Rewrite


「ザルタの光だと?」
「ああ。犯人はそれを探しているらしい」
「それはおかしいな。その問題は五年も前に解決しているはずだ」
「解決してなかったんだろ。現にそういう証言が出てるんだ」
 ふむと、MIBを仕切る男は考え込んだ。
 政宗は、目撃者のことをくわしくは話さなかった。
 今は確かに、一般人として元親は生きているのだから、わざわざ言うこともないと、そう思ったのだ。
 しかし、本部に戻った政宗を見るなり、男は問うた。
 何かあったのか、と。
 どうやら、よっぽど情けない面をしていたらしい。
 サングラス越しに人の顔色をきっちりと読むなと内心で毒づいて、政宗は何でもないと返し、サングラスを外した。
 ここで外さなければ、顔を見られたくないからだと言われかねない。
 なので何か言われる前に、さっさと政宗は本題に入ることにしたのだ。
「公園で密入国の宇宙船も発見した。十中八九そいつが犯人だろう」
 男は一度頷いた。
「だとしたら問題だな。ザルタの光が絡んでいるとするなら、その密入国者はカイロシアン星人だろう」
「ああ」
「やっかいだな。あのレディは気が短い」
「…知り合いか?」
「不本意ながらね」
 男は笑って、己の首を指さした。
「修羅場に巻き込まれて首を絞められた」
「被害者も絞殺されたらしいぜ。生きててよかったな」
「全くな」
 足を組み替えて、政宗は男を見返した。
「で、その間抜けな担当者は誰だ?」
 男は苦笑したようだった。
「間抜けというな。この事件を処理したのは優秀な、そう、大変に優秀な私の部下だ」
「今問題が起こってるんだ、優秀さが聞いて呆れるな」
 政宗の声は冷ややかで容赦がない。
「伝説と言われた、お前の教育係だぞ?」
「!」
 その一言に、政宗は目を見開いた。
「アイツが?!」
「だから問題だというのだ。今元親はその当時の記憶を失っている。が、この事件の鍵は元親の記憶のなかにあるのだ。先に押さえられたら危険だ」
 それを早く言えと政宗は舌打ちした。
「目撃者はその当のご本人だぜ」
「何だと?」
 男の目が険しくなる。
「何故言わなかった!」
「今はただのピザ屋の店員なんだ。言う必要はねえと思っただけだ。だいたい、アイツの住んでるところはこの町じゃなかったんじゃないのか」
「引っ越したみたいだな」
「引っ越し先が分かってんだったら、職業も分かってたんだろうが。店の場所聞いたとき何で言わなかった?」
「あの界隈にはピザ屋が多いからなあ」
 そういう問題かと、冷たい声で言い返して、政宗は身を翻した。
 もうすぐ夜が明ける。
 朝一番で元親の家に乗り込んで、犯人よりも先に身柄を押さえなければならない。
 背後から声がかかる。
「とりあえず元親をここに連れてこい。全ては記憶をとりもどさせてからだ」
 言われなくても分かっている。
 政宗は早足で扉に向かった。

***
 
事件のあった翌日、いや、正確に言えば事件があったのは日付が変わった頃の深夜だったから、今日のことなのだが、政宗は車を走らせていた。
 向かう場所は、元親の住んでいるアパートだ。
 エージェントを辞めてしばらくは、元親は違う町に住んでいた。
 が、ここ二三ヶ月ほど前に、この町に戻ってきたらしいということを、政宗は本部にもどったときに知った。
 一人暮らしだという。
 顔を見たいからといってMIBを辞めた恋人とは、別れたのだろうか。
 それなら、劇の顛末としては駄作だなと政宗は思ったが、それこそ自分にとっては関係ないことだろうと思い直す。
 元親の部屋へ向かっている理由はただ一つ。
 元親の記憶を、取り戻させるためだった。
 そのことを考えると、何故か体がざわりと騒ぐ。
 理由は分からない。
