチャージし始めたのをみて、両手を挙げた。
「どうせこいつは持ってる」
 横目で固まった男を示して、政宗は温度のない声で言った。
「なあ?」
 弧に描いた酷薄なエージェントの笑みを見た男は、悲鳴のような声を上げた。
「ああそうさ持ってるよ!だからそれを下ろせ!」
「…持ってんのかよ」
 元親は脱力した。
 持ってるなら持ってるで、素直に言えばいいではないか。
 ますます居心地が悪いことこの上ない。
 ちろりと政宗を見やれば、政宗は鼻を鳴らして銃を下ろした。
 何か言われるかと思ったが、政宗は元親を横目で一瞥しただけで、何も言わなかった。
 こっちだよと先を行く男の後ろを、元親は政宗の後を追って、ため息を吐きながらついていった。

***

 自家製の記憶復元装置は地下にあった。
 MIB本部でみたものとは大分に違う見た目だった。
 見方によってはアンティークともいえる椅子に座らされた元親は、とろんとした目つきで己を見下ろす男二人を見返した。
 頭には変なヘルメットを装着させられ、何故か口には電極板のようなものを銜えさせられている。
 間抜けな格好だった。
 何が間抜けって、この間抜けな格好を、大の大人が真面目な様で見守っていることが、間抜けなことこの上ない。
 何でおれはこんなところで、こんなことをさせられているのかねと。
 今さらながらに、元親は一瞬遠い目をしてしまった。
 指示語が多いのはわざとだ。
 わざわざ詳しく述懐する気にもなれない。
「じゃあ乗車中の注意点を言いますのでよく聞いてください。運転中は大変危険ですので、手や足は外にださないように。気分が悪くなったら…まあ、耐えてくれや」
 つまりどうしようもないということだろう。
 元親は頷くことも億劫な様で、相変わらずとろんとした目で小男を見返した。
「じゃ、始めるぜ」
 男はそそくさと背を向けて、パネルをいじる。
 顔を前に向ければ、こちらにじっと視線を向けている政宗と目があった。
 その表情は静かで、かつ真剣だった。
 どこか思い詰めているとすら言える表情に、元親のほうも、神妙な気持ちになってしまった。
 引きずられるようにしてわき上がってきた言葉。
「なあ…」
「An?」
 唇を開きかけて、微かに息を吸い。
結局元親は何でもないと頭を振った。
 政宗は怪訝そうに眉を上げたが、元親は曖昧に笑ってごまかした。
 聞きたいことはあった。
 お前にとって、今はない元親の記憶は何だったのか。
 どんな意味を持つのか。
 何故、お前が、記憶を消すことになったのか。
 何故、そんな顔をするのか。
 時折、狂おしいほどの熱を秘めた目をする。
 こちらの息を止めてしまいそうなほどの。
 今はない記憶に、その答えが隠されているというのなら、知りたいと思った。
 ああ、こりゃもう駄目だなと元親は内心で苦笑した。
 怪しいことこの上ない黒服の世界に、見事にずぶずぶと引き込まれていっている自分を自覚したのだ。
 もう駄目だ。後戻りするには遅すぎる。
 自分も、知りたくなってしまった。
 流され気味の動機からの転換。
 今はない己の姿の先にあるものを、見たくなってしまった。
 己自身が変質してしまうかもしれぬという怖れはあったが、それももう、微かなものでしかない。
 だって、この男が言ったのだ。
 元親が、元親であることに変わりはないと。
 その言葉が全てだ。
「今度こそ、うまくいくといいな」
 聞きようによっては、人ごとのようにも聞こえる元親の言葉に、政宗は目を大きくした。
「お前…」
「じゃあやるぜ!」
 低い地響きのような音をたてて、装置が動き出す。
 元親は唇で笑って、目を閉じた。
 落ち着くのには目を閉じてしまうのが一番だ。
 がらがらと何かが転がる音。
 時折混じる電流が迸る音。
 目を閉じていても、耳から伝わる情報がかなり物騒で、あまり落ち着かないなあと元親は思った。
 ちりちりと肌が騒いで。
 閉じた瞼の向こうで、青い閃光が迸った気がした。






