ゲームをしようぜとそいつは言った。
ゲームに負けた代償は、
愚かしくもまだ平和だった日常から、刺激的な知られざる世界へダイブすること。
そしてまるでことのついでとでもいうように。
あざやかに脳裏に刻み込まれた銀色の軌跡に、知らぬ間に囚われるはめになる。




Unknown Hero

 別に英雄願望があるわけではない。
 社会の役にたちたいとか、誰かを助けたいとか。
 はっきりいって、そんな思いは欠片もない。
 この仕事についているのは、そう、運が悪かっただけなのだ。
 政宗はそう思っている。
 が、運が悪いの一言で片づけるには少々、いやかなり、政宗はこの仕事において実績を上げていた。
 本意ではなかったとしても、この仕事に見事に適応していることは認めざるを得ないだろう。
 政宗の仕事ぶりに対しては、かなり高い評価が与えられている。
 ただし、少しばかりやっかいな評価とともに。
 古めかしいエレベーターからおりた先に広がっている世界。
 それは決して一般人に知られてはならない特秘事項だ。
 60年代に突如地球におりたった地球外生命体の存在。
 以来、地球は秘密裏に異星人、つまり、エイリアンの存在を受け入れてきた。
 ここは唯一の玄関口であり、そして同時に、地球上で生活を送るエイリアン達の監視場所でもある。
 黒いスーツ、黒いサングラス。
 全身黒づくめの対エイリアン・エージェント。コードは『MEN IN BLACK』
 通称、MIBだ。
 政宗は数居るエージェントの中でも特に優秀な捜査官として知られている。
 同僚たちには一片の怖れとともに。
 本部に戻ってきても、おかえりなさいの言葉もない。 
 向けられるのは畏怖の目だ。
 政宗はいつものことながら、その視線をこの上もなくうっとうしいと思う。
 言いたいことがあるなら、言えばいい。まあ意見できる実力と度胸と正当性があればの話だが。
 まあいい。今問題にすべきところは別にある。
 政宗はカートに乗せたエイリアンを護送しているエージェントの前で足を止めた。
「Hey,説明してもらおうか?何ですでに死亡しているフェイリス星人が入官管理局を通過してんだ?」
 唇を引き上げて笑んでいるがその目はしかし全く笑ってはいない。
 その若い、(といっても政宗のほうがさらに若かったりするのだが)エージェントはあからさまに脅えた様子で弁明した。
「すいません、私のミスです!だから、記憶は消さないで…」
 消え入るように発せられた言葉に、政宗は不快気に片眉を上げた。
 その様に、若いエージェントは黒いサングラスを握りしめて身体を縮こまらせた。
 政宗は白けたように息を吐いて、ふいとその場から立ち去った。
 この本部を出るときは、政宗ともう一人、黒づくめの男が一緒だった。
 けれど、戻ってきたのは政宗一人だ。
 そう、政宗についてまわる怖れの正体。
 政宗は、気に入らないエージェントや使えないと思ったエージェントの記憶を消すのだと。
 まあ、大方事実なので、反論する気はもともとない。
 実際、政宗は今までパートナーになったエージェントの記憶をことごとく消している。
 その数は延べ四人。
 その内三人の記憶は、政宗の独断で消したのだ。
 残り一つの例外は、政宗の最初のパートナー。
 政宗をこの世界へ引きずり込んだ男。
 初めて政宗が記憶を消した男の顔が、ふと蘇って、政宗は顔をしかめた。
 一般人に戻ったエージェントとはもう関わり合うことはない。だから、それは思い出しても仕方のない情報だというのに。
 本部の一番奥にある部屋は、この組織の最高責任者のオフィスだ。
 ノックもせずに部屋に入ってきた政宗をとがめるわけでもなく、部屋の主は口元に柔らかい微笑を浮かべて政宗を迎えた。
「地下鉄の件は綺麗に片づけてくれたようだな」
 まあ座れという言葉に従い、政宗は卵形の白い椅子に腰掛けた。
 足を組んで背もたれに背を預けて、男を見る。
 MIBを統括するその男は、黒がまじった灰色の髪を後ろになでつけ、口ひげを蓄えた初老の紳士然とした男だった。 
 こんな近未来を先取った白のオフィスにいるよりも、古い町並みの方が似合うだろう。
 結構な歳のはずなのだが、政宗がエージェントとなったときから、全く外見が変わっていない。
 その意見は政宗だけではないから、下手したら十年以上見かけが変わっていないのではないかと思われたが、対エイリアンという職務のことを考えれば、それくらい人間離れした要素がないと心許ないのかもしれない。
 まあ、このこじつけは政宗が言ったことではなく、かつてパートナーだった男の言葉ではあったが、政宗もおおむね賛成だ。
「次の仕事は?」
「お前はそう、帰ってくるたびに仕事仕事と。仕事熱心なのはいいが、そんなんでは五十になるまでに髪の毛が真っ白になるぞ?」
「余計な世話だ」
 男はやれやれといったふうに首を振った。
「仕事がないなら、おれはジムにいるぜ」
 つまらない小言には用はないとばかりに、腰を上げようとした政宗を、苦笑した声がとどめる。
「まあ待て」
 いくら喰えないジジイであろうが、上司である彼に待て、と言われては、待つしかない。
政宗は仏頂面で腰を下ろした。
 男の目がにわかに真摯なものになる。
「政宗、またパートナーの記憶を消したそうだな?」
 政宗は悪びれもせずに頷いた。
「ああ」
 男はため息をついた。
「はっきりとうなずきおって。お前が独断で記憶を消したのは、これで三人目だぞ?
彼らはよくやってくれている。勝手に職員達を解雇するのはやめろ」
「よく、ねえ?意見の相違ってやつだな。おれが記憶を消したヤツラは、使えないヤツばかりだった。使えねえヤツはいらねえだろうが?」
「それをお前が決めるのか?」
 ひやりとした空気が、男の目にひらめいた。
 政宗は気にもとめずに、肩をすくめてみせる。
「組んだおれが一番分かる。違うか?」
「…お前にはパートナーが必要だ」
「I Need not」
 間髪入れずに男の言葉を切り捨てて、政宗は今度こそ立ち上がった。
「話はそれだけか?」
 男は諦めたように、事実諦めたのだろうが、かぶりを振った。
「E17番通りで殺しだ。被疑者も被害者もエイリアン。目撃者が一人」
「行ってくる」
 連日の仕事の疲れなどまるでないように、政宗は部屋を出て行った。
 それを見送って、男は膝の上で手を組み、苦笑した。
「全く。拗ねるならもっと可愛げのある拗ね方をすればいいものを」
 MIBは世間には知られてはいけない存在だ。
 職員以外の、つまり巻き込まれた一般市民たちの記憶はすぐさま抹消され、偽りの記憶が与えられる。
 たとえ尊い命を救ったとしても、その記憶はなかったことなり、感謝されることもない。
 特に、実際の事件の対処をし、危険な任務にあたることになるエージェント達ならば、必ず一度は経験すること。
 