 自分がどのような精神状態でいるのかも、だ。
 元親の記憶をもどすということは、本来ならばあり得ないことであった。
 元親と、再び言葉を交わすことが、本来ならあり得なかったように。
 嬉しくないのか、といえばたぶん嘘になる。
 政宗の人生を変えた男だ。
 たった一週間にも満たない間に植え付けられた元親の印象は、あまりにも鮮やかに己のなかに残っていることを、政宗は認めざるをえなかった。
 では、喜んでいるのかと言われれば、また違うとも思う。
 自分たちは、望んで身を引いた元親を、本人の意志など関係なしに連れ戻そうとしているのだ。
 一言では形容できず、色々な感情が混ざり合って、政宗の気持ちを高揚させる。
 ただ、じっとしていられない気持ちになる。
 落ち着かない。
 警察にしょっぴかれない程度で、しかし素晴らしく早いスピードで車を操って、政宗は元親のアパートに横付けした。
 エンジンを切って、政宗はハンドルの上で手を組み、顎を乗せた。
 どうにもつかめない己の感情だったが、一つだけ確かに分かるものがあった。
 自分は、安堵している。
 元親の記憶を、再び消す必要がなくなってだ。
 許された二度目の偶然。
 きっと、三度目なんてない。
 政宗、とこの名を紡ぐ声が耳に蘇る。
 組んだ腕に額を押しつけるようにして、目を伏せた。
 二度も、あの男の中から己の記憶を消したくなどないのだ。
 自分と出会ったことを、なかったことにされたくない。
 だからこそ、安堵している。
 だって、悔しいではないか。
 自分の中にだけ、元親の存在がしっかりと刻み込まれていることが。
 それが理由だからだと己を納得させて、政宗は車を降りた。
 元親の部屋はアパートの三階だ。
 エレベーターを使って三階までのぼり、部屋についているインターホンを押そうとしたそのときに。
「!」
 前触れもなく扉が開いて、政宗は驚いて身を引いた。
「お?」
 扉を開けた主の元親は、政宗の姿を認めてその場に足を止めた。
 そして、頬をゆるめてあけすけに笑い。
「よう、政宗」
 そう、言った。
 それだけで、政宗は言おうとしていた言葉を簡単に封じ込められる。
 いや、そもそもどう説明しようかなどということも考えていなかったのだ。
 どう考えても面倒くさい説明をしなければならず、元親を本部に連れて行かなければならないというのに、そんなことにも頭が回っていなかった己自身に、政宗は呆れた。
「…どっか出るのか?こんな朝っぱらから」
 とりあえず、といったふうにそう問えば、元親はパーカーのポケットに手をつっこんだ。
「そんな朝っぱらから押しかけてるお前に言われたくねえけどなあ。で、こんな早くから記憶を消しにきたのかい?」
 あっさりとそんなことを笑みを浮かべながら言うものだから。
 政宗の脳裏はまたもや一瞬白くなって、動きを止められる。
 交渉術や話術に関しては、それなりに自負を抱いていただけに、政宗の口からは自然とため息がこぼれた。
 さっきから、いや、元親と再会したときから、今まで培ってきたその機能は作動不全を起こしているらしい。
「…いや、その逆だ」
「逆?」
「アンタの記憶を、正しにきたのさ」






The reason I am “I”


 元親は別に元々、未確認生物だとかそういったものに、特別興味がある類の人間ではない。
 ムキになって存在を否定もしないが、熱心に存在することを信じているわけでもない。
 そんな元親なので、物事に対してはどちらかというとドライな質である。
 そんなドライな元親の度肝をぬくような事件に、何の因果か遭遇したのが、昨日のこと。
 まさか、働いているピザ屋の店長が、人間ではなかっただなんて!