 Swinging night


 目の前をちらつく過去の断片。
 おれはそれを払いのけたいのか、つかみ取りたいのか。



 再び政宗はハンドルを握っていた。
 助手席には、元親が座っている。
 向かっているのは、殺しの現場のピザ屋だった。
 手がかりもなく、本部も封鎖されている今、もう一度現場を調べ直すことにしたのだ。
 つまり、元親の記憶は、戻らなかったのだ。
 青い閃光が迸ったあと、記憶復元装置(非公認)はゆっくりと動きを止めた。
 ぷしゅーとエンストしたかのように、白い煙が吹き出し、政宗は煙を手で払いながら、元親が座っている椅子に近づいた。
 店主とともに、ヘルメットを取ったその顔を見下ろせば。
「どうだ?」
 男の問いを耳にしながら、政宗は己の鼓動がにわかに速さを増したのを自覚した。
 息が詰まる。
 元親はこちらを見上げて。
 ふと、眉を下げて、困ったような顔をした。
 ある意味その表情が答えのような物だ。
「悪い、何かその、別に何も変わってねえみたいなんだけどよ」
 政宗は詰めていた息を吐いた。
 そのため息がどういう意味を持っていたのかは、政宗自身も分からなかった。
 落胆か、それとも、諦めか。
 もしかしたら、安堵なのかもしれないと思ったが、よく分からない。
 もてあました己の心情を抱えたまま、政宗は隣の男に視線を向けた。
 政宗のじとりとした目に当てられた男は、目を泳がせながら、こういうのは個人差があるから、とそう言った。
「機械に問題はないよ。おれに文句をいうのは、しばらく様子を見てからにしてくれ」
 情けない声でそう訴えられては、これ以上いたぶるわけにもいかず、政宗はもう一度ため息を吐いて、元親とつれだって店を後にしたのだ。
「でも、現場に戻るっていっても、お前達が調べたんなら、別に何も出てこないんじゃないのか?」
 首を傾げる元親の言葉はある意味もっともだ。
「まあな。それでも今はそれぐらいしかとっかかりがねえんだよ」
「おれの記憶も戻ってねえしなあ」
 つぶやかれた言葉に、政宗は内心で眉を寄せた。
 別に、元親の記憶が戻らなかったことについて責めるつもりも、くどくど口にする気もないのだ。
 けれど、今の言い方では、政宗が落胆していると取られても仕方がなかったことを、口にしてから政宗は気づいた。
 だからといって、上手くフォローできる言葉も思いつかず、政宗がしたことといえば、前を睨み付けて車を走らせただけだ。
 元親は黙ったまま、助手席の窓から、流れていく景色をぼんやりと見ていた。
 エンジンの音しかない車内はどことなく気分を落ち着かなくさせる。
 いつもラジオもつけずに運転しているくせにだ。
 なので落ち着かないのは、音がないということが原因ではなく、隣に座る人間が原因なのだが、あえてその事実から目を反らして、政宗は左手でラジオのスイッチを押した。
 流れてくる軽快なダンスナンバー。
 ラジオも場の空気を察してくれないらしい。
 ラジオの音に、元親は視線を車外から車内へと巡らせたようだ。
 ハスキーな女性の声を聞いて、元親はステレオ部分を指さした。
「ラジオしか聴けねえの?」
「んなわけあるか」
「だよな。なあエルビスねえのか、エルビス」
 期待を込めた声に、政宗は唇を引き結んだ。
 思わず、ブレーキを踏んだ。