 顧みられないことを、乗り越えていけるか。

「まだまだ若いな」
 MIB創立当初から関わっている男からすれば、いくらエージェントの中でも特に優秀といわれる政宗であっても、まだまだ若造でしかないのだ。
 そういえば、あの男も十分に若造だったなと、今はもういない一人のエージェントを思い出していた。
 伝説とまで言われたそのエージェントが去って、政宗がエージェントとして正式に活動しだしてから、三年の月日が経とうとしていた。

***

 実際問題、政宗はパートナーの必要性を感じていなかった。
 むしろ、足手まといにしかならない存在は邪魔でしかない。

 『ヒーローになりたかった。
  誰かの役に立ちたいと思った。
  社会に貢献したかった。』

 くだらない動機である。
 夢を見るのは勝手だが、仕事中にも現実を見てくれないのは大変に困りものだし、ならばそんな立派な動機は弊害だ。
 人間同士でさえ、話の通じない人間はたくさんいるのだ。
 エイリアンならなおさらのことだろう。
 何故物騒な武装を許されているのか。
 それだけ危険だということだろう。
 自分たちに課されているものを理解できないのならば、今までいた愚かしくも平和な世界で生きている方が、当人にとってもシアワセだろう?

『星は見てる分にゃ綺麗だけどよお、きっとどこもかわらず、ろくでもない世界ばっかりが広がってるんだろうよ』

 でも、分かってても、ついつい星を見上げてしまうのだと、『彼』は言っていた。
 ろくでもないこの世界が、結構好きだとも。
 政宗はハンドルを握りながら舌打ちをした。
 何故か今日は余計なことを思い出してばかりだ。
 それがまるで、自分が一人でいることを本当は厭うているように思えて。
「おれを誰かと組ませたいなら、もっと使える人間をつれくりゃいい」
 隣を任せられる相手なら、別に自分だって文句はないのだと、誰に言うわけでもなく文句を口にして、車を降りる。
 夜でも明るい繁華街の表通りから一本、中に入ったE17通りを、古びた街灯の光が照らしている。
 小雨が降ってはいたが、政宗は気にせずに、ぱしゃりとうすくたまった水を革靴で踏んで、事件のあった店へと入っていった。
 そこは一件のピザ屋だった。
 ドアを開ければ、先に来ていた初期対応担当のエージェント達の姿が目についた。
「目撃者は?」
 政宗の簡潔な質問に、男の一人が脇に退く。
 その向こうの椅子に座っている、若い男。
「この店の店員だそうです」
 淡々とした説明の言葉はしかし政宗の耳には入っていなかった。
 サングラスのこちら側で、政宗の瞼は瞬きを忘れた。
 政宗の目に映っている姿は、見間違えようもない。
 少し前、脳裏に戯れに蘇った姿。
 輝く銀色の髪。
 黒いサングラスの代わりに片目を覆う眼帯。
 残った右目がこちらを映す。
 どくりと、一度大きく心臓が音をたてた。
「…元、親」
 初めてのパートナー。
 政宗をこの世界へ引きずり込んだ男。