 衝撃的だった。
 衝撃的だったが、元親は至極冷静に、ある意味あっけらかんと、まあ、広い世の中、こういうこともあるだろうと、納得してしまったのだ。
 だってこの宇宙は広いのだ。
 別に、地球以外の星で、社会を築いていらっしゃる方達がいても不思議なことではないだろう。
 ただ、元親は、確かに他の人間に比べて、変なところで図太いという自覚はあったが、それが己の改ざんされる前の己の経歴に原因があるということまでは気づいていなかった。
 なので、朝早くからやってきた対エイリアン機関MIBのエージェントである政宗の言葉に対しては、瞬きをするぐらいしかできる反応がなかった。
「正すって、何を?」
「アンタの記憶を」
「記憶って、正すもん、なのか?」
「アンタの場合だけは、それが適用される状態にあるのさ」
 元親は首を傾げた。
 そして、至極当然の問いを唇にのせた。
「何で?」
 全くもって状況が理解できなかった。
 まだ昨夜の衝撃的な事件のほうが理解はしやすい。
 人間じゃない店長が、人間じゃない女に絞殺された。
 なんてシンプル。
 政宗は苦い物を噛んだかのような顔をした。
「アンタの記憶は、ねつ造されてるんだ」
「…は?」
「アンタは元々MIBのエージェントだった。引退するってんで、エージェントだったときの記憶を消して、アンタは一般人にもどったんだ」
「…」
 元親はしばし政宗を見つめ返した。
 政宗の目は嘘をついているようには見えず、元親は一度頷いた。
 何故か政宗の方が、納得したのかと驚いたように目を見開く。
「分かった」
 元親は重々しく言った。
「おれはまだここに引っ越してきて半年も過ぎてないけど、病院の場所ぐらいは知ってるから、安心してついてこい」
「…生憎おれは正常だ」
 まあ普通そう言うよなと、政宗はため息を吐いた。
「アンタがそう言うのも無理はねえけどな。おれは事実を言ってるんだ」
「事実も何も、そりゃあちょいと無理があるだろ」
「どこが?」
 さらりと返され、元親は何故か返答につまった。
 普通に考えて、政宗の言ってることは『普通』ではない。
 なのに何故自分のほうが、どこか後ろめたい気持ちになっているのか。
 まるで道理を聞かずいじけている子供みたいな心境にだ。
「エイリアンの存在やMIBのことは認めてんのに、何故自分のことは認めないんだ?」
「自分のことだからに決まってんだろ?」
 元親は焦っている自分を自覚した。
「そりゃ認めるさ。おれが、この目で、見たんだからよ。そりゃ認めるしかねえだろうが」
 元親は眉をかすかに寄せて、政宗を見た。
「この宇宙は広いんだ。全部が全部、おれたちの理屈にぴったりはまらなきゃならねえなんてことはないだろ」
「…」
「けどなあ、お前、自分の記憶は違うだろ?おれが、おれであるための土台になってるもんだろうが。それが、お前、実はその記憶は作られた物で、おれ自身のものじゃないなんて言われてみろよ」
 瞬間体を支配したのは、足下が急に無くなったかのような恐怖感。
「おれは、おれ自身を信用できねえってことじゃねえか。それを、はいそうですか、って簡単に認めるわけにやいかねえだろうが!」
 元親はこらえきれず、最後には語気を荒げていた。
 息が荒くなる。
 何故こんなに自分は焦っているのだろうかと考えかけて、無理矢理その問いから目を反らす。
 元親は物事に対してはドライで、冷静な質だ。
 だから、その疑問を突き詰めてしまえば、きっと後戻りできなくなることを、元親は本能で悟っていた。
「アンタ、何でこのアパートにしたんだ?」
 唐突に話題が変わって、元親は一瞬反応が遅れた。
「あ?」
「答えろよ。何で、ここなんだ?」
「何でも何も、値段も手頃だったし、雰囲気もよかったし」
「住みやすいか?」
 元親は突然の質問に、しどろもどろながらに答えた。
「ああ」
「そりゃアンタが、元々こういう雰囲気に慣れてるからだ」
「…は?」
 と、そのとき、お隣さんの扉が開いて、隣人のご夫婦が部屋を出てきた。
 元親は思わず硬直した。
 何故なら、今自分たちは、明らかに普通ではない会話をしていて、今目の前にいる男ときたら、あからさまに怪しい外見をしているからだ。
 日頃から仲良くさせてもらっているお隣さんに、いらぬ誤解は与えたくない。
 なので、何か言おうと元親は唇を開いたのだが、そこから言葉を紡ぐ前に、政宗が口を開いていた。
「丁度いい」 
 そう言ったと思ったら、次に政宗の唇からこぼれたのは、妙な節回しをする歌だった。
 歌?