『エルビスでも聞いて、肩の力を抜けよ坊や。
楽しんで行こうぜ』
 
 遠い過去から蘇る低い楽しげな声。
 肺が掴まれたかのように呼吸が危うげになる。
 突然の急停車に、元親は目を大きく見開いて瞬きをした。
 顔を向ければ、元親は不思議そうな顔をして首を傾いだ。
「どうした?あ、まさかおれの選曲が古いから驚いた、とかぬかすんじゃねえだろうな?!」
 最高だろエルビスは!と元親はこの上なく真面目な顔で主張した。
 そんな本気で弁解しなくても、知っている。
 元親がエルビスを好きなことを。
 肩の力を抜けと言われたその時は、MIBのほこる改造車にのって、トンネルの天井を駆け抜けていたときだった。
 いきなりのできごとに、嫌味も込めて、エルビスはもう死んだだろうがと言えば、この男は軽く笑って。
 死んでねえよと。
 故郷の星に帰っただけだと、そう言った。
「まあ、死んじまってるけどよ」
 ぼそりと付け加えられた言葉に、我に返る。
 喉の奥が熱く、眉間に不要な力が入った。
 ピザ屋の店員の元親と、エージェントであった元親との間にある同一性。
 その同一性はけれども、明確な差違をも浮き彫りにする。
 その差違は、この男は『違う』のだということを政宗に突きつけ、そのことに、政宗は馬鹿みたいに繰り返し衝撃を受けるのだ。
「…生憎と、エルビスはストックしてねえよ」
 アクセルを踏み直して車を発進させて、政宗は唇からふと息を吐いた。
 それでも、元親が『元親』であることにはかわりはないのだ。
 その事実は、どこか切ないものを含んで、政宗の胸を占めた。
 こみ上げてくる何かを無理矢理飲み下して、政宗は唇を引き上げて、ちろりと横目で元親を見た。
「何だったら、テメエで歌うか?」
「いいぜ?歌ってやらあ」
 ふんと鼻から息を吐き、元親はラジオを切って歌い始めた。
 少しばかり音程がずれるところも変わらないと。
 調子はずれの歌をBGMに、政宗は車を飛ばした。