 そして。
 
 『彼』はぱちくりと瞬きをしたあと、ちょいと困ったように苦笑した。
「えっと、どっかで会ったことあるっけか?」

 そして、政宗が初めてその記憶を消した男。





Silver Shine
 


『 お前の世界を変えてやる 』



 その日は政宗にとっては最高についていない日だった。
 どうみても堅気じゃないだろうといった全身黒づくめの男達に、突然拉致されたのである。
 政宗の前に立つ、はっとさせる銀色の輝きを持つ髪の男が、おそらくリーダーなのであろう。
 こいつ曰く、別に拉致ではなく、お話し合いの場所へ招待しているだけ、らしい。
 が、帰宅途中の男を力づくで拘束して路地裏に引きずり込むのは、どう考えても『招待』ではない。
 しかも、こいつはがっちりと政宗の手首に手錠をかけてくれたのだ。
 警官である自分にだ。
 あまりの扱いに、目の奥が熱を帯びた。
 屈辱にもほどがある。
 そして無理矢理木箱に政宗を座らせて、男は黒いサングラスを外した。
 下から現れた悪戯っぽい色を宿した色違いの瞳。
 右はダークグレイ、左は茶色の混じった金。
 政宗はその目を映したときのみ、ぴくりとこめかみを動かしたが、それだけだった。
 政宗の機嫌は、大層悪かった。
 だが、むやみに暴れることもしなかった。
 暴れても無駄だということを、早々に悟ったからである。
 どうみても堅気ではない男たちに左右を挟まれて、手錠までかけられているのだ。
 しかも、目の前にいるこの男が一番の問題だった。
 少なくとも、脇を固めている男達よりは、ぶちのめすのに手間がかかりそうだ。
 目を眇めて、男を上から下まで検分して、政宗は息を吐いた。
 逃げるのは完全に諦めて、代わりに、この招待の中身を教えてもらおうじゃないかと開き直ったのだ。 
 身体から力をぬいたのが分かったのか、男はにっと嬉しそうに笑った。
「話を聞く気になってくれて助かるぜ。食い殺すみたいな目で見られてたら、さすがに暢気に会話してられねえからよ」
「話は聞いてやるから簡潔に答えろ。おれは気が短い。お前らは誰で何の目的でおれを拉致った?怨恨か?それとも他に何か理由があるのか?」
「そんな一気に聞くなよ。一息で答えられるわけがねえだろ」
 無言で睨め付ける政宗の視線に、男は少しだけ笑った。
 そしてサングラスを胸ポケットにしまう。
「おれらは対エイリアン機関MIBのエージェント。お前をスカウトしに来たのさ」
「……」
 政宗は答えずにたっぷり三秒、沈黙した。
 男は小さく浮かべた笑みを崩さずに政宗を見返している。
 政宗は警官という職業柄、人の表情を読むことについてはそれなりの自負を抱いている。
 その人間が嘘をついているかどうかも、目をみれば分かる。
 冗談ではなく、少なくともこの男は本気で言っているらしい。
 そう結論づけて、政宗は一度だけ瞬きをした。
「あいにくとおれは警官なんでね」
「承知だぜ?」
「病院の場所が知りたいのなら案内ぐらいはしてやる」
 至極真面目な言い方とある意味当然の政宗の返答に、男は楽しそうに笑った。
「ま、普通はそう返すわなあ」
 うんうんと頷いて機嫌よく納得する姿はいっそ異様だ。
 何が異様なのかといえば、この男は、自分の言動がおかしいことを自覚している。
 自覚した上で、言っているのだということが、異様なのだ。
 政宗は珍しく、何とも言えない居心地の悪さを感じた。
 それは恐怖と紙一重な居心地の悪さだった。
「とりあえず自己紹介しとこうか。おれは元親。名字はねえ」
「無い?」
 これまた奇妙な話だった。
 疑問の声に答えることはせず、元親は政宗に顔を近づけた。
「お前、三日前のことは覚えてっか?」
 唐突にされた質問に、政宗は眉を寄せた。
「What?」
「三日前。深夜0時になる少し前頃。ちょうどこの場所だ」
「何言って…」
 突然、頭が鈍く痛んだ。
 政宗の意志とは関係なくフラッシュバックする画面。