 いや、歌ではないと、元親は唐突に理解した。
 お隣さんの旦那さんが、政宗と同じような歌を口ずさんだからだ。
 まるで、政宗と会話をするように。
 政宗が肩をすくめれば、旦那さんは奥さんと顔を見合わせて、仕方ないといったふうに首を振った。
 何だこれは。
 とりあえず、元親が知っている地球上のどの言語でもなかった。
 ジャングルの奥地や中国の山の上に住んでいる少数民族の言語かもしれなかったが、では何故そんなもので政宗とお隣さんは会話をしているのか。
 元親は手のひらに汗をかいていた。
 尋常じゃない。
 ここにいてはいけないと、理性が警鐘をならすが、心の一番深いところで、そういうこともあると、受け入れてる自分がいることも、元親はうっすらと自覚していた。
 ともあれ、目の前で突如繰り広げられた異質な世界に、元親の足は動こうとしなかった。
 そして。
 政宗がこちらを向く。
 無駄に優雅な手つきで、見てみろよと促され。
 その時、元親は、世界の、いや、宇宙の広さと狭さを知った。
 そこにいたのは、元親が毎日挨拶をするお隣さんではなかった。
 丁度首から上の頭部を、脇に抱えて、頭のあった場所には、は虫類のような緑色の肌をした、一つ目の、いっそぬいぐるみだとするならば愛嬌があるとすらいえる、どう考えても地球外生命体だった。
「…」
 元親は口をぽかんと開いてあっけにとられた。
 いや、確かに、働いている店の店長がエイリアンだったという事実に遭遇しているのだから、今さら新たなエイリアンと出会ったところでこれほどまでに驚くこともないのかもしれないが。
 まさか、何度か夕ご飯をご一緒したお隣さんまでがエイリアンだったなんて!
「このアパートの住人は、アンタ以外は全員、エイリアンなんだよ。何でアンタがここの部屋を借りることができて、何でここが居心地いいか。そりゃアンタが、元々こういう環境に慣れてるからだ。元MIBエージェントだったころにな」
「…」
「アンタの言うことももっともだがな。こっちはアンタの消えた記憶に用があるんだ。悪いとは思うが、無理矢理にでも一緒に来てもらうぜ」
 政宗は一つ目の愛らしいお隣さん夫婦を振り返り、今度は普通にThank youといった。
 お隣さんは地球人の頭部をもう一度頭にはめ直して、いえいえと愛想よく返した。
 そして二人でデートなのだろうか、仲良く腕を絡めてエレベーターのほうへと向かっていった。
 その仲むつまじい背中をぼんやりと見送って、元親はその場にずるずると腰を下ろした。
「だからか?」
「Han?」
 今度は政宗が眉を上げて元親を見下ろした。
 元親はドアに背中をつけて、上向いた。
「だから、お前はおれの名前を知ってたのか?」
 僅かな間の後、政宗は、ああと頷いた。
「おれは、昨日会う前から、アンタを知ってる。アンタのその隠してる左目が金色だってことも。案外さらりと無茶するとこも、結構おおざっぱなとこも。……星を見るのが、好きなことも」
 元親は顔をくしゃりと歪めて笑った。
 そう、政宗の言葉全て事実だった。
 眼帯で隠している目の色は金色だし、たしかに自分でもおおざっぱだという自覚はある。
 そして何より。
 元親は星を見上げるのが好きだった。
 ネオンの光と排気ガスでよどんだ空気で、たいして星など見えないというのに。
 ふと、たまらない気持ちになって、空を見上げることがある。
 けれど、何故そんな気持ちになるのかが、元親には分からなかった。
「お前についていったら、何でおれが星を見上げるのか、分かんのかね?」
 政宗はふと、口元をゆるめた。
 元親の目の前に差し出された手。
 見下ろしてくる政宗の目をじっと見返して、そして元親はその手を取った。






The legendary man



三回。


 この数字は一体何か。
 とある黒服のエージェントによって、地球が危機的状況を脱した回数である。
 それはMIB史上に残る偉大な数字だ。
 平和的解決に尽力しながらも、時には容赦なく力をふるうことで、エイリアン達にも宇宙規模で怖れられてきた男。
 善良な異邦人たちにはその名は親しみと畏怖を込められて呼ばれ、また一部の後ろ暗いところをもつモノ達からは、怖れとともに囁かれる。