***

 ピザ屋は荒らされたままの状態で、倒された家具の上にはうっすらと埃がかぶっていた。
 実際問題、すでに調査されたあとだ。
 今さら残っているものと言ったところで、さしてないだろう。
 言い出した政宗もそう思っていたのだが。
「なあ政宗」
「あ?」
「実はおれ、前々からちょこっと気になってたことがあったんだけどよ」
 こっちと手招かれたほうへと出向けば、これと示された一つのデジタル時計。
 安っぽいそれは、どこにでもあるもののように見えた。
「これがどうかしたか?」
「いや、前から何かちょっと気持ち悪い感じがあったんだよ。こう、違和感っつうの?」
「ああ?」
 ここ見とけ、と元親が指さしたのは、時計の表示部分。
 何なのだと思いながらも、大人しく見ていれば。
 一分経ったのか、ぴっと、その数字が変わった。
「!」
「な?これ、数字減っていってるんだよ」
 元親の言うとおり、その時計は、一分経つとその数を減らしていた。
 時間が進むのではなく、戻っていくという違和感。
 どこにあったと聞けば、そこと示されたのは、棚の上だった。
 ちょうどカウンターからしか見えない位置だ。
「気持ち悪い原因が分かってちょっとすっとしたぜ」
 元親の表情はその言葉通り、さっぱりしたように見えた。
 確かに、時計の数字が減っていくというのは気持ち悪いし、デジタルならば気づきにくいだろう。
 ささやかな変化だ。
 そのような日常に紛れ込んだ変化ほど、気づきにくいものはない。
 ましてや、そんな時計など、普通はないというふうに思っていれば、なおさらのこと。
 元親の手から時計を受け取った政宗は、それをひっくり返してみた。
 そこに書いてあるのは、どうやら店の名前らしい。
「手がかりになったか?」
 同じく底を覗き込んだ元親が聞いた。
 政宗は顔を上げた。
 時計を元親の手に戻して。
「ああ」
 素直に、そう頷いた。
 元親と目を合わせたまま。
「アンタのおかげだな」
「ん?」
「元々違和感もってたアンタじゃねえと、見つからなかっただろうよ」
「…」
 政宗は一度唇を閉じて、息をついた。
「Sorry.おれは口が悪いんだ」
 突然の政宗の謝罪に、元親は目を丸くした。
 目を丸くして、そして。
 元親はふわりと、笑った。
 柔らかな笑みはどこかくすぐったく。
「テメエの口が悪いのには、もう慣れたぜ」
「そいつは助かる」
 真面目にそう返せば、元親は声を上げて、開き直ってんなと笑った。
 時計の裏に彫ってあった時計屋は、ピザ屋から車で一時間ほどの場所にあった。
 今日は移動しっぱなしだなと言いながら、再び車を走らせる。
 通りすぎた町が、以前住んでいたところと雰囲気が似ていると元親が言ったので、政宗は気になっていたことを聞いてみた。
「なあ、お前こっちにゃ一人で住んでんだよな?」
「おうよ」
「…引っ越す前は、恋人と住んでたんじゃねえのか?」
「はあ?」
 最大級に怪訝な声で返されて、政宗は言ってしまったあとに、やっぱり聞くべきではなかったかと後悔したが、もう遅い。
 いくら、車内の空気が居たたまれなく感じようとも、なかったことにしたいと思っても遅いのだ。
 後にひけない政宗は、なので、そのまま開き直って、きっちりと問いただしてしまえと腹をくくった。
「お前がエージェントだったときにちらっと見たことがあんだよ。金髪の、線の細そうな美人」
 あんまり優しい顔で見つめていたから、という理由は省いて、恋人だと思ってたんだが、とそれだけを続ければ。
 元親は一瞬沈黙したあとに、声をたてて笑った。
 その笑い声に、ちらりと横目で隣をうかがえば、元親は体を前のめりに折って爆笑していた。
 さすがに、そこまで爆笑されては気分も良くない。
 というか、恥ずかしいことこの上なかった。
 政宗の口元がひくりと引きつっていることに気づいたのか、元親はひいひい言いながらも、悪いと謝った。
「いや、お前って、本当なんでも知ってるんだなあ!」
「…」
 くっくと喉を震わせながら、元親は暑いと言って窓を開けた。
 夕焼けに染まった雲。
 太陽が焦げながら落ちていく。
 風が吹き込み、気まぐれに二人の髪をなぶっていった。
 もうすぐ、長かった一日が終わる。
 まあ、宇宙標準時間の三十六時間勤務の身にとっちゃあ、まだ一日は終わらないのだが。
 元親は明けた窓に腕を預け、シートにもたれかかっているようだ。
「アイツはそんなんじゃねよ」
 けれども、その声はどこまでも柔らかく、愛おしそうな色が混じっていて、政宗は嫌な風に身の内がさざめくのを自覚していた
「アイツは、おれの妹なんだ」
 その言葉に。
 政宗の脳みそは一瞬、その活動を停止した。
「…妹?」
「そ、妹。今はもう結婚してる」
 過去を懐かしむかのように元親は続けた。
「アイツはなあ、昔っから体が弱くてよお。入退院を繰り返してたんだよ。でっかい手術が必要だってんで、親戚のうちにアイツ預けて、おれは出稼ぎだよ」
 それは初めて聞く元親自身の話だった。
「二親はおれたち放って、とっとと二人で逝っちまったしな」
 にわかに、政宗は納得した。
 いつか言った、元親の言葉のその意味を。
 きっと、元親がMIBを辞めたのは、妹の手術費用の目途がついたからなのだろう。
 画面ごしではなく顔を見たくなった、という言葉も、うなずける。
「アイツは丈夫になったし、きっちりいい旦那もつかまえて、今じゃあもうシアワセ家族計画だ」
 そのへん、おっとりした顔で、抜け目ないんだと元親は笑った。
「アイツはもう大丈夫だから、おれはこっちに出てきたんだ」
「…あの町は気に入らなかったのか?」
「いや。ただ、何ていうか、あそこもいいところだったんだけどよ。こっちのほうが、好きみたいなんだわ、おれ」
 どこか照れくさそうに続けられた言葉に。
 政宗は思わず笑みを浮かべていた。
 アンタらしい理由だなと、そう言えば。
 元親は、そうか?と首をひねっていた。
 納得されるとは思ってなかったらしい。
 