 男が走っていた。
 政宗はその男を追いかけていた。
 目の前で行われたひったくりを見逃すには、政宗はプライドがありすぎた。別に好きでなったわけでもない警官だが、むざむざと目の前で犯罪を成功させるのは癪に障る。
 繁華街の一本中の通りに入った男を追って。
 政宗は、動きを止めた。
 追いつめたと思った男は政宗を振り返り、口元をひきつらせてニイっと笑った。
 顔をしかめた政宗はしかし次に、あっけにとられることになる。
 跳躍したかと思えば、男は、突起物などないつるりとしたコンクリートのビルの壁を、まるでヤモリのようにぴたりと張り付いて登っていったのだ。
 さすがにこれでは追いかけられない。
 硬直した政宗の横にすっと現れた男。
 隣に来られてようやくその気配に気づくことができた。
 驚いて普段より注意力が働いていなかったことを差し引いても、突如隣に現れた男の気配は稀薄なものだった。
 全身黒いスーツに身を包んだ、夜の闇に溶けてしまいそうな格好だ。
 けれど、髪の色だけはまるで月のように黒から浮かび上がっている。
 男は唖然としている政宗を一度みて、唇で笑んだ。
 サングラスをしているから、目が笑っているのかは分からなかった。
 そして、男は奇妙な形をした銃をとりだし、それが銃だと政宗が認識するまえに、壁を這う男にむかって無造作に撃った。
 ぱしゅっという発砲音にしては気の抜けた音がしたかと思えば。
「離れろ」
 何だと思って上を向けば、落ちてくる体を認めて、政宗もあわてて飛びずさった。
 男は携帯を取り出して、一言簡潔に、つかまえたと誰かに伝えて、通話を切った。
「逃げるのはいいけどよお、その駄賃にひったくりとは、いい度胸してやがる」
 壁を這い、今は地面に横たわっている男は目だけを銀髪の男に向けた。
 体を全く動かさないところをみると、あの銃は麻酔銃だったのだろう。
 いやいや問題はそんなことじゃない。
「おい」
「ん?」
 くるりと振り返ったその口元だけの表情はいっそ愛嬌があった。
「こいつは何だ」
 政宗の質問に、男は答えず逆に、何だと思うと問い返してきた。
「…」
「まあ、深く考えるのはやめとけや。考えたってお前が満足するような答えはでやしねえ」
 それよりも、と男は政宗の姿を上から下まで眺めた。
「それにしても、こいつを走って追いつめるたあ、あっぱれだな」
 男は胸元から太いペンのようなものを取り出した。
 何だ、と思わずそのペンを見ていると。
 唐突に。
 青い閃光が目の奥を貫いた。
「お前、見所があるぜ、坊や」
 その声を耳にしながら、意識が白い光に飲み込まれ。
 気がつけば、一人、路地に立ちすくんでいた。


「…今のは何だ?」
「何か思い出したか?」
「…」
 政宗は黙り込んだ。
 男に対する反発心からではなく、純粋に政宗自身が分かっていなかったからである。
 思い出した、のではない。
 何故なら、政宗は蘇った映像に、何ら心当たりはないからである。
 まるで自分とよく似た男の出るドラマをみたかのように、現実味がない映像だった。
 けれど、その映像はテレビやスクリーンではなく、政宗の脳裏に投影されているのだ。
「おれは、アンタとは初対面のはずだ」
「はず、って言ってる辺りが正直だな」
 覚えのない映像に映っている目元は、黒いサングラスに覆われていて、奥にある瞳は分からない。
 けれど、目の前にある色違いの瞳の情報が、覚えのない記憶にまで影響を及ぼしていく。
 きっと、あのサングラスの奥にあるのも、金色とダークグレイの色違いの目なのだろう。
 元親は政宗に背を向けて空を見上げた。
 繁華街の明かりが邪魔で、その空にある輝きのほんの僅かな光しかみえない。
「なあ、テメエは神を信じるか?」
 政宗は嫌気がさしてきた。
「信じてるように見えるのか?」
「いや?お前、どう考えても現実主義者だろうしなあ」
 じゃあもう一つだけ質問だ、と元親は続けた。
「この世は、全てヒトの理屈に従うか」
「だとしたら、随分ちんけで安い世界だな」
 空を見上げていた元親の唇が、楽しそうに弧を描くのをみた。
 元親が片手をふると、政宗の横を固めていた黒服達は、軽く頷いて、その場を離れていった。
 路地裏に、戯言をぬかす男と取り残される。
 ただ、元親を異常者と切り捨てようにも、政宗自身も不可解なものを抱えていることを自覚してしまった。
 元親は政宗のほうへと向き直り、政宗を見下ろした。
 眉を寄せた、少しばかり情けない顔で髪をかく。
「どんな映像が残っているかは、まあ想像がつくんだが、それに関してはこっちの落ち度だ。代わりにおれが保証する。お前が身に覚えのないそれが、お前が本来持っているはずだった記憶さ」
「…」
「ちょいと整備の不具合があったようでよ。ただ、そんな記憶を持ったままじゃ、お前も気持ち悪いだろ?」
 そりゃそうである。
 気持ち悪いというか、不快だった。
 己のという存在の一端を担う記憶を、許可無く好き勝手にいじくられるということに、不快感を覚えないはずがない。
 剣呑な目をしだした政宗に、元親は落ち着けよと手をふった。
「そこで、提案があって、お前をここにご招待したのさ」
「提案だと?」
 我ながら、声のトーンが変なカーブを描いて上がったという自覚があった。
 手錠をしておいて、提案とはよく言えたものだ。
 その内心の皮肉が通じたのか、元親は手に小さな鍵をもって見せた。
「ちょいとこれからおれにつきあってくれねえか?得体の知れない気持ち悪さの正体を見せてやるよ」
「…」
 ついでに、と続ける。
「ゲームをしようぜ?」
 もう政宗の口からはため息しか出てこない。
 この馬鹿げた問答を切り上げて、ついでになかったことにして、とっとと穏やかな眠りにつきたいものだ。
 それには、素直に頷いて、まず手錠を外させるのが第一だった。
 ので、政宗は胡散臭そうな顔のまま、聞き返してやった。
「HOW?」
「今日、日付が変わるまでに、おれが、お前の意見を変えることができたら、おれの勝ち」
 意味が分からずに眉を寄せた。
「意見の確認。エイリアンはいるか?」
 政宗は嫌味なほどに滑らかな発音で返答した。
「NO」
 元親は中腰になるように上体をかがめた。
 顔が近づき、金色の目がちろりと、悪戯っぽい色に光った気がした。
 手錠に鍵がさし込まれる音がする。
 かちり、戒めが外され。
「答えはYes、だ。坊や」