 しかし若くしてそのエージェントはMIBの舞台から姿を消した。

***

曰く、自分は伝説の男、らしい。
 まったくもって実感はなかったが。
 政宗の手を取ったあと、アパートの前に止めてあった黒い高級車の助手席に乗せられて連れてこられたMIBの本部。
 一見すれば、古くさいコンクリートの壁むきだしの建物なのだが。
 一度地下に潜れば、古くささなどとは無縁の、別世界が広がっていた。
 そりゃあもうエイリアンがいるわいるわ。
 そしてエイリアンたちの間にちらほらと見える、政宗と同じく全身黒づくめの男達。
 元親がぽかんと口を開けてきょろきょろとしていると、空間を飛び回っている丸みを帯びたメカに、『おかえりなさい元親』と挨拶された。
 思わず捕まえようと手を伸ばすと、するりと身をかわすようにしてそいつは逃げていった。
 隣で、政宗が呆れた顔をしたのが分かって、少しばかり恥ずかしかった。
 メカだけではなく、黒服達にも挨拶をされたし、中には興奮したような面持ちで、会えて光栄ですと手を差し出す者までいた。
 覚えていない業績をたたえられて握手を求められても、個人的には反応に困るのだが、と思いながらも、元親はとりあえず握手をしてぶんぶんとその手を振ってやった。
 MIBを統括しているというお偉いさんに会い、事態の説明を受けた。
 どうやら、ピザ屋の店長が絞殺された原因の一端に、己の記憶が関わっているらしい。
そのあと、ロッカールームに連れてこられ。
 もしやと思っていたことが現実になる。
 つまり、政宗と同じような黒の一式を手渡され、問答無用で着替えろと言われたのだ。
 そんなわけで、元親は来ていたパーカーを脱ぎ、すり切れたジーンズも脱ぎ、黒のスーツに身を通している最中なのである。
 政宗は元親に背を向けてベンチに腰掛け、元親の着替えが終わるのを待っていた。
 唇を引き結んで、少しばかり眉間に皺を刻みながら、だ。
 何故かこの男は、元親が本部に足を踏み入れた辺りから不機嫌なのだ。
 その理由が全く思い当たらず、だからといってこの妙にぴりぴりした空気にも慣れず、元親は取りあえず無難な会話を試みた。
「パーカーにジーンズじゃあやっぱり浮くか?」
 政宗は元親に背を向けたまま、引き結んでいた唇をゆるめた。
「それもあるが、むしろ防備のためだ。あとで武器も渡すが、そいつは特殊な繊維でできてるから、防弾チョッキぐらいの強度は軽くあるし、衝撃も吸収してくれる。ま、首を絞められちゃ何の役にも立たねえけどな」
「へえ、すげえもんだなあ」
 元親は本当に感心して、上着の襟を触ってみた。
 感触は普通の生地と変わらない。
「スーツは分かったけどよ、じゃあこのサングラスは何のためなんだ?」
 政宗は首だけで振り返って元親を見上げた。
 元親は唇を引き上げて笑って見せた。
 黒のサングラス越しの世界は、当たり前だが色がない。
「どうよ?」
 元親の顔を見返したあと、政宗は息を吐いて腰を上げた。
「…馬子にも衣装だな」
「んだとお?」
 わざと唇を尖らせれば、視界に影絵のような腕が映った。
 色のある世界が戻ってくる。
 政宗の手が、サングラスを抜き取っていったのだ。
 レンズ越しでなく目が合う。
「サングラスも、防弾仕様なのか?」
 目を合わせながらそう聞けば、政宗は、まあな、と短く答えを返した。
「…思いだしゃ納得するさ」
「?」
 折りたたまれたサングラスを元親の胸ポケットに入れて、政宗はその手のひらで、元親の肩を押さえた。
 伏せられた顔は、どこか物言いたげな色をしていて、元親は少しだけ落ち着かない気分になる。
 けれど、何を尋ねていいか分からずに黙っていた。
 けれどそれは僅かな時間のことだ。
 一度伏せた顔を上げ、政宗は唇に意地の悪そうな、それでいてひどく男ぶりの上がる笑みを浮かべて笑う。
「じゃあ、記憶をもどしに行くか」
 それ以上の問いを封じ込められて、元親は不思議に思いながらも頷いた。

***

 元親の中には政宗に対する一つの問いがあった。
 まだ実感は欠片もないが、自分がMIBのエージェントであるとして、そのときの自分を、政宗は知っているのだと言った。
 ここに来たとき、握手を求めてきたような、同僚の一人として?