***

 その時計屋は路地を入ったところに静かな佇まいでたっていた。
 ドアを押して中に入れば、洗練された趣味のいい内装。
 しかし、人の姿はなく、ひっそりとしている。
 そのことに眉をひそめて、政宗は懐の銃に手を伸ばしながら、店の奥へと向かった。
 ドアを開け、目に飛び込んできたのは、カーペットの上で仰向けに倒れている男。
「!」
「おい!」
 慌てて駆けよって、その肩を叩けば、まだ息があった。
 息はあったが、それがもう長くないことを政宗は悟った。
 男は、突如やってきた助けに目をやり、そしてその目を驚きで見開いた。
 男の瞳は、元親を映していた。
「す、すまない、元親。我々は、光を、光をこの星に隠していた」
「…」
 元親は驚いた表情も見せず、床に膝をついた格好のまま、男を見下ろしていた。
「光の名は、ディーナ」
「名だと?」
 男の言葉に眉を寄せたのは政宗のほうだった。
 ザルタの光とは貴石だと聞いていた。
 「ザルタの光」そのものが、呼び名ではなかったのか?
 元親はその唇に、ディーナと名を乗せた。
「すまない。すまない元親。君の好意に甘えて、我々は君を出し抜いた!」
 何のことだと、政宗が問いただそうと唇を開く前に。
「全くだ」
 そう、笑みをにじませながら返答が返り。
 政宗は顔を上げて、返答を返した元親を、見た。
 元親は、柔らかい苦笑を浮かべて、男を見下ろしている。
 その表情に、政宗の鼓動はどくりと跳ねた。
 それは見慣れた表情だった。
 政宗が見慣れた、エージェントである元親の顔だった。
 政宗は呆けたように、男に話しかける元親を見ていた。
「よっくもまあ、盛大に出し抜いてくれたもんだぜ」
 台詞とは裏腹に、声に怒気はなく、むしろ元親は喉で楽しそうに笑っている。
 男の手が元親の手を掴んだ。
 最後の力で掴んだ手を握りしめながら、男は言った。
「光を、たのむ!」
「分かってるよ」
 唇を引き上げて笑って頷く元親を見返し、男は安堵したかのように目を閉じた。
 掴んでいた手を、そっと下ろす様を追いながら、政宗は無意識に唇を薄く開いていた。
「何で…」
 元親は男の顔を見下ろしたまま、唇を緩めた。
「何でだろうな…」
 ゆっくりと顔が向けられるのを、喉の奥で喘いで見つめていた。
 首を傾いで、眉を下げた情けない表情をして、元親は小さく笑った。
 エージェントの面影はその顔にはなく。
 胸が詰まった。
「何となく、そう言うべきかと思ってよお」
「思い出したのか…?」
 掠れた声で尋ねれば、元親は困ったように苦笑した。
「さて、そりゃ、どうかねえ?」
 思い出したわけではないのか。
 けれど、どう考えてもそれは、政宗も知らぬ元親の過去の断片だった。
 個人差があるのだと言った男の言葉を思い出す。
 元親の記憶は徐々に戻ってきているのだろうと、政宗は思った。
 無意識に、顔を伏せていた。
 唇が震えた。
 体が騒いでどうしようもない。
 制御がきかない感情を忌々しいと思うが、それが己の本心だということも知っている。
 唇からこぼれる声を、押しとどめておくことができずに。
「何で…」
「政宗?」



では何故この自分のことは思い出してはくれないのか。