 この二日後、エリート警官が一人、若くして退職し、『伊達政宗』と名を持つ男の存在が表舞台から消えることとなる。
 




Do not forget me again


 二人は事件のあったピザ屋の近くの、安っぽいレストランにいた。
 向かい合ったボックス席に座り、味の薄いコーヒーをすすり、何故かピザをほおばっていたりする。
 ちなみにコーヒーをすすっているのが政宗で、ピザを頬張っているのが元親だ。
「お前、あの後でよく喰えるな…」
 政宗は半ば感心して、残り半分は呆れて、ピザを頬張る男を見ていた。
 働いている店の店長が実はエイリアンで、その店長を殺したのもエイリアンだなんて事態に目の前の人間が遭遇したとは、誰も思わないだろう。
「いや、なんかもういっそのこと突き抜けちまってよお。そしたら腹減ったのを思い出して。昼飯はとっくに消化しちまったしなあ」
 指に突いたピザソースをぺろりとなめて、元親はあっけらかんと言った。
 神経の図太さといったものは、記憶が消えたからといってどうこうなるものではないらしい。
 元親の姿を認めて、思わず目を見開いた政宗に、元親は問うた。

 どこかで会ったことがあったか、と。

 政宗は、とまどいながら、いや、と一言返すことしかできなかった。
 とっくの昔に承知していた事実を突きつけられて、うろたえた自分が信じられなかった。
 元親の記憶を消したのは、自分だというのに。
 本当に、元親の中には『政宗』という存在は、ないのだと。
 そう、思い知らされたとき、体のどこかが鈍く痛んだ。
 その痛みを無視して、話を聞くために外へ連れ出したのが先ほどのこと。
 丁度店の片づけをしているときのことだったという。
 空き瓶を店の外へと運び出した後、戻った元親が見たのは、カウンターで首をしめられている雇い主と、腕一本で大の男の首を締め上げ宙に持ち上げている細腕の女。
 そしてキッチンから隠れて様子をうかがえば、女の腕、と思っていたものは、腕ではなく、何本も束になった触手だったのだ。
 女は締め上げている男に、しきりに問いただし、男はあくまで知らぬ存ぜぬを通したという。
 そして、最後には、女の触手で体をたてにかち割られ、まるで風船から空気がぬけたかのように、そこには元雇い主だった生皮だけが残された。
 ピザを飲み込んだ頃を見計らって、政宗は尋ねた。
「普通は、腹がへっても、喉を通らないと思うんだがな」
「そうはいっても、減っちまってるものは事実だし、喰えちまったなら、喰うだろうがよ」
「で、ソイツは何を尋ねたんだ?」
「あー、なんか光がどうとか」
「光?」
「ザルタの、光?女のほうはそれを探してるみたいだったぜ」
 ふむ、と政宗は考え込んだ。
 ザルタと名をもつ星があり、その星に住むザルタ星人は人間によくにた種族だが、その星にかかわることなのだろうか。
 とりあえず本部にきけばはっきりするだろう。
 ピザをきっちり完食した元親は、ふうとため息を吐いた。
「ああ、店長のピザ、旨かったのになあ」
「…」
 相変わらずというべきか、何と反応していいか、政宗は迷った。
 しかし迷ったのは瞬間のことで、すぐに、そんなことで迷っても何の得にもならぬことを悟った。
取りあえず、この男はおおざっぱである。
 これだけ分かれば十分だ。
「お前、聞きたいこととか、ないのか?」
 そう問えば、元親は机に頬杖をついて、政宗を見た。
 目が面白そうな色を宿してこちらを見上げている。
「そりゃあもう聞きたいことはこれでもかってほどにあるぜ。あの女は何なのか、ついでに言えば、店長も何なのか、そしてさらについでに言えば、お前も、何なのか」
 唇を引き上げる様からは動揺などはやはり欠片も伺えない。
 あるのは、ある意味真っ当な疑問だけだ。
「とりあえず、二人ともヒトじゃねえよな。お前は?ヒトか?」
 あっさり首を傾げて、そう尋ねてくる様に、政宗は思わず小さく笑った。
「期待に添えなくて悪いが、おれはヒトで、地球人だぜ。アンタの店の店長と犯人の女はヒトじゃなくて、地球人でもねえけどな」
 そうかと元親は真面目な顔で頷いた。