 何が引っかかっているかといえば、政宗が元親について言った言葉。
 この男は、元親が星を見るのが好きなことを知っているのだ。
 そんなメルヘンチックなこと、元親はこの三年間、友人達にも言ったことはないのだ。
 ただ単に、綺麗だからという理由ではなく、言葉にし難い胸に溢れるものがあるから、そして、それが何なのか、元親自身、よく分かっていなかったからだ。昔の自分は、もしかしたら趣味として、天体観測を簡単に唇にのせていたかもしれないが、たぶん、親しくないと、気を許さないと、言わないと思うのだ。
 元親の勘に過ぎなかったが。
 でも、結局のところ、おれはおれだろう?と思っているので、そう違ってはいないはずだ。
 何故、政宗がそのことを知っているのか。
 政宗と自分は、どういう関係だったのか。
 聞きたいのだけれども、元親は口に出すのをためらっていた。
 何故なら、初めて政宗と顔を合わせたあのピザ屋で。
 元親の顔を認めた政宗は、ひどく驚いた顔をした。
 名を呼ぶ声は掠れていた。
 そして。
 会ったことがあるか、と元親が尋ね返したとき。
 その顔から驚きの色は消え、代わりに切実な、どこか痛みを覚えさせるほどの色が瞳に映り込んだ。
 たぶん、この男は認めないだろうが。
 傷ついた顔を、していた。
 その顔が、何故か胸にトゲのようにささっているのだ。
 あんな顔は見たくないし、何より、させたくない。
 お前にはふてぶてしい生意気な顔が似合っている。
 そう思うから。
 そこまで考えて、元親ははたと我に返った。
 どうして、そんなことを思うのだ?
 確かに呆れたような表情も、冷たいとすら思える真剣な目も、意地悪そうに引き上げられた唇も、よく似合うと思うけれど。
『生意気』そう、だなんて自分が思うような場面があっただろうか?
元親が首を傾げていると、政宗が着いたぜと声をかけてきた。
思わずその顔をまじまじと見返した。
男の自分から見ても、端正な顔だ。
そういう意味では、生意気かもしれないが、別に自分は、顔の善し悪しを気にして固執するタイプではない。
「何だ?」
「…いや、その、スーツ似合うなと思って」
 我ながら何を言っているのかと、元親は内心で頭を抱えたが、政宗は何も言わなかった。
 ただ、ぴくりと、僅かに眉を動かしただけだ。
「そりゃありがとうよ」
 あっさりと流してくれて助かった。
 案内されたその部屋は、壁も床も天井も、白一色で、部屋の中央に置かれた椅子だけが、鈍い銀色に輝いていた。
「これが、記憶復元装置ってやつか?」
「ああ。座れ」
「今さら文句言ったりしねえんだから、もうちょい愛想良く言っても」
 ぶつぶつとこぼした文句が聞こえたのか、政宗は慇懃無礼な笑みを作った。
「あちらの椅子に座っていただけますか、   sir?」
「…」
 たしかにこういう態度は生意気だ。
 椅子に腰掛ければ、緊張感がわき上がってきた。
 ごくりと生唾を飲み込んで、元親は思わず、目の前に立ち何やら入力している政宗を見上げた。
 視線に気づいたのか、はたまた入力が終わったのか、政宗は元親の顔を見返した。
 唇をにやりと引き上げる。
「怖いのか?」
 たしかに、こういう顔はふてぶてしい。
「そりゃ怖いだろ」
「…」
 素直に認めれば、政宗は変な顔をした。
「お前、自分のことだと思ってみろや。記憶を取り戻したあと、今のこの自分がどうなってるのかとか、考えちまうじゃねえか」
 乾いた笑いを混じらせて、元親は己の心境を素直に唇にのせた。
 虚勢を張る気も、何故か起こらなかった。
 この男は、普通ではない。
 元親も、もう、平和的に生きてきた昨日までの至って『普通』な日々からは逸脱してしまっているのだ。
 なら、政宗と自分は、ある意味同類なのだ。
 エイリアンという生き物が存在する、普通じゃない世界に生きている。
 虚勢など張る必要がどこにある?
 怖いもんは怖い。
 何も恥じることではないだろう?