「それ以上のことは、これから調べてみねえと何とも言えないがな」
「じゃあお前のことは?」
「Han?」
「お前はれっきとしたヒトで、地球人。それで?」
 続きを促された政宗は、ひさびさに己の経歴を唇にのせることになった。
「おれは地球上のエイリアンを監視し、取り締まる秘密機関、MIBのエージェント。
You see?」
「へえ、なるほどな。平凡なピザ屋の店員のおれが出会った中で、一番刺激的な職業だな」
 その言葉に、ふと、また胸が掴まれたように一瞬痛んで。
 政宗は、僅かに残っていたコーヒーを飲み干した。
 カップを置いて、胸ポケットからサングラスを取り出してかける。
 元親は不思議そうな顔で政宗を見返していた。
 胸ポケットから、記憶を消す装置、ニューラナイザーを取り出して、迷うように手で遊ぶ。
「アンタにゃ悪いが…」
 いまいち歯切れのよくない言葉に何を勘違いしたのか、元親はふと笑みを消して、ひどく真面目な声で、おれを殺すのかと問うた。
 政宗は驚いて否定する。
「誰が殺すか。見られるたびに一々殺してたらキリがねえだろうが」
「そりゃそうだ」
 元親は表情をゆるめて、あっさりと納得した。
 政宗はペン型のニューラナイザーを振って見せた。
「殺しやしねえから、この先のところを見といてくれ。ここが青く光るから」
「なあ」
「An?」
 説明を遮られて、政宗は眉を寄せた。
「その青い光をみたあと、どこかで会ったときに、おれはお前のことが分かるか?」
「…」
 政宗は唇を閉じた。
 何故自分が、逡巡しているのか、分からない。
 だいたい一々説明することもまれなことだった。
 いつも自分は、用を済ませたら、さっさと記憶を消してきた。
 パートナーの記憶も。
 なのに、何故か今このときは、ニューラナイザーのスイッチを押すことも出来ず、元親の問いにもすぐに答えを返すことが出来なかった。
 ニューラナイザーを握る手に力を込めて、政宗は短く、いや、と答えた。
「もしおれが会いに行ったとしても、アンタは気づかねえよ」
 その言葉に、この機械の用途が分かったのだろう。
 元親は静かな表情で政宗を見返した。
「つらいだろうな」
「…」
 政宗は、返す言葉をこのとき確かに失った。
「大変な仕事だな。大変で、ひとりぼっちだ」
「…」
 政宗はゆるく頭をふった。
 口元が歪む。
 じゃあテメエはどうだったんだ?
 アンタも、孤独だったのか?
 そう、思わずこの男に問い返したい衝動にかられた。
 けれど、目の前にいる男は、政宗の知っている『元親』ではない。
 かつてのパートナーだった男ではないのだ。
 聞いたところで、元親は首を傾げるだけだろう。
 何せ、今や善良なピザ屋の店員だ。
 一人が性に合うのさ、と笑って、スイッチを押せばいい。
 だというのに。
「…失礼する」
 政宗は結局、ニューラナイザーの電源を落として、胸ポケットにしまった。
 政宗の行動に、元親はきょとんとした。
 目をぱちくりと瞬きさせて言う。
「…記憶、消さねえのか?」
「どうせもう一度くらいは話を聞かなきゃならないことになりそうだしな。次の機会までおあずけだ」
 言いながら立ち上がれば、元親は政宗を見上げながら続けた。
「なあ、お前の名前は?」
「聞いてどうする」
 元親は何故聞き返されるのか分からないといったふうに笑った。
「どうって、次お前に会ったときに、呼べるだろ?」
 政宗はサングラスごしに、元親の顔をじっと見つめた。
 何故そうしたのかはわからない。
 けれど、政宗は薄く唇を開いて。
「…政宗」
 己の名前を告げていた。
 人に知られることがタブーな秘密機関に所属している身だというのにだ。
 政宗の名を聞いた元親は唇を綻ばせて笑った。
 その笑顔が、角膜に鮮やかに焼きついていく。
「政宗、な?またな」
 その言葉に、瞬間蘇った古い記憶。
 『あのとき』も、この男は笑っていた。
 笑って、またな、とそう言った。
 喉の奥が熱くなる。
 答えず、政宗は元親に背を向け、店を出た。





You say“see you”  I say“never”



『お前、ホントその格好似合うわ』




「またな」
 それが記憶を消される前、元親が政宗に向けて言った最後の言葉だった。
 色違いの瞳が、サングラス越しに自分を見つめていた。
 普段のこどもみたいな笑みではなく、どこまでも静かに、元親は笑っていた。
 サングラスごしでよかったと、政宗は思った。
 笑い返すことさえできぬ、余裕のない顔なんぞは、この男には見せたくなかった。
 どうせまた、小僧扱いされるのがオチだからだ。
 確かに己の方が年下ではあるし、新人でもあるが、元親とて十分に若いのだ。
さすがに最後の最後まで『坊や』よばわりは癪に障る。
 けれど、それももうなくなるのだ。
「またはねえよ、元親」
 色のない視界で、光が瞬いた。
 元親の目から強い意志の光が消える。
 サングラスを外すことはせずに、政宗は元親を残して立ち上がった。
「あばよ」
 それが、政宗が元親に向けた最後に言った言葉だったが、元親は覚えてはいまい。
 青い光が、全てを飲み込んで消し去っていったのだから。

***

 それは思えば、一週間にも満たない時間であった。
 警官の職を辞め、黒い衣装に身を包む。
 ネクタイをきっちりと締め、サングラスをかければ、元親は感心したように頷いた。
「似合ってるじゃねえか」
「Thank you?」
「どう考えても元警官っていうよりは、マフィアだよな」
「テメエに言われたくねえよ」
 だいたい秘密組織のくせに、この制服は目立ちすぎるのではないかと思ったが、それについては元親も同意見だったらしい。
でも格好いいから、おれは気に入っていると、元親は軽く笑った。
 まあ確かに、元親の姿も似合っているとは政宗も思った。
 黒の中にある髪の銀色が、まるで月のように映えると。
 元親とともに、事件を追うために走り回った。
 元親は、若くしてエージェントの中でもぬきんでた実績をもつ男だったと、政宗は後から知った。
 事実、元親とともに、初めて政宗が担当した事件も、MIB史上に残る大きなものであった。
 とりあえず、地球が大きな花火にならなかったのは、二人が事件を解決したからである。
 ほとんどの人間が、その日、地球が宇宙を彩る花火になるかもしれないという事実を知らずにいたし、実際影響と言えば、その日あった野球の試合で打ち上げられたホームランボールが、逃げようとする宇宙船の外壁にぶちあたり、ただのフライになったことくらいだ。
 コンクリートの地面に足を投げ出して、元親は空を見上げ、星が綺麗だと言った。
 政宗もつられて空を見上げた。
 代わり映えのしない空だった。
 あいかわらず地上のネオンがうるさく、空気だって濁っている。
 その濁った空気の遠い向こうで、この星にミサイルの狙いを定めている船が浮かんでいる。
 けれども、元親の言うとおり、確かにちかりとまたたく星は美しいと思った。
 元親は胸ポケットから、ニューラナイザーを取り出した。
 坊やにはまだまだ渡せねえなあと言って、持っているのは元親だけだった。
 その言い方にかちんときて、散々言い合ったのが遠い昔のことのようだ。
 だが、実際にはたぶん、一日しか経っていない。
 今ここにいるのは、元親と政宗と、あとは物言わぬエイリアンの残骸だけだ。
 記憶を消さなければならない対象などいない。
 ので、政宗は元親の真意が分からないまま、首を傾いで元親を見やった。
「やるよ」
 政宗の視線をどう勘違いしたのか、あっさりと元親はそう言って、あれほど渡せないといったニューラナイザーを政宗に差し出した。
 どういう風の吹き回しか、と政宗は眉を寄せた。
「何だあ、そのツラはよ。おれにも寄こせってしつこく絡んできたくせによ」
「しつこく絡んでも渡さなかったのを、あっさりと寄こされたら、普通疑問に思うものだろうが」
 受け取りながら、政宗はそのペン型の機械をしげしげと眺めた。
「上から、日付、月、年度になってるから、ちょいとあわせてみな」
 政宗は言われたとおりに機械を設定した。
「で、あとは相手に向けて下のスイッチを入れるだけ」
「I see」
 頷いて、電源を落とそうとすると、何故か元親の手に止められる。
「ついでだ、実地訓練といこうぜ」
「An?実地も何も、誰に使うんだよ?」
「おれさ」
「…」
 政宗は元親の顔を見たまま、動きを止めた。
 元親は何でもないことのように、いつもと変わらぬ人なつっこい小さな笑みを浮かべている。
「何、冗談言ってやがんだ」
「冗談なんかじゃねえよ」
 そう、冗談などではなかった。
 冗談なんかを口にしない男だから、というのではない。
 元親は明るい人間で、よくくだらない冗談も口にしたが、少なくともこんな質の悪いことを冗談として唇にのせる男ではなかったのは確かだ。
 ただ、冗談でないというのならば、何故これほどまでに気負いがない表情をしていられるのか。