「…Don,t worry.実際記憶を復元したってヤツを、おれは知らねえが」
 政宗は笑みを消した真剣な顔で、元親を見おろした。
「アンタがアンタであることに、変わりはねえよ。それはおれが保証する」
「…」
 その言葉に含まれている力強さに、元親は悟った。
 この男と自分は、きっと近い関係にあったのだと、このとき理屈など関係なく確信したのだ。
 不思議と怖れは収まっていた。
 まあ、緊張はしていたが、それぐらいは仕方ないことだろう。
「おれの言葉だけじゃ不安かい?」
「いいや」
 元親は唇で笑ってみせた。
「お前の言葉で腹が決まった。やってくれ」
 Good luckとつぶやいて、政宗が記憶復元装置のスイッチをいれようとしたとき。
 突如警報が鳴り響いた。
『コード101、コード101。これより本部を閉鎖します』 
 政宗の顔が険しくなる。
「立て!」
 手を引かれて無理矢理椅子から立たされ、元親は狼狽した。
 警報が鳴り響いているなんて、どう考えても緊急事態だ。
「ど、どうなってんだ?」
「コード101の発令で、本部が閉鎖され、おれたちはここから流される」
 最後の単語の持つ不可思議さに、元親は思わず瞬きをした。
「流される?」
「ウオーターシュートだ。やったこと…」
 政宗は元親の顔を見て、肩から力を抜いた。
「ねえよな」
 元親はこっくりと素直に頷いた。
 一般市民には必要ない技能だろう。
「まあ水で外に無理矢理脱出させられるんだが。コツは…」
 そこまで言って、政宗はうんざりとため息を吐いた。
 嫌そうに眉間に皺を刻んでいる。
「とにかく、水を飲まないようにだけはすることだな」
 そして、上方から、水の流れるような音。
 その音を聞いて、元親はこれから己に降りかかってくる事態を冷静に把握した。
 まるでこの、水洗トイレのレバーを引いたときのような音。
 たしかに、流される、である。
 政宗がするように息をめいっぱい吸い込んで、唇をぴたりと閉じた。
 そして。
 文字通り、政宗と元親は、真っ白い部屋から、青く色のついた水に流された。
 チューブ管を通って流されることおよそ十五秒。
 流されたそこは、道路のど真ん中の島にある、外から見れば消火用ホースが入っているようなパイプだった。
「…」
 横を見れば、政宗は真顔のまま、何も言わずに濡れた髪をかき上げていた。
 元親も落ちてきた前髪をかき上げてなでつけながら。
「なあ」
「…」
 政宗は答えない。
 気にせず元親は続けた。
「おれが言うのも何だけどよ、これはどうよって思うぜ?」
「…」
「トイレじゃねえんだからさ。もっとこう、あるだろうがよ」
「おれじゃなくて作ったヤツに言え」
 むすっとした顔でそうばっさりと切り捨てる声は冷ややかだ。
 どうやら政宗も、この脱出方法はお気に召さないらしい。
「何ていうか、微妙だよな」
 元親は右足を上げた。
 ぐしゅりと、革靴から水音がする。
「うえ、びしょびしょだぜ」
 元親は足を下ろして、政宗を見、悪戯っぽく笑ってみせた。
「水も滴るいい男ってか?」
 政宗は横目で元親を見返し、ふと息を吐いた。
 気が抜けたらしい。
「こいつは特別仕様だって言ったろ?すぐに乾く」
「でもおれ、パンツは普段はいてるヤツだから、特別仕様じゃねえんだけど」
「…」
「スーツが乾いてもよお、パンツがびしょびしょじゃあ、気持ち悪くて仕方ねえよ」
「…」
 政宗は元親から目線を外して、そのまま歩き出した。
「あ、おい無視かよ!待てよ、政宗!」
 すたすた、いや濡れているからびしゃびしゃと足音をたてて、さっさと歩く政宗の後ろを追いかける。
 政宗が内ポケットから取り出したリモコンを押せば、どこからともなくやってきた黒い高級車。
 余談だが、このあと移動するさいに、元親は店で新しい下着を購入した。
 政宗の言うとおり、スーツはものの五分もせずに、元通りに乾いた。
 皺も出来ないあたりが、さすが特別仕様であると、元親は感心した。