 今、自分が何を言ったのか分かっているのか。
政宗はにわかに混乱した。
 嫌な汗がにじんだ気がした。
 この男は、自分の記憶を消せと、そう言っているのだ。
「別に思いつきで言ってるわけじゃねえんだ」
「…」
「なあ、お前、おれがこの間衛星通して、映像見てたの知ってるだろ?」
 それは本部を出る前のつかの間の休息時間。
 MIBはその職業上高性能の衛星を飛ばしている。
 そりゃあもう惜しげもなくテクノロジーを使ったすぐれもので、拡大してやれば、地上にいる人間の顔までも鮮明にみれるくらいだ。
 元親は己のデスクのパソコンで、その衛星から送られてくる映像を見ていた。
 コーヒーを片手にした政宗は、後ろからその映像をちらりと見た。
 画面に映っていたのは、女だった。
 政宗よりももう少し、若いであろう。
 ほっそりとした顔立ちで、はかなげな印象を与える。
 元々の色素が薄からか、白い服を着ていると、まるでそのまま消えてしまいそうな危うささえあった。
 その映像を眺める元親の、斜め後ろからみた横顔が。
 あまりにも、柔らかく、愛おしそうにながめているものだから。
 恋人なのかと、そう考えた。
 一片の切なさを含んだその表情に、からかう気もなくした。
 ただ、こういう女が趣味なのかとだけ思った。
 なあ、と声をかければ、元親ははっと体を震わせて、慌てた様子で映像を消した。
「ちょいとさ、ブラウン管ごしじゃなくてよ、アイツの顔がみたくなったのさ」
 照れたように、元親は眉を寄せて苦笑した。
「もともと、後を任せられるヤツがいたら、引退する気だったんだ」
「…」
「政宗」
 名前を呼ばれて、政宗は顔をしかめた。
 そんな風に優しく呼ばれたところで、納得できるわけがない。
「お前なら、立派におれの跡を継げる」
「ちょっと待て。さっきから聞いてりゃ勝手にべらべらと。おれは今日でこの仕事について五日だぞ?あの本部で適用している宇宙標準時間でいや、三日だ。一週間経ってねえんだぞ?一人で出来るかよ」
 政宗の至極当然な反論に、元親は片眉を上げて、唇を弧にして笑ってみせた。
 坊やと呼ぶときの、やけに人を食ったような笑顔だと政宗は思った。
「お前がやる前からギブアップするたあ珍しいなあ。何だ、そんなにおれがいないと不安かい、坊や?」
「ああ、不安さ。虚勢張っても何の意味もねえ。おれはまだまだこの世界じゃ新人もいいところだからな」
 真顔で言い返せば、元親は虚を突かれたように瞬きした。
 その様に、少し溜飲が下がり、落ち着いた。
 けれど、すぐにそんな一時の優越感は、元親の柔らかい微笑で崩される。
「大丈夫だよ。五日でテメエは立派に地球を救ったんだ。第一、このおれが、お前に、任せたいって思ったんだ。これ以上に信用できる言葉もねえと思わねえか?」
 金色の目が油断ならない色をやどして、楽しそうに政宗を映していた。
「おれの言葉も、信用できないのか?お前はまだ不安かい?」
 ここまで言われて、はいまだ不安ですなどとうなずける訳がない。
 ここまで挑発されて、煽られないわけがない。
 政宗は冷ややかな色をまとわせた目を細めて、元親を見た。
 元親は、政宗の視線と真っ正面から己の視線を合わせながら、余裕のにじんだ笑みを崩さない。
 息をついて、肩の力を抜いたのは、政宗の方だった。
 政宗は胸ポケットから、サングラスを取り出した。
 元親は、サングラスをかけた政宗を見て、ひどく上機嫌な様で笑った。
「お前、ホントその格好似合うわ」
「アンタも、似合ってたぜ?」
 唇を引き上げて、そう返せば、元親は照れたように頬をかいた。
「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか」
 そして、その顔に、静かな微笑を浮かべて、元親はもう一度、政宗と、名を呼んだ。
「またな」
 それが記憶を消される前、元親が最後に政宗に向けて言った言葉だった。
 色違いの瞳が、サングラスの向こう側から自分を見つめていた。
 普段のこどもみたいな笑みではなく、どこまでも静かに、元親は笑っていた。
 サングラスごしでよかったと、政宗は思った。
 笑い返すことさえできぬ、余裕のない顔なんぞは、この男には見せたくなかった。
 どうせまた、小僧扱いされるのがオチだからだ。
 確かに己の方が年下ではあるし、新人でもあるが、元親とて十分に若いのだ。
さすがに最後の最後まで『坊や』よばわりは癪に障る。
 けれど、それももうなくなるのだ。
「…またはねえよ、元親」
 色のない視界で、光が瞬いた。
 元親の目から強い意志の光が消える。
 サングラスを外すことはせずに、政宗は元親を残して立ち上がった。
「あばよ」
 それが、政宗が元親に向けた最後に言った言葉だったが、元親は覚えてはいまい。
 青い光が、全てを飲み込んで消し去っていったのだから。